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見ざる、言わざる、聞かざる、

世間では永く、酒と女と賭け事が身を滅ぼす三大要因だと言われてきた。
いわゆる飲む、打つ、買うである。

いかにも男中心の物言いだが、確かに、日頃のニュースなどで流される事件や犯罪でも、そんなケースをしばしば見聞きする。
しかし、もっと恐ろしい身を滅ぼすものがあることをご存知か?

日光東照宮の一角に、両手でそれぞれ耳、口、目を押さえた三匹の猿の彫り物があり「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の教えとして広く知られている。
孔子の「論語」に「礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ」がその基となっていると言われている。
本来は「行わざる」の四猿の教えであるようだ。

日光東照宮は徳川家康を祀った神社だが三代将軍徳川家光が完成させた。
現在は「日光を観ずして結構と言うなかれ」などと言われるほどの観光地となっているが、恐らく江戸時代も全国の各藩の諸大名を初めとして多くの人びとが詣で賑わったことだろうと思う。

そこに「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿をわざわざ彫って人びとに見せたには意味がある筈だ。
それは時の権力の頂点に在った徳川幕府の脅しだったのでないだろうか。
表向きは、小さな子供の育て方であったり、大人の処世術であったりしながら、本当は、余計なものを見るなよ、余計なことを聞くなよ、たとえ見聞きしても余計なことを話すんじゃないぞ、との諸大名や人びとへの権力者の警告だったのではないかと見る。

「壁に耳あり、障子に眼あり」とか「物言えば唇寒し秋の風」の芭蕉の句が故事ことわざ辞典に分類されるほどに、その手の失敗は人生でも多いようだ。
現実にも、「見てはいけないものを見て」「聞いてはならぬものを聞き」「言ってはならぬことを言って」悔やんだ体験は誰にもある筈である。

しかし、悔やむ程度で済めば良いが、新聞やテレビで大騒ぎされるような大事件となり、それで人生を過った人びとをボクたちは実際に数多く見聞きしてきている。
それがもとで、命を落とした人たちも数知れずいることだろう。
その意味で、酒や女や賭け事よりも恐いものは「見てはならぬものを見、聞いてはならぬことを聞き、言ってはならぬことを言う」ことかもしれない。

ところが、なんと皮肉なことに、僕たちテレビジャーナリズムに生きる者は、この禁断の「見ざる、言わざる、聞かざる」を守っていては、仕事にならず、生きてはいけない運命にあるのだ。
事実を見つめ、真実を究明するということは「見てはならぬものを見、聞いてはならぬことを聞き、言ってはならぬことを言う」仕事そのものなのである。

もともとジャーナリズムの役割のひとつに時の権力へのチェックが大きくあるのだが、これなどは真面目に考えれば、ジャーナリストの命を掛けた大仕事の筈である。
権力は都合の悪いことを隠蔽し封殺することは必定で、それを暴いて世間に知らせる行為に対しては、必ず報復をするからである。
そしてそれは、外国や封建時代の昔話ではなく、現在もそんなことが、日本のテレビの世界でも平気で行われていることは、周知のことである。

これは政治の世界だけではなく、社会のあらゆる権力構造に存在する問題だ。
卑近な例で云えば今話題になっている吉本興業やジャニーズ事務所のタレント締め出しの問題も根っこは同様である。

誤解を恐れずに言えば、権力がジャーナリズムに介入することは当然だが、ジャーナリズムがそれにどう対処するのかが実は一番の問題なのである。

いつの頃からかはボクも定かには分からないのだが、気が付くと若者たちの間で、政治に関する議論がタブーになっている。
戦前、天皇についての批判がタブーであったが、現在は政治論議そのものがタブー視されている。

今から30数年前に、日本の管理主義教育のあり方を問う「羊たちの季節」という番組を作ったことがある。
このままだと、日本人が何でも権力の言いなりになる羊の群れになるのではないか、との懸念を投げたのだったが、そんな社会が完成したのかもしれないとも感じている。

今回の参議院選挙の結果を待つまでも無く、「見ざる、言わざる、聞かざる」状態からの脱出をしなければならないと思う。
因果とは云え、少なくとも、ジャーナリズムに見を置く者は、もう一度、自分たちの役割を認識し直す必要があるのではないか。

   「金や!金! 銭さえあれば 良えじゃないか……?」 


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我田引水
我田引水で恐縮ですが、聖書世界は、孔子とは真逆で、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない。」というのが、イエスの復活を目撃した弟子たちの一貫した態度でした。

日本がキリスト教を禁教にしたのも、時の権力に不都合だったからです。
いま中国の習近平は、孔子の言葉を盛んに引用しています。
「四猿の教え」での統治をお考えなのでしょう。

孔子は、「肯定戒命」の代表格で、聖書は、「否定戒命」の代表格です。
「肯定戒命」では、「こう考えなさい。」を徹底させます。
「否定戒命」では、禁止されていること以外は、何を考えても、どう行為しても自由なのです。
「肯定戒命」の世界からは、真のジャーナリストは生まれません。

なお、中国で、孔子が否定されたのは三国時代の曹操統治下と文化大革命の時代の二度だけです。

孔子の思想で、現在の対中、対朝鮮(北と南)を考える時、中国は「父親」、朝鮮は「長兄」、日本は「弟」となります。
中国、朝鮮からみれば、「弟」である日本は「孝」ならざる国となるのでしょう。
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