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不安増幅時代をどう生きるか

選挙戦が始まった。
余りヤキモキせずにしばらく見ていることにした。
このようになって欲しいとか、こうなったら困るナ、などとひとつひとつに反応していたら疲れるばかりだ。
もっとも、発言を控えるつもりは無いのだが、何がどうなるのか、しばし、じっと冷静に観察するしかない。

ボクは比較的不安を感じることの少ないタイプなのだが、不安というのは不思議な存在で、一度不安に陥ると次から次へと次第に増幅していくものであるらしい。
それが行き過ぎると不安症と診断されたりもする。

心配や恐れなども同様で心配し出すとキリがなくなる。
ボクの周りにも、そういった人たちが案外沢山いる。

かく言うボクも、若い頃は恐いもの知らずで、出たとこ勝負のずいぶん無鉄砲で無防備な生き方をして来たのだが、近頃では少しは分別みたいなものが出てきた。
その意味で大人になった。
間もなく後期高齢者の仲間入りをする年齢になって、今さら大人になったも無いのだが、別の言い方をすれば、いよいよ若さを失い衰えてきたということなのだろう。

それに伴い、日常生活で恐いものや恐いことが少しづつ多くなってきた。
まず階段が恐い。
下りる時は慎重になるのでまだ良いのだが、上りが恐い。
上りで躓く。

建築現場が恐くなった。
赤坂見付の駅から会社まで、四六時中ビル工事をしている。
今も、この300メートルほどの通りで5つのビル工事が行われていて大きなクレーンがそびえている。
そういう所は出来るだけ早足で通り過ぎる。

自転車も恐い。
身体すれすれに猛スピードですり抜けて行く。
風圧が肌に残る危うさだ。

交差点も恐い。
交差点での事故は多い。
信号で守られている安心感がある分だけ危険も多いと感じる。
信号の無い道路を注意して渡る方が安全だとさえ思っている。

こう考えると、街の中は危険がいっぱいだ。
特に、近頃のテレビでは毎日、血生臭い事故や事件などの報道が多いし、世界を見ても、紛争だ、戦争だ、テロだと安全な地はどこにもなさそうだ、不安が煽られるばかりで堪らない、もうテレビなんて見たくないよ、と誰かが言っていたが、確かにその通りかもしれない。

核戦争だって起きる可能性がゼロとは断言できない世の中である。
まさに現代は不安増幅時代のようだ。
こういう時代をボクたちはどう生きて行けば良いのだろうか。

振り返ってみれば、何が正しいのか、間違っているのか、そんなことも分からないまま、後先を考える思慮もなく、損得勘定で生きるのは恥ずべき事だと考え、損得は初めから問題外で、その瞬間に自分が伝えたいと考えていることを、ただひたすらに発信し続けて駆け抜けた数十年があり、気が付くと現在がある。

今思うと、それは一瞬のことのように感じられ、すでに過去となり幻となったが、それが遥か遠い昔のことだったようでもあり、つい昨日のことのようでもある。
その時々に知り合った親しい人たちの多くが、すでにこの世を去っている。

だが、無鉄砲な生き方をして恐いことなどまったく意識しなかった時よりも、いつの頃からだったのか、階段を恐いと思い、自転車を怖がり、交差点で車を恐いと感じるようになった今の方が、その時々の生きているリアリティーのようなものがあって、これもまた面白いと感じている不思議さがある。

例え、危険が多く、不安や心配ごとに満ち溢れていようとも、やっぱり刻々と変化して行く世の中は面白いと感じている自分が確実にいる。
生きているとの実感がある。

結局はどんな時代であろうとも、ボクたちはその時々の瞬間、瞬間に自分を生きることしかない、自分に正直に生きるしかないナと思う。

瀬戸内寂聴さんは、自らの戦争体験を通して、戦前と戦後の日本の価値観の激変を目にし
「これからは自分の目で見て、自分の手で触って感得したものだけを信じて生きていこう」
と思われたと言っている。

恐らく不安や心配の無い、また安全で危険の無い時代や世の中など、もともと存在しないのだと考える方が自然なのかもしれない。
それは自分が感じたか、感じなかったかだけの問題なのかもしれない。

ことほど左様に、世界は不条理に包まれているのだから、自分の思い通りの世の中など所詮存在する訳はないのだが、少なくとも楽しく生きて行きたいと思うし、少しでも多くの人たちが幸せと思える自由な社会を目指して生きて行きたいと願う。

ところで、今度の選挙の結果予想だが、自民党を中心とする勢力の圧倒的多数で新たにスタートすることは確実だ。
今後、安倍首相としては、消費税増税10%を実現し、憲法改正に道筋をつけて退陣することになるのだろう。
首相としての花道を飾っての退陣というこれが歴代首相に倣う定型だ。

ここで浮上するのがポスト安倍問題である。
希望の党小池党首は、そのポスト安倍を狙って今回の動きに出たのだが、時機尚早というか、見込み通りにはいかずに失敗したのだろう。
国民の審判が投票の前に下されたとの感がある。
策士、策に溺れるである。
政治の世界はこれだから実に不可解で面白い。
民意が生きていることのひとつの証拠だ。

現実的には、今度の選挙結果を受けて多数を確保する自民党は、消費税や憲法改正を日程通りに推し進めることになる。
それらのことが、本当に正しい判断なのか間違った道を進むことになるのかは別にして、民主主義のルールに従って多数派がそんな路線で制して行くことになる。
経済的安定を求めている今の国民の民意には、それらの決定を覆すだけのエネルギーは無い。

国会はそれらの議題で紛糾する図を描くが、そのゴール地点はすでに決まっているただの儀式で、これまで通りの茶番劇に終始するに過ぎない。

そして、実際のこれからの政局の焦点は、ポスト安倍に移ることになるのだろう。
安倍首相が花道を飾るためにはどうしても必要なのがポスト安倍の人材である。
ここで自民党はどういう策を編み出すのだろうか。
とても常識的かもしれないが、これが大方の今後の見方なのではないかと思っている。

結果の見えている選挙とは云え、しかし、22日に控えた投票日には願いを込めて一票を投じようと思っている。

      「一票に 一喜一憂 民主主義」



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「あとざっと26年」
Statistaによると、
「人間の命を奪う動物」の第1位は「蚊」で、年間72万5000人。
第2位は「人間」で、47万5000人。
第3位は「ヘビ」で、グンと下がって、5万人です。
階段も、工事現場も、自転車も、交差点も怖いですが、「人間」も怖いですね。

小田さまの平均余命(いま臨終にある人も含めて、ここまで生きた人があと何年生きるかの算術計算)は、約14年。その14年目が来た時の平均余命は、約7年。またその7年が経過した時の平均余命は、約5年。ざっとあと26年生きることになりますかね。
「面白く」お過ごしください。
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