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貧乏と貧困

おかげさまで食欲だけは人並みに旺盛なので、一日二度の食事は粗食ながら毎回美味しくいただいているのだが、一年に二度か三度、名のある名料理人の味に接する機会がある。

そんな場を作ってくれるのが作家の西村眞さんである。
彼はボクにご馳走してくれるこの世で唯一の人物だ。

西村さんについては、これまでも何度かこのブログで書かせていただいた。
改めて紹介すると、1939年生まれで、大学在学中に取材記者として雑誌の世界に足を踏み入れ、パリで発行されていた「LUI」日本版編集長を皮切りに、半世紀にわたり十誌を超える媒体の編集長として活躍された。
短期間で記録的な部数に育て上げた「BIG tomorrow」や「SAY」、「百楽」などは、いまや伝説的メディアとなっている。

その世界では名を馳せ、一世を風靡した天才的な編集長だった。
その名編集長の西村さんが、2009年、70歳になってから、今度は小説家としてデビューした。
作家としてはずいぶん遅いデビューである。

そのデビュー作「東京哀歌」は、短編小説集だが名作である。
取り上げているテーマもユニークで、切れのある文章で綴られており、才能に溢れている。
続いて昨年「ボスの遺言」を出版された。
この春にも新たに二冊の出版の予定がある。

西村さんご自身の言によると、各種雑誌の編集長をしていた50年間、必死に仕事をこなし、贅沢をしても一生楽に暮らせるだけのお金を貯えられたそうである。

「だから、もしかすると小説家としては駄目かもしれませんね」とおっしゃる。
お金があり、執筆活動で特にお金を稼ぐ必要がないので、何が何でもという気魄に欠けるという意味のようである。

ボクも基本的にはそういう考えを持っている。
ずば抜けた天才は別だろうが、ドキュメンタリーであれ、映画であれ、モノを作り出す仕事をしている大抵の表現者は常にハングリーでないと良い仕事はできないと思っている。

日本が経済成長を遂げた頃、映画監督の大島渚さんが「もう一度日本が本当に貧しくならないと良い映画は誕生しない」とおっしゃっていた事を思い出す。

豊かな時代を体験した日本だったが、時代の変遷と共にいま、その日本では富める者と持たざる者の二極化が急速に進行している。
一時、圧倒的多数を占めていた中間層がその姿を消し、人口に占める老齢化の割合と相まって貧しい者の数がどんどん増している。

そして、極端な貧困層も増え始めている。
老人ばかりではなく、若者たちにそれが顕著に現れ始めている。
大学生の多くが奨学金という借金を抱え、その返済に苦悩しているという現象も深刻化している。

先日わが社のスタッフから聞いた話がある。

「今日、取材した人から、なるほど、と感じさせられる話を聞きました。その人は『貧乏』と『貧困』とは違うものだと言うのです。『貧乏』にはまだ幸せの余地がある。貧しいながらも楽しい我が家、という具合ですね。でも『貧困』には夢も希望も見つけることができない。一度『貧困』に落ち込むと抜け出せないものだと。それが『貧困』なのだと。そして、もっと多くの日本人が本当の『貧困』を味わわなければ国の形を変えることは出来ない、変革も起こせないと」
確かにそうかもしれない。

アメリカに追随する日本では、金融という正体不明の虚業とその思想が日本を蝕み続けている。
そして、その実態はと云えば、国の借金は1167兆円、赤字国債は500兆円を突破する。
実質的には日本経済は破綻している。

日本国も、そして一部を除く多くの国民もすでに貧しい時代に突入している。
そして間違いなくこの貧困化は加速的に進行する。

この状況をどう考え、どう対処していけばよいのか。

ボクなどは文無しだが、「貧乏と貧困論」でいけば、それでも貧乏の部類に入る。
明日のことはどうなるか分からないけれど、少なくとも粗食とは云えメシは食べることが出来ている。
そして、ささやかながら、ああ幸せだなあ、とも思えるし、まだまだ夢も希望もあるからだ。

わが社のスタッフたちもみんな経済的には貧乏だ。
そして俯瞰で見れば貧困とスレスレの貧乏である。

それでも、それぞれに目標や、やりたいと考えていることがある。
その意味では幸せだし、モノを作る条件と資格を備えている。
ほとんどがギリギリの背水の陣で臨んでいるのだ。

だからボクたちは番組を作ることが出来ている。
そのエネルギーの源泉が貧乏と云えば云い過ぎだろうか。

今回、作家の西村眞さんに連れられて行ったお店は原宿の駅前にあった。
「重よし」という割烹料理店である。
ちょっと広めの店内は、客はまばらだったが、ここには政治家を含め多くの著名人が、旨い味を求めてやって来るのだそうだ。

オーナーで料理を仕切る板長の佐藤憲三さんは名人気質の料理人で、雁屋哲の「美味しんぼ」でも紹介されている、その道の達人である。

どうやら日本料理の総本山は京都であるようで、佐藤さんは京都に対抗して、京都では生み出せない味を見つけようとしているように見受けられた。
徹底した素材の選択は厳しく、それこそ半端ではないことが、一見の客であるボクにもうかがい知ることができた。

ごく少量づつ出される品々は、食通ではないボクのような者にもいかにも旨く感じられた。
見た目は何でもないような料理の、その旨さの秘密の裏には、想像を絶する知恵と工夫と手間が掛けられているに違いなかった。

今度、陶芸家でもあり食通でも有名だった北大路魯山人の創作した料理を再現し、それを魯山人の焼いた食器に盛り付けるという試みに挑戦するとのことである。

「今日のは、これです」と佐藤さんがドンとボクたちにも見えるまな板の上に置いたのは本マグロの塊だった。
素人のボクには判断できないが、佐藤さんの自信ありげな様子からみても、相当の代物に違いなかった。

「何貫でいきますか」との佐藤さんに
「僕は3貫いきます」と常連の西村さんは即座に答える。
「それじゃボクも3貫」とボクも西村さんに倣った。
「実は3貫以上注文しても、それ以上は出して貰えないのですよ」と西村さんは笑う。

佐藤さんは、艶やかなマグロの塊から丁寧に身をそいでいく。
そしてちょうど良い形を整えるために不要な部分を惜しげもなくなく捨てる。
「ああ、勿体ない」とボクは思わず口走った。

名人はニコリともせずに次々に身を捨てた。
その捌き具合を見ていた妻は
「私も3貫お願いします」と云った。
妻は、初めは2貫と云っていたのだった。

握り終え、ボクたちの前に丁寧に並べられた3貫づつのマグロの鮨は、そのひとつが、おちょぼ口で入れることが出来るほどの小ささだった。

本当に旨い鮨だった。
普段、ネタが小さいなど、その大きさに拘っている妻も、満足げに「美味しい」を連発している。

二度と口にすることができないであろうマグロの握りを口にしながら、幸せに浸るボクの頭を「貧乏と貧困」の文字がよぎって行った。

      「胸を張り 貧乏暮し 70年」


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