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あるヘッドハンティング会社からの電話

ひと昔前のテレビ時代劇で「必殺シリーズ」が流行ったことがあった。
恨みを晴らしたい、殺したいと願う依頼人からお金を受け取り、殺人を代行する請負人たちのドラマである。
いわば殺人代行屋のお話である。

考えてみれば、殺人などの物騒なことはやらないが、現実の今の世にも、色んな案件を本人に代わって代行する職業は多い。
司法書士や弁護士、会計士や税理士、旅行代理店や広告代理店などの代理店業務も代行の仕事である。
また、引っ越し業者とか運送業、便利屋、家政婦なども代行屋さんである。

近頃、話題になった新しい代行屋は、独り暮らしで孤独に耐えられなくなった人のために、疑似家族をセッティングするとか、好きな人がいるが自分では告白できない人に代わって告白を代行するとか、バーチャルな世界を演出したり、本来ならば当事者が自分で行わなくては意味の無いようなことも業者が請け負うケースも増えているようだ。

そんな代行屋を取材したというフリーのディレクターと直接話したことがあるが、片思いの告白を依頼した件は成就したのか?と聞くと、ダメだった、ということで、そりゃあ、そうだよね、と納得した。

ボクたちと同業の知り合いの場合は、入社して間もない新入社員が、作業を放り出して突然姿を消し、スタッフたちが捜していたら、代行屋から電話があり、本人が辞めたいと言っているので、今後は退社の手続きはその代行屋がやるということになったそうだ。
「昨今の状況が状況だけに、新入社員には特に気を配っていたのに、辞める理由がまるで分からない。ましてや代行屋に頼むなんてねぇ……」と知人は首をひねっていた。

これらの話を見聞きしていると、どうやら現在は直接のコミュニケーションを苦手とする人たちが増えているようにも思える。
それ位の始末は自分で付けろよな、と思うし、そんなことを他人にお金を払って済ませてしまうとの考えは少しばかり歪んで見える。
そして、そういう稼業が成り立っていること自体が、恐らく碌な世ではないことを物語っているのだろう。

つい先日、一本の電話を受けた。
スタッフが「おそらく営業の電話だと思うのですが、余りにも具体的なので………」と遠慮がちにボクに取り次いだ。
ボクたちの仕事には全く関係の無い営業の電話も多く、スタッフも心得ていて、普段はボクに取り次がれることはほとんどない。

「R社というスカウト会社の○○ですが……」と受話器から元気の良い女性の声が飛び込んできた。
そして、ボクなども良く知っている二社の制作会社の社名を挙げ、そこの企画制作担当者たちを紹介したいと言う。
「その人たちは転職を希望しているのか」を質すと「いや、そういうことではなくて、もし御社が希望されるならばお役に立ちたい」と答えた。

「そういう話には興味はありませんので」とボクは即座に応えると「何もご心配に及ぶことはありません。トラブルになることなどありませんし、人材確保のために……」と押してくる。
「申し訳ありませんが、他人様の会社の人材を引き抜く気は全くありません。それ位の矜持は持ち合わせておりますので」とさらに応えるとその女性営業担当者は「はあ……?」と訳が分からないという声を出した。

仲間内でもある同業者の人材に手を付けるなど泥棒と同じだ。
いくら競争社会であっても守るべき最低の仁義はあるだろう。
転職が当たり前となった今、そんな考えは時代遅れなのだろうか。

そう云えば、転職を斡旋してそれを商売にしている会社も確かに多い。
わが社でも看護師たちの労働現場を取材したことがあるが、転職斡旋業者の悪徳とも思える世界が存在していることも知った。
ヘッドハンティング会社が悪いという訳では無いし、今さらの新しい商売でもないが、ボクの性には合わない。

ここ10数年で日本の労働文化が大きく変わった。
それと共に働く形も変化している。
経営者も働く側も共に双方の考え方に変化が起きている。

今年の5月には、経団連会長や経済同友会代表幹事、それにトヨタ自動車社長らが口をそろえて次々と終身雇用制の放棄宣言をした。
すでに年功序列型の賃金体系が崩れ始め、それと補完関係にある終身雇用も若い労働者を中心に転職する者が多くなり、少しづつ変容してきているようだ。

経済成長が見込めない現状では、各企業は生産性の低い労働者を切り捨てるためにも、終身雇用制が邪魔になるし、新卒の一括採用から能力重視の通年採用への流れも同様で、役に立つ人材確保のための動きにも拍車がかかる。
生産性向上が最重要の下では有能で役に立つ人材の青田買いが認められ、大学生の就職活動の形も変化する。

経団連は採用や教育の在り方を大学と定期的に話し合う産学協議会を設置した。
大学が産業界の要請を受けて学生に教育していく体制も整いつつあるようだ。
大企業の要請に応じた人材を提供できる優秀な大学とそうでない大学との格差がますます広がり、統廃合の果てに優勝劣敗の図が展開されることになるのだろう。
資本主義社会の宿命とは云え、弱肉強食の過当な競争社会の行き着く先は、誰もが想像できる不安図だ。

古い話で恐縮だが、今を去る事56~7年前、ボクたちが大学生で、早稲田闘争の頃のスローガンに、アメリカ帝国主義反対と並んで産学協同反対が叫ばれた時代もあった。
ボクなどは正直言って、当時それが何を意味するものかはよく理解していなかったが、今ではそんな動きに疑問を呈する雰囲気はない。

ボクも産学協同のすべてに反対するつもりは無いが、ただ大学が大企業の生産性を高めるために必要な社員の養成機関になり、学問の府としての役割を見失っていくのではないかとの懸念を持つ。

今に始まったことでもないが、経済優先の、お金に一番の価値を求める社会ならではの商法や犯罪が横行している。
勝手に売り買いしてはならぬ個人情報を平気で売買したり、さまざまな手口を駆使しての詐欺は勿論のこと、詐欺まがいの商売も増え、先ほどのスカウト会社じゃないが、転職を促してお金にしたりと、倫理や道徳はおろか、義理も仁義をも欠いた行為が大手を振って世を席巻する様は見るに堪えない。
人や組織や、もっと大きくは国を含めて社会の信頼関係の崩壊を招くことになるのではないかと恐れる。

トランプ大統領は世界の経済に手を突っ込み、かき乱している。
政治を商売の道具としている。
平和よりも混乱の世を生み出し、それを商売に繋げ利益を得ようとしているかに見える。

そんな世界情勢の中で、日本がどのような道筋で生き続けて行くかは確かに難しい。
経済で遅れを取ることは避けなければならないのは理解できるが、そのことによって失われるモノの大きいことを忘れてはならないと思っている。
新たな価値観の発見が求められている。

      「金儲け 踊らにゃ損そん 泡踊り」




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ドキュメンタリーの若き研究者たち

先日30歳代前半の2人の女性の訪問を受けた。
彼女たちは日本のテレビのドキュメンタリー番組の研究分析をして論文を発表し、博士号をとろうと活動を続けている人たちだった。
そして、この2人の女性の訪問はボクをタイムスリップさせ50年ほど前の昔へと連れ戻したのだった。

日本テレビに「NNNドキュメント」というドキュメンタリー番組がある。
1970年から始まり週に一度、現在なお放送を続けている長寿番組だ。

ほぼ50年近く続いているから、単純に数えても現在まで2500本ほどの作品数になる。
初期の3年間の番組は保存されていないというが、それでも2300作品以上ある勘定だ。
彼女たちの参加するプロジェクトは研究のために、日本テレビの協力の下、研究費を得て全番組をデジタル化し、それらの作品をすべて視聴したという。

フィルム制作の時代も永かったので、それらをデジタル化するには大変な労力と多額のお金を必要としたに違いない。
中には1時間作品もあるが、その多くが一作品30分なので、2300作品を視るのに単純計算しても、1150時間、48日間ぶっ通しで視続けなければならない量である。

いかに研究のためとは云え、まずそのエネルギーに驚嘆する。
こうして彼女たちの参加するプロジェクトはひとつのドキュメンタリー番組の50年の歴史のすべてを視聴したのである。

ボクは日本テレビに在籍中、1973年から10年間に渡り、この番組のディレクターを務めた。
初めて作った番組は今でも鮮明に覚えているが、残りのほとんどは、指摘されなければ思い出すことはない。

彼女たちは、何故かはわからないが、ボクのそんな作品群に興味を持ち、どんな人物が制作したのか是非知りたいとの理由で人を介してボクにインタビューするために訪ねて来たのだった。

ひとりはMさんで法政大学大学院に在籍し、都内の二つの大学に講座を持ち、週に一度づつ教鞭をとっている。
もうひとりのSさんは早稲田大学の大学院博士課程に在籍中の中国人で国費で留学しており、日本人に中国語を教えながら、Mさんら数人の志を同じくする仲間たちとドキュメンタリーの研究論文の発表に精を出しているとのことだった。

いかにも行動力がありそうで闊達な才女たちのインタービューはたっぷり2時間続いた。
彼女たちは、特にボクの企画の発想や着想、それに演出方法に興味を持っていた。
「タネを明かすとね」とボクは説明した。

ボクが25~6歳頃に、映画監督の大島渚さんの助手として3か月間ほど一緒に仕事させて頂いたことがある。
大島渚さんはまだ40歳少し手前だったと思うが、ヌーヴェルバークの旗手として押しも押されもせぬ大監督だった。
その時の仕事は「映画監督・大島渚」という大島さんが自分自身を描くテレビドキュメンタリーの制作だった。

その制作中、色んな話を聞かせて頂いたが、その中でその後ボクの金科玉条とすることになる教えがあった。
それは、映画でもドキュメンタリーでも制作する時に、大島さんは「必ず何かひとつ、新しい試みをすることを心がけ、それを実行するのだ」というものだった。

「小田クンもやると良いよ」と大島さんは勧めてくれた。
そしてボクはその言葉を忠実に守ろうと決めた。

誰もやったことのないもの、それがテーマであれ、演出方法であれ、とにかく新しいモノを試みることだけに熱中した。
ナレーションの代わりに当時流行っていたコマーシャルを使ったり、ナレーションを無くしたり、当時は見られなかったフィクションやドラマを入れたり、戦前の世相を戦後の歴代首相の演説で構成したり、まだENGが開発されていない頃に日本テレビの技術陣が開発していたVR3000というVTRを初めてロケに持ち出し、リヤカーに載せて取材する等々、思い出すとキリは無い。

あれはドキュメンタリーじゃないよ、との批判もあったし、今から考えると稚拙との思いもあるが、当時は人びとは、そんないろいろな手法やテーマの捉え方を目新しく感じてくれたようで、面白がってくれた。
テレビは、ごった煮の鍋のようなものだとボクは思っていた。
オモシロイものは何でも有りで良いじゃないか。

もっとも、大島渚さんの教えの真意は、もっと深い所に在ったのだったのだろうとは思う。
MさんやSさんもそんな番組に良くも悪くも興味を抱いてくれた様子だった。

「ああ、勉強行進曲」「三上寛の地下道コンサート」「上野駅前交番日記」「その日少年は何も食べていなかった」「俺たちはロボットじゃない」「気がかりな街・新宿」「暴走族の夏」「故郷は戦火の中に」など忘れていた数々のタイトルや内容が彼女たちの口から出ては、ああ、そういう取材をしたなあ、などと当時の様子を懐かしく思い出していた。

「青森の六ヶ所村のラストの空撮のシーンは良かったですねぇ」「クラクション殺人事件で、なぜ運転手が殺人まで起こしたのか、の理由が、その夏が暑すぎたからだ、というのには笑いました」などとボクよりも詳しくその詳細を知っているのにも驚いた。

50年近く前の、未だ彼女たちがこの世に生を受ける前に制作された番組に、若いMさんやSさんが興味を抱いてくれたことには、正直驚いたが、制作者としては同時に嬉しいことでもあった。

「小田さんの作られた『俺たちはロボットじゃない』を研究テーマにして論文を書いています。本が出来上がったらお送りしますね」とMさんは言った。
「俺たちはロボットじゃない」は都内の製瓶工場で働く多くの脳性麻痺や知的障害者などの差別される実態を描いたドキュメンタリーだった。
ボクは終始「地べた視線」からモノを見ていたのだったが、それが、どんな論文に仕上がるのかとうてい想像もできない。

続きはメシでも食べながらにしましょう、とインタビューは場所を変えて延長戦に入った。
研究者たちの旺盛な好奇心は尽きそうにない。

「あなた方をここまで研究に突き動かせているものは一体何なのですか」とボクは思わず聞いた。
「楽しいからです。こうやって、制作者の方と直接話が聞けるのもとっても楽しいし」とMさんは即座に応えるとSさんも大きく頷いている。
「やっぱり楽しいはすべての仕事のキーワードだね」とボクは言った。

実際は苦しいことの方が多い筈である。
彼女たちも決して経済的にはそれほどの余裕はないだろうとも思う。
しかし、自分の好きな研究の道を見つけてその道を懸命に歩み続けようとする強い意思を感じ、思わず嬉しくなった。
「あなた方を見ているとボクたちと同じだなと思いますよ」とボクは言った。

「そう云えば、韓国人のうちの女性社員で東京大学の大学院に籍を置いてジャーナリズムの研究をしながら、某テレビ局の外報部に出向している者がいますよ」と言うと
「ああ、Kさんですね。わたしたち知っていますよ」と言う。
「それにうちの企画実現部のM部長の奥さんも東大の……」と言うと
「Mさんもわたしたちの仲間です」
「もしかすると、会社を退職して、現在うちの社外スタッフとして働きながら大阪大学で博士課程を専攻している……」
「ああMさんですね。知っています」
何と世間の狭いこと。
みんな仲間内じゃないかとまた嬉しくなった。

そして、MさんやSさんは、現在の日本のドキュメンタリーに期待もし、不安も感じていた。
ジャーナリズムの世界にボクなどよりも真剣に深く係っていると感じた。

話は尽きなかったが、夜も更けて来た。
別れ際に「余りお役に立てなくてごめんなさいよ」と言うボクに
「実は今日のインタビューのために、こんなものを準備して来たのですが、だいたい聞くことが出来ました」
とMさんはA4の用紙をボクに手渡した。

そのメモにはびっしりと質問項目が記されていた。
そして、そのメモから、実はボクがその番組で54本の作品を制作していたことを初めて知ったのだった。

      「モノ作り また恥ずかしき また恐き」


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銀行マンたちの新たな挑戦

この夏、旧財閥系のメガバンク二行からお誘いがあり、それぞれの集まりに出席した。
ひとつは毎年この時期に行われている懇親会で、もうひとつは周年記念のパーティーだった。

ボクたちのようなちっぽけな制作会社が、どうして招いて貰えるのか?とも思うのだが、それはさて置き、とても有難いことと感謝しながら参加させて頂いている。
そんなことを含めて、月に何度か銀行マンとお会いするのだが、各行ともに、その営業方針をこれまでと大きく転換させていることが分かる。

店舗数を削減したり、窓口を縮小したり、人員のリストラも進めてきているが、現在も今後もその方針は変わらないようだ。
マイナス金利の冬の時代をどう乗り切って行くのかが各銀行の大きな課題である。

過去には懸命に預金を募っていた時代もあった。
しかし、お金があり余り、その使い道に苦労している現在では「預金などされても、たとえ僅かでも利息を払わなければならないので、下手に預金などして貰わない方が良い」とまで銀行マンが言い切る時代となった。

企業に融資しても、低金利で大きな儲けに繋がらない。
国内での儲けが見込めず、海外への投融資が60%を占めると言われているが、リスクも大きくアメリカや韓国を初めとして大きな損失を蒙っていることもすでに報道され人びとの知るところとなっている。

「これまでは、ノルマが求められ、優良な会社に融資すれば、例えば10点とかの得点がついたが、今は融資の実績は評価されず、点数がつかなくなった」と銀行の管理職は言う。
その言葉通り、ここ半年ほど各行から積極的な融資の誘いがなくなっている。
もっとも、今のところ、十分な融資を受けているという理由もあるが、その気配は銀行マンの言を待つまでも無く強く感じていたことだった。

これまで、融資話が中心だったのが、今では手数料や、ドル建て預金などの投資に近い話や証券、保険、各種カード、それに遺言状の作成に至るまでこれまでに無かったさまざまな案件の勧誘が行われるようになっているからである。

「これまでの営業は方針が定まっていて、その方針に従い、上からの命令や指示で動いていたのだが、今は、何をすれば良いのかを自分たちで考えろ、と言われ、連日、何をどのように営業すればよいかの議論をしている」とも言う。

経済のことはトンと分からないが、日本経済はデフレからの脱却が出来ずにお金が回らない。
経済成長が見込めない中、大企業は有り余る利益を設備投資や給与には投じずに社内留保として貯め込むばかりでお金を使わない。

また大企業や金持ちなど富裕層への優遇政策が進められ、法的にも又貧富の面でもどんどん格差が広がる一方で、圧倒的多数を占めるボクたち庶民は自分たちの将来への不安から無駄なお金を使わないのは周知である。
庶民の将来不安は政府が考えているよりも大きく、深刻で、その財布のヒモは硬いのだ。

今回も経済成長率を下方修正したように経済成長を前提とした政府の政策は目論見通りには果たせず、いよいよ消費税の増税を持ち出し、何が何でも庶民の金を奪い取ろうとしている。

もともと、銀行は世の中にお金という血液を送り込む心臓のような役割を担っている、と言われて来たのだが、お金という血液が円滑に回らないので、重度の体調不良の状態にあるのが、どうやら日本経済の実情であるようだ。
銀行が本来の役割を果たせないとすれば、それは単に銀行の危機ではなく、日本の危機でもあるのだろう。

都市銀行はともかく、都市部と地方の格差が大き過ぎ、地方銀行はその経営が危ぶまれているようだ。
やがては銀行というシステムそのものが消滅することになるだろう、という専門家もいる。

銀行の管理職が語るように、歴史の転換期でもあるそんな現況の下で「自分たちが何をどうすれば良いかを自分たちで考える」ことを銀行マンたちそれぞれが求められている訳だが、確かにしんどいけれど、良いことだし、必要なことだとボクは思う。

縦系列の構造範囲とは云え、自分たちで考え、自分たちの考えで動くことは、権力者や一部経営者にとっては、場合によっては危険と隣り合わせのことであるかもしれない。
しかし、かつて為政者たちが、学問や新しい情報を民衆から遮断し、一部支配階級だけで独占し、多くの国民を衆愚にして操った時代はすでに存在しない。

そして、命令一下やマニュアルでなく、自分たちの考えで動く時は、主体は自らに在り、過程や結果を含めての苦労や成果を上司や会社や世の中の所為にはできない反面、達成感も得られる。
そしてまた一方、自分の努力や能力不足を棚に上げて、すぐに環境や他人の所為にする現在の風潮の中で、言い訳の効かない形の自己責任の重さを知り、その結果として、自分が大きく飛躍し成長する絶好のチャンスと思えるからである。
そういうスタンスで仕事に取り組まないと、グローバル化し多様性を求める企業間競争で生き残っていけない時代でもあるのだろう。

窮地に在る銀行マンたちの新たな挑戦は、そのままボクたち業界でも必要とされるのと同じ挑戦でもあるのだ。

   「掃除機に 吸われるが如く とき移る」




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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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