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当たり前のこと

当たり前のことを、当たり前に言っていたのでは、メシのタネにはならないが、当たり前のことを言い続けることは実は大事なことだ。
しかし、その当たり前のことが、近頃、当たり前でなくなってきていると感じているのは、ボクだけではないだろう。

自民公明両党は、集団的自衛権の行使容認をはじめとする安全保障法制に関する与党協議で、関連法案の最終合意をした。
政府は14日にこれを閣議決定し、本日、国会に提出することになる。

これまで歴代内閣が禁じて来た集団的自衛権の行使を安倍政権は、去年7月に憲法解釈を変更することを閣議決定し、今回それを法制化するものだが、与党協議では、日本が戦闘に参加する基準があいまいなまま、集団的自衛権を行使する可能性を認めるものとなっている。

今さら改めて説明の必要もないが、集団的自衛権とは、同盟国が武力攻撃を受けた際に、それを自国への攻撃とみなし、反撃できる権利のことを云う。

日本の歴代内閣は「集団的自衛権は保有するが、憲法9条との関係で行使できない」としてきた。
しかし、安倍政権は、日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態が起きた場合、また、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない場合、必要最小限度の実力行使であること、の三つの要件を満たせば、集団的自衛権による武力行使は憲法上可能であると決めようとしている。

この法案では、「明白な危険」という場合の明白とは、どういう事態を指すのかの具体性に欠けるし、そもそも日本の存立が脅かされるとはどういう場合かも、それこそ明白でない。

また、自衛隊の派遣については、国連決議を必要としておらず、国会の手続きも事後承認で良いとしている。
具体的な歯止めがないために、米軍への後方支援なども無制限となる危険性がある。

それに、「現に戦闘を行っている現場」でなければ、自衛隊を派遣できるとしており、これまで認められなかった弾薬の提供や発進準備中の戦闘機への給油も可能となり、自衛隊の活動範囲はほぼ無制限に広がることとなる。

このように、様々な案件に関して、国会の事前承認などの手続きがなくても、他国の軍隊を守ることができるようになり、歯止めがないまま自衛隊による武器使用が拡大する可能性がある。

これら一連の容認は、事実上、日本が戦争に参加できるということであり、当然敵対国から、本来ならば受けなくてもよい武力攻撃を日本そのものが受ける危険を冒すことにもなるということだ。

日本は戦争に向かって一歩また一歩とその歩を進めている。

イスラム国に拉致され殺害された日本人ジャーナリストの事件も、つい先日の出来ごとにもかかわらず、すでに忘れ去られた感があるが、その際にとった安倍政権の姿勢や態度も、わざと新たなテロの危険を日本に引き寄せようとしているのではないかと思える愚行に映る。

安倍政権がどんな説明をしたとしても、とても危険な道を選択していることは明らかである。
今回の安全保障法制など、ほんの序章に過ぎず、すぐ後には憲法改正が待ち構えている。

日本にとってもっとも危険な国家は、中国やましてや北朝鮮でもなく実はアメリカである。
これまで、自民党の歴代内閣でさえ、手を変え品を変えて、また詭弁を弄してまで、アメリカから日本の平和を何とか守り続けて来た。

いま、先人たちの知恵を捨て去り、安倍内閣は、日本を戦争の出来る国に変えようとしている。
ボクたちは、これを何としてでも止めさせたいと願っている。
しかし、その願いの前に横たわる現実は厳しい。

新聞の論調もさまざまだが、読売や産経それに日経新聞などは安倍政権を平和を守る政権だとして、全面的に支持している。

テレビ界も、NHKをはじめとして、ほとんどの局がその言論を封殺された。
これまで、少しはがんばっていたテレビ朝日も、先日このブログでも少し触れた自民党の情報通信戦略調査会からの呼び出し事件以来、著しいトーンダウンを見せている。

政権の言論界への介入は決して珍しいことではないが、ここまで露骨な言論封殺を行った政権は、恐らく安倍政権をおいて他には無かった。

余りにも無力な野党に代わり、少しは歯止めの役割を果たして欲しいとの儚い望みを託していた連立与党の公明党も、予想通り権力欲の前に馬脚を現し、その正体を明らかにした。

そして、何よりも残念なことは、多くの国民が、こういった一連の政策を続ける安倍政権を支持しているという現在の日本の姿である。
単に、安倍政権の暴走ではなく、これを支える日本国民の共通の責任問題となっている。
このことが一番恐ろしい。

ボクは歳を重ねすでに老人となり、もはや戦場に狩り出されることもない。
仮に頭上に爆弾が投下されても、すでに楽しい人生を十分に堪能させていただいたから、思い残すこともなくあの世に行ける。

ボク自身は、それはそれで良い。
しかし、地球上で戦争のない時間が皆無であったことを考えれば、やや、無責任な言い方にはなるが、少なくとも、日本は戦後70年間、自国が戦場になることからは免れて来た。

そして、その平和な時代をボクは生きさせていただいた。
とても幸運なことであったと思う。
だから、愛する人たちは勿論だが、次の世代、そしてまた次の世代の人たちにも、やっぱりボクが享受できた平和な世で生きてもらいたいと願うのは当然である。

全く次元の異なる話だが、ルポライターの鎌田慧さんが書かれたルポに「屠場」がある。

品川にある通称芝浦屠場では、毎日、数百頭の牛と千頭を越す豚が屠殺処理され枝肉になる。
気絶させた牛のノドにナイフを入れ血抜きし、頭を切り落とし、皮を剥ぎ、手足を切断し、それぞれの部位に分けて枝肉にする。

これらの作業はスピードの要求されるベルトコンベアの流れ作業で行われるが、それぞれの過程での専門の熟練の職人の手作業となる。
この作業の手際の良し悪しで食肉の等級が決まるという。

この熟練の職人たちが一様に心掛けていることは、まず自分の仕事を上手に処理し、同時に、自分の仕事の結果が、次に処理する職人にとっていかに仕事し易い形で引き渡すことができるか、ということであり、それがまた熟練職人たちの誇りとなっている、と鎌田さんは書いておられる。

自分自身のことだけでなく、次に引きうける人のことを思いやる熟練職人の話にボクは胸を打たれたことを思い出す。

人生は永いようで短く、短いようで永い。
若いうちはともかく、50歳を過ぎれば、自らのことばかりでなく、次の世代のことを考えることが必要だろう。

ましてや、政治家という国家の運命を左右する人間は、己の権力欲や野心のために行動してはならないだろう。
多くの人々の平和と安全を守る義務があると思う。
少なくとも、もっとも恐ろしい、命を晒さなければならない戦争への道に国民を導くことは許されないはずである。

例え、多少の苦難を覚悟しても、国家や国民が生きて行くための別の道は必ずある筈である。
その道を説くのが政治家の役割であり、健全な政治家を育てるのはボクたち国民の義務であると思う。

      「平成は 洒落にもならぬ 浮世かな」


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風化
「法」というものは、風化するもののようです。

聖書に限って言えば、イスラエルの「法」(律法)は、人が寄り集まってつくったものではなく、神が「石の板」に書き記して与えたたものとされています。
その律法の精神は、「平和共存」です。

能力の不平等な社会での平和共存の基礎条件は、「能力に応じて働き、必要に応じて受ける」「より強い者、より賢い者が、より弱い者、より愚かな者の弱さ、愚かさを負う」以外にありません。律法は、この一点に集約されています。

ところが、聖書(旧約聖書)の半ばを過ぎると、もう、律法を守る者は皆無の状態になり、イスラエルは、神の怒りでバビロニアによって滅ぼされます。
守れない原因は、個々人の我執(エゴイズム)だと聖書は指摘しています。

イスラエルが滅ぼされてから1000年余の後、神は、律法を「石の板」にではなく、イエスの「十字架の血」で、個々人の心の中に書き記したのです。
書き記された人たちが、世界に広がるキリスト教徒です。

どうみても、彼らが律法を守っているとは思えません。
キリスト教徒の数29億人、世界総人口の31%をしめています。
この人々が、律法を守っていれば、世界から戦乱はなくなっているはずです。

「法」の風化です。
我執(エゴイズム)の処理ーー大きな課題だと思います。
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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
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