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労務管理の厳しい時代

先日、会社近くのお店で昼食をとっているとテレビ局の関連企業の部長と出会った。
お元気ですかと、軽く声を掛けたのだが「いやあ、大変ですよ。下手をするとマジで後ろに手が回る時代ですからね」とやけに真面目な返事が返ってきた。

電通の新入社員の自殺がひとつの引き金となって、以来、残業時間の制限を含めて働き方の見直し論議が盛んに行われている。

残業など何も今に始まったことではないが、ある意味、社会の制度がある程度整い、管理社会の形が出来上がって来ると、働く者の意識もそれを管理する方の意識も大きく変化し、と云うより否応なく変化せざるを得なくなり、必要以上に形に拘るようになる。

そして、そこからはみ出す要素に厳しい眼が向けられるようになる。
まことに窮屈だ。
やれ、早朝の早すぎる出勤は禁止だの、何時に消灯しなければならないだのと規則も多くなる。

ある業種の企業などでは、各自のパソコンなども完全に管理されていて、夜8時以降に使った形跡があると厳重な注意を受けるし、月に一度の頻度で、突然抜き打ちの検査が入り、各自の机の引き出しや持ち物のチェックを受けるとも聞く。
そこに私物などが入っていると問題視されるようだ。

しかし、今の時代、こんなことは当たり前らしく、そんなことに驚いて違和感を持つボクが既に時代に取り残されていると言っても過言ではない社会になっているようだ。

コンプライアンスという横文字に対し、だから日常の振る舞いも考えも、そして表現の形も委縮してしまうのだ、などとの考えを持つことが既に愚かで、そんなことではこの現代社会を生き抜いてはいけないぞ、ということになって来ている。

今はまだ管理社会の序の口で、行きつく先はまだまだこれからかも知れないと思うと、その未来を想像するだけでぞっとする。
これ以上長生きしたくねぇーな、などとも思う。

社会を形成していく上でルールは必要だし、そのための管理は絶対に欠かせないことは必定である。
しかし、それが行き過ぎる社会からは必然的に、自由も、人間らしさもまた失われていく。

自殺者が増え、精神に異常を来たす者もいよいよその数を増す。
儲かるのは精神科医だけである。
理解不能な犯罪が増加し、大小いじめ事件の常態化などもそういう社会の産物だと思っている。

ボクは会社を設立してからこの30年間近く、出来る限り自由に働ける場所を作ろうと努力を重ねてきた。
ドキュメンタリーを作ることに興味を持つスタッフたちが、それぞれの個性を生かして働くことの出来る場所をいかに確保し続けることができるかの実験であるとも考えてきた。

しかし、それは明らかに時代と逆行する生き方であることは明らかだ。
ボクたちの会社も次第にスタッフも多くなり、会社風になってきている。
共通の意志を持つ人たちの集まりであることは大切な必要条件だが、同好会では済ませられない集団になった。

もともと、作り手というのは組織には収まりきらない個性を持っている。
別の言い方をすると自分勝手な要素を持つ。
管理社会からのはみ出し者という表現もできる。

しかし、一方、労働基準監督署を始めとして、厚生省管轄の東京労働局などからの注文や、厳しい監視の眼があり、ルールに基づく労働に関する諸条件への適切な対応が求められている。
またテレビ局も含め、大手企業からの情報管理の厳しい注文もある。
それらの要求に応えられないと取引はおろか相手にされないという実情に直面している。

そんな労働環境の下でボクたちの会社でも、新たに就業規則を整備し直し、労基署に提出している。
そして、スタッフに会社を円滑に運営していくために守らなければならない最低限の規則について周知徹底するようにとの話も伝えたところだ。

冒頭で登場したくだんのテレビ局関連企業の部長は「いやあ、大変な時代ですわ。ビクビクしていますよ。おたくも気を付けて下さいね」と真顔で語り、「お先に」とそそくさと店を出て行った。

出来うる限りのびのびと自由に働ける場としての会社を運営したいとの思いを変えるつもりはない。
なぜなら、自由こそが人間であることのもっとも大切な条件であると信じているからだ。

今さら、自由には義務が伴うのだ、などとしたり顔の説教をするつもりは毛頭ないが、自由であるためにボクたちは何をしなければならないかには最大の努力をしなければならないと考えている。

      「自由あり そして人あり 自由あり」 


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「法匪(ほうひ)」
「法匪(ほうひ)」の「法」とは、法律のことで、「匪」とは、悪者の意味です。
法律の文章理解に固執して、民衆をかえりみない者をののしっていう言葉です。
歴史上、最古の「法匪」の記録は、新約聖書のイエスの行為を非難した律法学者たちの記録です。
現代は、「忖度(そんたく)」を含めて、イエスの時代以上に「法匪」が、キャスティングボードを握っている時代ともいえます。

イスラエル・ユダヤ人は、神から与えられた「十戒」を重んじていました。
その「十戒」の第四に「安息日を守ること」とあります。
そして「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。」
とありますから、労働基準法の元祖ともいえるでしょう。

この文中の「どんな仕事もしてはならない」が問題になるのです。
日々の生活には、トイレ、食事など絶対に必要な行為があります。
時代によって違いますが、イエスの時代には、安息日に行動してよい距離は、約880メートルと定められていました。

このように厳密に決められていたのに、イエスが、安息日に病者を治したものですから、律法学者たちは、イエスを「悪魔」と罵ったのです。
イエスの行為が、病者を治すという、明らかに民衆に福祉をもたらすものであるにもかかわらず、それを認めないのが「法匪」の「法匪」たる所以です。

いま、日本には条文が、憲法1、法 律1、888で、1、889あります。
その他に、政令2、001、府令・省令3、519 、閣 令 10 、規 則 331 で、合計7、750です。
この法文を巡って、一年間に405万9、773件(2011年度)の訴訟が起きています。

法律が増え、訴訟が多くなるのは、権利意識が強くなったことなど、いろいろ理由はあるのでしょうが、根本には、人間は「被害者意識に鋭敏」で、「加害者意識に鈍感」だということがあります。
「法匪」というのは、優れてこの両面を合わせもった人です。

「今さら、自由には義務が伴うのだ、などとしたり顔の説教をするつもりは毛頭ないが、自由であるためにボクたちは何をしなければならないかには最大の努力をしなければならないと考えている。」
という小田さんの言葉に付記するとすれば、「自分は、被害者意識に鋭敏で、加害者意識に鈍感だ。」という絶対的な事実を認め、常にそれを意識して行為することが、「自由」への道になるのでしょう。
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【小田昭太郎】
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