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母の顔

半年ほど前に心筋梗塞で倒れた母を訪ねた。
退院後、母は堺市の老人ホームのような施設に入っていた。

ボクが弟に連れられて施設を訪れた時、母は入浴中だとのことだった。
倒れるまでは元気に歩けていたのだったが、現在は車椅子の暮らしになっているのだと弟から聞かされていた。

やがて、施設の女性に押された車椅子で母が現れた。
今年で94歳になる母は、半年前に息も絶え絶えに病院のベッドで寝かされていた時とは全くの別人のように、元気な様子だった。

風呂上がりの所為か、肌も艶々していた。
「元気そうやね」とボクはつくづくと母の顔を見つめた。
「お母さんがこんなに美人だとは、これまで気が付かなかったよ」という言葉が思わず口を突いて出た。

改めて見る母は清々しい顔をしていた。
きれいな人だったのだな、とその時思った。
そんなボクを母は呆れたように見ている。

六畳ほどの個室が母の部屋だった。
ベッドと椅子だけの無機質だが清潔そうな部屋だった。

歩行用の補助用具も見えた。
「これで歩く練習をしているの?」と聞くと「そんな面倒なことはせんよ」と否定した。

「これがボクの新しい嫁さんや」と妻を改めて紹介した。
「妻の京香です」と彼女が挨拶するのに対して母は軽く会釈した。
「ええ嫁さんやろ?」とボクが重ねて云うと「あんたよりも上やな」とサラリと答えた。
こういう手厳しさが母の身上である。

「ワタシゃ 正直やからね」とうっすら笑い「ええ嫁さんを貰って良かった」と云った。
妻のことを、ボクよりも上等だと評価されて正直ホッとした。

「テレビは見ないの?」と尋ねた。
部屋にはテレビが無かった。
「そんな面倒なことはしたくない」と母は云った。
「テレビなんか要らないと云うんや」と弟は補足した。
母にはボクがテレビ番組を制作していることなど念頭にないようだった。

「以前は本も好きだったけれど、今は全然興味はない。テレビも見たくない。朝ごはんを食べるとすぐに昼ごはんだし、あっという間に夕食を食べて一日が終わる。それ以外にすることはない。一日中ボーッと窓の外を見ているだけや」
母は無感動な表情でボクを見た。

「ところであんたは何歳になった?」と聞いた。
これまでは、昭太郎とボクの名前を呼んだが、この時は「あんた」と呼んだ。
もしかするとボクの名前も忘れているのかもしれなかった。

「今年で71歳になったよ」と答えると「へえーっ」と母は反応した。
「もうそんな歳になったのか。月日の過ぎるのは速いなあ。ふーん。もう71歳にもなるのか」とつぶやいた。

「昭太郎さんはどんな子供でしたか?」と突然妻が聞いた。
母は、一瞬詰まってから「どんな子やったかなあ。忘れたわ」とあっけらかんと答えた。

そして「あっという間やな。可笑しなもんやなあ」と母はボクの眼を見た。
何が可笑しなものなのかボクには定かには理解できなかったが「可笑しなもんや」と母は繰り返しつぶやいた。

「何か欲しい物はない?」とボクは我ながらつまらない質問をした。
母はそれには答えずただ黙ってボクを見た。
そんな質問をした自分を恥じた。

母の顔は穏やかに笑っているようでもあり、悲しげにも見えた。母の本当の心の中は見えない。
ボクなどは生きているだけで、それが嬉しく楽しいのだが、母がそうでないことだけは分かった。

人生の何が幸せで、何が幸せでないのか、などボクにとうてい分かろうはず筈も無い。
しかし、母のどこか寂しく悲しげな顔は、胸に突き刺さった。
それは、誰の所為とか責任とかいうものではなく、その正体は人生の宿命が持つ悲しみに違いなかった。

瞬く間に2時間ほどの時が過ぎた。
19歳の春に親元を離れ上京してから、こんなに長い時間、母と向き合って話したことは初めてのことだった。

久し振りに母と話せた幸せと、どう始末をつければ良いのか分からない重い心を引きずりながらボクたちは東京への帰路についた。

新幹線の車中、これまで、母について何一つ知らなかったことに気付いた。
そこには母と息子という関係だけがあった。
ボクの人生で、本当に母のことを思ったり考えたりしたこともなかった。
そして、母を愛したことがあっただろうかと自らに問うて、愕然とした。

車窓を流れる夜景をボクは呆然と眺めていた。

      「また来ると 果たせぬ約束 別れ告げ」


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絵の見えるいい文章、せつないですね。
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