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働き方改革の落とし穴

働き方改革が声高に叫ばれている。

先日、ポスプロ会社の営業担当者が来社した。
ポスプロというのは編集・録音の作業のことを云う。

番組の制作過程のひとつで、撮影し、編集した番組を、放送できるフォーマットに合わせて色の補正をしたり、文字や地図などのスーパーを入れるなど様々な編集作業を加え、そこに音楽やナレーションなどを入れて整音して完成させる。
この最終仕上げの編集・録音作業のことを業界ではポスプロと呼んでいる。

この作業は、番組の尺にもよるが、数時間で終る場合もあれば、2~3日かかることもある。
世間の番組数は多いので、ポスプロ会社の編集室や録音室は24時間フル稼働している。

来社した営業担当者が言うのには
「働き方改革で残業の規制が厳しくなり、これまで通りの長時間の作業が出来なくなった。
スタッフを増やして交代させれば別だが、技術スタッフの補充も難しいし、経済的余裕も無い。
限られたスタッフで仕事をするためには、休み時間を取らなければならなくなった。
当然、編集室や録音室を無駄に遊ばせることになり、空の時間が出来て売り上げが減るので、今後は1時間当たりの作業単価が高くなることを了解して欲しい」
というものだった。

ただでさえも制作費削減の中で喘いでいるのに値上げの話は辛い。
長時間の作業が出来ないとなると、編集や録音作業の日数が増えることにもなる。
働き方改革の野郎メ、と思う。

ところで、この働き方改革というのはどういう内容なのか。
長時間労働の規制、副業を認めると共にこれを促進する、高齢者の雇用、非正規雇用者に対する労働条件の改善及び非正規雇用者に対する同一労働同一賃金、女性の社会進出や育児・家事等に対する配慮、外国人労働者の受け入れ促進などが主なテーマとして議論され、法整備を進めようとしているようだ。

電通の新人女子社員の自殺事件がマスコミなどで大きく取り上げられ、長時間労働による残業が問題となり、その規制が急に厳しくなった感がある。
先述したポスプロ会社の対応などを含めて、テレビ局の仕事の有り方が大きな変化を見せ始め、ボクたちの仕事の仕方でも対応を余儀なくされている。
それによる経費の面での痛手は大きい。

しかし、それぞれの業界の事情は別として、なぜ今これらのテーマでの働き方改革が必要とされているのか。

国家のリーダーたちは、国家の安全と繁栄のために施策して国家運営を図る。
国民それぞれ個人の幸せを考えない訳でもなかろうが、それは二の次で国家の利益を優先する。
それが証拠にたとえば国家を守るためと称して多くの国民の命を平気で戦場に送り出すことを厭わないことを見ても分かる。

だから、今回の働き方改革も国民の幸せや働き易さを目的としての政策でないことは誰もが理解していることだろう。
電通の女子社員の死などはその宣伝のために利用されただけで、それが長時間労働規制のキッカケやテーマであった訳では勿論ない。

残業を無くすのも、高齢者を雇用するのも、同一労働同一賃金も、その全ては働き手の為ではなく、そのことが国家の将来と運営にとって便利が良く、必要だと考えていることは誰にも分かることである。
周知の通り、安倍政権の経済政策であるアベノミクスの経済成長のための柱として働き方改革が位置付けられている。

現在日本は少子高齢化で著しい労働力の低下を招きつつある。
これまで労働力の大きな対象とはならなかった老人や女性の力も必要となる。
島国で民族の血筋にこだわり、外国からの移民や労働者の受け入れに消極的だった日本も、いよいよ、この労働力不足の対処のためには背に腹を変えられない事態に陥っている。

さらに、少なくなった労働力をいかに効率的に生かしていくのかが課題となり、ひねり出されたのが、長時間労働の規制であり、副業の勧めであり、非正規労働者の同一労働同一賃金制度であることは論を待たない。

長時間かけて一つの仕事をするのではなく、短時間で仕事を終わらせ、余った時間を別の仕事のために費やせば、全体としての生産性が上がる。
長時間労働の規制と副業の促進はセットであり、すべては生産性の向上がその目的となっている。

また、同一労働同一賃金についても同様で、これは労働者の権利向上のためというよりも別の狙いがある。
現在の雇用のシステムを見直し、新しくヨーロッパ型の雇用システムを取り入れようとしているようである。

簡単に言うと、それぞれの業界におけるひとつの仕事についての労働賃金を規格化することによって、その業界での雇用の流動化をスムーズにし、転職や副業などをやり易くしようというのである。
そして、出来る限り生産性の高い産業へ労働力が流動するようにして生産性の向上を図り、国家の経済力を高めようとするものであるようだ。
これが、アベノミクスの第三の矢である構造改革の仕上げの形であるらしい。

ボクは経済オンチなので、これが本当に良い道筋なのかどうかは正直言って分からないし、そんなことは経済学者や政治家に任せるしかないのだが、大きな違和感を持つ。

経済面だけで考えれば、国家にとって国民は労働力であり、また、軍事面から見れば兵士として見る、といった具合に国民は国の役に立つひとつの駒として扱われる。
大所高所から見ればそういった考え方になるのかもしれないが、そこには、国民ひとりひとりの人格や人間性などは関係なく、国家にとって利用できる便利な道具のひとつとして扱われる訳だ。

経済はボクたちの暮らしと直結したものなので、とても大切であることは理解できるが、人の心はどうなるのかという面において、働き方改革の根本思想に疑念を抱く。

ボクは小さな会社を経営しているが、テレビ番組の制作が好きなただの町場のオッサンだ。
人情と浪花節で生きている。
ある意味時代に逆行している時代遅れのオッサンだ。
だから、共に苦楽を共にして働いているスタッフをこれまで駒として見たことはないし、その考え方には馴染めない。

仕事を愛し、同じ職場に集う仲間がお互いに大切に思い、そして会社という名前のみんなの場の繁栄を願う集団でありたいと思っている。
会社の目的は、番組制作をしたいと願い、志を同じくする人たちが、お互いに助け合いながら、番組を制作することであり、利潤を上げて一部株主を潤わすためではない。

働く人たちの絆を重んじ、楽しく、やりがいのある仕事場であることを目指している。
いわば、思いを同じくする人たちの信頼し合える共同体でありたいと願っている。

ボクは元来、競争社会は良くない社会だと考えている。
かなり昔に、アメリカでは転職が当たり前だと聞いて、何とせせこましくて不幸な社会なのだろう、と思ったことがある。
そしてそれは、行き詰った資本主義の断末魔のひとつの過程なのだろうとも思っていた。

働き方改革は、生産性を向上させるために、転職を促進し、副業を勧めようとしている。
それは、明らかに、経済の効率化という一面性の考えに偏っているので、職場の絆や仲間意識などを含めて、ボクたちの働くことの意味や人間関係の基本を破壊することになると懸念する。

働く仲間や働く場を大切に思う心がなくて、どうして国を愛することなどできるというのだろうか。
ボクは特別に愛国者ではないし、憂国の志士でもない。
しかし、自分が生まれ育った日本という国を大切に思う心は人並みには持っている。

働き方改革によって、ただ利潤を追求し、自分だけの利益やお金のためには、仲間の信頼さえも平気で裏切るような、そんな人間関係の欧米型の社会にだけはなって欲しくないと思う。

     「人情を 紙風船と 言うけれど」


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「法の限界」
聖書の門外漢であっても、「目には目を、歯には歯を」という言葉は聞いたことがあるでしょう。

イエスの言葉を採録すると、「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな」(マタイ5:38以下)
としるされています。

この「目には目を、歯には歯を」という言葉は、聖書では出エジプト記(21:24、紀元前13世紀頃の記述)に出ていますが、歴史的にいえば、「ハムラビ法典」(紀元前1792年から1750年)に発生的には遡りうる史料です。
「共存共栄の条件」として、現代のデモクラシーも採用している「五分五分法」の祖先です。

ところが、問題は、この法が法として合理的ではあっても、その実施において盲点があります。
「具体的人間が不在」だからです。
具体的人間とは、自己中心の塊りであり、五分五分の線の引き方で壁にぶつかってしまう者です。
加害者意識には鈍感で、被害者意識には鋭敏ですから、権利主張で、「五分五分の境界線設定」をめぐって現実世界はその限界を暴露せざるを得ないのです。
「働き方改革」も「具体的人間が不在」の論議であり、法なのです。

イエスは「目には目を、歯には歯を」の法の難点を見破り、そこに解決を求めようとする現実世界の無知と不徹底性を見抜いて、「一マイルに対して二マイルを」という「権利意識放棄の方向」に解決を求めています。

人間の力量は、きわめて不平等につくられていますから、「共存共栄」のためには、より強い者、より賢い者が、より弱い者、より愚かな者の弱さ愚かさを「負う」ということしか活路がないのです。
「負おうとする人」は、法の定める時間的限界などを超えて「他者を負い」続けます。
それが「具体的人間」のもう一つの側面です。
これは小田さんが、オルタスジャパンを創業し、今日まで守り続けてきた理念であり、その実践でもあると存じております。
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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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