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親の死についての名言

ボクは間もなく晴れて後期高齢者の仲間入りをすることになるのだが、自分では高齢者との自覚をまだそれほど持つことは出来ないでいる。

そうだからと言って、自分が若いつもりでいる訳では決してない。
あちこちにガタが来ている証拠に、高血圧や糖尿病の薬も飲んでいるし、独学中の韓国語の方も少しも上達する気配はない。
ひとつ言葉を覚えると、ひとつ忘れるといった具合で、脳が休みたがっていることが分かる。

年相応人並みに老いているのだが、だからと言って、ここに来て急に具合が悪くなったとか、特別に疲れるとかの自覚症状も無く、有難いことに、これまでの日常生活の延長線上で毎日を過ごしている、といった感じである。

一晩や二晩の徹夜麻雀くらいならば平気で打てる。
だから、高齢者と言うほどには年寄ではないが、お世辞にも若いとは言えない年寄で、いかにも中途半端な年齢なのだろう。

しかし、程なく、誉ある後期高齢者の指定を迎えるに当たっては、その名に恥じぬそれなりの高齢者でありたい、などと誠につまらないことを思っている所である。

中国の天津に在住していた妻の父親がつい先日84歳の天寿を全うした。
ボクが義父に最後に会ってから8~9年経つが、当時、天津のカラオケバーに義父を先頭に妻の姉妹たち一族郎党十数人で繰り出し、大いに楽しんだことを思い出す。
その頃は、義父も歌ったり踊ったりと、とても元気だった。

あれから、少ししか時間が経っていないのに、義父はすでに帰らぬ人となってしまった。
当時の義父はちょうど現在のボクと同年齢位だったのだなと思うにつけても、改めて時間が支配する冷酷なまでの無常と暗澹たる無情を知る。

義父の面倒を看てくれていた義姉夫婦からの連絡を受けて妻たち姉妹が、日本それに韓国からそれぞれ駆けつけた、まさにその日の夜に義父は安らかに息を引き取った。
奇跡的に父親の臨終に立ち会えた妻たち5人の姉妹は「父は娘たち全員が揃うのを待っていてくれたのに違いない」と語り合い父に感謝し、自分たちを慰め合った。

ボクは仕事の都合で会社を空ける訳にいかず、葬儀に参列することは出来なかったのだが、朝鮮族の慣例に倣い2日間徹夜で葬儀が行われたらしい。

中国の現在の宗教事情については良く知らないが、文化大革命で宗教が弾圧されたこともあり、無宗教の人びとも多いと聞く。
妻に信仰する宗教は?と聞いても無いと答える。

葬儀も漢民族のやり方と朝鮮族のやり方では違いがあるらしく、義父の葬儀は朝鮮族の作法に則って行われたらしい。
それが仏教方式なのか、どういう形かは誰も知らないらしい。
漢民族の葬儀屋が用意した祭壇で、葬儀のしきたりを知る朝鮮族の人から教えられる通りの作法で故人と別れの儀式を行ったと聞いた。
2日間に渡る葬儀中には、お線香をひと時も絶やさなかったと言うから、仏教だったのかとも勝手に想像したが、お坊さんは居なかったようだ。

それはともかく、5人の娘たちを含めて親族たちは、覚悟は出来ていたとは云え、故人の死を悲しみ、あの時はああすれば良かった、こうすれば良かった、もっと親孝行をすれば良かった、とお互いに語り合い、涙を流して死者を悼んだ。

ボクたち日本人は総じて喜怒哀楽の感情を内に秘める文化があるが、妻たち姉妹は、日頃から、悲しみ、泣き、笑い、怒るなど実に感情表現が豊かである。
身体全体を使って感情を表すことが出来る人たちだ。

ずいぶん多くの弔問客が来てくれたらしいが、その中にキリスト教徒たちがいて、悲しんでいる妻たち姉妹に「お父さんは天国に召されたのですから、悲しむことではありませんよ」と慰め、励ましてくれたという。
葬儀場の重苦しい雰囲気の中で、その人たちだけがなぜかニコニコしているので不思議で複雑な気持ちになった、と妻はボクに語った。

信仰や宗教とは実に不可思議なものである。
異教徒、あるいは無宗教の人間にとっては、その善意ある慰めの言葉は奇異にしか受け止めることが出来ない。
その教典の意義や意味はともかく、宗教という形をとった時に普遍性を失うのかもしれない。

もっと親孝行をしておけば良かったと悔やんでいる姉妹たちに、同じ朝鮮族の知り合いが
「あなたたちは、それぞれ7歳までに親孝行をすでに果たしているのだから、何も悔やむことはないよ」
と慰めてくれてずいぶん心が和らいだと妻は言った。

ほとんど多くの親たちはわが子の誕生を喜び、目に入れても痛くないというほどに可愛いものである。
親にとっては至福の時間である。
そのような状態は子供が7歳頃まで続く。
義父は子宝に恵まれ5人もの娘たちから、そんな幸せを与えられた。
娘たちは、その時期にすでに十分な親孝行を果たしているというのだ。

なるほど、世の中に知恵者というのは居るものだ。
「7歳までに親孝行を済ませているから悔やむことはない」とは、けだし名言である。

観念や理屈では人の心を動かすことは難しい。
しかし、事実に基づく何気ない知恵ある慰めの言葉には、人がその心を動かす力が秘められているようだ。

   「見送るも また逝く人も あわれなり」


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祝宴よりも〜〜
以下三つの言葉、いずれも聖書からです。

①祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者が、それを心に留めるようになるからだ。

②悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。

③賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。
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