FC2ブログ
ホーム   »  2017年09月
Archive | 2017年09月

国会の解散について思うこと

世の中面白いなあ、と思う。
もし、面白いという言葉が不謹慎ならば、不可思議なものとでも云えば良いのだろうか。

わが社の監査役で、聖書研究の一人者でもある道川勇雄さんが指摘されたように、人生を不可解と見極め、生きる意味と価値を見失い絶望の果てに、日光の華厳の滝に自らの身を投げた東大生もいた。
一方で、人生は不可解だから面白い、と生きて行く者もいる。
人それぞれである。

一億人いても同じ顔の者は一人としていない。
ひとりの人間の顔を見ても左右対称の者はいないし、その心にも裏表があって、一人の人間であって実は一人ではないようにも思える。

ちっぽけな人間ひとつとってみても、人間そのものがまるで小宇宙そのもので、その解明はとても出来るものではないとも思う。
だから人間を研究し理解する努力は大切で必要だが、それが可能だと思うこと自体がそもそも不遜とも言える。
そんな解明不能な人間が寄り集まって暮らす社会が、単純であろう筈がない。

それが証拠に、ちょっと眼を外に向ければ、世界各地で数え上げることが出来ないほど多くの紛争や戦争が日常的に起きている。
また世界には8億5000万人を越える飢餓人口が存在している。
見方によっては、人間は残酷で救いようのない地獄を自ら形成し、そこで喘ぎ、もがき苦しんでいるようにも見える。

そこでは、何が正しくて何が間違っているのか、何が善で何が悪かの判断も難しく簡単ではない。
考えも価値観も生き方もそれこそ多様である。
そんな混沌とした世界に、ボクたちは生きている。

政治の世界はその縮図だ。
28日、安倍首相は臨時国会の冒頭で解散宣言した。
10月22日に総選挙の投票が行われる予定だ。
報道関係者にとっては、一年以上も前から、解散時期が何時かということを把握することが至上命令だったのだが、大方の予想を越えた突然の解散だったようである。

この解散に大義が無いことについては、ほとんどの国民はすでに周知である。
この時期に解散すれば、自民党は森友・加計学園疑惑に終止符を打てるし、弱小とは云え野党第一党の立場にある民進党は、離党者続出で解党の危機にさえ直面している。
小池新党もその準備を整えるのにしばらく時間を要するだろう。
解散するなら今がチャンスだ、という自民党の選挙に勝利するための党利党略であったことに疑問の余地は無い。

しかし、国民は、節操などとは無縁の政治の世界ではそんなことは当たり前だと思っているから、大義などとは関係なく、じっとそんな政界劇場の様子を眺めている。

早速、小池東京都知事は新党を希望の党と名乗ることに決め、党首に収まることを宣言した。
そして世間が注視する中、新党に加わる13人の現職の衆議院議員を引き連れて大勢の記者たちやカメラの前で結党の挨拶を行い話題を一身にさらった。
流石に動きが早い。
まさに、今回の選挙の主人公に躍り出ることに成功している。

民主党を中心に、各党の国会議員たちの中には、選挙に備えて小池新党に流れて行く者もいた。
それらの動きを見ていると、主義主張や信念などはかなぐり捨てて、まるで有利な職場を求めて転職するサラリーマンを見ているようで見苦しい。
政治をメシの種だとの考えが丸見えになっているが、そんなことはお構いなしの切迫感ある。

この選挙の結果がどうなるのかは、政治の専門家ではないのでまったく分からないが、床屋談義流で根拠のない予想をしてみる。
自民党は議席を減らすが第一党を維持し、希望の党が野党第一党になる。公明党は現状維持で、民進党は惨敗し、共産党はわずかに議席を伸ばす、と見る。
自民党と小池新党との事実上の一騎打ちということになる。

このままでは選挙にとても勝てないと判断した民進党は28日の解散宣言直後、小池新党との合流を決めて、その交渉に当たっている。
一方、小池新党も民進党の資金力と組織力を活用したいとの事情があり、両者の利害は一致する。

今後、選挙までの短い期間に野党再編成を見据えた動きが展開されることは間違いのないところである。
そして、選挙結果が出たところで、雪崩的に改めて政党の大きな再編が行われることになるのだろう。
日本の政界地図は大きく変化することになる。

北朝鮮の核開発問題でその批判の矛先をかわすことが出来たとは言え、これまでの安倍政権の一強独裁の傲慢不遜な政治姿勢に国民はまずいなとは感じていたが、国民のそんな不満の受け皿となるべき野党第一党の民進党がその期待に応えることが出来ず自ら崩壊し、それを小池新党の希望の党が果たす、というのが新しい構図である。

もとをただせば、民進党も自民党が分裂し、革新系の社民党を中心とする議員たちと共に出来た党であり、当時は第二自民党との認識があった。
しかし、イデオロギーの異なる集合体の矛盾が露呈し、一枚岩の党になれず自滅することになった。

それに学んだ小池新党は保守であることをすでに鮮明にしている。
そして、今回の民進党との合流に関しても、選挙後の再編に際しても革新系の勢力とは一線を画すことになるだろうから、その議員構成も保守系勢力だけの集団となる。

その意味では、安倍政権が率いる自民党とは何も変わるところは見当たらない。
簡単に言ってしまえば、実質的には、希望の党の出現は、自民党を含む保守勢力内の権力闘争に過ぎないと断言できる。

仮にこの予想通りに、自民党が与党第一党となり希望の党が野党第一党となれば、同質の保守政権の権力構造が出来上がるというシナリオとなる。
あるいは、希望の党が第一党となり、小池総理大臣の誕生という可能性も考えられる。

そうなれば、これまでしたり顔で権力にぶら下がっていた公明党はまたコウモリのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返すのだろうか。
いずれにしても保守の二大政党時代の幕開けが見えてきた。

100人いれば100様の顔を持ち、100の考え方がある中で、どういう政治体制が日本にとって本当に良いのかは分からない。
それに政治の舞台は魑魅魍魎が跋扈し、欲望が渦巻く一寸先は闇とも言われる世界だ。
それはそれで良いし、刻々と変化し、水は澱まぬことを望ましいと思う。

ボク自身は政治的には無色でありイデオロギーそのものを信じていないので、保守が悪いとは思ってもいないし、革新が悪いとも思っていない。
どの政党が権力を握り政治を行おうとボクにはまったく関心はない。

ただ強く望むのは民主主義が守られる社会を崩さない、という一点である。
そのもっとも基本となるものは言論の自由であり、表現の自由を保てる社会であり続けることである。

仮に、今回の選挙で保守の二大政党が実現しても本来ならばどうということはないのだが、ただ、この二つの政党に限っては、共通する思想に対して大きな不安と危惧を持つ。
その共通する思想への危惧の内容とは、小池党首も、安倍首相をリーダーとする自民党の圧倒的多数の国会議員たちも、日本会議のメンバーであるという事実である。

周知の通り、日本会議の目指すところは、天皇を元首とする天皇制の国家である。
その目的のために次々に憲法改正を行い、戦前回帰の王政復古の社会を作ろうとしていることは明白である。
つまり、この二大政党の目標が全く同じであるということへの危惧である。

ボクは天皇制の下で軍国主義体制にあった戦前の日本には住みたくないので、民主主義を否定する天皇を元首とする社会には反対である。
金正恩が率いる今の北朝鮮を見ていると戦前の日本の姿とダブって見える。
かつての日本では言論の弾圧も情報統制も不満分子の粛清も現在の北朝鮮と同じ形で行われていたことは周知である。

多くの国民は、そんなことにはならないよ、と思っているかもしれない。
ボクもそうであって欲しいと願っている。
しかし、ほんの数十年前に実際にそういう世の中が日本に存在し、多くの国民が苦しんだという歴史が厳然としてあった。
そして、この二大政党共にそういう同質の社会を目指しているのだということを、冷静に考える必要があるのではないか。

日本には、価値観の異なる1億人を越える人々が暮らしている。
それが、ひとつの思想や価値観の下で生きることを強いられることだけは避けたいと願う。
天皇とはその役割をもっとも簡単に果たすことのできる為政者にとって便利な存在である。

同質の価値観を持つ、自民党と小池新党の行う政治の未来に「神の国」「美しい国」の形が見える。
それは主権を天皇に置き、神として位置付ける「神の国」であり、それが「美しい国」と称されるのだ。
安倍首相や小池党首の提唱している日本の伝統を大切にする「美しい国」とはそういう意味である。

主権が民にある民主主義とは根本から相いれない国家思想なのだ。
日本から天皇という存在を無くさない限り、本当の民主主義は手に入れることは出来ないとボクは思っている。

その考えが正しいのかどうかは分からないが、ボクはそう考えている。
そして、こういうことが言える間に言っておこうと思っている。
現在すでにマスコミでは政権による言論の統制が静かに行われ浸透している。
「神の国」「美しい国」ではさらにそれが推し進められることは論をまたない。

さて、国民の受け皿となる革新政党がすっかり姿を消してしまった、そんな状況の中に在って行われる総選挙でボクたちにどういう選択があるのかは難しい。
正直、ボクにもその答えは見つけることが出来ないでいる。

      「好きは好き 嫌は嫌よと 言える世に」





にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。



人生をひと言で云えば?

この三連休中のことである。

「人生をひと言で云えば何?」と突然妻が聞いた。
「楽しい、だろう?」とボクは即答した。
「そんなの答えにならないわ」と妻は憤然としてボクの返答を一蹴した。

常日頃から、本気でそう思っていたボクは妻のその反応に驚いた。
こういうのを「思いのすれ違い」と言うのかもしれなかった。

妻と一緒になって10年近く、これまで、ほとんど24時間行動を共にしてきている。
喧嘩をすることなどもほとんど無く、かなり仲の良い夫婦の部類に属しているとボクは思っている。
そして、妻のことはほとんど理解していると思っていたのだった。

しかし、軽い怒りと拒絶の混在した妻の反応にボクは珍しく戸惑った。
妻はどういう答えを求めていたのだろう、とボクは改めて本気で考え込むことになる。

ボクはこれまで、どうせ短い一生だから「とにかく楽しまなきゃぁね」と思って生きて来た。
辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、残念なこと、腹立たしいこと等々、マイナスのエネルギーと無数に出会うのだが、それらをひっくるめて面白いこと、として包み込んでしまい、ああ楽しかった、と言うようにして生きてきた。

多少の強がりはあるのだが、この方法は言葉よりも実践すると意外と簡単で、今ではすっかり身についた。
ただ、それは錬金術のようなもので、ボクに合う処世術にしか過ぎないので、恐らく普遍性は無いとは思う。
そんな調子で生きて来たので、正直に言って、これまで人生とは何か、その目的は何か、などについて思いを巡らせたことは一度もない。
♪♪
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道をふみしめて

というのはテレビドラマ水戸黄門の主題歌の歌詞だが、人生についての格言や名言は世界には多いようだ。

人生はフェアじゃない。そのことに慣れるんだ
                    ビル・ゲイツ
人間とはつまり消化器と生殖器とから成り立っているのだ
                   グールモン
誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある
                   アインシュタイン
将来についてなんて心配をした事は一度だってないよ。
それはすぐやってくるさ
                   アインシュタイン
人生が困難なのではない、あなたが人生を困難にしている
                   アルフレッド・アドラー
三度炊く飯さえ硬し柔らかし、思うままにならぬは世の常よ
                    魯山人
人生とは歌です。歌いなさい
人生とは冒険です。挑戦しなさい
人生とはあまりに貴重です。壊してはいけません
人生とは人生です。勝ち取りなさい
                   マザー・テレサ
人生はむつかしく解釈するから分からなくなる
                   武者小路実篤 
どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ
それは、自分自身で見つけるものだ
                   ボブ・マーリー 

ナルホド、ナルホド、皆さんのおっしゃることはごもっとも、その通りだ。
しかし、先人賢人諸氏の人生の道しるべとなる貴重な言葉も、どうも妻を納得させることはできそうにない。

ボクはマンションのベランダに出て煙草をくゆらせながら考える。
妻が人生を楽しいものと思えていないことは間違いない。
では、妻の心を占めている不安なのか、それとも苦しみなのか、その悩みの正体は何なのだろう。

そう云えば、夏休みもまだ取らせていなかったな、などとも思う。
そして、ボクは紫煙の中にひとつの答えを見つける。

妻は現在わが社の常務取締役を務め財務を担当している。
ボクを補佐し経営のかなめの任に就いている。
番組制作に関しては素人だが、経営感覚には優れた能力があるので、近い将来には、制作部門のリーダーと二人三脚でわが社の経営を切り盛りしていく大切な人材として修業中の身でもある。
責任感が強く、ひとつのことを最後までやり抜く意志力も強い。

実は、妻には本当はやりたい分野の仕事があった。
しかし、ボクはそれを諦めさせて、今の仕事に誘い込んだのだった。

制作プロダクションの経営は、ボクが言うのも気が引けるが、並大抵のものではない。
毎日、毎日、崖っぷちを歩いているような危うさがある。
それでも、ボクは会社を興して以来30年近くなり、それなりの苦労も体験し、安全や危険などのほどあいが分かるが、会社に飛び込んでまだ4~5年にしかならない妻にとっては、身が縮み胃の痛くなるような体験の連続であるに違いない。

ひとつ予定していた番組が転ぶと青くなり、赤字が出てはその対応に大わらわの連続である。
それらひとつひとつのトラブルをクリアして船を転覆から救い前進させるのがボクたち経営者の仕事で、そのスリルとサスペンスがまた堪らなく面白いのだが、下手をすれば大海の藻屑と化す。
経営者である限りは、私財をすべて投げ打つ覚悟はとっくの昔に出来ているとは云うものの、イザとなれば大変だ。

今、妻はそんな大きなストレスの真っただ中にいるのだ、ということに改めて気が付いたのだった。
というより、分かってはいたが、もう少し軽く受け止めていたのだった。

作り手の制作現場の苦労や苦しみは番組制作の過程の中で次第に消化され、番組の完成で、良くも悪くも完結する。
しかし、経営の苦しみには終りはない。

財務を担当している妻は、会社の懐具合を最も熟知している訳で、数字を睨み、考えれば考えるほど不安は増大していく。
真剣になればなるほど、それに伴い心配も多くなる。
それを一人で背負い込んでしまっているようだった。

そう云えば、妻は夜眠れないと訴えることが多くなっていた。
そして家に帰って寝る頃になって資金繰りなど会社の抱える問題について話すことが増えていた。
その度に、心配することは無いよ、何とかなるから大丈夫だよ、とボクは軽く対応していたのだが、妻にとってはストレスの限界に達しているのに違いなかった。
「人生をひと言で云うと何?」との妻の問いは、妻からのSOSの緊急信号だったのではないか。

さりげない日常の会話のひとコマだったので、実はこの件については、その後、妻と話をしていない。
このブログを通して知ることになる。
もしかしたら恥ずかしいと怒るかもしれないと思う。

でも、今の妻の悩みや苦しみは痛いほど良く理解できる。
なぜなら、それはボク自身がかつて通ってきた道だからだ。

夜、フトンの中で、迫ってくる不安に耐え切れず、どうして良いのか分からなくなって、フトンにもぐりながら思いっきり走ったことが何度もあった。
男は弱音を吐けないし、人前で泣くわけにはいかないので、風呂の湯の中にもぐって大声で泣いた若い頃もあった。

そんなことを繰り返しながら、スタッフを初め、多くの人たちに助けられ、支えられ、次第に免疫力も高まり、曲がりながらも今日に続いている。

ゲーテは「涙とともにパンをかじった者でなければ、人生の本当の味はわからない」と言っている。
慣れない環境の下で真剣に取り組もうとしている妻にとっては今が一番つらい時だと思う。
しかし、小なりと言えども経営者を目指す限りにおいては、これは避けては通れない道である。

今体験している苦しみが大きければ大きいほど今後のために役に立つとさえボクは思っている。
思いっきり苦しみ、のた打ち回り、そしてその苦悩の季節を見事に乗り切り、大きく成長して欲しいと願う。
そして多少の大波くらいには動じることの無い大きな人間になってもらいたいと期待する。

いま妻が抱えている悩みを直接手助けすることはボクには出来ないが、大きな愛で包み見守ることはできる。
船頭としての経営者は時には孤独だが、同時に多くのスタッフの一員でもある。
仲間であるスタッフと共に歩んでいる。
助けてくれる仲間も必ず現れる。
スタッフを信頼し、自信を持ち、広い心で仕事に臨んで欲しい。

そして、まだまだ学ぶべきことも多い。
会社は間違いなく着実にそして順調に成長を続けている。
過剰な心配は無用だ。

「人生をひと言で云えば何?」の答えになるかどうか分からないが、かの偉大な文豪シエイクスピアは次のように言っている。

人は心が愉快であれば
終日歩んでも嫌になることはないが、
心に憂いがあれば
わずか一里でも嫌になる。
人生の行路もこれと同様で、
人は常に明るく愉快な心をもって
人生の行路を歩まねばならぬ

      「子規さんの 平気に生きる 新たなり」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。



北朝鮮の核開発騒動

日毎に深刻度を増している北朝鮮の核開発問題を与太郎の冗談話にしては叱られるだろうか。

熊さん「金正恩の旦那もずいぶん大暴れしてくれますねぇ」
ご隠居「そうだな。核武装して国を守ろう、というのは建国以来、親子三代に渡る北朝鮮・金王朝の
    悲願だからね。三代目としても命がけだろうよ」
熊さん「へえー、王朝ですかね。あそこの国は」
ご隠居「世襲による天皇制の国にしたいと思っているのだろうな。
    群雄割拠の朝鮮古代史そのままの王国だな。朝鮮民主主義人民共和国というのが正式な名称だが、
    民主主義も人民も共和国の名も泣いているね。
    建前と本音の異なる典型的な国だな」
熊さん「なるほどね。それにしても、アメリカさんもずいぶん弱腰ですね。 
    いっそのこと、ババッとやっちまわないんですかい?」
ご隠居「おいおい、乱暴なことを云う奴だな、お前さんは。ここまで核開発を進めて、完全武装している国を
    武力で叩いたんじゃ核戦争だぜ。
    アメリカは遠いから簡単にはミサイルは届かないが、日本や韓国は全滅するよ。
    でも日本と韓国はアメリカにとっては重要な軍事施設のある最前線基地で、設備投資に
    金が掛かっているからね、間違ってもアメリカはそんな自分の損になることはしないな。
    特に、今度の場合は戦争して得をする者はどこにもいないからね、絶対に戦争にはならないよ。
    一旦軍事行動に出たが最後、核戦争はおろか、50基以上もある日本の原発でも狙われたら
    一巻の終わりだし、下手をすりゃ世界の終わりだ。
    トランプさんは、政治は素人だが、不動産じゃ一儲けして財を成したいっぱしの商売人だからね。
    第一、そんなことをしたんじゃあ、商売にならない」                       
熊さん「商売ですか」
ご隠居「そうさ。商売の良いチャンスだろうよ。今度、韓国に新しくサードミ サイルを配備することが
    決まっただろう。
    アメリカが開発した弾道弾迎撃ミサイル・システムらしが、 これが一基いくらすると思う?」
熊さん「さあて、1億円はするんでしょうね」
ご隠居「冗談云っちゃあいけないよ。なんと一基1500億円だよ。
    日本にも 8000億円払って買ったサードミサイルがあるらしいな。
    全部アメリカさんが儲かる仕組みになっているという訳さ」
熊さん「なるほどね。北朝鮮のお蔭でアメリカが金儲けできるんですね」
ご隠居「まあ、そういうことだな。日本も北朝鮮のお蔭で、防衛費の予算をどんどん増やせて
    5兆2千億円以上にもなっているらしいよ。
    益々順調な軍備増強で防衛省を初め、軍事関係者や商社それに日本のタカ派は大喜び
    しているだろうね。
    そしてまたそれでアメリカさんが儲かるって寸法さ」
熊さん「話を聞いてりゃ、北朝鮮のお蔭で喜んでいる人たちが、あちこちにずいぶんいるようですねぇ」
ご隠居「世の中はそういったものでさ、上手く出来ているよ。そのお金を払っているのはワシら
    国民だからね。 世の中がキナ臭くなればなるほど喜んでいる連中がいるものさ。
    でもね、喜んでいるのはそれだけじゃないよ」
熊さん「へえー、まだ他にも喜んでいる人たちがいるんですかい?」
ご隠居「自民党議員や閣僚の相次ぐ失態と森友学園、それに加計学園疑惑で、
    すっかり国民の信用を失い、しょげ返っていた御仁がいただろう。
    あの御仁が、また元気を取り戻して、北朝鮮に制裁を加えろ、石油を止めろと妙に生き生きと
    動き回っているね。今度の世論調査でも、内閣の支持率が不支持率を上回ったからね。
    あの御仁も北朝鮮のお蔭だと喜んでいるひとりだな。
    まるでトランプさんのポチだね」
熊さん「いくら何でもポチは酷すぎるでしょう。一国の総理大臣なんだから。
    同じ犬でも、せめて忠犬ハチ公とか、廊下トンビとか、太鼓持ちとか、ナントカ……
    もっと格上の言いようがあるんじゃないですかい?」
ご隠居「北朝鮮が相手にしたいのはアメリカだろう?日本は直接には関係なんかない訳でね。
    日本は拉致問題以外は北朝鮮とは何もない訳ですよ。北朝鮮が核開発に命を賭けているのも
    ただ単純にアメリカに現在の王朝を潰されないためだからね。
    イラクやリビアが滅茶苦茶にされた例を見ているからな。とにかく核を手段に国の存亡
    を賭けた、後には引けない命がけの外交をやっている。
    目指す敵はどこまでもアメリカさんだ。
    だから北朝鮮は初めから日本など眼中には無い訳だよ。それを日米安保がどうとか言って
    日本がアメリカのお先棒を担ぐ格好で、はしゃぎ回っているのはどうかね。
    余計なことをして北朝鮮の恨みを買う必要は無い訳でね。
    実際、余り意地悪をすると日本に水爆 を落として海の中に沈めるぞ、なんて脅かされているよ。
    いくら人気を回復するためとは言え、どうもあの御仁は、日本を危ない方へ、危ない方へと
    持って行こうとする傾向があるね。
    相当のお調子者だね、あれは。まったくの似たもの夫婦だな」
熊さん「それはそうかもしれませんけどね、ご隠居。北朝鮮が原爆や水爆を持った日にゃ日本も
    困るでしょうよ。 拉致問題どころじゃなくなりますぜ。
    返る者も返らなくなるし、これから北朝鮮に脅かされ続けますぜ」
ご隠居「確かに、それはあるな」
熊さん「それに、原爆や水爆の実験をやたらにやりやがるし、日本の上空にミサイルをバンバン
    飛ばされちゃ、おいらだって黙っちゃいられませんぜ。
    ミサイルの破片でも落ちてきたら大変だと云うんであちこちで避難訓練までしているじゃ
    ありませんか」
ご隠居「それはそうだが、テレビの連中もちょっと大騒ぎし過ぎだよ。やたら危機感を煽って国民に
    不安感を与えようとしている。
    マスコミこぞって政府の思惑に忖度しているような所があるな。
    ミサイルの破片を怖がるなら、毎日日本の上空を飛び回っている何十機か何百機か知らないが
    旅客機や戦闘機の破片は怖くはないのかね」
熊さん「そう言われりゃそうですね、飛んでる機体数のケタが違いますからね」
ご隠居「それに他にも、もっと喜んでいるのがいるぞ」
熊さん「ええーっ!まだいるんですかい?
    いつまで経っても話が終わらないじゃありませんか、ご隠居」
ご隠居「そうだな、長くなったな。
    それじゃ、ひと休みして晩飯でも食って続きをやるとするかね」
熊さん「勘弁してくださいよ。それじゃあ、今聞いてしまいますよ」
ご隠居「そうかい、そうかい。それじゃ話を続けるとするかね。
    北朝鮮が核保有国になったんだから、日本も核を持つべきだ、と嬉しそうにとうとう
    本音を言い出すのが現れたね」
熊さん「でも、そうでもしなきゃあ、北朝鮮に対抗できないんじゃありませんか。日本も水爆の
    ひとつやふたつ持っていた方が良いんじゃないですかい?」
ご隠居「本当に馬鹿だね、お前さんは。
    そんなことをしたら世界中が原爆や水爆だらけになってしまうじゃないか。世界唯一の
    被爆国の人間が言うことかね。
    でもね、本気でそう考えている政治家や勢力が多いことは間違いない。
    早速、お前さんと同じことを云い出したね、元防衛大臣とかいう目つきの悪い薄気味悪い
    政治家がいるだろう」
熊さん「いくら何でも、他人様の顔のことを云っちゃいけませんぜ、ご隠居」
ご隠居「いや、それはワシが悪かった。
    しかしだな、日本がこれまで、多くの国民の反対を押し切り原子力の平和利用と称して
    原子力発電を国策として推し進めてきたのも、ひとつは安全保障のためだよ。
    福島原発事故の処理に今後何百年かかるかもしれないという被害を出しても原発を絶対に
    止めようとしないだろう。
    福島では今も汚染水は垂れ流しで毎日貯蔵タンクが増えていくばかりだ。
    その解決方法すら無いのだからね。いったいどうするつもりなんだろうね。
    それでも原発を死守しているのは、もし原発を全廃すれば、核に関する技術力が落ちるからね。
    それに原発さえあれば水爆位のものはいつでも簡単に作れるって寸法さ。
    そういう意味では日本は核保有国としての潜在能力があるってことだよ。
    でも、持たず、作らず、持ち込ませず、という非核三原則を守ってきた過去がある。
    非核三原則、これは日本としては素晴らしい、誇れる選択だとワシは思うよ。
    それを今回の北朝鮮の騒動を利用して、待ってました!とばかりに喜んで、日本も核保有国に
    なるべきだと主張し始めている。
    お前さんと同じレベルだな。
熊さん「元防衛大臣と同じレベルってことは、つまり、おいらも防衛大臣になれるってことですね、ご隠居」
ご隠居「まったく、馬鹿につける薬はないね」
熊さん「それで、この先どういうことになるんですかい?」
ご隠居「そんな難しいことはワシには分からんよ。
    でもね、アメリカさんはこの際、北朝鮮に思いっきり圧力をかけて、経済制裁をして、
    北朝鮮をいじめるだろうね。
    しかし、北朝鮮はこれまで永い時間をかけて緻密に計算してここまで漕ぎつけた、したたかで
    利口な国だ。経済制裁位では絶対に弱音を吐かないし暴発も自滅もしない。
    北朝鮮の言葉は乱暴だか、やっていることは冷静で計画的だ。
    目的を達成するまで、アメリカに堂々と立ち向かってこれまで以上に根気よく反発と挑発を
    続けるだろうよ。
    そして、益々軍事的緊張感が高まるな。日本も韓国もいよいよ大騒ぎだ。
    アメリカさんからどんどん武器を買わされて軍備の増強に懸命になるのだろうな。
    そして、アメリカさんは予定していた商売の方が終わった頃を見計らって、一旦、今回の騒動に
    幕を引くことになるだろうな」
熊さん「へえー。一体、どんな幕を引くんですかい?」
ご隠居「北朝鮮の核開発がここまで進展したら、武力による解決はとても出来るもんじゃないからね。
    北朝鮮を甘く見て、こうなるまで放置していたアメリカを初めとする大国の責任でもあるからね。
    アメリカは北朝鮮の核保有の是非や核保有国としての立場は公式には一旦棚上げしておいて
    ひとまず、現在の金王朝の存在を認めるか、その安全を保障するかなどの線でまず交渉の
    テーブルにつくのではないかな」
熊さん「へえー。本当に戦争にならずに、そんなに上手くことが運びますかね。
    でも、仮にそうなるとしてですよ、ということは、今度の北朝鮮の命をかけた核開発作戦は
    見事成功した、ということにはなりませんか?
    それじゃ、俺たちの国も核を持とうなんて、おいらや日本の元防衛大臣みたいに考える輩が
    次々に出てくることになりゃしませんかね」
ご隠居「そこだよ。だからアメリカさんも北朝鮮の核保有については簡単には認めないと思うよ。
    北朝鮮もこの件だけは、どんなことがあっても絶対に後には引かないからね、これから先
    北朝鮮の核の保有を巡って色んな駆け引きが行われるのだろうよ。
    中国やロシアなどの思惑も加わってややこしい政治交渉があるのだろうな」
熊さん「でも考えてみれば、アメリカさんは自分の国は核保有国のくせに
    他の国には核を持っちゃいけないなんて、ずいぶん図々しいことを平気で言えるもんですね。
    説得力に欠けますね」
ご隠居「それはそうだが、世界は理屈に合わない不条理の中で動いているからな。
    もともと人の世は理不尽なものなのさ。
    アメリカさんたち核を持っている大国は、自分たちだけで核を独占的に保有するのは当然だと
    考えているのだろうよ。
    それで世界の平和が保たれているのだと本気で思っているのさ。
    でもさ、客観的に考えても、これ以上核保有国を増やしてはいけないというのも正直なところだ。
    せっかく核を持たない多くの国々が核を持つことを止めようとの国連決議をしたばかりだからね。
    そこに日本の姿が無いのはいかにも残念だがね。
    だからお前さんも安易に水爆を持つ方が良いなどと夢々考えちゃいけないってことだよ。
熊さん「へいへい、分かりましたよ、ご隠居。
    これ以上遅くなるとカミさんに叱られますんで、今日のところはこの辺でお開きということに。
    チョン」
 
       「核兵器 世界の神に 君臨す


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。

働き方改革の落とし穴

働き方改革が声高に叫ばれている。

先日、ポスプロ会社の営業担当者が来社した。
ポスプロというのは編集・録音の作業のことを云う。

番組の制作過程のひとつで、撮影し、編集した番組を、放送できるフォーマットに合わせて色の補正をしたり、文字や地図などのスーパーを入れるなど様々な編集作業を加え、そこに音楽やナレーションなどを入れて整音して完成させる。
この最終仕上げの編集・録音作業のことを業界ではポスプロと呼んでいる。

この作業は、番組の尺にもよるが、数時間で終る場合もあれば、2~3日かかることもある。
世間の番組数は多いので、ポスプロ会社の編集室や録音室は24時間フル稼働している。

来社した営業担当者が言うのには
「働き方改革で残業の規制が厳しくなり、これまで通りの長時間の作業が出来なくなった。
スタッフを増やして交代させれば別だが、技術スタッフの補充も難しいし、経済的余裕も無い。
限られたスタッフで仕事をするためには、休み時間を取らなければならなくなった。
当然、編集室や録音室を無駄に遊ばせることになり、空の時間が出来て売り上げが減るので、今後は1時間当たりの作業単価が高くなることを了解して欲しい」
というものだった。

ただでさえも制作費削減の中で喘いでいるのに値上げの話は辛い。
長時間の作業が出来ないとなると、編集や録音作業の日数が増えることにもなる。
働き方改革の野郎メ、と思う。

ところで、この働き方改革というのはどういう内容なのか。
長時間労働の規制、副業を認めると共にこれを促進する、高齢者の雇用、非正規雇用者に対する労働条件の改善及び非正規雇用者に対する同一労働同一賃金、女性の社会進出や育児・家事等に対する配慮、外国人労働者の受け入れ促進などが主なテーマとして議論され、法整備を進めようとしているようだ。

電通の新人女子社員の自殺事件がマスコミなどで大きく取り上げられ、長時間労働による残業が問題となり、その規制が急に厳しくなった感がある。
先述したポスプロ会社の対応などを含めて、テレビ局の仕事の有り方が大きな変化を見せ始め、ボクたちの仕事の仕方でも対応を余儀なくされている。
それによる経費の面での痛手は大きい。

しかし、それぞれの業界の事情は別として、なぜ今これらのテーマでの働き方改革が必要とされているのか。

国家のリーダーたちは、国家の安全と繁栄のために施策して国家運営を図る。
国民それぞれ個人の幸せを考えない訳でもなかろうが、それは二の次で国家の利益を優先する。
それが証拠にたとえば国家を守るためと称して多くの国民の命を平気で戦場に送り出すことを厭わないことを見ても分かる。

だから、今回の働き方改革も国民の幸せや働き易さを目的としての政策でないことは誰もが理解していることだろう。
電通の女子社員の死などはその宣伝のために利用されただけで、それが長時間労働規制のキッカケやテーマであった訳では勿論ない。

残業を無くすのも、高齢者を雇用するのも、同一労働同一賃金も、その全ては働き手の為ではなく、そのことが国家の将来と運営にとって便利が良く、必要だと考えていることは誰にも分かることである。
周知の通り、安倍政権の経済政策であるアベノミクスの経済成長のための柱として働き方改革が位置付けられている。

現在日本は少子高齢化で著しい労働力の低下を招きつつある。
これまで労働力の大きな対象とはならなかった老人や女性の力も必要となる。
島国で民族の血筋にこだわり、外国からの移民や労働者の受け入れに消極的だった日本も、いよいよ、この労働力不足の対処のためには背に腹を変えられない事態に陥っている。

さらに、少なくなった労働力をいかに効率的に生かしていくのかが課題となり、ひねり出されたのが、長時間労働の規制であり、副業の勧めであり、非正規労働者の同一労働同一賃金制度であることは論を待たない。

長時間かけて一つの仕事をするのではなく、短時間で仕事を終わらせ、余った時間を別の仕事のために費やせば、全体としての生産性が上がる。
長時間労働の規制と副業の促進はセットであり、すべては生産性の向上がその目的となっている。

また、同一労働同一賃金についても同様で、これは労働者の権利向上のためというよりも別の狙いがある。
現在の雇用のシステムを見直し、新しくヨーロッパ型の雇用システムを取り入れようとしているようである。

簡単に言うと、それぞれの業界におけるひとつの仕事についての労働賃金を規格化することによって、その業界での雇用の流動化をスムーズにし、転職や副業などをやり易くしようというのである。
そして、出来る限り生産性の高い産業へ労働力が流動するようにして生産性の向上を図り、国家の経済力を高めようとするものであるようだ。
これが、アベノミクスの第三の矢である構造改革の仕上げの形であるらしい。

ボクは経済オンチなので、これが本当に良い道筋なのかどうかは正直言って分からないし、そんなことは経済学者や政治家に任せるしかないのだが、大きな違和感を持つ。

経済面だけで考えれば、国家にとって国民は労働力であり、また、軍事面から見れば兵士として見る、といった具合に国民は国の役に立つひとつの駒として扱われる。
大所高所から見ればそういった考え方になるのかもしれないが、そこには、国民ひとりひとりの人格や人間性などは関係なく、国家にとって利用できる便利な道具のひとつとして扱われる訳だ。

経済はボクたちの暮らしと直結したものなので、とても大切であることは理解できるが、人の心はどうなるのかという面において、働き方改革の根本思想に疑念を抱く。

ボクは小さな会社を経営しているが、テレビ番組の制作が好きなただの町場のオッサンだ。
人情と浪花節で生きている。
ある意味時代に逆行している時代遅れのオッサンだ。
だから、共に苦楽を共にして働いているスタッフをこれまで駒として見たことはないし、その考え方には馴染めない。

仕事を愛し、同じ職場に集う仲間がお互いに大切に思い、そして会社という名前のみんなの場の繁栄を願う集団でありたいと思っている。
会社の目的は、番組制作をしたいと願い、志を同じくする人たちが、お互いに助け合いながら、番組を制作することであり、利潤を上げて一部株主を潤わすためではない。

働く人たちの絆を重んじ、楽しく、やりがいのある仕事場であることを目指している。
いわば、思いを同じくする人たちの信頼し合える共同体でありたいと願っている。

ボクは元来、競争社会は良くない社会だと考えている。
かなり昔に、アメリカでは転職が当たり前だと聞いて、何とせせこましくて不幸な社会なのだろう、と思ったことがある。
そしてそれは、行き詰った資本主義の断末魔のひとつの過程なのだろうとも思っていた。

働き方改革は、生産性を向上させるために、転職を促進し、副業を勧めようとしている。
それは、明らかに、経済の効率化という一面性の考えに偏っているので、職場の絆や仲間意識などを含めて、ボクたちの働くことの意味や人間関係の基本を破壊することになると懸念する。

働く仲間や働く場を大切に思う心がなくて、どうして国を愛することなどできるというのだろうか。
ボクは特別に愛国者ではないし、憂国の志士でもない。
しかし、自分が生まれ育った日本という国を大切に思う心は人並みには持っている。

働き方改革によって、ただ利潤を追求し、自分だけの利益やお金のためには、仲間の信頼さえも平気で裏切るような、そんな人間関係の欧米型の社会にだけはなって欲しくないと思う。

     「人情を 紙風船と 言うけれど」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。

ドキュメンタリーとは

少し長い話になることをまずお断りしておく。
常日頃からボクのブログは長すぎるとのご批判のあることはすでに承知である。

ボクたちの会社は「ドキュメンタリーの制作会社」の看板を掲げて仕事をしている。
そして、実際にテレビやネットのドキュメンタリー番組を中心に制作している。

したがって当然のことながら、ドキュメンタリーに興味を持って会社に集まったスタッフたちが日夜ワイワイガヤガヤと番組作りに精を出している。
春と秋の新入社員の採用試験に応募してくる大学生たちも、ドキュメンタリーを制作したいから、というのがその全員の共通した応募理由となっている。

しかし、これまで改まって、ドキュメンタリーとはどういう番組のことを指すのか、ということについて正面切って論じたことはない。
ボクもかれこれ、50年間以上もこの業界にいてドキュメンタリー番組の制作に直接、間接的に関わってきたが、ドキュメンタリーとは?というテーマで考えたことは一度もない。
これは不思議と言えば不思議な事かも知れないし、実は、当然と言えば当然かも知れないのである。

ボク自身の場合を例にとってみれば、テレビ局に入社し、配属された先の番組が、今から思うと、ドキュメンタリー系の番組だったのだが、その時はドキュメンタリーという意識もなく、その番組のコンセプトだけを理解して番組制作の現場にいた。
その後、短期間だったがワイドショーなども経験したが、その後はドキュメンタリーの制作セクションで過ごすことになる。

しかし、そこでも、ドキュメンタリーとは何か?などとの説明を受けた記憶はなく、牛山純一さんという部長が選んでくれた何十本ものドキュメンタリー作品を、大きな試写室でただ一人、占拠する格好で視た記憶だけが鮮明に残っている。
当時は今と異なり未だフィルムの時代だった。

牛山純一さんは「ベトナム海兵大隊戦記」などの名作を制作した日本を代表するドキュメンタリストだった。
映画監督の羽仁進、大島渚、土本典昭、西尾善介ら各氏を初めとして多くの制作者たちの名作の数々を朝から晩まで何日間にも渡って視つづけさせて貰った。
そして、言葉や説明による概念ではなく実際の映像の数々でドキュメンタリーの何であるかを肌感覚で感じ取らせて頂いた。

その時は気付かなかったが、今思うと、とても贅沢で貴重な体験をさせて頂いたと感謝している。
その時のボクの理解は、ドキュメンタリーはドラマだ、ということだった。

制作者の強烈な個性と主張が映像を通して伝わり、ボクの心臓を震わせた。
取材する対象やテーマは多様でも、そこにはしっかりとしたストーリーが存在し、どの番組にも作り手の鮮烈なメッセージが込められており、作り手の鼓動が視ている者の心に伝わって来る。
テレビは作品ではなく番組と称されるのだが、そのひとつひとつが作品性を持っていた。
そこでは、作り手の個性がそれぞれの演出や手法を通して表現されている。

ちなみに、ドキュメンタリーとは?という一般的な定義は
「実際にあった事件などの記録を中心として、虚構を加えずに構成された映画・放送番組であり、取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品」
となっている。

しかし、ボクが触れたどのドキュメンタリーも、その定義にピッタリ当てはまるものは無い。
一般的なドキュメンタリーの定義とされているものは、実は記録映画の定義だとボクは解釈している。
そして記録映画とドキュメンタリーは全くの別のものであると考えている。

記録映画は確かに、ありのままの事実を淡々と記録するものだ。
「えんどう豆の成長記録」「ウニの細胞分裂の記録」「吉野山の四季の記録」等々、ありのままの姿を客観的にただ丹念に記録すれば、それはドキュメンタリーの一般的定義通りの記録映画となる。

しかし、同じ素材でも、そこに作り手の意図やメッセージや演出が加われば、それは別の作品に生まれ変わる。
例えば、生命の不思議や植物の逞しさを描こうとの作り手のメッセージが加われば「えんどう豆の成長記録」は記録映画ではなく、作り手の演出が加わり全く別の意図的作品となる。

また「吉野山の四季の記録」で云えば、自然の織り成す風景をありのままに描けば、それは自然生態記録映画だが、そこに自然の素晴らしさをテーマとするのか、厳しさをテーマとするのか、あるいはその自然の下で生きて行く人々の喜怒哀楽をテーマとするのかでは、それぞれの作品のストーリー展開は異なり、形は大きく変化する。

そして、作り手のメッセージに応じた演出なり視点が加われば記録映画ではなく、ドキュメンタリーに変貌する。
それが、ボクたちの目指すドキュメンタリーというジャンルである。

同じ意味で、ニュースはドキュメンタリーとは似て非なる最たるものである。
また、客観報道の代名詞でもある多くの報道番組もニュースの延長線上にあり、そこで求められるのは、報道的価値に基づく正確な情報であり、作り手のメッセージや主観は排除される。
これらはボクの考えるドキュメンタリーの範疇には無く、報道情報番組である。

言うまでもないが、それはジャンルや考え方の違いに過ぎず、優劣の問題ではない。
優れた記録映画やニュース、また報道・情報番組は歴然として存在する訳である。
優れたドラマやバラエティー番組が存在するのと同じである。
単なるジャンルの違いに過ぎない。

従って、テレビの制作現場でドキュメンタリーとは?などと言う議論に意味は無く、それよりも、それぞれの番組に求められるコンセプトをしっかりと認識することの方が大切なのである。
これがテレビ制作現場でドキュメンタリーとは何か、というテーマが論じられない理由のひとつだ。

ついでに言えば、ボクがこれまで学び、そして自分の中で考えるドキュメンタリーとは、ニュースや情報番組よりもドラマに近いと言うことである。
作り手の伝えたいもの、つまりメッセージをどう伝えられるかがドキュメンタリーの命であり、そのためにはメッセージを伝える手法にもよるが、演出が不可欠である場合が多い、ということだ。

演出とは作為そのものであり、広い意味での創作であり、メッセージを伝えるために欠かせない要素である。
そうでなければ多くの場合、単なる風景と化してしまう。
記録映画やニュースや情報番組などが描いているのは、実は世の中の風景なのである。
それはそれで、そのジャンルに於ける存在価値はあるが、ドキュメンタリーではない、という意味だ。

同じことが企画の段階でも言える。
「こんな面白いことがあるのです」と言って企画書が提出される。
ナルホド、そこにはなかなか珍しく面白い人物や現象が事細かく記されている。
しかし、それだけでは企画書としては却下される。

それは単なる事実や現象であり、いわば風景にしか過ぎない。
それらの事実や現象を通して作り手が何を伝えたいのか、どんなメッセージを発したいのかが欠落しているからだ。
ネタと企画の違いのひとつがここにある。

ところで、ボクたちの会社はドキュメンタリーの制作会社である。
しかし、現実の制作番組で、ボクがドキュメンタリーと規定している番組は決して多くは無い。
だからこれまで、どんな番組を作っているのかを問われた時は「ドキュメンタリー及びドキュメンタリー的な番組を制作しています」とずっと答えてきた。

実際に、ドキュメンタリーや情報番組等々、それぞれのジャンルの境界線は曖昧である。
見た目での、重なりもあり違いもあれば、その本質面での重なりや違いもある。
ワイドショーやバラエティーにもドキュメンタリーとの重なりがある訳だ。
ドキュメンタリーとドラマや、ノンフィクションとフィクションの関係も同様である。

ドキュメンタリーの作り手にも色んなタイプがいる。
100人の作り手がいれば100通りのドキュメンタリーがあるのだが、少し乱暴に言えば、大きくは作為派とありのまま派のふたつに分かれる。

作為派は、その時々の制作に当たって視点を定め全体のストーリーを想定し、自分が伝えたいテーマに沿って演出を凝らす。ワンカット、ワンシーンの構築を計算して伝えたいことにリアリティーを持たせる。ストーリー性が豊富でエンターテイメントを常に求めている意味でテレビ的である。

一方、ありのまま派は、まず全体構成を想定した上で、テーマである事象や取材対象をじっくりと見つめ、特別の注文を付けることなく、自然の動きや行動の中から自分の視点に沿ったメッセージとなるものを発見し、抽出し映像化するやり方である。

しかし、作為派は、達者な作り手で視聴者を楽しませることのできるケースが多いが、下手をすると、思い込みが強すぎて事実を歪曲したり、自分のメッセージを伝えるためにいわゆる「やらせ」だと非難される場合もある。
「やらせ」も演出のひとつだが、これについて論じるのは別の機会に譲る。

一方、ありのまま派は、余ほど面白くインパクトのある取材対象の場合は素材の面白さだけで誤魔化される場合もあるが、的確な観察眼と伝えたいことの狙いの明確さがなければ、先ほど来語っているような、退屈な単なる風景の羅列に終始する可能性が高く商品とならないケースも多くなる。
いわゆる取材対象の面白さ次第という、作り手の主体性喪失の典型となる。

その両者共に、視点の確かさがあり、普遍的メッセージを伝えることが出来れば、立派なドキュメンタリーの作り手となり得る。
手法が異なるだけである。

ここまで、かなり粗っぽい言い方をしてきたが、敢えて続ければ、ドキュメンタリーとは作品であり、作品である限りは、その作家が誰であるかが重要であり、作家である限りは、その作家が伝えようとしているメッセージが普遍性を持ち、明確であることが必要である。

そして、ボクたちは主に不特定多数のテレビの視聴者を対象とするテレビ制作者である限り、視聴者の喜怒哀楽を含めた興味や感動や共感や知的好奇心を満足させ、人々の心を揺らす「番組」を提供するエンターテイナーでなければならない。
そして、またテレビである限りはボクたちは同時にジャーナリストでなければならないのである。

嗚呼、なんと「でなければならないこと」の多いことか。
しかし、これがテレビドキュメンタリーというものの本質であるとボクは思っている。

今はテレビとネットの融合と競合の時代である。
テレビばかりではなくネットが巨大メディアとしての存在感を益々大きく示し初めている。

そして、ネットの世界でもドキュメンタリー制作の模索が始まっている。
今後、さらに広まったメディアを通して、ドキュメンタリーの形は新しい試みを含め試行錯誤を繰り返しながら、さまざまに変化していくことになる。

しかし、作り手の伝えたいことの意志とその手法の明確さは、どのメディアで流されようとしっかりと確立されていなければならないことが条件となることは間違いない。

        「一撃を 新しき言葉 枠打ち破る」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。
プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

★ホームページ★

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR