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国会の解散について思うこと

世の中面白いなあ、と思う。
もし、面白いという言葉が不謹慎ならば、不可思議なものとでも云えば良いのだろうか。

わが社の監査役で、聖書研究の一人者でもある道川勇雄さんが指摘されたように、人生を不可解と見極め、生きる意味と価値を見失い絶望の果てに、日光の華厳の滝に自らの身を投げた東大生もいた。
一方で、人生は不可解だから面白い、と生きて行く者もいる。
人それぞれである。

一億人いても同じ顔の者は一人としていない。
ひとりの人間の顔を見ても左右対称の者はいないし、その心にも裏表があって、一人の人間であって実は一人ではないようにも思える。

ちっぽけな人間ひとつとってみても、人間そのものがまるで小宇宙そのもので、その解明はとても出来るものではないとも思う。
だから人間を研究し理解する努力は大切で必要だが、それが可能だと思うこと自体がそもそも不遜とも言える。
そんな解明不能な人間が寄り集まって暮らす社会が、単純であろう筈がない。

それが証拠に、ちょっと眼を外に向ければ、世界各地で数え上げることが出来ないほど多くの紛争や戦争が日常的に起きている。
また世界には8億5000万人を越える飢餓人口が存在している。
見方によっては、人間は残酷で救いようのない地獄を自ら形成し、そこで喘ぎ、もがき苦しんでいるようにも見える。

そこでは、何が正しくて何が間違っているのか、何が善で何が悪かの判断も難しく簡単ではない。
考えも価値観も生き方もそれこそ多様である。
そんな混沌とした世界に、ボクたちは生きている。

政治の世界はその縮図だ。
28日、安倍首相は臨時国会の冒頭で解散宣言した。
10月22日に総選挙の投票が行われる予定だ。
報道関係者にとっては、一年以上も前から、解散時期が何時かということを把握することが至上命令だったのだが、大方の予想を越えた突然の解散だったようである。

この解散に大義が無いことについては、ほとんどの国民はすでに周知である。
この時期に解散すれば、自民党は森友・加計学園疑惑に終止符を打てるし、弱小とは云え野党第一党の立場にある民進党は、離党者続出で解党の危機にさえ直面している。
小池新党もその準備を整えるのにしばらく時間を要するだろう。
解散するなら今がチャンスだ、という自民党の選挙に勝利するための党利党略であったことに疑問の余地は無い。

しかし、国民は、節操などとは無縁の政治の世界ではそんなことは当たり前だと思っているから、大義などとは関係なく、じっとそんな政界劇場の様子を眺めている。

早速、小池東京都知事は新党を希望の党と名乗ることに決め、党首に収まることを宣言した。
そして世間が注視する中、新党に加わる13人の現職の衆議院議員を引き連れて大勢の記者たちやカメラの前で結党の挨拶を行い話題を一身にさらった。
流石に動きが早い。
まさに、今回の選挙の主人公に躍り出ることに成功している。

民主党を中心に、各党の国会議員たちの中には、選挙に備えて小池新党に流れて行く者もいた。
それらの動きを見ていると、主義主張や信念などはかなぐり捨てて、まるで有利な職場を求めて転職するサラリーマンを見ているようで見苦しい。
政治をメシの種だとの考えが丸見えになっているが、そんなことはお構いなしの切迫感ある。

この選挙の結果がどうなるのかは、政治の専門家ではないのでまったく分からないが、床屋談義流で根拠のない予想をしてみる。
自民党は議席を減らすが第一党を維持し、希望の党が野党第一党になる。公明党は現状維持で、民進党は惨敗し、共産党はわずかに議席を伸ばす、と見る。
自民党と小池新党との事実上の一騎打ちということになる。

このままでは選挙にとても勝てないと判断した民進党は28日の解散宣言直後、小池新党との合流を決めて、その交渉に当たっている。
一方、小池新党も民進党の資金力と組織力を活用したいとの事情があり、両者の利害は一致する。

今後、選挙までの短い期間に野党再編成を見据えた動きが展開されることは間違いのないところである。
そして、選挙結果が出たところで、雪崩的に改めて政党の大きな再編が行われることになるのだろう。
日本の政界地図は大きく変化することになる。

北朝鮮の核開発問題でその批判の矛先をかわすことが出来たとは言え、これまでの安倍政権の一強独裁の傲慢不遜な政治姿勢に国民はまずいなとは感じていたが、国民のそんな不満の受け皿となるべき野党第一党の民進党がその期待に応えることが出来ず自ら崩壊し、それを小池新党の希望の党が果たす、というのが新しい構図である。

もとをただせば、民進党も自民党が分裂し、革新系の社民党を中心とする議員たちと共に出来た党であり、当時は第二自民党との認識があった。
しかし、イデオロギーの異なる集合体の矛盾が露呈し、一枚岩の党になれず自滅することになった。

それに学んだ小池新党は保守であることをすでに鮮明にしている。
そして、今回の民進党との合流に関しても、選挙後の再編に際しても革新系の勢力とは一線を画すことになるだろうから、その議員構成も保守系勢力だけの集団となる。

その意味では、安倍政権が率いる自民党とは何も変わるところは見当たらない。
簡単に言ってしまえば、実質的には、希望の党の出現は、自民党を含む保守勢力内の権力闘争に過ぎないと断言できる。

仮にこの予想通りに、自民党が与党第一党となり希望の党が野党第一党となれば、同質の保守政権の権力構造が出来上がるというシナリオとなる。
あるいは、希望の党が第一党となり、小池総理大臣の誕生という可能性も考えられる。

そうなれば、これまでしたり顔で権力にぶら下がっていた公明党はまたコウモリのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返すのだろうか。
いずれにしても保守の二大政党時代の幕開けが見えてきた。

100人いれば100様の顔を持ち、100の考え方がある中で、どういう政治体制が日本にとって本当に良いのかは分からない。
それに政治の舞台は魑魅魍魎が跋扈し、欲望が渦巻く一寸先は闇とも言われる世界だ。
それはそれで良いし、刻々と変化し、水は澱まぬことを望ましいと思う。

ボク自身は政治的には無色でありイデオロギーそのものを信じていないので、保守が悪いとは思ってもいないし、革新が悪いとも思っていない。
どの政党が権力を握り政治を行おうとボクにはまったく関心はない。

ただ強く望むのは民主主義が守られる社会を崩さない、という一点である。
そのもっとも基本となるものは言論の自由であり、表現の自由を保てる社会であり続けることである。

仮に、今回の選挙で保守の二大政党が実現しても本来ならばどうということはないのだが、ただ、この二つの政党に限っては、共通する思想に対して大きな不安と危惧を持つ。
その共通する思想への危惧の内容とは、小池党首も、安倍首相をリーダーとする自民党の圧倒的多数の国会議員たちも、日本会議のメンバーであるという事実である。

周知の通り、日本会議の目指すところは、天皇を元首とする天皇制の国家である。
その目的のために次々に憲法改正を行い、戦前回帰の王政復古の社会を作ろうとしていることは明白である。
つまり、この二大政党の目標が全く同じであるということへの危惧である。

ボクは天皇制の下で軍国主義体制にあった戦前の日本には住みたくないので、民主主義を否定する天皇を元首とする社会には反対である。
金正恩が率いる今の北朝鮮を見ていると戦前の日本の姿とダブって見える。
かつての日本では言論の弾圧も情報統制も不満分子の粛清も現在の北朝鮮と同じ形で行われていたことは周知である。

多くの国民は、そんなことにはならないよ、と思っているかもしれない。
ボクもそうであって欲しいと願っている。
しかし、ほんの数十年前に実際にそういう世の中が日本に存在し、多くの国民が苦しんだという歴史が厳然としてあった。
そして、この二大政党共にそういう同質の社会を目指しているのだということを、冷静に考える必要があるのではないか。

日本には、価値観の異なる1億人を越える人々が暮らしている。
それが、ひとつの思想や価値観の下で生きることを強いられることだけは避けたいと願う。
天皇とはその役割をもっとも簡単に果たすことのできる為政者にとって便利な存在である。

同質の価値観を持つ、自民党と小池新党の行う政治の未来に「神の国」「美しい国」の形が見える。
それは主権を天皇に置き、神として位置付ける「神の国」であり、それが「美しい国」と称されるのだ。
安倍首相や小池党首の提唱している日本の伝統を大切にする「美しい国」とはそういう意味である。

主権が民にある民主主義とは根本から相いれない国家思想なのだ。
日本から天皇という存在を無くさない限り、本当の民主主義は手に入れることは出来ないとボクは思っている。

その考えが正しいのかどうかは分からないが、ボクはそう考えている。
そして、こういうことが言える間に言っておこうと思っている。
現在すでにマスコミでは政権による言論の統制が静かに行われ浸透している。
「神の国」「美しい国」ではさらにそれが推し進められることは論をまたない。

さて、国民の受け皿となる革新政党がすっかり姿を消してしまった、そんな状況の中に在って行われる総選挙でボクたちにどういう選択があるのかは難しい。
正直、ボクにもその答えは見つけることが出来ないでいる。

      「好きは好き 嫌は嫌よと 言える世に」





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「劣等感」
戦中の映画館でのニュースで、「国歌」が流れるか、「かしこくもーー」という音声が聞こえた途端に、映画館にいる全員が直立不動になりました。
「かしこくも」に続く言葉が、「大元帥陛下」となるからです。

座ったままなら「不敬罪」(天皇に敬意を欠いた罪)で刑務所へ送られます。(当時のニュースは、YouTubeで「戦中 ニュース」で検索すれば出てきます。一例:https://youtu.be/nH_R2k_1rgQ

学校や会社の朝礼は、「御真影」(ごしんえい・天皇の写真)への最敬礼ではじまります。
頭の下げ方にも決まりがあり、腰を45度に折って最敬礼をするのです。
腰の角度が悪ければ、小学生でも往復ピンタ数十回の処罰を受けます。
会社ならクビになるか、出世を諦めるかになります。

前にも、コメントさせて頂きましたが、日本は「肯定戒命」の国で、「否定戒命」の国と違って、「考え方」そのものから管理されます。
(「否定戒命」の国では、やってはいけないこと(十戒など禁止事項)以外は何をしようと自由)

ぼくの家の筋向かいに大塚金之助(戦後、一橋大学総長)というマルクス主義者がいました。
特高警察(天皇制を守るための特別な警察)が、毎日毎晩、ぼくの家の井戸に聴音機を垂らして、寝言まで聞き漏らさないように見張っていました。

つい72年前までの日本はそういう国だったのです。
ちょっと仕掛けをすれば、いとも簡単に逆戻りするのです。
その証拠に、戦前には大正デモクラシーといった時代もあったのです。

当時、仕掛けをしたひとりは平泉澄です。
東大の法学部教授で、福井県白山平泉神社の宮司でしたが、「原理日本」という冊子で扇動して、天皇を神聖化して、全国民に崇拝させ、その絶対的権威のもとに完全に服属させることに成功したのです。

いま、メディアは、平成天皇を125代と表現しています。
神武天皇から数えてのことです。
その神武天皇の5代前は天照大神です。
ちょっと仕掛けをすれば逆戻りする土壌は、すでに整っています。

天皇を神にしたい人々は、日本を「惟神(かんながら)の国」といいます。
神の御意志によって皇孫(天皇)にこの国を治めさせるとおっしゃられた、という意味です。

こういう主張をする人々の根源には、劣等意識があるのです。
古くは中国への劣等感、近年では欧米への劣等感。
劣等感は、根拠のない優越感に大きく振ることで「プラ・マイゼロ」にしようとするのです。
「人は、自律と責任の主体」とは、遠く離れている在り方です。

ぼくの二人の孫娘には、ぼくの幼少期を絶対に体験させたくない、と思っています。
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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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