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母親からの贈り物

一週間ほどブログを休ませていただいた。
実は、郷里の弟から、母親が心筋梗塞で倒れたとの電話連絡を受け、急ぎ、母親のもとに駆けつけていたのだった。

ボクが訪ねた前日に、母は救急車で堺市の市民病院に運び込まれ、そこの集中治療室で治療を受けていた。
この同じ病院で、かつて父が、心筋梗塞で亡くなっている。
ボクにとっては二度目の来院だった。

患者でいっぱいの集中治療室の一角に母の姿があった。
意識は正常で、その声は、やや弱々しくなっていたが、受け答えはしっかりとしていた。
突然のボクの来訪に驚いている様子だった。

「嫁さんの京香や」とボクは連れて行った妻を紹介した。
結婚して5年以上経つが、挨拶を交わすのは、お互いにこれが初めてのことだった。
母は「そうか」と無感動に頷いた。

「お母さんも92歳だよね?」とボクが言うと「93歳や」と母は強い口調で訂正した。
「お肌が艶々としてお若いですね」と妻がお上手を云うと「皆からもそう云われてる」と満更でもなさそうにボソッとつぶやいた。

「お母さんには一生会えないかと覚悟していたよ」とボクは感無量の思いで云った。
こんな形でも、思いも掛けず、母に会えたことが嬉しかった。
「そうか。気にしないで、家に行きなさい。」と母は云った。

実は、この不思議な会話には事情があった。

ボクが離婚して、新しい嫁さんを貰い、そのことを実家の家族や親戚に事後報告した。
しばらく経ってから、母や弟夫妻と妹夫妻に、郷里の堺で食事に招待したいとの連絡をしたところ、弟から「兄貴は、別の世界で生きている人やから」と実家の敷居を跨ぐことを拒絶された経緯があった。

弟の云う別の世界とは、ボクの新しい妻が中国国籍の朝鮮族である、ということであり、朝鮮民族との姻戚関係を結ぶことを認める訳にはいかないとの意味であることは明白だった。

ボクが言うのもおかしいが、母も、弟や妹夫婦は本当に善良な人たちなのだ。
しかし、差別と云えば適当なのか、民族意識というのか、ボクには理解しかねるのだが、とりわけ、被差別部落や朝鮮民族に対する差別意識はどうしてもぬぐえないものがあり、それは絶対的な意識のようだった。

母の見舞いを終えて、母の云う通りに弟夫婦が後を継いでいる実家を訪ねてみようと、病院を出ようとした時に、やはり母の見舞いに来た、弟夫妻と妹夫妻の4人に偶然出会ったのだった。

7~8年振りの再会だった。
ボクは妻をみんなに紹介した。
みんなも、初めて会う妻に、内心は驚きながらも笑顔で対応してくれた。

改めての見舞いの後、全員で実家に戻った。
病院は実家からゆっくり歩いても4~5分の近い場所にあった。

実家の応接間で、みんなで和やかに話した。
弟にも妹にも多くの孫たちが出来て、それぞれが幸せな家庭を営んでいた。

久しぶりに仏壇に線香をあげて親父や祖父母に挨拶することもできた。
弟や妹たち夫妻に妻を会わせることもできたし、あり難い一日だった。

心筋梗塞というそれこそ望ましいことではなかったが、母親の命懸けの贈り物だと、母親には悪いが、改めて感謝したのだった。

夕食でも、という弟の嫁さんの言葉を背にしてボクたちは家を後にした。

「きょうは一緒に来てくれてありがとうね」とボクは妻に云った。
「生きては会えないと覚悟していたお袋さんにも会うことが出来たし、京香を弟や妹に紹介することができた。辛かったと思うけれど、よく我慢してくれたね。でも本当は良い人たちなんだよ」
「それにしても不思議な方々ね」と妻は笑った。

弟や妹夫妻と談笑して過ごした間中、彼等は決して、妻に話しかけることは一度も無かった。
ボクに対しても、ボクに関すること、会社のことや、子供たちのこと、それに妻に関する一切に触れることは無かった。
妻のことはまるで透明人間のように扱っていた。

それは不思議な光景だった。
ボクたちを相手に話していることは間違いないのだが、ボクたち夫婦のことを話題には絶対にさせなかった。
「兄貴は別の世界に生きてる人やから」との弟の言葉が甦る。

それは気遣いの一種なのかもしれないし、独特の処世術であるのかもしれない。
あるいは、トラブル回避の絶妙な大人の方策だとも思えた。

東京への帰途の南海本線の堺駅のロータリーに、大きな碑が建てられていた。
そこには「人権擁護宣言都市」と大きな文字が刻まれていた。

堺市はボクがここで育った子供の頃から、差別問題に苦しむ町だった。
このような当たり前のことを宣言し、碑にその文字を記し、市民を啓蒙しなければならない町なのである。

70年経っても変わることなく、そんな差別の意識構造をそのまま残さざるを得ない原点の正体とは一体何なのだろうか。
その差別の象徴が朝鮮人が食べる臭い食べ物である「にんにく」だった。
このブログ「にんにく劇場」のタイトルの由来である。

お陰さまで、母が集中治療室から一般病棟に移ることができたとの知らせが、弟からあった。
母の病がきっかけで、しばらく、音信の途切れていた実家との交流の細い糸が、ささやかだが繋がり始めたようである。

      「善き人も 差別意識に 出口なく」


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Comment
差別・・・
聖書によると、神に選ばれた「選民」には、都合のよい前提が育まれました。
その最たるものは、他民族に向けての狭く醜い「差別意識」であり、はなもちならない優越感でした。
選民意識はすぐに「特権意識」と結び付きます。

聖書は「特権意識」に基づく「差別意識」(偏見)を告発し続けていますが、人間の知識の増大と正比例してふくれ上がるかのようです。
人間の無意識的な深層にまで潜入して活動しているからでしょう。

社会的公正の敵は「差別と偏見」ですから、「社会的水平関係」の次元で論じられるのですが、聖書は「創造主」対「被造者」という「垂直次元」から照らし出そうとしています。

残念ですが、その視点からの解決しかないのかもしれません。

差別を受けている方々の深刻な問題は「アイデンティティー・クライシス」(identity・crisis)(自己確認の危機)です。

どうか京香さまのためにも、長生きなさって下さい。
深く深く考えさせられる内容でした。私の父は若い頃満州に渡り薬屋で働いていました。本人は薬屋との紹介で就職したのですが、裏は麻薬組織でした。そこで日本人の横柄な振る舞いを何度も見たようです。麻薬を郵便局に持っていき、中を見られそうになったとき、学生服姿の父をみて朝鮮人の上司が これは持って帰りなさいと助けてくれたそうです。一方、私の住んでいるところでは差別意識が親の世代にあり、私もよく聞いていました。多摩川沿いに在日の方が住む地域があり、友達もいましたから複雑な気持ちでした。
最近 それでも夜はあける という映画をみました。アメリカの奴隷の話です。人間の差別の歴史は長く、人権はむしろ新しい思想なのだと思わされました。教育の重要さと困難さを感じます。
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