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ふたつのパーティー

先週と今週、立て続けにふたつのパーティーに出席した。
ひとつは、萩原猛さんの出版記念パーティー、もうひとつはアルジェリアの独立記念日のパーティーである。

萩原さんは、以前にこのブログで紹介した。
中国の事情に詳しい専門家だが、この秋に「日本の敗戦記念日と降伏文書」を出版された。

一般的には、昭和20年8月15日に天皇が国民に向けて戦争の終結を宣言した、いわゆる玉音放送をもって太平洋戦争の終わりとしているが、これは日本が一方的に降伏の意志を述べたに過ぎず、正式には、9月2日に米国艦船ミズリー号で日本と連合国の間で行われた「降伏文書」の署名、調印をもって戦争が終結したという歴史的事実がある。

この時、連合国との間で取り交わされた「降伏文書」の内容が、日本のどの教科書にも記載されておらず、国民のほとんどが知らないことに気付いた萩原さんは、「降伏文書」とはどういうものであるのか、そして多くの国民がなぜ「降伏文書」の存在やその内容を知らされないでこれまで過ごしてきたのか、をその著書で解き明かしている。

特に注目すべきは、連合軍総司令官と天皇・政府の支配統治関係についての「降伏文書」第八項の規定は、英文原文では「天皇および日本国政府の、国家統治の機能は、連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」となっていることである。

しかし、日本の外務省は「隷属するものと定める」の部分を「連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」と訳し、これが日本語に訳された正式文書となっている。

萩原猛さんは、この事実は、天皇大権そのものを無傷のまま保全しながら、その大権の執行を部分的に譲歩してもよいとの基本姿勢を貫こうとしたもので、「制限の下」という訳文は、最高司令官の絶対的権力下ではないことを少しでも印象づけるための歪曲訳であると指摘している。

いずれにしても、アメリカの占領を解かれた後も、現在に至るまで、実際上アメリカとの関係においては、今なお、隷属の形態が続いている感がある。

出版記念パーティーが行われた神保町のズラリと並ぶ古本屋通りは、古本市で賑わっていた。
遥か遠い昔の学生時代にタイムスリップした感覚のままでパーティー会場である中華料理店に足を踏み入れて、また少し戸惑いを覚えた。

ひと時代前を思い出させる店の作りもさることながら、会場には十数人の老人たちが集まっていた。
ボクもすでに70歳を越した老人の仲間だが、会社を含め、いつも若い人たちの中にいるので、年寄たちの輪の中に身を置くことは滅多に経験しない。

この小さな出版記念会に集まった人たちの多くは、元労働運動などをはじめとする活動の闘士たちだった。
そこにいると年齢的にはボクなどまだまだ若輩の青二才で、80歳近い人たちが多く80歳を過ぎた人たちもいた。
彼らは、今なお意気盛んで、現政権の在り方などを舌鋒鋭く批判した。

元総評事務局だった人もいれば、安保法制の反対運動で注目を浴びているSEALDs(シールズ)にならってOLDs(オールズ)というグループをつくり、巣鴨を拠点として活躍している人などもいた。

そんな中にボクの知り合いが3人もいたことは驚きだった。

ひとりは、日本テレビ時代に机を並べて仕事をしていた先輩で、9条改憲阻止の会をつくり、現在は経済産業省前で繰り広げている反原発のテントひろばで寝泊まりしている。
彼によればここ2~3日のうちにその拠点が強制撤去される恐れがあるので、この集まりが終わり次第駆けつけるのだとのことだった。

80歳近いが若々しい情熱とその闘志には頭が下がる。
決して過激ではなく実に温厚な人物なのだが、一本筋が通っている。
何が彼をここまで突き動かしているのか計り知ることはできない。

もうひとりは、某民放テレビ局の局員時代にマスコミ反戦という活動グループで政治活動して退職した人物だった。
かつてわが社で2~3年プロデューサーとして働いてもらったことがあった。

この出版記念会で再会するまで、彼らがこの日の主人公である著者の萩原猛さんと親交のあることを知らなかった。
世間は狭い。

萩原猛さんには悪いが、「日本の敗戦記念日と降伏文書」を出版することになったとの話を萩原さんから聞いた時、おそらく売れそうにない、こういう本を出版するのはどういう出版社の社長か、と思っていた。
論創社というその出版社の社長がその疑問に答えてくれた。

社長曰く「自分も降伏文書については知らなかったが、萩原さんの話を聞き心を動かされた。自分たちの出版社ではミステリーなども出していて、そこそこ売れていて少しの余裕はあったので、この本を取り上げることにした。初版は2000部刷り、1000部の返品はあったが損はしていない。そして、この本は専門家筋に売れていて、それなりの影響力があると考えている。歴史上の事実関係の確認に多くの時間と労力を費やしたが、出版して良かったと思っている」とのことだった。

優れた書き手がいて、それを受け止めリスクを負いながらでも出版しようとする送り手が存在して、初めてこういう著作が世に出ることができる。
日本の出版界も捨てたものではない。

長くなったので、アルジェリアの独立記念日のパーティーについては次回のブログで書きたい。

    「鼻息も 荒く老輩 盃交わし」


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私の母もパーキンソン病でした。
私の母もパーキンソン病でした。10年間ほど患い、86歳で他界しました。
その頃から、パーキンソン病の方に役立つことはないだろうか考えていたところ、「クルミ」がパーキンソン病に効果があることがわかり、そのクルミを使ってパーキンソン病が緩和される健康食品「アイクルミ」を開発しました。
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また、私はオンとオフが激しくて、オフの時は体は動かないのに精神的にすごく高ぶって、苦しくてたまらなかったのですが、その地獄のような時間が減り、楽に過ごせるようになりました。パーキンソン病にかかって以来、だんだん病気が進むにつれ、つらいことが増えてきていたのが「アイクルミ」に出会って希望が持てました。
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