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分かり易い政治の落とし穴

いつの世も「分かり易さ」は力を持つ。

ボクたちのやっているような不特定多数の人たちに情報を提供するテレビ番組制作の世界でも、分かり易さは不可欠で、端的で直接的な表現が歓迎される傾向がある。

文学や芸術の世界に見られるような行間を感じさせるような奥行きのある表現は好まれない。
視聴者に考えさせる時間を与えることなく、とにかく視聴者の眼や心に鋭角的に突き刺さる刺激的で分かり易い映像表現と説明が求められる。

もっとも、それなりの内容が伴わなければ商品にはならないのだが、分かり易さは必須の条件である。
その代表格が、今やどのチャンネルにも登場している池上彰の報道情報番組であり、多くの視聴者は彼の明快な分析と説明にナルホドと頷き納得する。

ドキュメンタリー番組となると、そこに物語性が加味され、感動などの心の動きが加わるので、ややニュアンスは異なるが、それでも難解さは常に排除される。
これが大衆を対象とするテレビ文化の基本的本質である。

しかし、一方で「分かり易さ」の追求は、人体で云えば、いわば骨格だけを表現し、そこに付随している肉や皮や表情といった部分をそぎ落とすことになるケースが多くなる。

物事の概要はある程度把握できるものの、果たしてその実相を伝えているかどうかについては怪しい。
本当は、骨格と実際の人体とは似て非なるものである。

歴史や各国の政情やさまざまな出来事や事件などについても同様のことが言えて、報道されるものと実相とのへだたりが生ずるという矛盾も生まれる。

そういう意味でこの「分かり易さ」というキーワードはなかなかの曲者なのだ。

確かに、「分かり易さ」は多くの人々の心を掴む。
そしてそれが時として危険な効果も生む。

悪い意味で使う場合のポピュリズム、つまり大衆迎合の衆愚政治を生み出す危険性である。
アメリカのトランプ大統領が使った手法も「分かり易さ」である。

彼はアメリカ第一主義に基づく強いアメリカの実現を唱える。
イスラム教徒の入国拒否や移民反対、中国、日本、メキシコなどから仕事と金を取り戻すなどの自国経済優先主義、海外アメリカ駐留軍の撤退、核戦力の強化などの過激な言葉は現状に不満を募らせていた人々の心を掴んだ。

実際に実現できるかどうかは別にして、それらの乱暴で過激な政策は、ある意味とても刺激的で分かり易い。
大統領就任早々、実行力をアピールするかのように、TPP離脱の大統領令に署名し、オバマケアの撤廃を発表した。
その後も次から次へと大統領令を出し、移民や難民の受け入れ拒否を巡ってのトラブルも多発している。

ことに、メキシコからの違法移民を防止するためにメキシコとの国境に万里の長城を築くことを決めたのは、余りに馬鹿々々し過ぎて笑う気にもなれない。

現在でもすでにフェンスがあるが効果はなく、例えそれを高く立派な塀にしたところで、トンネルも掘れるし、梯子を掛ければ乗り越えられる。
刑務所じゃあるまいし、3000キロ以上にも及ぶ両国の国境線の監視など出来ようはずもなく、結局大した役にも立たないことは分かっているはずなのに、である。

全てがどこか図式的、短絡的で劇画的だ。
それを大真面目でアピールするところが恐ろしい。

冷静になれば簡単に分かることなのに、感情の高ぶりが理性を失わせるのか、こういった施策に惑わされ共感する人々もいる。
一種の狂気だと思えるが、操っている側は狂気なのかどうか。

アメリカを初めとして、ヨーロッパの国々も、そして日本もそうだが、右傾化の道に歩を進めている。
いや、右傾化という言葉はすでに意味を持たないのかもしれない。

現在は資本主義と共産主義や社会主義の対立ではなくて、国家主義と民主主義の対決の時代を迎えているのだから、これまでのような右や左などは死語である。
中国や北朝鮮などの一党独裁の社会主義国家にはもとより民主主義はない。

今、世界は国家主義に向かって突き進もうとしている。
国家主義の国々は他の国々との協調関係よりも、自国の利益をあからさまに優先するとの考えだから、当然、他国との競争も激しくなり、利権を巡っての争いも多くなるので、そのために軍事力を増強し、結局は武力の行使も辞さない、というお決まりの道を辿ることになる。

力に頼る強権政治によって、歴史は同じ過ちを繰り返していく。
民が主人公であるべき民主主義が危機を迎えている。

そして皮肉なことに、そんな指導者を選んだのは多くの民なのである。
しかも、正当な民主主義の手続きを踏んで選んだ。
もともと民主主義はそういう矛盾を内包していて、常に危うい土俵の上に存在している。

国家が存在する限り、トランプ大統領の出現を待つまでもなく、どの国の指導者も自国の利益を最優先にするとの考えや思いは同じである。
それは当然のことだが、そこに他国との共存共栄の考えが有るか無いのかではその政治や外交の形は大きく姿を変える。

この世は不条理と矛盾に満ちていることは誰もが知っている。
それでも、その中で何とかそれらの矛盾を乗り越え、世界の平和と共存を求めようとの強い意志を持って政治に臨むことが必要だ。

それを、綺麗ごとの机上の空論であり、意味のない単なる理想主義にしか過ぎないと切り捨て、利己主義や排他主義を選択するのは間違いだとボクは思う。

現実に追随し、現実はこうだから仕方ないだろうとの政治手法は確かに説得力を持つし、また分かり易い。
しかし、それでは余りにも幼く、益々平和な世界の実現から遠ざかることになる。
間違いなく民主主義の崩壊を招く。

いつでも平和主義や理想主義は現実主義の前ではその立場は弱い。
現実主義の方が具体的だし分かり易い。
それに比して平和主義や理想主義は説得力に欠け、分かり難いのだ。

ありていに云えば、平和や理想を掲げる、民が中心の世界の実現などは絶望的に難しく、不可能に近いことかもしれないのである。
それが、エゴという厄介な荷物を背負う人間の逃れることのできない宿命であるからだ。

しかし、だからこそなお更、ボクたちがその不可能とも思える世界の実現を目指してチャレンジし生きて行くことが大切だと考える。
なぜなら、それが「人が生きる」ということの意味だと信じるからである。

「分かり易さ」は確かに必要だが、その一方で、人々の思考を停止させ、実相を理解しないまま分かったような気持ちにさせることになる用心すべき事柄であると思える。

そして思考の停止は善悪の判断を失わせ、その結果、善良である筈のボクたち一般市民が自ら進んでとんでもなく危険な状況に社会を導き、歴史の犯罪者となってしまうかも知れない恐れを内包しているのである。

       「こりゃまずい 後で気が付く 馬鹿社長」


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