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プロとアマの違いは何か

昔、聞いた冗談に「下手な歯医者に掛かるより上手なニセ医者に掛かった方が良い」というのがある。
実際、たまに名医だと思われていた人物が、本物の医者でないことが発覚して逮捕されるような事件が起きる。

将棋や囲碁の世界でも、アマの強豪がプロ棋士と対等に戦い、プロの棋士を負かすことも珍しくはない。
スポーツの世界も同様で、昨日までの高校球児がいきなりプロ野球界でスターになったりする。
オリンピックなど見ると、何がプロで何がアマであるのか分からなくなる。
まだまだ幼い天才ピアニストやバイオリニストの登場なども同様である。

こういうことから考えると、プロとアマの違いは、単に、その技量や才能の優劣だけではないことが分かる。
しかし、一方、素人で優れた技量を持った者を称して「プロはだし」という表現をするから、技量と全く関係ないのかと云えばそうでもなさそうだ。
少なくとも、プロにはそれなりの技量がなければならないようである。

それでは、プロとアマの違いは何か。
どうやら、プロとはそれを職業として生計を立てている人たちのことを云うようだ。
ここまでの理屈は小学生でも分かる。

ニセ医者も現代の法律に違反しているので正当な職業とは認められず逮捕された。
医師免許の無い大昔ならば人々に尊敬される医者だったかもしれない。

余談はともかく、それでは職業としていれば全員がプロかと云えば、そう簡単でないところに、プロとアマチュアの違いの難しさがある。

日本の職業は2万8千種類とも聞くが、そのそれぞれの職業に就いている者がすべてプロかと云えば、恐らくその大半はプロとは呼べないだろう。
実際は、そのほとんどを「プロ見習い」が占めている筈である。

ボクたちの会社は、主にテレビの番組の、中でもドキュメンタリーというジャンルの制作を志向する制作者集団である。
だから、スタッフたちもこの道で生きて行こうと決心し、プロを目指していることは疑いのない事実である。
しかし、プロと称するにはある一定のレベルの技量が必要だから、わがスタッフ全員が、その条件を満たしているかと云えば、そうではない。

入社して一年未満の者から業界に50年以上のベテランまで様々である。
ボクの体験からの一般論で云えば、新卒の場合、入社してから3年目ほどでディレクターの真似事を始める。
勿論、プロデューサーを中心として周囲が面倒をみる。
保護者が必要な訳である。
こうした修業期間に6~7年はかかる。

10年ほど経つと、何とかディレクターらしい体裁が整う。
そして、本当にディレクターと呼べるようになるまでに少なくとも15年から20年は必要である。
だから一人前になる頃には、年齢的には40歳になっている。

当然、例外はあるもので、特別の才能があり、普段の努力を惜しまぬ者でもっと早く成長する人材も稀にはいる。

そういう観点からすれば、あくまでも一般論だが、入社15年から20年頃までは「プロ見習い」と云える。
技量的にはまだまだ未熟な点や面が多い。

しかし、技量が整ったからプロと云えるのか、というプロであるための、もうひとつ大切な要件がある。
それは、ボクたちはテレビ番組の制作をその職業としているとの正確な認識の有無である。
つまり、テレビ局がクライアントとして制作費を出し、その意向を受けてボクたちは制作しなければならないという認識をしっかりと持っているかどうかという点である。

番組制作はそれを視てくれる視聴者のために行うのだが、その番組の制作に当たっては、テレビ局の意向を受けて、局の担当プロデューサーが番組の品質管理を行う。

三者三様、十人十色、百人百様の言葉通り、局のプロデューサーの個性は様々で、その表現方法も異なれば、趣味や好み、思想信条も違う。
そういったプロデューサーたちにきっちりとした対応ができるかどうかである。

例えば、そういった個性ある局のプロデューサーの意向を十分に分析し理解し、適切な対応ができるかどうか。
丸いモノを求められているのに、三角や四角のモノを提案してはいないかどうか。
求められている10センチのモノを7センチで対応してはいないか。

ある程度、技量を身につけたディレクターたちが、自分では面白いと思うシーンを全部削られて面白くなくなった、と不満を漏らすのを聞くことがあるが、それは求められているモノと異なるモノを提示した結果である。

局の意向という同じ土俵で勝負しなければならないのに、別の土俵で相撲を取っていることに気付かないケースは意外と多い。
自分の思い込みや勘違いから、そういう過ちを冒すことになる。

そういう作り手は制約や約束事の無い自主映画を制作すれば良い。
学校の卒業制作の作品同様、素人の世界で生きる道を選べばよいのである。
しかし、プロを目指すならば、その方法は通用しない。

そして、テレビ番組制作に於いて、自分の考えや好みを優先させるためには、そのための条件が必要となる。
テレビ局のプロデューサーたちは例外なく優秀である。
この人たちと、まず同じ土俵で対等に向き合い、仮に、意見が食い違った場合には、相手を論破し、なるほどそういう見方や表現の仕方があったかと感心させ、納得させる力をボクたち制作者が持っていなければならないのだ。

一方的に局のプロデューサーの言いなりになる必要はないのである。
それを同じ土俵で凌駕すればよいのである。

これらのことを理解して、実行することの出来る制作者はプロと云える。
そして、ボクたちは、そういう局のプロデューサーを超えるプロのディレクターを出来るだけ多く誕生させたいと心から望んでいる。

ついでに、もうひとつ。
作り手は人間だから、好き嫌いがあるのは当然である。
しかし、テレビ番組の制作者は得意な分野は必ず持っていなければならないが、仮に不得手だとしても、嫌いな分野を持ってはいけないということである。

どんな分野の番組であっても、嫌いだから、イヤだから、との理由で仕事を拒否してはならない。
時には甘えやわがままでその仕事をしたくない、というのは愛嬌だとしても、本気で拒否するのは根本的にまずい。

なぜなら、例え面白くないテーマであっても、それをどのように面白く捉え、面白く伝えるのかがボクたち制作者の基本的な姿勢でなければならないからである。

嫌いなテーマやイヤなテーマだと自分が感じても、そこに面白さを発見しようとの大切な心や意欲を持てない制作者はプロの資格はない。

ことほど左様に、本物のプロへの道は実に厳しい。
ところで、そういうお前はどうなのか、と問われたら何と答えるか。

ボク自身、この業界で50年余を過ごし、この世界だけでメシを食ってきてはいる。
そして、その半分以上の年月を社長業が占める。

ディレクター時代に多少の賞も頂いたが、自分が作り手としてプロだと思えたことは恥ずかしながら正直、無い。
そして、社長業も随分永くなったが、経営者として優れているとは決して言えないことも知っている。

ただ、いつも何か面白いことをやりたい、世の中の人たちを驚かせたいとの思いは失っていないし、ボクたちの会社を変革し、テレビ業界に貢献できる存在になりたいと願っている。
そういう意味では、発展途上中の「プロ見習い」というところ辺りが妥当と思っている。

今後、ボクたちのスタッフの中から一人でも多くの本物のプロを排出させるために努力を重ねたいと思っている。

     「技だけじゃ 嗚呼遥かなり プロの道」


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