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苦しい時の神頼み

いつもながらの与太話である。

「神様っているのかしら?」と妻が云った。
「これまで神様に会ったという人に出会ったためしはないし、勿論、ボクも神様に会ったことはない。目撃者がゼロなんだから答えは明らかじゃないのかなあ」とボクが云うと、周りに居た連中も「そう云われてみればそうだな」と妙に納得して頷いている。

映画やドラマなどで、敬虔なキリスト教の信者が、自分の身の上に起きた不幸を前にして、神はどうして私にこのような苦しみを与えるのですか、と嘆くシーンがしばしば登場するが、なまじ現世利益を求めて神を信じるばかりに、神を恨むような事態も招く。

それに、苦しいことが起きる度に、これは神が与えた試練だと、健気にその苦しみに立ち向かう人たちの姿も目にする。

もし全能の神様がいるのなら、わざわざ人間に生老病死など四苦八苦の苦しみなど与える必要など無い筈である。
それに、神様が何も改めて人間に教育を施したり、試練を与えたりと面倒なことをせずに、初めから完璧な人間を創造すれば済むお話である。

それに、すべての生命が平等で尊いものであるならば、生命が生命を食べて生きて行くという生物生存の仕組みなども存在しない筈である。

こうしてみると、仮に神様が存在するとしても、どうやら、神様は決して人間のために特別の何か役立つ事をしてくれる、人間の味方ではなさそうである。

そんな単純なことは、誰もが知っているにもかかわらず、皆で揃って早朝や夜更けに神社に詣でたり、お寺や教会やあるいはモスク等々で神様にお祈りを捧げている。

かくいうボクも毎朝、出社するとまず一番に神棚の榊の水を換えて、両手を合わせている。
そして、困った時には、神様仏様どうぞお助け下さい、と両手をすり合わせながら、苦しい時の神頼みをしているのである。
いかにも生臭い。

このように考えると、いやはや、考えるまでも無く、神様はどうも宗教上だけで必要な存在のようである。
宗教に理屈を施し、権威を与え、体系づけるためにはなくてはならない存在が神のようである。

そして不思議なことに、世界に生きているほとんどの人たちが、何らかの宗教を信じている。
逆にいえば、ボクなどのように無宗教の方が希有らしい。

キリスト教やイスラム教のような一神教もあれば、多神教もある。
仏教なども究極はお釈迦様だけだが、様々な姿に変化されるので多神教かもしれない。

そして、具合の悪い事に、それぞれの神様は仲が悪くて、これまで戦争を繰り返して来た。
中世のキリスト教は、ローマ法王の名のもとに、正義の聖戦を行い、異教徒を野蛮だとして殺戮と略奪を欲しいままにして永い暗黒の時代を刻んだ歴史もある。
十字軍などはその一例に過ぎない。

宗教の争いは未だに続き、世界を争いの渦の中に巻き込んでもいる。

こうしてみると、神様は、人間社会のためになるどころか、戦争の原因ともなる好戦的な困った存在にも思える。
教典で説いている愛などとはおよそほど遠い存在だ。

だとすれば、キリスト教の神もイスラム教の神も、毛沢東もヒットラーや天皇も同列の存在に見える。
その意味では神様はいる、とも云える。
宗教と結びついて登場する神様はそのどれもが、いかにも人間臭いところが、いかにも生々しい。

それならばいっその事、恐れ多い教典などのない自然崇拝の信仰の方が罪もなく素朴で潔く美しい。
ご来光に手を合わせ、お米の一粒づつに宿る神を大切にする、日本流の八百万の神の方が平和である。
自然を畏れ、敬い、自然と共に生きる生き方が嬉しい。

ボクの想像する神様は人間世界など飛び越えた遥か超自然の神である。

      「神様は お金好きだと 誰か言い」




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「宇宙万物の再完成」
聖書によると、創造主(神)が、宇宙万物を創造した時、「完全調和」(コスモス)でした。
それを現在も続いている世界の「混沌・無秩序」(カオス)化させたのは、原人アダムとエバが、創造主の禁令の言葉に違背したからだとしています。

聖書は、カオス化した世界をコスモスに戻すための、過去から未来にわたるロードマップのようなものです。

ノアの洪水も、バベルの塔も、イスラエルの選びも、イエスの誕生も、イエスの十字架の死も、その復活も、イスラエルに代わる教会の選びも、すべて「神の倫理(律法)が徹底して行われる共存共栄の世界」実現のためという一事に尽きます。
「宇宙万物の再完成」ということになります。

聖書は、人間のいかなる努力・進化によっても、「共存共栄の世界」の実現は絶対に不可能だとしています。
その意味で人間絶望の書です。
唯一、神の大権の発動によってのみ可能、としています。
イエスの「復活」は、その世界を必ず実現する、という神の「確約」になります。

イエスの「復活」がウソならば、聖書は、驚くべき幻想の書です。

「宇宙万物の再完成」への希望もまた、「苦しい時の神頼み」なのかもしれません。
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【小田昭太郎】
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