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会社移転のお話

11月いっぱいで、会社を引っ越すことになった。
20年間慣れ親しんだビルだったが、老朽化が進み、地震対策はもとより、水回りなどの修繕費が嵩み過ぎるのでビルのオーナーは余儀なく建て替えの決断をしたとのことだった。

そう云えば、建ててから50年以上になっているらしいし、時に水が漏れたりするような出来事もあった。
それでもボクはこの建物と場所が気に入っていた。

オーナーは多聞堂という屋号を持つ額縁屋さんで、小津安二郎の映画のクレジットに美術担当でその名が出てくるのを発見して、へぇーと思ったことがある。
宮内庁御用達の老舗でもあるらしい。

ボクたちがここに移ってきた時からお世話になった先代の社長はすでに亡くなられ、息子さんが跡を継いでいる。
新しく建て替えて賃貸マンションにするとのことだ。
時代の流れを感じる。

そんな訳で、ここ1~2ヶ月の間、移転先を探した。
これまで120坪ほどを借りていたので、新しい移転先もそれ位の広さの物件を探した。
ボクは赤坂という街が好きなので、この地から離れる気持ちは無かった。

そして、赤坂は近辺から比べると異常に賃貸料の高いことを知った。
賃貸の際の保証金なども2000万円以上が当たり前のようで、不動産屋によれば、今がピークで東京オリンピックが終われば、次第に安くなっていくだろうとのことだった。
しかし、有難いことに、心配してくれた日頃お付き合いのある大手銀行の紹介で無事に手頃な移転先を見つけることが出来た。

移転先は、ちょっと古いビルだが、丸の内線と銀座線の赤坂見附駅と目と鼻の先で、駅から歩いて30秒ほどにある。
とても賑やかな繁華な場所で、その猥雑さはボクたちの会社に相応しい。

7階建てビルの6階と7階を借りることになった。
会議室や編集室などの造作工事もあらかた終った。

移転前よりも少しばかり坪数が減って狭くなるので、デスクをフリースペースにすることにした。
今までは、全員ではないが、それでもそれぞれのデスクがある程度揃っていたのが、突然、自分専用のデスクが無くなりフリースペースになるので、ベテランを中心とする多くのスタッフが戸惑うことになるのではないかと心配している。
収納場所も減り、仕事の仕方に工夫が必要にもなるだろう。
専用デスクがなくなると、これまでのように、デスクに資料等々を置きっぱなしにはできない。

世の中は、個人情報保護法だのペーパーレスなどで、近頃は会社の形が変わって来ていて、ある程度はそれらのことは念頭に置かなければならない時代にはなっている。
ボクが好きな乱雑や猥雑さがどんどん排除されていく社会になってきている。
規則やきまりは出来る限り少ない方が良い。
やってはならないことも少ない方が良い。
何でもやれる個性豊かな会社でありたい。

本音で言うと、整然とした、味気のない会社になるのではないかとの不安の方が大きいのだが、取り敢えずは若い人たちの考えに従ってみることにしようと思っている。
そして、本当にそれが良ければそれで良し、具合が悪ければまた変えれば良いと考えている。

   「モノ作る 楽しい会社に なれば良い」




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便りが無いのは悪い便り

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暴走族の孫からの便り

会社のinfoメールに一通の問い合わせがあった。
その内容は
「こちらの記事のリーダーKは自分のおじいちゃんにあたります。
過去の話など聞いておらず写真なども残っておりません。
過去の写真や記事など残っていませんか?
返信よろしくお願いします」
というものだった。

ずいぶん唐突な問い合わせだったが、ボクにはすぐにそれが何の話かを理解することができた。

実はずいぶん前になるが、このブログで「忘れられない風景」というテーマでいくつかの話を書いたことがある。
その中に、今から40年以上も昔、ボクがまだ30歳少しの頃に取材して放送した暴走族の話を取り上げ8回に渡って書いた。
ご興味のある方は「忘れられない風景・暴走族」で検索していただけば、すぐに出てくるが、この暴走族は当時、東北連合と称し、福島県郡山市を根城にしており、東北地方で一番の勢力を誇っていた。

1970年代は暴走族の季節で、各新聞紙上は連日暴走族の記事で溢れ、社会問題として日本中を騒がせていた。
ボクは暴走族とはどんな組織で、その実態はどんなものかを知りたいと思い、取材することにしたのだった。

そして、まず暴走族東北連合リーダーのKさんを郡山に訪ねた。
Kさんは25歳で、すでに結婚して4~5歳の可愛い坊やがいた。
きれいな奥さんとスナックを経営していた。

25歳にもなってどうして暴走族などやっているのか、聞くと、そろそろ引退したいのだが若い連中を放っておくのが心配で辞める訳にはいかないのだ、と笑いながら答えた。

すらっとした優男だったが、親分肌でボクらはすぐに意気投合した。
冒頭で紹介した問い合わせの便りは、その時のリーダーKさんの孫であるに違いなかった。
とすれば、便りの主は、当時スナックで会ったことのある4~5歳の坊やの息子なのだろうか。
そうだとすれば便りの主は20歳くらいだろうか。

そして、その便りから察すると、Kさんはすでに亡くなられたのではないか、との不安が頭をかすめた。
いやいや、まだ60歳代の若さの筈だ、とも思ったりした。

ボクは返信の中で、Kさんはまだご健在なのか、あの時の坊やの息子なのかを尋ねた。
そして、随分昔のことなので残っているかどうか分からないが、写真や資料があるかどうかを確かめて連絡することを約束した。

何しろその当時はまだビデオというものが無く、番組はフィルムで撮影していた時代のことである。
それと、ボクは自分が作った番組等々に関しては、特別に記録として残しておく趣味が無かったので、これまで100余本のドキュメンタリーを作って来たが、手元には何も残っていない。
でも何かの痕跡が残っているかもしれない。

すぐに便りの主であるKさんの孫から返信があった。
不安通り、Kさんはすでに亡くなっていた。
生前Kさんはかつて自分が暴走族東北連合のリーダーであったこと話すことは無かったようで、孫はKさんが亡くなってから、その事実を知ったようである。

お孫さんからの便りで、40数余年の年月が一挙に縮まった。
薄れた記憶の中で過去の出来事が去来する。

テレビ局が暴走族を走らせたということで新聞を初めとしてマスコミでずいぶん叩かれたものだ。
そう云えば、ボクの親父からも心配して電話があったな、親不孝をしたな。

暴走族は実は警察では無くて、地元のヤクザに管理されていたな。
つまり、警察はヤクザを使って暴走族をコントロールしていた。
それを証明するヤクザ組事務所での生々しい現場のことも思い出した。

それにしても、Kさんはその後、どのような人生を歩んだのだろうか。
あれ以来、Kさんと特別に親しくしていた訳でもなかったのに、急にそのことが気がかりになり始めた。

何とか、お孫さんの願いに応えてから、Kさんのその後の人生を聞きたいものだと思っている。

   「秋深し 蒼き雲間に 星キラリ」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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