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「ザ・スクープ スペシャル」受賞祝賀会

一昨日、東京ミッドタウンのレストランで、番組受賞のパーティーがあり、出席した。

これは、昨年8月放送のテレビ朝日、ザ・スクープスペシャル「戦後68年特別企画 原発と原爆~日本の原子力とアメリカの影」の「ニューヨーク・フェスティバル国際テレビ・映画賞」金メダル受賞を祝っての祝賀会であった。

ボクはこの番組を見ていなかったので、急いで関係スタッフにお願いして、DVDを送っていただき、視聴した。
金メダルを受賞するに相応しい、骨太の本格的な報道番組であった。
久し振りに手ごたえのある報道番組に接することができた。

膨大な資料と証言を丹念に積み重ね、情緒を切り捨てて淡々と情報処理していく手法は、この番組の信頼性を高めると共に、説得力のある番組に仕上げていた。

アメリカの核戦略と、そのアメリカの核戦略の広報宣伝部隊としての役割を果たしてきた被爆国日本のピエロぶりが余すところなく描かれており、この現状をボクたちがどう考え、どう対応すれば良いのか、との問題提起がなされている。
アメリカの属国として生きることを決めた日本の悲喜劇の一断面を鋭くえぐり出す形で描かれている。

原発事故そのものも、またその後の政府の原発再始動の方針も、ある意味ではアメリカへの隷属という、日本のこれまで選んできた選択肢の当然の帰結かもしれない。

今後、アメリカとの関係をどのように保ち、同時に日本が独立国として生き延びていけば良いのか、実に深刻なテーマを視聴者に突きつけることとなった客観報道の番組であったと思う。

「ザ・スクープ」という報道情報番組が誕生したのは、1989年10月だった。
すでに亡くなられたが、日下雄一プロデューサーから声がかかり、番組の立ち上げから参加した。
日下さんは長寿番組「朝まで生テレビ」の生みの親でもある。

「ザ・スクープ」のキャスターは鳥越俊太郎さんが最後まで務められたが、その相方は、次々に変わられた。
畑恵に始まり、田丸美寿々、三崎由紀、佐藤紀子、麻木久仁子、長野智子と目まぐるしかった。

この番組は2002年まで続き、ボクたちもその間、何代の局のプロデューサーに仕えただろうか。
「ザ・スクープ」が年に4回の不定期放送の「ザ・スクープスペシャル」となってからボクたちは、戦線を離脱したのだった。

「ザ・スクープ」の懐かしい面々とお会いするのは実に12年振りのことであった。
田丸美寿々さんとは遊びでしばしばお会いしているが、鳥越さんとは、わが社で制作したNHKの「旅のチカラ」での出演をお願いしてからだから、2年振りになる。

30名足らずの少人数でのパーティーだったが、かつて共に苦労して番組を作って来た、それこそ気心の知れた仲間たちで、同窓会のような雰囲気だった。

受賞した番組のプロデューサーの原一郎さんも、そろそろ還暦を迎えられる年齢だとおっしゃる。
当初は、年に4回の放送枠が約束されていた「スクープスペシャル」も今は特番と同じ扱いで、企画がなかなか通らず、一年に1回の放送枠を確保するのもやっととのことであった。

テレビ局内の事情もずいぶんと厳しい状況のようである。
局員がその有様だから、ましてや、プロダクションがやりたいと願う番組企画がた易く採択されることなど針の穴を通るよりも難しいのだ。

しかし、徹底した検証を基にした骨太のテーマを持つ報道番組の灯は消して欲しくはない。

鳥越俊太郎さんの、しめくくりの挨拶のなかで、つぶやくように言われた「ザ・スクープのようなレギュラー番組があれば、やりたいテーマがいっぱいあるのに、そして簡単にやれるのに」との言葉の持つ意味は深く、実に深刻な現在のテレビ状況を物語ってもいる。

   「淡々と やりたきテーマ 持ち続け」


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