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写真家・大石芳野さんのジャーナリズム

平成が終わり、令和という新しい時代の始まりで、天皇報道に埋まるテレビ番組にも、いい加減うんざりした大型連休さ中の今月初め、雨のそぼ降る中を妻たちと恵比寿の東京都写真美術館に向かった。
写真家・大石芳野さんの写真展「戦禍の記憶」を観るためである。

広いホールには約150点に及ぶ写真がボクたちを待ち受けていた。
大石芳野さんは、戦争そのものを記録する戦場カメラマンではなく、戦争の傷痕に苦しむ人びとに向き合い、その苦しみや悲しみを40年間も記録し続けてきた写真家である。

ベトナム戦争のベトナム、カンボジア、ラオス、それにポルポト政権下のカンボジア難民たち、また民族や宗教対立で争うアフガニスタン、コソボ、スーダン、さらにホロコーストも。
広島、長崎の被爆者たち、そして日本で唯一の地上戦を体験した沖縄の人びとなど、現在に至るまで記憶から消し去ることのできない戦禍の傷痕の記録が展示されていた。

たしか1979年だったと思うが、タイ・カンボジア国境の小さな街アランヤプラテートで、大石芳野さんに初めてお会いした。

1975年にベトナム戦争が終り、カンボジアはホルポト政権の国になった。
中国共産党・毛沢東の農本主義を信奉したポルポト政権下では、ご存知の大虐殺があった。
混乱するカンボジアに、ベトナム戦争時代は盟友であったベトナムが侵攻し、ポルポト軍はタイ国境にまで追い詰められ、その後ゲリラ戦を展開することになる。

ベトナムが侵攻したのが1979年で、戦火を逃れて連日、多くのカンボジア難民がタイに流れ込んだ。
タイ国境には国連によって、いくつかの難民収容所が設けられた。
大石さんと出会ったのは、そんな状況下にあるタイ・カンボジア国境だった。
お会いしたと云うよりもすれ違った、と云う表現の方が適切で、日本からの取材陣もほとんどなく、大石芳野さんという写真家が来ているのだと認識する程度の出会いだった。

その後、彼女にお会いしたのはわが社で制作したNHKの「課外授業・ようこそ先輩」に出演いただいた時である。
それから年賀状をやりとりする程度のお付き合いが始まった。
大石さんの年賀状は、その時々の政治や社会の在り方を問うもので、本当にこの人は、当たり前の安寧な日常生活が出来る平和な社会を心の底から求めているのだなあ、と感じ、共感できた。

それほど親しいお付き合いでは無かったが、昨年のわが社の設立30周年のパーティーでご無理を言って挨拶していただいた。
パーティーの最後まで居られたのはいかにも大石さんの誠実さだったと感じた。
まったくお構いできなかったのだが、最後に握手をして短い言葉を交わした。
その時の印象は、とてもストイックで自らを律することの出来る、つつましいが強い人なんだな、との直感だった。

今年、4月14日に放送したNHKの日曜美術館「凛として 写真家・大石芳野」を制作した。長崎の被爆者たちのその後を20年に渡り撮り続けてきた彼女の活動を描く番組だった。
大石芳野写真集「長崎の痕」の上梓と期を合わせたものである。

雨の中、ボクたちが訪れた東京写真美術館「戦禍の記憶」写真展の会場には想像していたよりも多くの来場者がいたことをなぜか嬉しく感じた。

それにしても、自分の人生をひとつのテーマを追い続けることに使い切ることの出来るエネルギーとその生き方には驚嘆せざるを得ない、と同時に頭が下がる。
ボクもジャーナリズムの端っこに生きる者だが、大石さんのような人に出会うと気恥ずかしくなる。
所詮、俺はテレビ屋だな、などと思わず後ろめたい思いが頭を過ぎる。

と言うのも、ボクが現役で番組を制作していた頃は、取材対象者に向き合う時は、まるで獲物を狙う野獣のように獰猛で、狙い通り以上のモノが取材出来た時は、「やったぞ!」と心の中で手を叩いたものである。
取材対象者がどんなに悲惨な状況であろうとも、である。

それがテレビの本来の仕事だと思っていた。
野心であり、功名心であり邪心である。
その心はまだまだ変わらずにボクの奥底に間違いなく存在している。

しかし、大石芳野さんにはそれが無い。
自分の取材記録した写真を多くの人たちに観て貰い、考えて貰いたいとの願いがあるのは当然である。
しかし、彼女の写真からは、少なくとも功名心や邪心はまったく感じられない。

それどころか、取材対象者の苦しみや悲しみを自分の苦しみや悲しみにしている取材者がいる。
だから写真の中で子供たちが流す一滴の涙は大石さんの涙であることが伝わって来る。
取材者と取材される側との、この関係がしっかりと成立していることがその写真を観る側に伝わることで、観る側にその涙の意味が伝わり観る者の心を打つ。

本来は、これが本物のドキュメンタリーの凄さなんだよな。
商業主義に流されない者だけが得ることのできる表現力の凄さがそこにはあった。

今のテレビジャーナリズムが失いつつある、取材し記録し、そしてそれを多くの人びとに伝えることのジャーナリズムの原点が大石さんの写真にはあった。
こんなことが世界の片隅で現実に存在するのですよ、それを知って欲しい、との平凡な暮らしを求める地ベタからの視線で問いかけるジャーナリストの切なる問いかけが、どの写真にもあった。

ボクは150点余の一枚一枚の写真を打ちのめされるように観入った。
全部観終えるまでに、会場の所々に設けられてあるベンチで2度も一息いれなければならないほどの重さだった。

今年75歳の大石芳野というひとりの女性写真家としての半生とその真髄を見せてもらった。

     「イヒヒヒヒ 原点忘れて テレビかな」


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Comment
自己をカッコの中に❣️
人は、自己の意識を「世界を映し出す確かな鏡」だと思っていました。
いや、いまでもそう考えている人が大半でしょう。

その「鏡」が、感情と同じくらい偏見と歪曲に陥りがちで、嘘つきであり、心的態度ですぐに変わるものであることを明らかにしたのは「現象学」でした。
愛とか屈辱とか怨恨などの抑圧された情感や、無意識のうちにそれによって動機づけられている行動様式を「無意識的志向性」として解明したのです。

テレビ・ドキュメンタリーは、「世界を映し出す確かな鏡」を世界大に拡散する機能を持っています。
ですから、その企画・制作に当たっては、ひとまず自己をカッコの中に入れられるか、否か、が重要だと思います。

小田さんが紹介されている大石芳野さんは、自己をカッコの中に入れることが出来た方なのでしょう。

オルタスジャパンの作品が、常に、自己をカッコの中に入れた作品であることを切望しています。
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【小田昭太郎】
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