Archive | 2020年02月
間もなく会社は設立32周年を迎える。
過去を振り返り懐かしんだり、思い出に耽るのは性には合わない。
今の積み重ねが未来に続いていくので、今をどう生きるかが大切だと思っている。
しかし、会社設立当時と今と、どんな点が違うのかを考えることは、今を考えるために意味のあることだとは思う。
31年前の今頃、赤坂の10坪ほどのマンションの一室に会社を構えたのだが、事務机ひとつしか無かった。
設立メンバーは6人。
床にゴザを敷き、連日、車座で企画会議をしていた。
仕事が決まっていての会社設立ではなかったので、当然ながら収入はない。
全員が、それまで給料を貰う側の人間で、払った経験はないので、経営のことに関する知識を持っている者はいない。
お金の価値や意味を知らない者たちの集まりだった。
やがて、大型企画がテレビ局に採択され、2時間番組一本、3億円の製作費が約束された。
バブルの時代である。
しかし、半年以上費やした末に、その企画が見事にこける。
虎の子の2000万円の資本金が瞬く間に底を突いた。
お金の工面は社長を引き受けたボクの役目だ。
何とかするしかなかったから、何とかした。
ゼロからのスタートと言えば聞こえは良いが、マイナスからのスタートだった。
しかし、恐れや不安は無かった。
無我夢中でそんなヒマは無かったと言うのが正直だったのかもしれない。
ボクも45歳と若く勢いもあった。
会社にお金が入るまでの間は給料はみんなで我慢することに決めた。
設立メンバーも平然としていた。
お互いに責任を問い合うような、つまらないことは一切起きなかった。
逃げ出そうとする者もいなかった。
やがて、ひとつ、ふたつと企画が動き出す。
そんな調子で10年が経ち、20年、30年と過ぎて今がある。
それまで、本当に数えきれない多くの人たちの力に支えられ、善意に救われて来た。
人並の苦労もして、次第に世間というものを知った。
信頼で結ばれ、苦労を共にした設立当時の仲間6人のうち3名は亡くなり、2人がそれぞれの事情で去って、ボクだけが残っている。
そのボクも間もなく喜寿を迎える。
現在と当時の何が違っているのかは至って明瞭だ。
それは会社の規模だ。
スタッフも増え、仕事量も増えた。
人手を要する大きな仕事もできるようになった。
当然ながら商いで動く金額も次第に膨らんでいる。
会社の責任も大きくなった。
しかし、ただそれだけのことである。
他のことは設立当時と基本的には何も変わっていないことに気づく。
今抱いている夢や希望は当時のままだし、日々しなければならないことも当時と変ることはない。
信頼できるスタッフたちにも恵まれている。
確かに、守らなければならない人たちの数もそれに伴う責任も増えたが、その本質は設立当時と同じである。
ゼロからスタートして、これまで無手勝流で生きてきた。
それが今に続き、その今の連続を明日に続けている。
時代は常に変化する。
バブルの時代に誕生した会社は、激変の中を生き続けてきた。
何とかその荒波を乗り越えてきた。
楽な時代は無かった。
幸いなことに、ボクたちには今日に至るまで大きな成功体験が無い。
頼るべき特別の成功例がない。
毎日がチャレンジだったので、現在もそのチャレンジを繰り返し生き続けている。
そして、その時々の時代に向き合い対応して生きる術だけは会社のDNAに刷り込まれた。
だから、ボクたちは、今更将来への新たな不安や恐れを持つ必要が無いのである。
日日これ新たなり、が鉄則であることを知っているので、時代や環境の変化への適応はさほど難しくはないことも知っている。
立ち止まったり、後ろを向いたり、怠けたり、油断すればたちまち会社は立ち行かなくなるのは当然で、それは昔も今も変わらない。
すべてが初めてのことであると考えれば良い。
一から始めるつもりで対応すれば良い。
いつも初心で、無心に歩めば良いのだ。
それだけでやってきた。
そして、それは誰にでも引き継ぐことの出来る簡単で最善の方法だと信じている。
ボク自身はそれなりの歳をとり、かつての100倍以上の楽をさせて貰っているが、会社の今は設立当初よりもさらに新鮮で生き生き存在していると誇りをもって断言できる。
「年ごとに 脱皮つづけて 令和かな」

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過去を振り返り懐かしんだり、思い出に耽るのは性には合わない。
今の積み重ねが未来に続いていくので、今をどう生きるかが大切だと思っている。
しかし、会社設立当時と今と、どんな点が違うのかを考えることは、今を考えるために意味のあることだとは思う。
31年前の今頃、赤坂の10坪ほどのマンションの一室に会社を構えたのだが、事務机ひとつしか無かった。
設立メンバーは6人。
床にゴザを敷き、連日、車座で企画会議をしていた。
仕事が決まっていての会社設立ではなかったので、当然ながら収入はない。
全員が、それまで給料を貰う側の人間で、払った経験はないので、経営のことに関する知識を持っている者はいない。
お金の価値や意味を知らない者たちの集まりだった。
やがて、大型企画がテレビ局に採択され、2時間番組一本、3億円の製作費が約束された。
バブルの時代である。
しかし、半年以上費やした末に、その企画が見事にこける。
虎の子の2000万円の資本金が瞬く間に底を突いた。
お金の工面は社長を引き受けたボクの役目だ。
何とかするしかなかったから、何とかした。
ゼロからのスタートと言えば聞こえは良いが、マイナスからのスタートだった。
しかし、恐れや不安は無かった。
無我夢中でそんなヒマは無かったと言うのが正直だったのかもしれない。
ボクも45歳と若く勢いもあった。
会社にお金が入るまでの間は給料はみんなで我慢することに決めた。
設立メンバーも平然としていた。
お互いに責任を問い合うような、つまらないことは一切起きなかった。
逃げ出そうとする者もいなかった。
やがて、ひとつ、ふたつと企画が動き出す。
そんな調子で10年が経ち、20年、30年と過ぎて今がある。
それまで、本当に数えきれない多くの人たちの力に支えられ、善意に救われて来た。
人並の苦労もして、次第に世間というものを知った。
信頼で結ばれ、苦労を共にした設立当時の仲間6人のうち3名は亡くなり、2人がそれぞれの事情で去って、ボクだけが残っている。
そのボクも間もなく喜寿を迎える。
現在と当時の何が違っているのかは至って明瞭だ。
それは会社の規模だ。
スタッフも増え、仕事量も増えた。
人手を要する大きな仕事もできるようになった。
当然ながら商いで動く金額も次第に膨らんでいる。
会社の責任も大きくなった。
しかし、ただそれだけのことである。
他のことは設立当時と基本的には何も変わっていないことに気づく。
今抱いている夢や希望は当時のままだし、日々しなければならないことも当時と変ることはない。
信頼できるスタッフたちにも恵まれている。
確かに、守らなければならない人たちの数もそれに伴う責任も増えたが、その本質は設立当時と同じである。
ゼロからスタートして、これまで無手勝流で生きてきた。
それが今に続き、その今の連続を明日に続けている。
時代は常に変化する。
バブルの時代に誕生した会社は、激変の中を生き続けてきた。
何とかその荒波を乗り越えてきた。
楽な時代は無かった。
幸いなことに、ボクたちには今日に至るまで大きな成功体験が無い。
頼るべき特別の成功例がない。
毎日がチャレンジだったので、現在もそのチャレンジを繰り返し生き続けている。
そして、その時々の時代に向き合い対応して生きる術だけは会社のDNAに刷り込まれた。
だから、ボクたちは、今更将来への新たな不安や恐れを持つ必要が無いのである。
日日これ新たなり、が鉄則であることを知っているので、時代や環境の変化への適応はさほど難しくはないことも知っている。
立ち止まったり、後ろを向いたり、怠けたり、油断すればたちまち会社は立ち行かなくなるのは当然で、それは昔も今も変わらない。
すべてが初めてのことであると考えれば良い。
一から始めるつもりで対応すれば良い。
いつも初心で、無心に歩めば良いのだ。
それだけでやってきた。
そして、それは誰にでも引き継ぐことの出来る簡単で最善の方法だと信じている。
ボク自身はそれなりの歳をとり、かつての100倍以上の楽をさせて貰っているが、会社の今は設立当初よりもさらに新鮮で生き生き存在していると誇りをもって断言できる。
「年ごとに 脱皮つづけて 令和かな」



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直木賞作家の伊集院静さんが脳梗塞で倒れられた。
伊集院さんは作家活動だけではなく、近藤真彦の「愚か者」や「ギンギラギンにさりげなく」などのヒット曲の作詞も手掛けておられる。
また女優の夏目雅子と結婚して話題になったが、彼女を亡くした後に、やはり女優の篠ひろ子と結婚するなど、なかなかの強者である。
ボクはこれまで直接の面識は無いが、つい最近、NHKのETV特集で「伊集院静 ダビンチをめぐる冒険」の制作で出演をお願いし、イタリアロケを行い無事に放送を終えた。
それから間もなくの知らせだっただけに、スタッフ共々驚いたのだった。
幸い、術後の経過は順調とのことで胸を撫でおろしている。
「ダビンチをめぐる冒険」はあの有名な絵画「モナリザ」や「最後の晩餐」をはじめとして数々の名画や壁画を残したレオナルド・ダビンチの一生の足跡を伊集院さんが辿る番組である。
伊集院さんは、かつて美術大学を志望されたことがあり、美術の世界への造詣が深いことでも知られている。
特に、ダビンチには興味を持たれていて詳しいと聞いていた。
番組の中で伊集院さんは、ダビンチが何を考え、どういう思いで作品を創ったのかに思いを馳せ、伊集院さん独自の感じ方や見方を彼自身の解釈で表していく。
ボクは番組を視て、まずまずの出来だったかな、と満足していた。
ところが後日、わが社の監査役の道川勇雄さんと話した時「伊集院さんはミスキャストでしたね」とおっしゃる。
「ダビンチが『最後の晩餐』で何を描いたのかを分かっておられない」
道川勇雄さんは知る人ぞ知る、聖書の研究家で日本ではこの人の右に出る者はいないほどの方である。
ボクが一目も二目も置く人物だ。
「最後の晩餐」や「洗礼者ヨハネ」などの有名な絵画は、ダビンチがキリスト教の教会からの依頼で描いた聖画である。
「でも芸術作品とはそういうものじゃないですか。作者の意図とは別にそれを観る人が自分なりに感じたり解釈するのが面白いところだし、今回は伊集院さんにその役割を託した訳ですから。単なる美術解説番組ではなく、伊集院さんの感じるダビンチですからね」とボクは少々乱暴な屁理屈を並べ立ててミスキャスト論を否定した。
道川さんは、こりゃどうしようもないな、という半ば諦めたような表情をされたが、それ以上に話されなかった。
それから数日後に道川さんから一通のメールが届いた。
ご本人の了解を得たので引用させて頂く。
『聖書は、その著者たちが「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」という立場で書かれた ものです。
その意味で正統派のドキュメンタリーと言えるでしょう。
(中略)
ダビンチの「最後の晩餐」は、神と人の断絶を描いたものです。
特権放棄に基づく「神の国」と、特権固守に基づく平和共存を本質とする自己投映的な「人の国」との激突と炸裂を描写したものです。
「平和は欲しいが、平和の条件としての方向転換は、まっぴらごめん」という、すべての人の本質を暴露した絵です。
ダビンチは「最後の晩餐」で、十字架の死が不可避であることをイエスが予告したその時、イエスの弟子たちは、「自分たちのうちで誰がいちばん偉いだろうか」と言って、権勢欲からの争論が起きている場面を描写したものです。
(中略)
聖書など古本以下の扱いである日本では、伝えようがないのかも知れません。
ただ、ダビンチの「洗礼者ヨハネ」と「最後の晩餐」の制作意図は上記の通りです。ご参考までに』
ボクは無神論者でありながら、会社に神仏混交の神棚を設けているようないい加減な人間である。
聖書の知識も全く無いのだが、「最後の晩餐」は、誰がイエスを売ったのかを、密告者のユダを含めて弟子たちがお互いに疑い合っている様を描いたものだと勝手に思い込んでいた。
しかし、そんな浅薄なことではなく、人間が抱えている根源のテーマであることを知り、この絵画の描かれた意図の絶望と深遠さを同時に知った。
ただ、伊集院さんの名誉のために敢えて言えば、ご本人に直接確認はしてはいないが恐らく、ダビンチに依頼した教会側の制作意図はご存じだっただろうとは思う。
そして、番組的観点から言うと、教会がダビンチに依頼した「最後の晩餐」の場面としての制作意図が、道川さんの指摘された内容であったことを、伊集院さんの見解や感想に加えてナレーションで説明した方が、よりこの壁画の理解を深めることになったことは確かである。
ただ、その解説の是非は番組制作者が決める範囲だとボクは思っている。
しかし、それらのこととは別に、ボクは道川さんとのやり取りで決定的な過ちを犯してしまった。
それも二つの間違いを犯した。
「ミスキャスト」との言葉を聞いたのが取締役会の席上で、その番組担当プロデューサーが同席していたこともあり、ボクは過剰に反応し、道川さんの発言を封じた。
しかも結果的に、社長という、大げさに言えば、権力のもとで封殺した。
これは道川さんに失礼なばかりでなく、とてもまずいことである。
もうひとつは、道川さんの発言を封じることで、ボクは「最後の晩餐」の持つ本来の意図や意味を知る機会を自ら失うことになったことである。
人はもとより全知全能ではないから無知は恥ずべきことではない。
知らないことの方が圧倒的に多いことは当然である。
しかし、知ることを自ら拒否することは愚かなことである。
無知は恥じることはないが、自らが無知を招くことは恥ずべきことである。
道川さんからの一通のメールはボクの過ちを正し、許し、救ってくれた。
道川さんへの感謝と共に、今後の戒めとしたい。
「ダビンチにも詫びる 喜寿の愚行なり」

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伊集院さんは作家活動だけではなく、近藤真彦の「愚か者」や「ギンギラギンにさりげなく」などのヒット曲の作詞も手掛けておられる。
また女優の夏目雅子と結婚して話題になったが、彼女を亡くした後に、やはり女優の篠ひろ子と結婚するなど、なかなかの強者である。
ボクはこれまで直接の面識は無いが、つい最近、NHKのETV特集で「伊集院静 ダビンチをめぐる冒険」の制作で出演をお願いし、イタリアロケを行い無事に放送を終えた。
それから間もなくの知らせだっただけに、スタッフ共々驚いたのだった。
幸い、術後の経過は順調とのことで胸を撫でおろしている。
「ダビンチをめぐる冒険」はあの有名な絵画「モナリザ」や「最後の晩餐」をはじめとして数々の名画や壁画を残したレオナルド・ダビンチの一生の足跡を伊集院さんが辿る番組である。
伊集院さんは、かつて美術大学を志望されたことがあり、美術の世界への造詣が深いことでも知られている。
特に、ダビンチには興味を持たれていて詳しいと聞いていた。
番組の中で伊集院さんは、ダビンチが何を考え、どういう思いで作品を創ったのかに思いを馳せ、伊集院さん独自の感じ方や見方を彼自身の解釈で表していく。
ボクは番組を視て、まずまずの出来だったかな、と満足していた。
ところが後日、わが社の監査役の道川勇雄さんと話した時「伊集院さんはミスキャストでしたね」とおっしゃる。
「ダビンチが『最後の晩餐』で何を描いたのかを分かっておられない」
道川勇雄さんは知る人ぞ知る、聖書の研究家で日本ではこの人の右に出る者はいないほどの方である。
ボクが一目も二目も置く人物だ。
「最後の晩餐」や「洗礼者ヨハネ」などの有名な絵画は、ダビンチがキリスト教の教会からの依頼で描いた聖画である。
「でも芸術作品とはそういうものじゃないですか。作者の意図とは別にそれを観る人が自分なりに感じたり解釈するのが面白いところだし、今回は伊集院さんにその役割を託した訳ですから。単なる美術解説番組ではなく、伊集院さんの感じるダビンチですからね」とボクは少々乱暴な屁理屈を並べ立ててミスキャスト論を否定した。
道川さんは、こりゃどうしようもないな、という半ば諦めたような表情をされたが、それ以上に話されなかった。
それから数日後に道川さんから一通のメールが届いた。
ご本人の了解を得たので引用させて頂く。
『聖書は、その著者たちが「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」という立場で書かれた ものです。
その意味で正統派のドキュメンタリーと言えるでしょう。
(中略)
ダビンチの「最後の晩餐」は、神と人の断絶を描いたものです。
特権放棄に基づく「神の国」と、特権固守に基づく平和共存を本質とする自己投映的な「人の国」との激突と炸裂を描写したものです。
「平和は欲しいが、平和の条件としての方向転換は、まっぴらごめん」という、すべての人の本質を暴露した絵です。
ダビンチは「最後の晩餐」で、十字架の死が不可避であることをイエスが予告したその時、イエスの弟子たちは、「自分たちのうちで誰がいちばん偉いだろうか」と言って、権勢欲からの争論が起きている場面を描写したものです。
(中略)
聖書など古本以下の扱いである日本では、伝えようがないのかも知れません。
ただ、ダビンチの「洗礼者ヨハネ」と「最後の晩餐」の制作意図は上記の通りです。ご参考までに』
ボクは無神論者でありながら、会社に神仏混交の神棚を設けているようないい加減な人間である。
聖書の知識も全く無いのだが、「最後の晩餐」は、誰がイエスを売ったのかを、密告者のユダを含めて弟子たちがお互いに疑い合っている様を描いたものだと勝手に思い込んでいた。
しかし、そんな浅薄なことではなく、人間が抱えている根源のテーマであることを知り、この絵画の描かれた意図の絶望と深遠さを同時に知った。
ただ、伊集院さんの名誉のために敢えて言えば、ご本人に直接確認はしてはいないが恐らく、ダビンチに依頼した教会側の制作意図はご存じだっただろうとは思う。
そして、番組的観点から言うと、教会がダビンチに依頼した「最後の晩餐」の場面としての制作意図が、道川さんの指摘された内容であったことを、伊集院さんの見解や感想に加えてナレーションで説明した方が、よりこの壁画の理解を深めることになったことは確かである。
ただ、その解説の是非は番組制作者が決める範囲だとボクは思っている。
しかし、それらのこととは別に、ボクは道川さんとのやり取りで決定的な過ちを犯してしまった。
それも二つの間違いを犯した。
「ミスキャスト」との言葉を聞いたのが取締役会の席上で、その番組担当プロデューサーが同席していたこともあり、ボクは過剰に反応し、道川さんの発言を封じた。
しかも結果的に、社長という、大げさに言えば、権力のもとで封殺した。
これは道川さんに失礼なばかりでなく、とてもまずいことである。
もうひとつは、道川さんの発言を封じることで、ボクは「最後の晩餐」の持つ本来の意図や意味を知る機会を自ら失うことになったことである。
人はもとより全知全能ではないから無知は恥ずべきことではない。
知らないことの方が圧倒的に多いことは当然である。
しかし、知ることを自ら拒否することは愚かなことである。
無知は恥じることはないが、自らが無知を招くことは恥ずべきことである。
道川さんからの一通のメールはボクの過ちを正し、許し、救ってくれた。
道川さんへの感謝と共に、今後の戒めとしたい。
「ダビンチにも詫びる 喜寿の愚行なり」



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