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安倍政権が強い本当の理由

先週16日に今国会も最終日を迎え閉会した。

政権側にとっては念願の共謀罪法案を成立させ、森友学園や加計学園の問題に対しても誠実な対応は一切せずに逃げの一手でうやむやにしようとしている。
そして国会の閉会に合わせて報復するかのように、森友学園に大阪地検特捜部による強制捜査が入った。

共謀罪法案の採決強行も度重なっている現政権の一強独裁を象徴する出来事だった。
多数決による決定は民主主義のルールとは云え、強行振りもここまで来ると出来事というよりもすでにモラルの崩壊であり、事件である。

共謀罪法案については、国連特別報告者からプライバシーや表現の自由の制約を懸念するとの公開書簡が届けられてもいる。
国連からの公式の懸念の声に対しても、首相は国会で「著しくバランスを欠き、客観的である専門家のふるまいとは言いがたい」と報告者個人を非難するなどの言動に終始した。

ここまでしてこの法案に固執した理由は何か。

共謀罪の問題点についてはこれまで多く指摘されているが、そもそも一体、共謀とは何を意味するのかが非常に不明確であり、また共謀罪が適用されるのは、「重大な犯罪」とあるが、ここでの重大な犯罪の定義がとてつもなく広く明確でないため、場合によっては身に覚えのないことで逮捕されるようなことも起きうる。

さらに、この共謀罪は定義が曖昧であるため、どのような行為が犯罪とされ,いかなる刑罰が科せられるかが分からない。
これは刑法上の原則である罪刑法定主義に違反しており違憲であると指摘する専門家も多い。

また、捜査の権限や範囲が大幅に拡大し、ある人物が犯罪について他者と相談するだけでも犯罪になる可能性があるため、誰かが他者と相談していないかを調べるとの名目でその人物の会話などを盗聴するようなことも起こる。

現在、政府は一般に「盗聴法」と呼ばれる「通信傍受法」の改正と、その範囲の拡大を目指しているが、これらの法律の改正が実現すれば、政府や警察は合法的に一般市民への盗聴や監視を公然と行うことが出来るようになる。

共謀罪法案の背景には、2000年11月に国連総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」の批准があるとされている。
しかし、実際には、この法案が無くても特別の問題はなかったことは事実だ。
また東京オリンピックなどもその理由になった。

しかし、国連からもこの法案が持つ危険性の指摘を受けたように、国民の「思想・信条の自由」を奪うことになる法律であることは確かである。
思想・信条の自由は憲法で保障されている基本的人権のひとつである。

ここで思い出すのは、戦前の「治安維持法」だ。
天下の悪法と教科書でも教わった治安維持法とは、時の政権の気に入らない思想を持った結社や、そうした組織への加入を処罰することを主な目的としたものだった。

そこに、話し合いを処罰する「協議罪」を設け、実際に行動する前の取り締まりが可能となった。
実際にこの協議罪の適用を受けて、昭和3年には全国で1600人近くが思想犯として逮捕、拘留された事件も起きている。

共謀罪法案の狙いのひとつがそこにある。
簡単に言ってしまえば、国民が自由な発言や自由なコミュニケーションが出来なくなるということである。
テロ対策だと云えば、今の時代、何でもOKの感があるが、それは一種のカモフラージュにしか過ぎない。

安倍政権が目指している近い将来の社会の形が次第に明らかになっている。
それが王政復古、つまり天皇を元首とする国家造りであることを疑う者は最早いないだろう。
そのために自由な思想や信条は邪魔だし、国民の言論を封じる必要がある。

極端な例をとれば、その究極の政治体制が現在の北朝鮮だ。
北朝鮮が目指しているのも世襲による天皇制であることが見て取れる。
日本が北朝鮮と同様になるという訳ではないが、形はやや異なるが戦前の日本の姿にとても似ている。

森友学園で明らかになったように、教育勅語を教える教育を素晴らしいと評価する勢力の上に安倍政権が存在していることも事実である。

多数の日本国民はそういう体制の社会を望んでいないのは明らかだ。
それなのにボクたちの自由が侵される危険な社会体制への道を、どうして唯々諾々と自ら歩む道を多数の国民が選択しているのかがとても不思議である。

その理由を一言で云えば、平和ボケである。
太平洋戦争の敗戦を体験するまで天皇制の下で自由を奪われていた昭和の暗い時代を経て、戦後、日本の国民は初めて民主主義に触れ自由を手にした。

戦争という犠牲を払ったとは言え、その自由は、国民が自らが求め、自らの意志で闘い取った自由ではなかった。
良くも悪くもアメリカの政治体制を押し付けられた訳だが、民主主義と自由、それに付随した憲法を手に入れたことは素晴らしい出来事であり、日本にとっては思わぬ幸運であったことは疑いの余地はない。

それから70余年が経ち、多くの国民が自由の中で生きてきた。
外国の例を詳細に知る訳ではないが、恐らく日本ほど自由を謳歌して生活している国家はそれほど多くは無いだろうと思う。

しかし、民主主義も自由もボクたち国民の血と涙でやっと闘い取ったものではなく、たまたま与えてもらったものだけに、その有難さや自由の尊さを実感することもない。
ボクを含めて多くの国民は、自由は空気と同様に有って当然だという勘違いの世界に生きている。

古代から現在に至る世界の歴史を紐解くとき、国民が自由な時を生きることが出来た時代など、かつてどこにも存在しなかった。
これまで世界の人々は自由を求め、どれほど多くの血を流してきたことか。

自由な時代は、うたかたの一瞬の出来事であることは歴史が語っている。
そういう時代がいつまでも続く筈はないのだ。
しかし、自由な世界にどっぷりと浸り、自由の大切さを自覚しない、平和ボケと云うよりも、自由ボケしているボクたちは、この状態がいつまでも続くのだとの幻想の世界に安心しきって生きている。

だから、安倍政権を旗頭として、国民を統制するのに好都合な国家形態造りを目指している勢力が、着々とその歩を進めているにもかかわらず、株価が高値をつけたことに一喜一憂するばかりで、その本質を見ようとはしない。
まさか、自分たちの自由が奪われるような時代は来ない、と他人事のように思ってしまっている。

質は異なるが、かつて日本がバブルの異常景気に沸いた時代があった。
土地神話が作り出され、その神話は瞬く間に日本国中に広まり、日毎に土地の価格が上がり、土地の価格は未来永劫に上がり続け、下がることは無いとのフィクションを多くの人たちが信じたのだった。

そんなことは有り得ない、と頭では分かっていても、どこかで続くかもしれないと信じる情けない自分がいたことを思い出す。
やがて、バブルは弾け、多くの悲劇を生んだ。

人は、その渦中にいると、その状況について冷静に判断を下し、行動することは難しい。
今がまさにその時で、民主主義と自由の危機を目前にしていることに気付かなくてはならないと思う。

現政権の森友学園や加計学園の疑惑に対する対応を見ても、存在している書類を無い、と云ってみたり、官僚を理不尽な形でねじ伏せようとしたり、また国会での答弁でも、子どもでも分かるような詭弁で逃れようとしたり、あるいは都合の悪いことは無視したりと、国権の最高機関であるはずの国会をないがしろにするような答弁や行動に終始している。

圧倒的議員数にまかせ、数の論理ですべてを押し切ろうとする国会軽視、一強独裁の弊害はその度を過ぎた感がある。
その傲慢で世間をなめた態度の原点には、どんなことをしても容認する愚かな日本国民がいるとの自信があるに違いない。
単に野党だけでなく、日本の国民がなめられているのだ。

共同通信社が今月の17日と18日に実施した全国電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は44.9%で、前回5月から10.5ポイント急落した。
不支持は43.1%だった。
流石に国民もその対応に呆れて反応したようだが、それでもまだ45%という多くの人たちが支持しているとの見方も出来る。

安倍政権は特定秘密保護法、共謀罪法と矢継ぎ早に強引な形で成立させてきている。
そして、次に目指すのは憲法改正である。

安倍首相は5月の憲法記念日に読売新聞のインタビューでオリンピックに合わせて20年の改正憲法施行を提唱した。
国会で野党からその意図を問われ「読売新聞に書いてあるから、ぜひ熟読するように」などと相変わらず国民を馬鹿にするような答弁をしている。

報道番組の常套文句ではないが、これからの日々、いよいよ日本の民主主義の正念場を迎える。

      「ドキュメント お笑いからも 風刺消え」





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繰り返される天皇回帰
ごく大まかに、天皇と日本を振り返ると、
大化の改新➡️建武の中興➡️明治維新➡️昭和維新➡️GHQ維新➡️(自民党維新❓)
となります。

「大化の改新」(646年)蘇我氏(そがし・そがうじ)など豪族を中心とした政治から「天皇中心の政治」へ移り変わらせるものでした。

「建武の中興」(1333年)後醍醐(ごだいご)天皇が「天皇中心の政治」を開始したことで成立した政権と新政策でした。

「明治維新」(1868年)江戸幕府を倒し、明治政府による「天皇中心の政治」への転換と一連の改革をしたものです。

「昭和維新」(1931年)日蓮宗の僧侶・井上日召が、「天皇中心の政治」を実現させるために起こしたテロ事件。別名・血盟団事件と言います。

「GHQ維新」(1947年)GHQは、日本が再び、戦争を起こさない国にするために徹底した改革を行いました。でも、天皇制を廃止すれば、日本の「統治機構は崩壊し、全国的な反乱が避けられないだろう」として「象徴」ではありますが、天皇制を維持しました。

こうみてくると、日本の政治の大きな転換は、常に「天皇中心の政治」への回帰が元になっています。
このほか微細なものまであげるとキリがありませんが、「二・二・六事件」なども、「天皇中心の政治」になればーー、で起きたものです。
なぜ、そうなるのか?
答えは、「天皇は、神(天照大神)の直系の子孫として、一切の『神の徳』を備えている」ということに尽きます。

現在、世界の君主は、国王が17名、スルターンが3名、大公・公が4名、アミール(首長)が3名、国家元首が1名、教皇が1名、天皇が1名の計30名が在位しています。でもこのなかで「神の直系」は、日本の天皇だけです。稀有な存在です。
欧米やイスラム世界では、「あなたは人であって、神ではない。」という聖書の断言がありますから、日本の天皇のような存在は生み出されないのです。
「自民党維持」(?)安倍総理の周辺には、日本会議(本人もメンバー)などなど「天皇中心の政治」にしたい人たちがたくさんいます。そしてその実現のための政治手順など、小田さんがお書きになっている通りです。

「天皇中心の政治」を端的にいうと、天皇の上にあるものはすべてダメという社会です。
•民主は、民が主だからダメ。
•議会中心主義は、議が中心だからダメ。
•世界法理論は、天皇の上に国際法を置くからダメ。
•自主もダメ。
•選挙もダメ。
ということになります。
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