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叱られなくなったら人間おしまい

先日、同期の桜だか、枯れ木だか分からないが、大学時代の同級の仲間7人が集まり、新年会を行った。
全員が後期高齢者で、宴会も昼間の12時から始まり、3時頃には解散となる。

ボクは昔から、すでに終わった関係には興味がなくて同窓会と称するものなど見向きもしなかったのだが、2年ほど前に親友で恩人のOから誘われてこの集まりに参加するようになった。
懐かしさなどとは無縁だが、たまにOと会う口実のようなものでもあり、それに便乗するというのは、あるいは歳を取った所為かもしれない。

しかし、この年齢で大学時代の気の合う仲間が年に何度か集まって食事したり飲んだりすることは案外珍しいことのようである。
ボクは徹夜麻雀明けで、一睡もせずに参加したので終始朦朧としていた。

世評の通りに、ご多聞に漏れず初めは病気の話から始まる。
特に今回は、常連メンバーのひとりが心臓の大動脈瘤の手術の直後で、参加することが出来なかったため、その話から始まるのは必然だった。

それぞれが大病を患ったり、薬の厄介になったりしている中で、ひとりだけ病気知らずがいた。
彼は読売新聞の記者生活を終えて、現在は趣味のクラリネットの演奏にハマっているという。
年末にはかの有名な年末恒例の、第九を一万人で合唱するメンバーの一人として参加している。
ベッドで楽譜を読んで楽しんでから眠るらしい。
新聞社を退職してから始めた音楽だというから、なかなかの努力家だ。
いかにも健康的な匂いがする。
ボクの自堕落ぶりとは、かけ離れた生活をしている。

その他のメンバーは毎日新聞の記者、NHKの報道記者、建設会社の営業マン、銀行マン、営団地下鉄の鉄道マンなどと、それぞれの道を歩んで来た連中だ。
それぞれが真剣にがんばり、それなりの経験と実績を積み、歳を重ねて来た人たちである。
人生の楽しさも苦しみも悲しみも十二分に知っている。

大学時代に同じ釜の飯を食い、同時代の空気を吸い、気心が知れているからと言って、同じ考えを持っているとは限らない。
永年、異なった環境で生き、価値観も異なれば人生観もそれぞれ違う。
それだから話していても面白い。

しかし、ひとつ共通していることがある。
それは、自分を叱ってくれる存在がすでに無い、ということだ。
口うるさい嫁さんはいるかもしれないし、尻の下に敷かれたフリをしているかもしれないが、すでに本気で叱ってくれる者はいない。

今を含めてこれからの人生をどう生きるかは自分の責任で決めるしかない。
余生を趣味に生きようと、またボランティアで生きようと、死ぬまで働き続けようと、それぞれの生き方は自分が切り拓くしかない。

「叱られなくなったら人間おしまい」とはしばしば耳にする言葉だが、実は、叱られなくなってからが、その人間の生き方や真価が問われるのではないかと実感する。
老齢とは新たなチャレンジを必要とする年齢だと改めて認識している。

先日、久しぶりに作家の西村眞さんにご馳走になった。
これまで何度かこのブログにも書いたが、この世でボクにご馳走してくれる唯一の人である。

原宿駅前にある日本料理の「重よし」に招待された。
ミシェラン2つ星に認定されている隠れた有名店である。
2つ星というのは「極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理」という意味のようで、分かったようで分からない認定ではある。
遠回りってどれ位の遠回りなの?

2年ほど前にも、一度西村さんと訪れたお店だが、その時はまだ星の認定は受けていなかった。
星を受けても受けなくても、味は変わることなく、唸るほどに旨いことは確かだ。

それはともかく、西村さんは現在、2つの月刊誌の連載と全国地方新聞紙に掲載されるエッセイを月25本抱えていて、しばらく余裕が無かった、とおっしゃる。

西村さんは80歳になられるが、次第に筆が遅くなってきた、と言う。
「あと5年くらいしか書けないんじゃないかな、と不安ですよ」
ボクなど今日のことで精一杯で、明日がどうなるのか考えられないのに、80歳になってもまだ書き続ける、その気力に驚く。

「実は、僕には91歳になる師匠がいましてね。つい最近、その師匠にこっぴどく叱られましてね」
さしさわりがあるといけないので、仮にその師匠をAさんとしておこう。
Aさんは91歳の現在も月刊誌に3本の連載を持つ著名な文芸評論家である。
「どういうことで叱られたのですか」とボクは興味津々で尋ねた。

右翼的雑誌だが、月刊Hanadaという、それなりに面白さのある月刊誌があり、西村さんは、そこに「日本人、最期のことば」を連載している。
江戸から幕末、明治にかけて活躍した有名人の死に際しての言葉を紹介し、その言葉の意味をその人物の人生と照らし合わせ解き明かす読み物だ。

これまで20数名が登場しているが、石川啄木を取り上げた際に師匠のお叱りを受けたのだという。
ご存じの通り、石川啄木は日本を代表する詩人・歌人で、貧しい暮らしの中で歌や詩を創り続けた作家で
「はたらけど はたらけど、なおわがくらし楽にならざり ぢっと手を見る」とか
「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」などは誰もが知る歌である。

しかし、その石川啄木はローマ字で日記をつけていて、それによると、しばしば売春宿に出かけては女遊びをしていた。
そしてその生々しい様子をローマ字で綴っていた。

当時はローマ字は一般的ではなく、啄木にとっては家人には秘密にできる暗号と考えたのだろうか。
西村さんはそのローマ字日記のことを書いたところ、師匠のAさんが怒り、きつく叱られたというのである。

「人間らしくて良いじゃあないですか。拝読して啄木が好きになりましたよ、ボクは」
「いや、僕たちはそう思うんだけどね。日本の古来から続く文学史上から見れば、それは石川啄木を汚すことになることで、絶対に駄目だとお叱りを受けたんですよ」
清廉で極貧の中で過ごした石川啄木のイメージを壊すということのようである。

ボクはそんな啄木を人間らしくて、とても身近に感じることが出来て、それを紹介した西村さんにも共感を持つのだが、ハテどちらの考えが正しいのか、間違っているのかは分からない。
立場の違いでしかないのに違いない。

「でも、80歳になっても叱ってくれる師匠をお持ちとは、西村さんは幸せですね」とボクは言った。
西村さんは否定も肯定もせず、ただニヤッと笑ってボクの眼を覗いた。

   「嫁さんに 叱られる度 はいゴメン」

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市原悦子さん逝く

めでたい新春早々にあまり相応しくないお話になってしまうが、女優の市原悦子さんの訃報が届いた。

改めての説明は不要だとは思うが、「家政婦は見た」や「まんが日本昔ばなし」などであまねく知られる女優である。
あの独特で軽妙な語り口は一度聞くと、いつまでも耳に残って離れることは無い。

市原さんは俳優座の養成所からのたたき上げで、若くして主役に抜擢されて活躍した才能溢れる舞台女優である。
舞台で歌い、踊り、見事な演技力を発揮し活躍した。
後に独立して映画やテレビに進出して人気女優となった。

ことに彼女の朗読は多くの人たちを魅了した。
ユーキャンから出版された日本や海外の名作小説の朗読シリーズCDをわが社で制作したが、そのメインを市原悦子さんに引き受けていただいた。
このシリーズは、つい最近まで10年間の永きに渡って制作が続いたが、奇しくも市原さんが体調を崩されるのと時を同じくするようにして、中断の形となった。

そのシリーズでは、市原悦子さんを中心に、林隆三、橋爪功、山寺宏一、三上博史、草刈正雄、夏木マリ、柳家花緑、市毛良枝、麻生裕未、谷村美月を初めとして、23名の達者な俳優や声優さんたちに出演して頂いている。
林隆三さんはすでに故人となられた。

また4年ほど前に始めた、わが社としては初めてのラジオのレギュラー番組「暮らし百景」も市原悦子さんの朗読の魅力を遺憾なく発揮するものだった。
このシリーズは一年半続いた。

テレビ番組でナレーションをお願いすることもあり、市原さんはボクたちの会社にしょっちゅう訪ねて来られていた。
ボクがこよなく敬愛していた脚本家の早坂暁さんの作品には市原悦子さんは欠かせない女優で、早坂さんは彼女を想定してのドラマの脚本の構想も持っておられた。

ボクは早坂さんの原点にある四国遍路をテーマに市原悦子さんと組んでドラマドキュメンタリーを実現したいと願い、早坂さんと市原さんらと何度かの話し合いをし、企画書の形にまでして動いたが、残念ながら時間切れとなり実現出来なかった。
その早坂さんは一昨年の暮れに、そしてその1年後、後を追うように市原さんも帰らぬ人となってしまった。

もう4年近く前になるか、渋谷の文化村の大ホールで西城秀樹を招いて公演した市原さんの朗読劇を観劇したが、その時は数曲の歌も披露された。
その公演の感想をこのブログで書いたと伝えると是非読ませろと言うのでコピーして見せると、やおらメガネを取り出し、「うふふ」と笑いながら読み終えたが、特別の感想は無かった。
彼女の歌をお世辞にも上手いとは言えないが、市原さんが歌うから、それが良いのだ、と書いたのがもしかすると気に入らなかったのかもしれない。

昨年の春3月に行ったわが社の設立30周年のパーティーには、体調が悪く出席して頂けなかったが、声のメッセージを送って下さった。
「あるところに、オルタスジャパンというプロダクションがあるそうな………」と「まんが日本昔ばなし」の、あのお馴染みの口調が流れて会場は沸いた。
それが市原悦子さんの声を聞く最後となった。

市原さんは偉ぶることもなく、とても気さくで親しみの持てる愛らしい女優さんだった。
地味だが大女優だったと思う。

本当につい最近まで、春になれば復帰する、と強い気持ちを持っていると伝え聞いていた。
市原さんと約束していた、やりたい企画があった。
本人も望んでいただけにとても残念である。
惜しい人をまたひとり亡くした。

青山葬儀場の通夜の会場は故人との別れを惜しむ人たちで溢れていた。
享年82歳。
大女優のご冥福を心よりお祈りしたい。

      「大寒や また星ひとつ 通夜の列」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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