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過去の幻影からの脱出

年寄の繰り言をひとつ。

世の中が変わるのは当たり前だが、それにしても昨今の変化は凄まじい。
遡れば、日本では永く、節約は美徳であり、物を大切にすることを奨励されていたのが、使い捨ての消費社会に変身して久しいし、近くは、日本人は働き者だと云われ、長時間、良く働くことが称讃されていたのが、働き過ぎは法律で罰せられる時代となった。

世界の政治や経済の潮流と時の政権の在りようで価値観は猫の眼のように目まぐるしく変わる。
時代の求めに応じて世の中が変化するのは当然とは云え、生活の形や常識そのものが根本から逆転する現実に追いつくのは大変である。
その変化が納得のいくものであればともかく、「どういうことなの?」と云う時が困る。

ボクには政治や経済のことは分からないが、ただ、ボクたちの国がいま進もうとしている道筋に疑問と不安を持つ。
一番の疑問は、今後の日本が過去に経験したような目覚ましい経済成長を遂げることは難しい、との見通しにも拘らず、政府与党が経済成長を前提とした諸政策を推進しようとしている点である。

巷間では平成時代は政治的にも、経済的にも衰退の30年であったと云われている。
太平洋戦争での敗戦後、見事な奇跡的経済復興を成し遂げた昭和時代後半の財産を食い潰してきた30年だったのだろう。
そして、令和の今も過去の遺産に依存してその場しのぎを続けようとしている。

しかし、栄枯盛衰は世の常で、これまでの歴史でも永遠の繁栄を保つことの出来た国は存在しないことでも分かるように、発展の次には衰退が必ず控えている。
平成が終り新しい令和の時代になったからと言って何が好転するものでもない。

周知の通り、圧倒的な勢いで少子高齢化が進み、日本の人口が減少を続けている。
昭和初期、軍国時代の「産めよ、殖やせよ」ではないが、仮にそんなスローガンを掲げたとしても、何の効果もない。
結婚する男女が減り続けているのも、安心して子供を産めないのも、それらの条件を満たす社会的、経済的、さらに法的な土壌のないのが、大きな原因のひとつだからだ。

格差社会がさらに進み、富める者と貧しい者がはっきりしてきた。
一億総中流感覚の良き時代は、今は昔の物語となった。
貧しい若年層も増えている。

そして高齢者の命綱である筈の年金制度は、今国会で騒ぎを起こしたように、事実上の破たんを目前に控えており、将来の年金制度が当てにならないことも分かってきた。
現在でもすでに年金の支給だけでは生活できないことを身に染みて体験している高齢の人びとも多いが、将来への不安は増大するばかりだ。

少子化に伴い、総人口に占める高齢者人口の割合は28.1%となり、前年(27.7%)と比較すると、0.4 ポイント増と、過去最高となっている。
推定では今後20年間は毎年高齢者の割合は増え続けると予想されており、若者たちの負担は増大するばかりだ。

以上のようなことは遍く誰もが知っている事実である。
このままだと、ごく近い将来の日本は大変なことになると誰もが知っている。
しかし、一方政府は、相も変わらず、見込めもしない経済成長を前提とした諸政策を推し進めようとしている。
過去の栄光を忘れられずに、ただ幻影を引きずり、諸問題の改革を先送りしている。
そして、ボクたち国民もそれでは駄目だと知っているのに、日々の生活に追われ、過去の幻影を断ち切れないでいる。

そんな中での、訳の分からない施策のひとつの例が働き方改革だ。
財力も資本力も備えている大企業は対応できても、ボクたちのような弱小企業にとってはこの法律を順守するのは死活問題である。
まさに強い企業だけを生き残らせるための施策である。
法を守る義務があるのは百も承知だが、優勝劣敗の思想には反対である。

そして、この法律の根本は、生産性を上げることにある。
単純に云えば、ひとつの企業での残業を禁止し、その余剰の時間を別の企業での労働に当てなさい、との考えだ。
そうすれば生産性が向上するだろう、と言う理屈だ。
だから国はアルバイトや複数の会社での労働を勧めている。

表向きは労働する者の過重労働や健康問題をこの法律の理由にしておきながら、ひとりの人間が複数の企業で長時間働くことを許し、生産性を上げようとしている。
明らかな矛盾だが、ここまでのゴリ押しをするのも、何とか経済成長を図りたいとの思惑があるからとしか思えない。

国民を、命を生きる人間としてではなく、単なる労働力としてしか考えていないことが良く分かる法律だ。
達成のできない経済成長を前提にするからこそ生まれてくる天下の悪法だ、とボクは断じている。

今こそ、日本が抱えている困難な状況や矛盾をすべて白日の下にさらけ出し、多少の痛みを覚悟で新たな道を模索すべく、現在と将来の日本の間尺に合った新しい国家の設計図を作るべきなのではないかと思う。
その設計図の実現に向けて、その実現を阻害する障害物を排除し、促進するための新たな法の整備をするべきではなかろうか。

少なくとも、今は、憲法改正などの急ぐ必要もない法案に浮かれている時ではないと思う。
対処すべき優先順位を見誤ることなく、日本の目前に迫っている危機に向けて、やらなければならない事案は山ほどにあるのではなかろうか。

与党自民党の自浄能力に期待したこともあったが、それも無理なことのようである。
政局争いに明け暮れるばかりで、その存在の意味すら全く喪失している野党の群れは、いまこそ覚醒すべき時である。
新しい日本の形を具体的に構想し、本気で政治を変革するチャンスと捉えて命を燃やす絶好の機会なのではないか。

     「過去に 栄光のなき者に 幸あれ」




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「躾」と「知の再生産」
数十年前、「月刊・文藝春秋」で、「日本に政治家はいらない」という特集が数ヶ月連載されました。
いらない理由は、「日本の官僚はすぐれているから〜〜」という内容でした。

ところが優れていたのは、敗戦時まであった内務省のOBがいたからで、それが途絶えたいまでは、見るも無残な状態になっているのです。
ある中央官庁の事務次官は、採用試験では目を閉じて履歴書をクジ引きしても面接しても同じこと、と諦めていました。

内務省は、「官庁の中の官庁」「官僚勢力の総本山」「官僚の本拠」と呼ばれていました。

ぼくは二人の内務官僚OBに仕えましたが、共通点が三つありました。
「鳥瞰」「虫瞰」に優れた洞察力を持っていたこと。
二人とも、相当高額な報酬を得ていましたが、死んだ時には、葬儀代にも困る状況だった、ということです。

二人とも、八畳、六畳、四畳半、小さな台所と小さな風呂場付きの借家で生涯を終えました。
一体、あの大きな収入は、どこへ消えたのか?
全額、貧しい人たちへの寄付でした。

そうした「躾」「知の再生産」がまるで出来なくなっているのが、現状の日本でしょう。
自己矛盾
電波も有限な資源で、まず、国際的に使用の枠が決められ、それに準拠して各国の枠が決められます。
小田さまは、テレビという大きな枠を特権的に取っている世界で生きてきて、いまなお、それで仕事をしているのですから、ガラケーを依怙地になって保持し続けようとするのはチョット自己矛盾のように思うのですが〜〜。
ご令室さまの言われるように、素直にスマホにされてはいかがでしょう?
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【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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