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突き付けられた年齢

毎度ながらのつまらぬお話で。

普段は自分の年齢のことなど意識することなくその日その日を送っていたのだが、思わず、ウッ、と詰まるような出来事に出くわした。

ここ10年ほど、ボクは月に一回の病院通いをしている。
高血圧と糖尿と高脂血の薬をもらうのが目的なのだが、医師の診断を受けずに薬だけ欲しい、と言ってもそうはいかない。
毎回、血液と尿の検査があり、それを基に医師の診断結果を聞くことになる。
何だかんだで一時間近く掛かるのだが、ほとんどは待ち時間で、医師との対面はほんの2~3分で終る。

ところで、この主治医がちょいとした美人で年の頃は36~7、二人の子供がいて麹町に住んでいる。
鮨が好きで、毎週土曜か日曜には子供を連れて赤坂の鮨やに行く。

ある時、その鮨やがボクたちの会社で何かと利用している馴染みのお店であることが分かった。
そのお店の話で妙に盛り上がったのだったが、それ以来、お鮨は控えめにね、とか、シャリは小さめにね、などとの言葉が女医さんの常套文句となっている。

診断結果はいつも同じで「ヘモグロビンA1cは6.8ね。まあ良いでしょう。お鮨は………」と続き、「それではもう少し様子を見ましょう。いつものお薬を出しておきますね。お大事に、ハイどうぞ」で終る。

先日も、そんなやりとりの後、会計窓口に行くと会計係の女性が言い難そうに
「社会保険の健康保険証が使えなくなったので、今日は実費で戴きます」と言う。
怪訝そうなボクの顔を見つつ「75歳を迎えられて後期高齢者になられたので、これまでの健康保険証は使えなくなりました」
何々それは!
「代わりに緑色の『後期高齢者医療被保険者証』が発行されている筈ですが、お持ちではないですか?」
「ああ、そう云えばそのようなものが届いていたように思うけれど……それにボクはまだ会社で働いているのだけれど……」
「そうですか。でも社会保険の適用からは外れます。2週間以内に後期高齢者用の保険証をお持ちいただければ精算できますので」とのいきさつで、いつもの3倍の診察料1万円余を支払ったのだった。

ああ、後期高齢者とはこういう事だったのか、と自分の年齢を改めて実感した次第である。
そう云えば、時々都バスを利用するのだが、アナウンスで「70歳を過ぎた方には高齢者用のパスが出ますのでお手続きください」との知らせが流れる。
「ボクも無料でバスに乗ることが出来るようだよ」
「あなたも作ってもらったら?」と妻は気軽だ。

でもボクは有難いことにまだ働くことが出来て収入もある。
たとえ年齢的な資格があるにせよ、税金を使っての無料パスのお世話になっては申し訳ないと思っている。

こういった自分の考え次第で年齢とは関係なく選択できる例は気楽だが、否応もなく年齢で選択の余地を奪われるケースは改めて年齢を実感させられるだけにズシンと来る。

定年などはその最たる典型例だろう。
今年も、定年になりましたとの挨拶の書状が何通か届いているが、まだまだ働く能力があり、意欲もあるのに一定の年齢で解雇するのは実に理不尽で、乱暴だ。

労働人口の減少があり、働き方改革法案がいよいよ来年4月から施行される予定で、高齢者の働く場は少し広がりそうな気配はある。
しかし、一方で日本社会から終身雇用制が次第に姿を消しつつあり、また地下鉄車両などで目にするが「転職がふつう」などとのキャンペーン広告が幅を利かす時代だ。

働き方改革と云い、終身雇用の消滅と云い、転職の勧めと云い、自分たちの属する会社に対する思いや情熱が無くて、どうして国家に思いを寄せることなど出来るのか、愛社精神を持てない者がどうして愛国心を持つことができるのか、などと、つい思ってしまう。

もっとも、愛国心などという言葉を使うからと言ってもボクは右翼ではない。
左翼でも又、勿論ない。

ボクは自由を愛するが、とりわけ言論の自由がとても大切であると考えている。
そして右翼であれ、左翼であれ、権力者が先ず初めに弾圧するのが言論の自由であることをボクたちはこれまでの歴史を通して知っている。

右だの左だのナニ翼であろうが国家主義は御免だ。
なかでも天皇制などは理解できないし、自民党が昨年4月に発表した「日本国憲法改正草案」の「前文」に明記しているような「天皇を戴く国家」などには真っ向から反対である。

その先には必ず歪んだ愛国心の強要と言論の弾圧が待ち構えている。
愛国心とはそういうものでなく、自分の住んでいる国がより住みよい国であって欲しいとの民の素朴な願いと決意であると思っている。

会社もまたしかり。
ひとつの会社に属する共通の願いや志を有するスタッフがお互いに助け合って生きて行く共同体であって欲しいと願う。
強者と弱者が共存共栄できる社会を求める。

しかし、いまの政治や社会の流れは、強い組織や富める者をより強くし、弱い組織や貧しい者をさらに弱め、社会を構成している庶民の情や絆を断ち切る方向を目指しているとしか思えない。

経済の効率化を求める余りに、水田ナントカ言う女性国会議員のように、人間の性の在り方についてまでも生産性などという流行の経済用語を使ってヒンシュクを買うような出来事も起きる。
批判も多いが同調する世間の風潮も見逃せない。

そんな思想の延長線の先には、生産性を失った高齢者の存在への攻撃が見える。
 
     「秋風や 歳が転がり 過ぎ行きぬ」




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Comment
「蛇足」
「自民党が昨年4月に発表した『日本国憲法改正草案』の『前文』に明記しているような『天皇を戴く国家』などには真っ向から反対である。」

この小田さまの言葉に、蛇足を書かせていただきます。

天皇制は、日本国家の宗教的、統一体的な性格を象徴し、その欠陥は「自己正当化」と「無責任体制」にあります。

天皇が「象徴」であろうとなかろうと、「天皇制」はその時々の国家権力の政治的必要に応じて、どうにでも内容を盛りこむことのできる変幻自在の機能を持っているのです。

「象徴」は、人々に「依存感情」と「帰属意識」を起こさせ、それを育成します。
そして、「象微」を自分の権益に役立たせたいと考える「支配者」「権力者」たちは、これだけでは満足せず、「象徴」を神聖化して、崇拝させ、これに帰属する人々を「象徴」の絶対的権威のもとに完全に服従させようとします。

「象徴」という「かくれみの」を看破する洞察力が甚だ弱いのが、日本人の体質的欠陥と言えます。

かつて日本における外国特派員協会の会長をつとめたことのあるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、著書『日本権力構造の謎』で、日本権力構造の謎というより、むしろ日本精神構造の謎といいかえてもよいような性格描写に勝れた筆致で、
「日本に欠けていたのは、これらの人びとの思索をつなぎ合わせて、思考の枠組みとするという壮大な知的伝統だった。反論したり新しい論を加えようにも、哲学的な思索の秩序だった体系がなかったのである。論理的に秩序だった抽象概念の体系は、現実を把握する長い間の知的努力の産物である。こうした知的なベースがないと、競合する証拠の実態、関連、重要さ、比重、均衡などを正確に把握できない」と記しています

「古事記」しかない国と、「聖書」をもつ人々との差です。
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【小田昭太郎】
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