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言葉の不便さ

与太話である。

「あいつ、胃がんで死んだらしいよ」
「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」
関西弁が全国区となった今でも、この落とし噺は関東の人たちには何が面白いのかは理解できないだろう。

落とし噺の説明ほど野暮なものはないが、関西弁で「歪む」ことを「いがむ」と発音する人たちも多い。
だから「あいつ、胃がん(歪ん)で死んだよ」「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」で笑えることになる。

ボクがまだ20代の頃、東京出身の連れと歩いていたら、小雨が降り出した。
ボクはメガネが濡れるのを嫌って、連れに「なおしておいて」と手渡した。
連れは、受け取ったものの、どこが壊れたのかと怪訝そうにメガネを確かめている。
「ああ、バッグに仕舞っておいて、という意味だよ」とボクはあわてて云い直した。

子供の頃からずっと「仕舞う」ことを「なおす」と表現して来ていた。
連れは当然、修繕を意味する「直す」と受けとめ、どこを直せと言っているのかと戸惑ったのだった。

上京して間もない頃には、こういった言葉の違いからくる失敗を何度か繰り返したものである。
こんな例は数え上げれば、枚挙にいとまはない筈である。

昨日のフジテレビの情報ワイド番組「ノンストップ」でも言葉のトラブルを取り上げていた。
この番組にはわが社の女性スタッフが2名出向しているので出来るだけ視るようにしている。

少しうろ覚えだが、確か以下のような内容だったと記憶している。
友達と映画に見に行く相談をしていると、もう一人が「私も行きたい」ということになった。
映画館までの足を”なんで”行くかの話になる。
バスにするか、地下鉄か、JRかタクシーか。

そのもう一人が別に行くことになり、映画館の前で待ち合わせることになった。
先に着いた友人たちが、そのもう一人にメールをした。
「”なんで”来るの?」
結局、そのもう一人は現れなかった、というお話である。

説明の必要はないとは思うが、友人たちは交通機関は何を使って来るのか、という主旨のメールを打ったのだが、そのもう一人は、その”なんで”の意味を「どうして来るの?来なくても良いのに」と受け止めたのだった。

もし、いま突然世界からすべての言語が消滅したとすると、世界のほとんど全ての機能はマヒ状態に陥り大混乱を来すことは間違いない。
あるいは原始時代に逆戻りするかもしれない。

人間にとって言語は空気と同じ位に生きて行く上で必要なものである。
しかし、同時に言葉がその重要度と同じ位の質や量のトラブルの素になっていることも間違いない。

そんなことを考えると、言葉とはまことに不思議な存在である。
無ければ困るが、無かった方がより伝わることもある。

これまでの体験で云うと、人と人との人間関係や信頼関係は言葉とは無縁で生まれるのだと実感する。
饒舌や理論では心は動かない。
男と女の間には言葉は必要ない、とも昔から云われたりもしている。

作家や詩人に叱られるかも知れぬし、自らも映像に係わる表現者の端くれだが、そう思う。
言葉が無くても分かり合えることが、一番嬉しい。

   「千万の 言葉を超えて 友があり」


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