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政治の話をしない若者たち

いま、日本の政治の世界が乱れに乱れ、国会も空転し、安倍政権がこのまま維持できるかどうか懸念される事態に陥っている。
しかし、これは何も今に始まったことではなく、少し前の日本なら内閣総辞職もやむ無しの情況が何度かあった。

違憲の声が高かった安保法制の強行突破やその賛否は別にして三党合意を踏みにじる消費増税の先送りは、まさにルール違反の独裁だったし、自民党議員たちの度重なるスキャンダルや目に余る暴言や失言、さらに森友・加計学園問題への首相を先頭とした閣僚たちの不遜な態度等々枚挙にいとまはないが、そのすべてがボクたちの記憶に新しい。

これほど問題の多い内閣も珍しい。
そして、その時々に安倍内閣支持率が急落し、不支持率が大きく上回る事態を招いた。
それでも、多くの国民はそんな政権を根本的には支持し続け、すぐにまた支持率が回復するという何とも妙な現象が起きてきた。

そして、その後の突然の、いわゆる「大義なき解散」の結果、大方の予想通り自民党は圧勝する。
国民の信頼を得られないまま民進党が分裂し、千々に乱れた野党議員たちの、生き残りだけを求めて右往左往する見苦しい様を国民の前に露呈し、自民党の勝利に大きく貢献した。
国民の不満や怒りの受け皿と成り得なかった各野党政党の責任は大きい。

みそぎは済んだとばかりに、自民党の驕りは続く。安倍政権は政権を維持することが本来の目的であると考えているかのように、次々に負の遺産を後世に託していく先送りの政策を続けている。
先のことよりも今が良ければ、との国民のずるい考えと一致する。
こうして現政権が危機に瀕し、沈みかけると国民は安倍政権を支える構図が出来上がっている.

官邸主導の強権政治は官僚たちを委縮させ、忖度が常識となる形を各省庁に生み出した。
マスコミの人事にも手を突っ込み、陰に回わりながらも、あからさまな報道規制を行った。
新聞に代わり、報道の中心的な役割を担うようになったテレビ局は悲しいかな許認可事業の下にある。
事あるごとに、総務省からの免許取り消しの脅しをちらつかせられ、自主規制を強めてきた。

今年、1月に通常国会が召集され、6月までの予定で審議が行われている。
その過程で、森友文書の改ざんを財務省が認め、佐川国税庁長官が引責辞任、加計学園問題で首相秘書官が関わっていた文書が出てくるなど、収まるかに見えていた事件が新たな疑惑を生んでいる。

そしてまた、働き方改革関連法案の柱の一つである裁量労働制について、政府が法案作成に活用したデータの不備が次々と発覚し、データそのものの正当性が揺らいだり、これまで存在していないと答弁していた自衛隊のイラク派遣時の日報の存在を一年前から把握していたことも発覚するなど、安倍政権の存続を脅かす不祥事が次々に明らかになっている。

軍部の中枢である防衛省を政府がコントロールできていない実態が明らかになる中で、憲法改正に突き進もうとしている。
シビリアンコントロール不能の下で、軍部の独走の気配が見え隠れしているだけに、今回の憲法改正は日本を危うい方向に導くものだとの確信と恐れを抱かざるを得ない。

さらにテレビ朝日の女子記者に対する財務省事務次官のセクハラ事件は、ひとり事務次官ばかりではなく、財務省と国民感覚のズレを明らかにし、安倍政権を支える麻生財務大臣の無責任さや傍若無人ぶりを世間に見せつける結果となった。

これらの事件を受けて3月、4月の政権支持率もさすがに下がり続け、露骨なほどに安倍政権をよいしょし続けて来た読売新聞でさえも不支持率50%との調査結果を公表した。
ちなみに朝日新聞は支持率31%、不支持率48%となっている。

こんな状況下で安倍政権は、これから一体どういうことになるのか。
政治の世界ばかりは一寸先は闇と言われるから、予測不能と云えばそれまでだが、ボクの得た情報では、陰で安倍首相を支えている勢力もそろそろ辞めることを本気で助言しているが、本人は首を縦にふらないそうである。

側近がそこまでの判断を下すのは余程の情況である。
このままでは乗り切れないとの判断だ。

しかし、首相は辞める時に次の首相を決めるのが通例だが、それも今は考えていないとのことである。
本人の続投の意志は硬そうだ。
権力を手放すつもりはなさそうである。

そうであれば、この窮地を脱するための、考えられる道は、ただひとつ。
解散である。
解散権は総理大臣の専権事項である。

いま、解散すれば、民進党と希望の党が一つになる方向にあるようだが、それでもバラバラの野党では戦いにならない。
自民党の代わりを務めることのできる野党が存在しない。

仮に、50議席位減らすことになっても、昨年の総選挙で勝ち過ぎている自民党はビクともしない。
そうして、改めて国民の信を得たという建前のもとで安倍五次政権が誕生するという筋書きはどうか。

5月の連休明け以降の突如の解散があっても不思議ではない。
それが証拠に、首相は「解散は絶対にやらない」と力説しているではないか。
こういう時の発言は実に怪しい。
しかし、こんなことは、コップの中の争いに似て、実はどうでも良いことであるのかもしれない。

つい先日、20代の若手スタッフたち数人と食事した時の話である。
昨年行われた総選挙の際に、若い20代前半の女性社員に、どの政党に投票するのかを何気なく尋ねたところ、そういうことは人には言わないことにしている、との答えが返ってきて、どうしてなのか不思議に思ったことを話した。

すると、数人の若者たちはお互いの顔を見合わせて「僕たちは政治の話はしませんよ」との返答が返って来た。
「どうしてなの?」と聞くと、また皆で顔を見合っている。
「興味が無いってことなの?」と突っ込むと「それもありますけど、政治の話はしませんね」と言う。

一人を除いて他の若者たちは選挙には必ず行くのだと言う。
中には、取材で行けない時には、必ず不在投票をしていると言う者もいた。
必ずしも、関心が無いということでは無さそうだ。

「宗教と政治の話はもめ事の元になると言われて来たしね」とつぶやく者もいる。
「政治家のスキャンダルなどは面白いけど、政治の本質まで見ようとはしませんね」と言う者もいる。
「会社の50歳代の人たちの中にも、政治の話をする人はいないですね。そういう影響もあるのかもなあ」
50歳代と云えば彼らの親の世代に当たる。

「議論することが嫌で、それを避けるからなのかねぇ」とボク。
「しらけ世代ですからね」
それにしては、しんどいドキュメンタリーなどの世界に飛び込んできた熱い人たちの筈だ。

「僕たちの世代は何かに突出することを警戒しているところがありますね」
「仲間外れにされてしまうから?」
「そういうこともありますね」

そのうち頼んだ料理が出てきて、ボクの取材力不足と共にその話はそのままになったのだったが、理由はともかく、政治に関する話は仕事仲間とは云え、どうやら交わされることの無いことだけは分かった。

別にそれが悪いことだともボクは思わない。
抑圧されて政治を語れない訳でもなく、政治家たちが行っている権力闘争など、バカバカしくてお話にならないよ、と頭の良い若者たちは思っているのかもしれない。

確かに茶番劇的な存在にも見えるし、政治家の質の低下は著しいし、そんな話をしたって意味ないよ、と考えているのかもしれない。
近未来はともかく、今の日本はそれだけ平和な証かもしれない。
少なくとも、選挙の際に投票しに行くという権利を放棄しないで、自分の判断で選挙に向き合っていることも確かである。

選挙で投票するという国民としての権利を実行することの方が、床屋談義ではないが、政治評論よりも遥かに価値のある事だけは確かである。
そして、政治家たちが演じている劇場ではなく、社会の事件や事象から具体的に政治を見ることこそがドキュメンタリストの大切な役目なのである。
 
     「世の中の 形変われど 道ひとつ」


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