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世代感覚のギャップ

親の心子知らず、という言葉に代表されるように、古今東西、意志の疎通というのは困難なことのようである。
親にも、子供にもそれぞれの言い分があり、お互いの心がすれ違う。

国が異なり、言語や生活習慣などの文化が違い、さらに宗教上の深い溝があればお互いを理解し合うのは難しかろうが、日本という小さな島国に住み、多少の差はあっても同じような文化を共有する人たちの間にあっても相互理解は難しいことのようだ。
最も近しい間柄にある親子にしてなお難しいのがコミュニケーションである。

ボクたちの会社では21歳から80歳までの老若男女がそれぞれの場でそれぞれの仕事をしている。
年齢の比率で云えば20歳代、30歳代が圧倒的に多くを占めている。

先日、4~50歳代のスタッフ数人と食事をしていた時「面白い話があるのですよ」と某テレビ局の看板番組を担当しているディレクターが云う。

彼はとても仕事の出来る人材で、若いスタッフの面倒見も良い。
裏表の無いストレートな性格だか、こと仕事に関しては厳しく、若いスタッフにとっては時にはとても手強い鬼軍曹となる。

彼の話によると、彼のもとでアシスタントとして、日頃あれやこれや厳しい指導を受けながら仕事をしている、今年入社2年目になるスタッフが、今年入社したばかりの新人女性スタッフに、ちよっと先輩ぶってアドバイスを施したところ「あなたにそんなことは云われたくない」とにべもない仕打ちを受けたというのである。
その若い男性スタッフは、意欲的な張り切りボーイでなかなかの好漢だけに、その時の様子が想像できて思わず笑ってしまった。

ボクたちの会社は、社長、専務、常務、取締役、部長と役職はあるのだが、それはあくまでも役職であって、仕事上の上下関係はない、との考えで動いている。
先輩、後輩という事実は存在するが、プロデューサー、ディレクター集団なので、仕事の上では万事平等、基本的には全員が横並びの関係にある。

少し前まで、ボクのことも社長とは呼ばせないで、名前で呼ぶようにと徹底していたのだが、最近では少し面倒くさくなったのと、そういう横並びの考えが会社全体にある程度浸透したので、うるさく云わなくなった。
中には社長と呼ぶスタッフたちも出てきたがそのままにしている。

上下関係を作らない仕組みには、良い面と不便な面がある。
良い面は、ただ取締役だとか先輩だという理由だけでは威張れないことである。
自分が本気で燃えて仕事に取組み、説得力を身に着けない限りスタッフを動かすことはできない。

不便なのは、その裏返しで、号令一下の上意下達ということにはならないので、いささか面倒な点にある。
少し分かりづらい形だが、敢えてそうしている。

今回の“あなたにそんなことを云われたくない”事件は、普通の会社の一般常識で考えれば、礼儀の知らぬ、とんでもない新入社員だ、との判断を下されることかもしれない。

しかし、別の見方をすれば、二年生社員が新入社員に対して納得し参考になる適切なアドバイスを与えるだけの説得力に欠けていたのだ、ということも言える。

ボクは実際の現場に立ち会っていないので、真相については分からないが、新入女子スタッフを一方的に責める気持ちはない。
礼儀を含めて、話を暴力的に遮断してしまうなど様々な問題はあるにはあるが、むしろ、それよりもアドバイスをした二年生スタッフに、相手がナルホドと納得させられるように、もっとがんばれ、と云いたい。

今年で入社4年目の男性スタッフがいる。
まだまだ発展途上中ではあるが、ディレクターとして順調な成長を続け、将来リーダーとしてボクたちの会社を支えていく資質を備えている有望株のひとりである。

そんな彼がしみじみ言うには「毎年入社して来る若い人たちの考えが分からない」世代のギャップを感じると云うのだ。
彼は同期の仲間や後輩たちと積極的に交流し、盛んに飲み会などを行っている。

お互いに話す機会も多い分それだけ、理解できたり、分からないことがあったりする分も多くなるのだろう。
それにしても、20歳代の間ですでに世代ギャップを感じていることが面白くもあり、微笑ましくもある。

それが果たして世代のギャップなのか個性の違いから生じているのは定かではないが、それほどにそれぞれの考えや感じ方が多様化しているのかも知れない。

年寄たちが、口を開けば「今の若い者は……」と云って切り捨ててしまうが、世代ギャップを感じて悩む方がよほど健康的である。

知り合いに中国国籍の朝鮮族で30年ほど前に日本に来て以来、様々な苦労の末に、自社ビルまで持つまでになった50歳余の男性Rさんがいる。
彼は、数店のマッサージ店を経営していて、この度、念願であった中華料理店を新宿に開業した。

招待されて店に行くと、20数名の人たちが賑やかに宴会をしていた。
Rさんは「わたしのマッサージ店で働いてくれている人たちだよ。朝鮮族もいるし、中国人もいるし、日本人もたくさんいるよ。月に一度はこうして宴会を開いている。みんなわたしの兄弟だよ」と云う。

言うまでもないが、兄弟と云っても勿論、実の肉親という意味ではもとよりない。
同席していたボクの妻はすかさず「私たちの会社もとても家族的で、社長は社員のことを子供たちのように思っているのよ」とボクを立てようとした。

するとRさんは「でもね、親子関係は難しいよ。親の心子知らずだからね。その点兄弟関係は良いよ。兄弟、兄弟。兄弟に限るよ」と切り返した。
なるほど中国から単身日本に渡り、人間関係を含めて色んな苦労を重ねてきただけのことはある、とボクは感心した。

そう云えば、一昔前、人類は皆兄弟、のスローガンの下、競艇を取り仕切っていた人物がいたことを思い出す。
なるほど、兄弟は、親子よりも横並びの思想だ。
Rさんに見事、ワザあり一本取られた格好である。

時代の変化と共に、社会全体の考えや常識が変化し、それがある場合に世代ギャップを生み出すとの見方はできる。
しかし、少し引いて俯瞰でみれば、それは当事者同士の理解不足やコミュニケーション不足が主なる原因で、世代の違いはそれほど大きな問題ではないのではないかと思えてならない。

会社設立当時から60歳半ば頃までは、ほとんど毎晩飲んで議論していたものである。
会社設立時に、社内でしばしば宴会をする会社は良い会社だ、と聞いていて、実行してきたのだったが、それは単に酒好きの言い訳ばかりではなくて、そのことは会社運営のためにはとても大切な要件であると、この間の経験から知った。

しかし、ボク自身も適当に歳を重ねるにつれて、スタッフたちと食べたり飲んだりしてのコミュニケーションの回数がここ2~3年、不足してきたとの感はある。

共に飲んだり食ったりする、いわば同じ釜の飯を食うことが、下世話だが、お互いの理解を深め、分かり合うための、昔から変わらぬ、もっとも近い道なのかもしれない。

      「うたかたの 分かるも否も 分からずに」


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Comment
大いに飲み食いを‼︎
古来、人間相互の唯一の絆は「血」と考えられていました。
血は「生命」であって、部族全体は共通の血をもち、共通の「生命」によってつながれています。

血の関係のない異部族または二人の人間の間に、強い結びつきをもつために、この「血」または、「生命」を共有するための方法として考えだされたのが「契約」でした。

この「契約」締結にさいして、欠くことのできないことが二つありました。

一は「神の前」で、それが結ばれることで、もう一つは「ともに食する」ことでした。

前者によってその結びつきが神聖で確実なものとなり、後者によって、同一のものを食することで、両者に同一の血が生じ、それによって同一の生命が宿るようになると考えられたのです。

イエスは、この実践者でした。
「人の子(イエス)が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。」(新約聖書)とは、イエスがキリストであることの反対者に対しての抗弁の言葉です。

そしてその究極は、
「わたし(イエス)の肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」(新約聖書)という言葉です。

これが、教会の「聖餐」となり、キリスト者相互が、「兄弟姉妹」と呼び合うようになった原点です。

大いに飲み食いなさってください。


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【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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