FC2ブログ
ホーム   »  未分類  »  噂をすれば影がさす

噂をすれば影がさす

来年の3月7日で会社設立30周年を迎える。
昭和63年の設立だった。

翌年の昭和64年1月7日で昭和が終り平成の世になったが、来年は平成30年なので、奇しくもボクたちの会社はまるまる平成の世と共に歩んで来たことになる。
その平成も間もなく終わることが決まった。

いま、ボクたちは設立30周年記念のパーティーに向けての準備を始めたところだ。
ボク個人は、普段は余り過去を振り返ることはしない方だが、こういう時はどうしても、設立当時から現在までの会社の歴史を遡ることになる。

設立メンバー6人のうち、男たちはボクを除いてみんな先にあの世に逝ってしまった。
若い頃は一年の内の半分以上をアフリカのケニヤで動物の生態を追い続けていたディレクターの日野成道、カンボジアの専門家で戦場カメラマンの馬淵直城、それに優秀な編集マンだったTさん等それぞれユニークな個性の持ち主たちだった。

いずれも長い付き合いの同志で親しい間柄だったが、Tさんは会社を設立して4年ほど経った頃に亡くなっている。
まだ40歳代の前半という若さだった。

彼は腎臓に大きな結石が生じ、それをレーザーで砕くという当時新しく開発された療法を実験的に受けていた。
確か、レーザー放射は40回が限度だと聞いた記憶があり、その治療も終え、本人からは、まずまずの成功だとは聞いていたが、かなり身体への負担が大きかったのかもしれない。

Tさんとも良く飲んだ。
酔うと決まって大下八郎のヒット演歌「女の宿」を歌った。
熊本県生まれの肥後もっこすで、心根の優しいリベラルな男だったが、興が乗ると必ず歌う軍歌があった。

ある時、軍歌を歌ったTさんが、同席していた先輩の女性ディレクターから、どうして軍歌など歌うのか、と厳しく問い詰められて、とうとう泣き出したことがある。
その女性ディレクターの兄は先の戦争で、学徒出陣での徴兵を受け、南方戦線に出征を余儀なくされ戦死している。

彼女は日本を無謀な戦争に導き、赤紙一枚で兄の命を奪った為政者や軍部を心の底から憎んでいた。
そして、戦意高揚を図るために作られた軍歌を認めることは出来なかったのだった。

後日、Tさんから彼が軍歌を歌う理由を聞いた。
彼が子供の頃に父親は風呂に入ると、きまって軍歌を歌っていたという。
その父親も亡くなって久しいが、酔うと懐かしくなり、ついついその父親を偲び父の歌っていたその軍歌を歌いたくなってしまうのだ、ということだった。

Tさんは麻雀が好きで、一緒に打つことも多かった。
ある日、夜中まで打っていたが、余り身体の調子が良くないので先に帰る、と言って彼は途中で抜けた。
そして、明け方になって奥さんから電話が入り、Tさんが急死したとの知らせを聞くことになる。
信じられない思いで病院に駆け付けた時には、Tさんはすでに霊安室に移されていたのだった。
本当にあっけないほどの突然の死だった。

そんなことを思い出しながら、ボクは30周年記念のパーティーに来ていただきたい方々の名簿のリストアップをしていた。
そして、Tさんを初め亡くなった設立メンバーの奥さんたちにも案内状を送らなければならないな、などと思っていた。

その時、「お客さんですよ」とのスタッフの声がした。
見ると、笑顔でこちらを見ているひとりの女性がいた。
なんとTさんの奥さんだった。
噂をすれば影がさすとの言葉そのままの出来事に驚いた。

彼女はTさんが亡くなった後、保険の外交をして生計を立てて来た。
これまで毎年、わが社のお花見や忘年会に誘っていたが、ここ1~2年姿を見せていなかった。

「わたしも65歳になりました」と彼女は言った。
改めて彼女の顔を見た。
応接セットで向き合って話すのは実に20数年ぶりのことだった。

これまで、お花見や忘年会などで何度か会っているが、ゆっくり顔を見て話すことはなかった。
そんな席上で会ってはいてもボクの頭の中では昔の若い頃のイメージしかなかったのだが、目の前には確かに65歳の女性がいた。

Tさんが亡くなってからの長い年月と彼女の苦労がしのばれた。
時間の流れの中で、時々、思い込みの世界から自分を現実の世界に引き戻してくれるこういった瞬間があるものだ。
「母の身体の具合も良くないので東京での暮らしを終え、故郷の京都に帰ることにしました」

実は、彼女は苦労してTさんと結ばれた。
Tさんには妻子があり、いま、何かと話題になる不倫の末に一緒になったのだったが、Tさんの死が早すぎたので実際の結婚生活はそれほど長くは無かった。

Tさんが亡くなった後も、奥さんはふたりで住み始めた郊外のマンションに住み続けていた。
奥さんのその後の私生活については詳しくは知らないが、ずっと一人暮らしを続けて来た。
浮いた噂を耳にしたこともなかった。

演歌の世界ではないが、古い気質の京女の一途な生き方だったのかもしれない。
Tさんの死後これまで東京を離れずにいたのは、Tさんへの想いや未練を断ち切れなかったためだとボクは勝手に想像している。
「明日、東京を離れることにしました。長い間お世話になりました」と深々と頭を下げた。
これからは老いた母親の面倒を見ながら過ごすつもりだと言う。

65歳という年齢をひとつの機と捉え、これまでの生活に区切りをつけ、新たな人生を始めようと決断したのだろう。

ボクたちの会社も30周年を迎える。
思い返せば、ひとつづつ色んなことがあった。

それは人生にも似て、計り知れない思いの詰まった過去だったとも思う。
そして、これを機にまた新たな一歩を踏み出すことになる。

人生には始まりがあり、そして終焉がある。
しかし、会社に終焉はない。
これからどういう未来を切り開いていくのか。
終わりなき挑戦の旅が続く。
 
      「春風を 招いて明日へ 帆を立てる」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。




関連記事
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

★ホームページ★

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR