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紅葉の季節に思うこと

「秋の日はつるべ落とし」とは言い得て妙である。

つい昨日までは、夏とは明らかに異なる緩やかな陽射しを浴びて、秋風を快く楽しみながら、ベランダでタバコをくゆらせて、普段は考えることもない人生などについて思いに耽ったりしていたのだったが、今ではもう、そろそろ夕方かなと思った一瞬、陽がかげり暗転、夜になってしまう。

空気が冷たく感じられるようにもなった。
異常気象とは云いながらも、季節の変化は正確で、10月の終わりとなれば、いよいよ秋も深まり例年通りの季節の巡りを感じる。

通勤の途中で目にする街路樹も心なしか色づき始めた。
もうしばらくすれば、神宮外苑のいちょう並木の黄金色を楽しめる。
いよいよ、本格的な紅葉の季節が到来する。
四季に恵まれた日本では、この季節は紅葉が観光の目玉となり、多くの人たちを感動させ楽しませる。

日本の多くの樹木は春になれば新芽を出し、初夏にかけては花をつけ、みずみずしい新緑が目にまぶしい。
夏には今を盛りと葉が生い茂り、初秋に実が熟し、そして晩秋には鮮やかな紅葉の果てに散っていく。
一度散り去った葉が元の枝に戻り復活することは無いが、翌春にはまた新しい生命が誕生する。

樹木の幹や枝を人類という種に例えれば、葉は個々の人間だ。
春から晩秋までの樹木の葉の有りようは人間の一生にも見えてくる。

人間も樹木も本を正せば4つの塩基からなる同じ遺伝子を持つ生命体の仲間だから、形態が異なっていてもその一生が似ていることは当然と云えば当然であるのかもしれない。

そして、少しばかり天邪鬼な目で紅葉を見れば、この紅葉の美しさも異なった形で見えてくる。
ひとつの樹木の紅葉の期間は一週間から、せいぜい10日間とその時間は短い。
そして虚しく散って行く。
つまり紅葉とは葉が滅びゆく直前の凄絶な美とも言える。
そして、人はそれを美しいと感じて愛でる。

しかし、もし樹木の葉に感情や意志があるとすれば、その美しさは死を迎えることへの苦悶の色なのか、それとも、一生の最期の一瞬に見せる艶やかな自己表現なのだろうか。

その実際がどうあれ、木々の葉が、その最期を迎える瞬間の艶姿で、人間という別の生き物を感嘆させたり、感動させたりすることは凄いし、また人びとに惜しまれて生命を終えることができることは幸せだと思う。

これほどの輝きを放って一生を閉じることが出来る人間はどれほどいるのだろうか。

  「正座して 紅葉楽しむ テレビかな」




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突き付けられた年齢

毎度ながらのつまらぬお話で。

普段は自分の年齢のことなど意識することなくその日その日を送っていたのだが、思わず、ウッ、と詰まるような出来事に出くわした。

ここ10年ほど、ボクは月に一回の病院通いをしている。
高血圧と糖尿と高脂血の薬をもらうのが目的なのだが、医師の診断を受けずに薬だけ欲しい、と言ってもそうはいかない。
毎回、血液と尿の検査があり、それを基に医師の診断結果を聞くことになる。
何だかんだで一時間近く掛かるのだが、ほとんどは待ち時間で、医師との対面はほんの2~3分で終る。

ところで、この主治医がちょいとした美人で年の頃は36~7、二人の子供がいて麹町に住んでいる。
鮨が好きで、毎週土曜か日曜には子供を連れて赤坂の鮨やに行く。

ある時、その鮨やがボクたちの会社で何かと利用している馴染みのお店であることが分かった。
そのお店の話で妙に盛り上がったのだったが、それ以来、お鮨は控えめにね、とか、シャリは小さめにね、などとの言葉が女医さんの常套文句となっている。

診断結果はいつも同じで「ヘモグロビンA1cは6.8ね。まあ良いでしょう。お鮨は………」と続き、「それではもう少し様子を見ましょう。いつものお薬を出しておきますね。お大事に、ハイどうぞ」で終る。

先日も、そんなやりとりの後、会計窓口に行くと会計係の女性が言い難そうに
「社会保険の健康保険証が使えなくなったので、今日は実費で戴きます」と言う。
怪訝そうなボクの顔を見つつ「75歳を迎えられて後期高齢者になられたので、これまでの健康保険証は使えなくなりました」
何々それは!
「代わりに緑色の『後期高齢者医療被保険者証』が発行されている筈ですが、お持ちではないですか?」
「ああ、そう云えばそのようなものが届いていたように思うけれど……それにボクはまだ会社で働いているのだけれど……」
「そうですか。でも社会保険の適用からは外れます。2週間以内に後期高齢者用の保険証をお持ちいただければ精算できますので」とのいきさつで、いつもの3倍の診察料1万円余を支払ったのだった。

ああ、後期高齢者とはこういう事だったのか、と自分の年齢を改めて実感した次第である。
そう云えば、時々都バスを利用するのだが、アナウンスで「70歳を過ぎた方には高齢者用のパスが出ますのでお手続きください」との知らせが流れる。
「ボクも無料でバスに乗ることが出来るようだよ」
「あなたも作ってもらったら?」と妻は気軽だ。

でもボクは有難いことにまだ働くことが出来て収入もある。
たとえ年齢的な資格があるにせよ、税金を使っての無料パスのお世話になっては申し訳ないと思っている。

こういった自分の考え次第で年齢とは関係なく選択できる例は気楽だが、否応もなく年齢で選択の余地を奪われるケースは改めて年齢を実感させられるだけにズシンと来る。

定年などはその最たる典型例だろう。
今年も、定年になりましたとの挨拶の書状が何通か届いているが、まだまだ働く能力があり、意欲もあるのに一定の年齢で解雇するのは実に理不尽で、乱暴だ。

労働人口の減少があり、働き方改革法案がいよいよ来年4月から施行される予定で、高齢者の働く場は少し広がりそうな気配はある。
しかし、一方で日本社会から終身雇用制が次第に姿を消しつつあり、また地下鉄車両などで目にするが「転職がふつう」などとのキャンペーン広告が幅を利かす時代だ。

働き方改革と云い、終身雇用の消滅と云い、転職の勧めと云い、自分たちの属する会社に対する思いや情熱が無くて、どうして国家に思いを寄せることなど出来るのか、愛社精神を持てない者がどうして愛国心を持つことができるのか、などと、つい思ってしまう。

もっとも、愛国心などという言葉を使うからと言ってもボクは右翼ではない。
左翼でも又、勿論ない。

ボクは自由を愛するが、とりわけ言論の自由がとても大切であると考えている。
そして右翼であれ、左翼であれ、権力者が先ず初めに弾圧するのが言論の自由であることをボクたちはこれまでの歴史を通して知っている。

右だの左だのナニ翼であろうが国家主義は御免だ。
なかでも天皇制などは理解できないし、自民党が昨年4月に発表した「日本国憲法改正草案」の「前文」に明記しているような「天皇を戴く国家」などには真っ向から反対である。

その先には必ず歪んだ愛国心の強要と言論の弾圧が待ち構えている。
愛国心とはそういうものでなく、自分の住んでいる国がより住みよい国であって欲しいとの民の素朴な願いと決意であると思っている。

会社もまたしかり。
ひとつの会社に属する共通の願いや志を有するスタッフがお互いに助け合って生きて行く共同体であって欲しいと願う。
強者と弱者が共存共栄できる社会を求める。

しかし、いまの政治や社会の流れは、強い組織や富める者をより強くし、弱い組織や貧しい者をさらに弱め、社会を構成している庶民の情や絆を断ち切る方向を目指しているとしか思えない。

経済の効率化を求める余りに、水田ナントカ言う女性国会議員のように、人間の性の在り方についてまでも生産性などという流行の経済用語を使ってヒンシュクを買うような出来事も起きる。
批判も多いが同調する世間の風潮も見逃せない。

そんな思想の延長線の先には、生産性を失った高齢者の存在への攻撃が見える。
 
     「秋風や 歳が転がり 過ぎ行きぬ」




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樹木希林さんの死と最期の言葉

女優の樹木希林さんの告別式の模様がテレビで流されていた。
希林さんとは特別に親しいという間柄ではなかったが、これまで何度か番組でお世話になったことがあり、会えば挨拶を交わす仲だった。

最初にお会いしたのは、もう20数年前で、テレビ朝日の「紅花紀行」という2時間の特別番組で紅花のルーツを探る旅人として出演いただいた時である。
どのような経緯で口紅や頬紅の原材料である紅花が日本の山形県まで伝わったのかをアフリカを初め世界各地にまで足を延ばして追い求める、という当時としてはスケールのある番組だった。

ボクが会社を立ち上げてからまだ間もない頃の、バブルの余韻が色濃く残っていた時代で、この2時間番組の制作費にテレビ局は1億円出してくれた。
今から思うと夢のまた夢のような、今は昔のお話である。

その頃は希林さんと何かと会う機会が多く、ある日、麻雀をやるの?と聞かれて、大好きですよ、と答えると、私も好きだから、すぐやりましょう!ということになり、出先から希林さんの車で雀荘に直行したことがある。

雀荘へ向かう車中で「みんなわたしのことをブスだと言うけれど、わたしだってそんなに不細工じゃあないでしょう?」とつぶやく様に言う。
「希林さんはとても魅力的な女性ですよ」と答えると「そうでしょう?」と希林さんは、少しはにかみながらも嬉しげだった。
ボクは希林さんも女なのだなあと、妙に生々しく感じたことを覚えている。

その時に麻雀を一緒に打ったメンバーは、ジャーナリストのばばこういちさんとわが社の設立メンバーのひとりだったが、今ではその全員が故人となってしまったことになる。
その後、何度かスタジオ番組のゲストで出演願った際にもお会いしていたが、麻雀はその一回だけだった。

最後に希林さんと話したのは2年ほど前で、NHKの「ファミリーヒストリー」という番組に出演依頼した時だった。
その時はガンもいよいよ全身に回って苦労されている最中だったが、気持ちよく引き受けて頂けた。

希林さんは人間として信じられる印象深い人だった。
ボクと同じ歳の75歳だったが、その死生観には常々共通するものを感じていた。

希林さんの最期の言葉はどういうものだったのだろうか。
希林さんが死と向き合っていた晩年の「死ぬときくらい 好きにさせてよ」という言葉が良く知られているとのことだが、希林さんらしいと思う。

ところで、つい最近、「日本人、最期のことば」という本を読んだ。
著者の西村眞さんはボクにご馳走して下さる、この世でたったひとりの方である。
会う度に西村さんが厳選した一流のお店の美味しい料理を堪能させて頂いている。

これまでこのブログでも2度ほど西村さんのことを書いたが、1939年生まれでそろそろ80歳になられるが、かつては数誌の有名雑誌の名編集長として一世を風靡した方で、本業の傍ら歴史の古書、稀書の収集研究家でもある。
また国内外の偉人たちの足跡と生涯についても詳しい。
「謎の日本史外伝」や「戦後・あの日、あの時」などを雑誌に連載、著書に「東京哀歌」「ボスの遺言」などの小説もある。

「日本人、最期のことば」には著名な日本人の人生の終い方が描かれており、単純にその言葉だけを取り上げても、もしかすると意味は無いのかもしれないが、詳しくは「日本人、最期のことば」を読んでいただくとして、取り敢えず、そのことばだけを並べてみることにしよう。

坂本龍馬  修羅か極楽かにお供申すべく候

西郷隆盛  もう、この辺でよかろ

夏目漱石  いいよいいよ、泣いてもいいよ

勝海舟   コレデオシマイ

千利休   かなしく候

宮本武蔵  今生のお暇にござる

幸田露伴  じゃあ、おれはもう死んじゃうよ

この他、織田信長や豊臣秀吉、松尾芭蕉、小林一茶、石川啄木、正岡子規など20名の最期のことばが、その人生と重ね合わせて名文で綴られているのを読むと、ナルホド、この人物にしてこの最期のことばがあるのだなあ、と納得し唸らせられるのだが、単純に最期のことばだけを羅列してみると、才ある故人には誠に申し訳無いけれども、いよいよの死に際してはみんな似たり寄ったりで、意外と平凡なものなのだなあ、と感じてしまう。

あるいは凡人にとっては、死と向き合うのは恐ろしくて深刻だと思えるのだが、いよいよとなれば、案外こういう達観した境地のものかもしれないとも思える。

そうならば、今から何も気の利いた辞世の句や言葉を準備せずとも、気楽にその時のぶっつけ本番で臨めば良いのかもしれない。
希林さんのご冥福をお祈りする。

    「ありがとさん 最期のことば これが良し」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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