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強欲で罪深い人間

何を今さら分かり切ったことを言うのだとのお叱りを受けるかもしれないが、それにしても、人間はなんと強欲で貪欲で罪深い存在なのかとつくづくと思う。

ボクたちの会社には、鉢植えの観葉植物が幾鉢かある。
その中で、幸せの木と呼ばれているドラセナが4鉢、パギラ、ベンジャミン各1鉢は会社の設立記念のお祝いに頂いたもので30年近くずっと一緒に過ごして来た。

設立当時のメンバー6人のうち男性3人は亡くなり、女性2人はすでに引退して、今ではボクだけになってしまったので、これらの木々は設立から現在に至るまでの喜びや悲しみを含め、会社のすべてを目撃してきた証人で、ボクにとっては、かけがえのない戦友だと思っている。

とは言っても、別に手入れをする訳でもなく、二週間に一度ほどの割合で如雨露でザブザブと水道の水をやるだけで栄養剤を与えたこともない。

それでも、幸せの木は年に一度か二度、決まった頃に白い花を咲かせ、芳醇で甘い香りを部屋中に漂わせてくれる。
ベンジャミンは、初めはきれいに整形されていたのだが、今では枝は伸び放題で、何の木か分からないほどのただの雑木のような姿になっている。
それでも彼らは、特に苦情を言うでなく、それぞれが思い思いに生き続けている。

しかし、考えてみると実に不思議である。
ボクの手元に来るまで、どんな環境で何年生きていたのかは知らないが、少なくともボクとは30年間それなりに元気に生き続けている。
しかも、水だけで生きて来たのだ。
水道水の水だけで生きて来た。

7~8年前になるだろうか、幸せの木のふっくらした一枝がわが社のゴミ捨て場に捨てられていた。
4鉢あるどれかの枝が折れたものだったのか、事情は分からなかったが、青々とした一枝だった。
ボクはその傷ついた戦友をビールのジョッキーにさして会社の流し場の棚に置き、毎日水を変えていた。
やがて根を出し始めて今なお元気に生き続けている。
植物の生命力はどこまでも逞しく、実にけな気だ。

ボクは毎朝、出社すると神棚の榊の水を変えるのを日課としている。
榊は冬場だと二週間から長い場合は一ヶ月は持つが、夏場の命は短い。
下手をすると一週間で枯れてしまう。

しかし、これら枯れた一束の榊の中に、ひっそりと生きている一枝や二枝がある。
ボクは捨ててしまうのが何だか忍び難く、馬鹿みたいにそれらの枝をえり分けてビーカーに集め、神棚に置いている。
中には根を張ったり、新芽を出ずものもいて、長い場合は一年以上も生き続ける。

彼らの生きるための仕組みは分からないが、その生命力は神秘的だ。
ボクはこれらの木々の命を預っているので、ここまで長く付き合っていると妙な責任感のようなものを感じながら彼らと接している。

ひとつ残念なことがあった。
もう一鉢同じ戦友のシュロの木があった。
会社の玄関の入った所に置いてあったのだが、ある日気が付くと無くなっている。
ボクは周囲の者にどこにやったのか、と尋ねたが誰も分からないと言う。

ボクたちのいる多聞堂ビルは、4階がメインのフロアーで、3階に会議室、5階にもうワンフロフー、編集室と倉庫用として使用している。
ボクが5階に行くことは滅多に無かったのだが、ある日、用があって行ったところ、そこに探していたシュロがあり、すでに枯れかけていた。

急いで水を与えたが時すでに遅し、である。
その後も未練がましく何度か水を与えたが、二度と生き返ることはなかった。
罪悪感と言うか、可哀そうなことをしたとの思いを未だに引きずっている。

木は自分で移動できないし、声を出せないので、その運命は置かれた環境次第という悲しい宿命を持っている。
しかも光や炭酸ガス、それに水さえあれば生きて行けるという控えめな命だ。
中には食虫植物などの変り種もあるにはあるが、ほとんどの植物は他の生命を殺して自らの生命を保持することはない。

それに引き替え、動物はどうか。
必ず他の生命を殺すことにより生きている。
草食動物もいれば肉食動物もいる。
そして雑食動物もいる。
そのどれもが、他の生命を糧にして生きている。

それでも、人間の感覚からすれば、獰猛で残酷そうに見える多くの野生動物も、その瞬間、瞬間に生きるための最小限の限られた範囲内の食糧を確保している訳で、必要以上の殺戮はしないし、ましてや楽しみとして捕食している訳ではない。

しかし、人間の場合はどうか。
その悪食ときたら驚くべきである。
眼に入るモノは何でも食べる。
食べないモノを捜す方が大変な位の貪欲さだ。
動物、植物、菌類に至るすべてを食べる。

食べるということは、改めて言うまでもないが、他の生物の命を食べることである。
学校の給食で、子どもたちが「いただきます」と言って食べ始めることに対して「お金を払っていて、別に頂いている訳ではないから、わが子にいただきます、と言わせないでくれ」とクレームをつける親は未だに後を絶たないという。

「いただきます」との言葉の解釈は多様だとも思うが、その根底には「命をいただきます」との意味も大きな要素としてある筈である。
この考えは常識と言っても良い。

しかし、この「いただきます」にクレームをつける親たちを無教養な人たちと切って捨てるのは簡単だが、彼らのことを笑えるほどボクたちは立派なのかと云えば疑問は残る。

かく言うボクとて、特別の信念がある訳でもなく、信仰心がある訳でもない。
美味しいものを食べたいし、美味しいものを食べた時は幸せだと思うし、また次も食べたいと思う。
食事の度毎に、食事にありつけたことに感謝し、命を頂いていることに思いを馳せることなどもほとんどない。
日常の生活の営みとしてごく当たり前に意識することなく行き過ぎる。
食べることは生きて行くためにどうしても必要な条件だから、無意識で通過していく。

しかし、そんな日常で時に、待てよ、と立ち止まらせられることがある。
例えば大食い競争のバラエティー番組やマグロの解体ショーだったり、遠洋捕鯨が問題になったりする時などがそうだ。

何の学術調査かは分からないが、各国の反対を押し切ってクジラに執着する日本の姿は異常だ。
この飽食の時代、ボク自身もクジラなどもう何十年も食べていないし、食糧としての必要性も意味もほとんど無い。
近海捕鯨ならいざ知らず、わざわざ遠くまで出かけて捕鯨することの意味が分からない。
単なる殺戮に見える。

ボクたちは大きな自然のサイクルの営みの中で生まれ、滅びて行く。
都会で生きる多くの人たちは普段は自然を忘れて生きている。
そして、大地震や大津波や台風や集中豪雨などに見舞われた時に自然の恐ろしさを知る。
初めて自然に畏れを抱くがすぐにそれを忘れ去る。
ボクたちが自然の中の一部の存在にしか過ぎないことの自覚と自然への畏敬を忘れる。

自然をコントロールしようなどとの大それた考えさえ持つ。
科学の力を盲信し、自然に反した行為も人類の勇猛果敢なチャレンジだと勘違いする。
原発などもその最たる人類の愚行だとボクは思っている。

ところで、かつてNHKの科学ドキュメンタリーで放送していたが、科学者に言わせれば、やがて地球はおろか宇宙そのものが無になるらしいが、当然のことながら、そのずっとずっと前に人間は滅びる。
これは生物学上の必然であるらしい。

気が遠くなるほどの未来の話にしても、そんな絶望的な番組は視たくないですよ、とあるNHKの科学番組のプロデューサーに愚痴ったことがある。

それはともかく、人類の生物学的寿命は永くはないが、その後、他の動物たちが絶滅しても、植物は恐らく最後まで生き続けるのだろう。
因果応報ではないが、他の生き物の命を求めない植物の強みだと思う。

ボクたち人間ひとりひとりの命は、悠久の歴史からみれば、ほんの一瞬のうたかたである。
虚しいが、一瞬の命だけに、より大切に生きたいと願うのは当然だ。
遥か遠い将来、人類の絶滅が約束されてはいても、この宇宙にあって、恥ずかしくない生物としての生き方をしなければならないと思う。

自分たちが他の生物のエサになることは絶対に嫌だが、自分たちは他の生物の命を食べなければ生きて行けない、との矛盾を人間は背負っている。
これは宿命で、努力でどうすることも出来ない。

命の尊さをいくら説いてみたところで、どこか後ろめたさが残る。
そして、行き着くのは「無駄な殺生はしない」との先人の教えである。

経済的繁栄が絶対的な価値を持ち、すべての事象が経済優先の現在の消費奨励の世に逆行する考えかもしれないが、より質素な暮らしへの見直しが本当は大切なのではないかと思っている。
特に、食に関しては、謙虚に命と向き合うことが、限られた人類の余命にとってとても大事なことだと思う。

ボク自身、偉そうなことを言える立場にはないが、一粒の米に命を感じる心が、本当は現在もっとも必要としている時代ではないかと思える。
 
     「旨いもの 何でもあるぜ バイキング」


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差別意識の魔性

アガサ・クリスティ原作の名探偵エルキュール・ポアロが活躍するデヴィッド・スーシェ主演のドラマシリーズは、そのほとんど全部を視ているが、絶妙の謎解きの推理もさることながら、イギリス人やフランス人の人種観が巧みに描かれていて面白い。

主人公の探偵ポアロは、ベルギー南部フランス語圏の出身で、第一次世界大戦でイギリスに亡命してきた身長163センチの小男という設定になっている。

フランス語訛りの英語を話すので、主な舞台であるイギリスではフランス人と間違われ、フランスでは風采の上がらないフランス人と誤解されるので、その度に自分はベルギー人だと本気で怒る。

イギリス人もフランス人も世界の中心は自分たちの国だとの、世界の宗主国としての誇りが強くあるので、ポアロ探偵が怒ってみたところで、なおさらに、小国ベルギー人の存在など、歯牙に掛ける価値もない単なる外国人に過ぎず、どこか差別の眼で見下しているのだが、半ば馬鹿にしている、その小男が難事件を次々に解決していく面白さがある。

アメリカ人を小馬鹿にするシーンもしばしば登場する。
第一次世界大戦の頃という時代設定だから、現在と国際情勢は大きく変化しているとは言え、ヨーロッパ、特にイギリスやフランスから見るアメリカ人への偏見に溢れた様子は今に通じるものがある。

ここで、アメリカ大統領のトランプ一家を連想する、などとうっかり口を滑らせれば、あれはアメリカ人の象徴じゃあない、と怒るアメリカ人がいるとは思うが、いかにも西部劇にでも出てきそうな一時代昔の典型的アメリカ人像と重なって見える。
成り上がりの教養の無いアメリカ人がポアロシリーズで時々登場するが、まさにトランプ大統領を思い起こす。
その意味では時代は変わっても、国家観というか国民観、あるいは人種観などはそれほど変わらないものだなあ、と思ったりもする。

こういった種類の、人種や国の間での差別的な感覚を軽妙なジョークにする習慣はアメリカなどの酒場の寄席でしばしば演じられているようだ。
言い争っているアジア人らしき人たちを見たアメリカ人が「うるさいぞ、この中国人野郎たち!」と叫ぶと、それまで喧嘩していた連中が「俺は中国人じゃない、日本人だ」「俺は韓国人だ。中国人じゃない」と青筋を立てて、そのアメリカの白人に詰め寄る様を演じ、観客の白人たちが大笑いする、と言ったようなものである。

そういうネタをメキシコ人が演じたりする。
まあ、ボクたちも昔、白人を見れば、全部アメリカ人だと思っていた時代もあった。
人種に拘る滑稽さを小噺にしてみんなで笑い興じるのも多民族国家アメリカらしいが、根底にあるのは民族間の差別と誇りである。

ずいぶん昔のことになるが、ボクが取材でイギリスのロンドンを訪れ、通訳としてお願いした現地在住の日本人女性と共にレストランで食事をした時のことだった。
当時はまだ海外渡航に制限があって、特に日本に手持ちのドルが少なかったので、ドルにも持ち出し制限があった時代で、ロンドンとは言っても、それほど多くの日本人はいなかったし、旅行者も多くはなかった。

傍らのテーブルにイギリス人と思しき数人の老人たちがいたが、食事中ボクはその人たちの視線が妙に気になっていた。
食事が終わると通訳の女性はボクを急き立てるようにしてそのレストランを出るように促した。

後で分かったのだが、彼らは食事中、ボクたちを見ながら、ずっと日本人の悪口を言っていたらしい。
第二次世界大戦では日本が敵国だったこともあり、口汚く罵っていたという。
戦争が終わって24~5年しか経っていなかった頃だったので、まだ戦時中の思いを生々しく引きずっていた時代背景もあったのだろう。

それに加えて、黄色人種への差別もあり、とても彼らの会話の詳細をボクには伝えられないと、ロンドン在住の通訳の日本人女性は苦々しい顔をしながら言ったことを昨日のことのように覚えている。
奇しくも、初めてのヨーロッパ取材でいきなり人種差別という貴重な洗礼を受けたのだった。

差別については、それがどういうものであるかについてはある程度知ってはいた。
ボクの故郷である大阪府堺市には被差別部落や韓国朝鮮人部落などが多数散在しており、幼い頃から差別にまつわるそれこそ多くの情報の洪水の中で育った。

しかし、考えてみると、ボクはいつも差別する側にいて、差別される側の人たちを見ていたことに気付く。
英語を十分に理解できないボクにとっては知らぬが仏のような軽い体験だったに過ぎないのだが、ロンドンでのこの出来事は、自分が差別される側に立った初めての経験だった。
ボクが25歳頃のことである。

民族や人種間の差別などを初め、身分や職業や病気にまつわる差別など形は色々あるが、差別と呼ばれるそのどれも理不尽で正当な理由はない。
しかし、多くの人たちは差別する側に立つことの魔力からどうしても逃れることが出来ないようだ。
差別される辛さを知る者がまた別の者を差別するようなこともしばしば行われる。
こういった連鎖は人間の欲望と同様に、どうにも御しがたい行為であるのかもしれない。

常に差別を否定している筈のジャーナリズムの世界でも差別事件は起きる。
数年前に週刊朝日が当時大阪市市長だった橋本徹氏に関して被差別部落の出身だという情報を掲載し、問題になったことがある。

被差別部落民に対する偏見や差別構造が厳然と存在する現在の社会状況下では、仮にそれが事実だとしても、本人にとってはマイナスになるケースは往々にしてあるに違いない。
人々は何故か差別を好む習性があるからだ。

週刊朝日の意図の中にそういう悪意に近い差別意識が感じられるところに問題の本質がある。
やっぱりね、だからね、と不気味な笑みを浮かべて頷きあう表情をボクは子どもの頃から何度となく見てきた。
差別意識とはこのように、とても厄介な特別の意識で、理屈を越えて存在するので、余計に御し難い。

ところで、ボクたちの会社にも在日韓国人が1名、中国国籍の漢民族が2名、中国国籍の朝鮮族が1名在籍している。
このうちの2名が取締役として会社のリーダーとしての立場にある。
両名共に、今後会社を経営していく上で、更に重要な役割を担うことになる予定でいる。

現在、日本も国際時代の渦中にあり、人種や民族の垣根はかなり取り払われたとは言え、民族主義にこだわる人たちがその勢力を伸ばそうとしている時代でもある。
今後の日本社会が辿る道は計り知れないが、異民族が普通に平気に生きて行ける世であって欲しいものだ。

中国国籍の朝鮮族で常務取締役として財務を担当している妻は、当然、民族の誇りと同時に、いくばくかの不安も持っている。
わが社のスタッフに表向きには民族に偏見を持ったり差別するような者は見当たらない。
しかし、何かあった時、そういう意識が突然頭をもたげることが無いとは言えない。
それが差別意識の魔性というものだ。

妻はいま日本国籍を取得すべきかどうかについて本気で悩んでいる。

      「学んでも 消すに消せない 差別かな」


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ある原発反対の市民運動家

友人で原発反対運動に熱心に携わっているTさんが、珍しく会社に来られてお茶を飲んだ。
かつて同じテレビ局で机を並べて仕事をした先輩で、80歳になられる。
耳が少し遠くなったというが、見た目は若々しくとてもボクよりも年上には見えない。

2011年の9月から国会前の経産省の敷地内にテントを張って24時間で泊まり込み、原発反対のための抗議活動を開始してから2016年8月21日未明、東京地裁の強制執行によりテントが除去されるまで、なんと5年間の長きに渡り、Tさんは市民活動の仲間らと交代で連日泊まり込みを続けて来たという強者である。

2011年3月11日と云えば東北地方太平洋沖地震の起きた日で、大津波により福島第一原子力発電所事故が発生したのを契機に、地震による原子力事故への危惧が全国的高まりを見せ、原発の廃止を求めるデモ活動が各地で盛んに行われるようになった。
国会前のテント村はその象徴でもあった。

Tさんは決して過激な運動家ではない。
実に温厚な方で、これまでTさんが人と争うのを見たことはない。

昔、テレビ局勤務時代に、通勤途上でTさんをしばしば見掛けたが、いつも本を読みながら歩いていた姿が印象に残っている。
まるで二宮金次郎のような人だなあと思っていた。

若い人たちには馴染みは無くなったとは思うが、ボクたちの小学校時代には全国すべての小学校に焚き木を背負い本を読みながら歩く二宮尊徳の銅像があった。
勤勉と節約の象徴的人物だった。

交通事情が昔と変化した所為だろうか、道を歩きながら本を読むのは危ないなどの批判があったのかどうか知らないが、最近では学校からその銅像の多くが姿を消しているようだ。
無駄遣いを含めて消費を奨励している今の時代には質素倹約の思想は相入れないのかもしれない。

Tさんは普段は寡黙でとても反原発運動をする活動家には見えないのだが、筋金入りの市民運動を地道に続けている。
特別のセクトに属していることもない一般市民で、決して声高に語る訳では無い。
とにかく黙々と自分の信じる道を静かに実践している。
ボクなどの軽佻浮薄な生き方をしている者にはとても真似のできない人生を歩んでいる。

Tさんとは1年半振りで会ったのだが、その時は共通の知り合いの出版記念パーティーの席上だった。
その時も別れ際に、国会前のテント村が強制執行で撤去されるとの緊急連絡が入ったので、これから行くつもりだと緊張した面持ちで語っていたことを思い出す。

その後、しばらく経ってからとうとうテント村の撤去が強制執行されたことを知り、Tさんはどうしているのかな、と思っていたところだった。

「その後、どうされているんですか」と聞くボクに
「今は鹿児島にいるよ」とTさんは事もなげに応えた。
「ああ、川内原発ですか」
「そうそう。実際の本拠地は鹿児島市内に置いてるけどね」という。

なんとTさんは東京都から鹿児島に住民票も移して、鹿児島県民になったのだと言った。
「東京には滅多には戻って来ない。ずっと鹿児島に居る。やっぱり地元民にならないとね」といよいよ本格的だ。
「奥さんは?」と聞くと
「居るよ、東京に」と平然としている。

ボクもそれ以上は立ち入る気になれなくなった。
不自然なようでいて自然、とでも表現すれば良いのだろうか。
こういうのが市民運動家の自然の姿かもしれぬ、と勝手に自分を納得させる。

「鹿児島には、元キャスターをしていた三反園という知事がいるのだけれどね」とTさんは話し始めた。
「ああ、彼ですね。原発に関しては孤軍奮闘されているんじゃないですか?」とボクは相づちを打つ。
時折流されていたニュースを視ている限り三反園知事は原発に反対しているのだとの印象があったからだ。
「それだと良いんだけれど、実はそうではないんだよ」とTさんは応えた。

三反園知事は、知事選の際に4選確実だと目されていた候補を破って当選したのだが、そこにはちょっとしたカラクリがあったという。

もともと自民・公明を中心とする原発推進の県政だったが、そこへ新しく割り込むためには、それなりの工夫を必要とする。
三反園氏も保守だが、保守の票だけでは足りず、原発反対派の票を獲得するために、「熊本地震を受けて、原発の一時停止を九州電力に要請する」という公約を掲げ、原発反対派からの協力をとりつけることに成功し、当選を果たした。

ところが、そんな公約は選挙に当選するためのパフォーマンスに過ぎす、本来原発賛成である訳だから「原発は止めない」という結論を早々と下し、すぐに化けの皮が剥げる結果となり、選挙戦でフル回転して三反園氏を支援した反原発派は、裏切られたということになる。

裏切られたと騒いでも、もう遅い。
今では、原発反対派を歯牙にも掛けなくなっているようだ。
初めから自民党との出来レースだった訳で、原発に限らず、県政の刷新に期待を抱いた県民をまんまと欺く結果となった。

三反園知事が九州電力に原発稼働の一時停止を申し入れたが断られた、などのニュースが時折流されていたが、それは単なる見せかけの儀式に過ぎず、ニュースの断片だけでは計り知れない政治世界の実態がそこにはあった。
ボクもTさんから事情を聴くまではまんまと騙されていたのだった。

「暮らしはどうしているんですか?運動するにもお金が必要でしょう?」
「年金で細々とやってるよ。支援してくれる人たちもいてね。カンパもほんの少しだけどあるよ」
「住む所はどうしているんです?」
「市民運動の仲間たちと部屋を借りて一緒に暮らしているよ。みんな年金暮らしの人たちだけどね。毎晩、焼酎を飲みながら議論しているよ」
淡々と、実に淡々と、全くの気負いなど感じさせない語り口である。
荒んだ感じは微塵もない。

「相変わらずやってるの?」と麻雀の牌を並べる手つきをしながらTさんは聞いた。
Tさんともしばしば打ち合った仲である。
「適当に遊んでますよ。Tさんには申し訳ないけど」
「いやあ、俺も、別に他にやることがある訳じゃないからね」

そう言ってボクをじっと見た。
Tさんもずいぶん歳をとられたが清らかな眼をしている。

ボクから見れば、苦労と苦難の道に見えるのだが、Tさんはちっともそんな風には思っていないことが分かった。
自分が決め、自分がやりたいことをして自由に生きているに違いなかった。

納得のいく豊かで意義ある老後の、迷いの無い生き方が見えた。

      「どう生きる 自由に生きる 無に生きる」




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ニッポン喫煙事情

毎度ながらの与太話である。

日曜日の午後はたいてい新宿をうろついている。
ボクの住む新宿内藤町から、新宿御苑沿いのちょっと風情のある通りを抜けて15分も歩けば新宿三丁目の伊勢丹デパートがある。

途中のオープンテラスのある喫茶店で360円のコーヒーを頼み、煙草を吸いながら一時間ほど過ごす。
妻はボクの知る限り、日本一の嫌煙派で、4~5本の煙草を吸っている間に必ず一度か二度は、禁煙しろとの注文をつける。
分かったよ、と応えまた一服吸う。
妻は心の底から嫌だ、という顔をしてボクを見ている。

近頃では煙草の吸える場所が極端に制限されているので、愛煙家にとってはとても窮屈な世の中になった。
残りの人生もそれほど多くはないと云うのに、これほど好きな煙草くらい自由に吸わせてよ、との思いは強いが、そんな主張も虚しく空を切る時代になった。

2020年の東京オリンピックに備えて、禁煙運動はますますその勢いを強めている。
現在では病院を初め、お役所など多くの公的な建物での禁煙が進む中で、たばこ事業法の下、全国のたばこ農家等々を管轄する財務省にはさすがに喫煙スペースがあるらしい。

たばこの一年間の総売り上げは約3兆9千億円で、その税収は約2兆3千億円だと云うから、喫煙家は多額の税金を払うためにケムリを吸っている勘定になる。

最近、スターバックスはオープンテラスでも禁煙になったし、コージーコーナーもこの7月から全面禁煙になった。
そういうお店がどんどん増えている。

赤坂の会社の近くにある行きつけの喫茶店は、未だにゆで卵の付いたモーニングサービスを続けている昔ながらのお店だが、ママが「良かったらお名前を書いて下さいな」という署名用紙を見たら、なんと禁煙反対の署名で、時代に逆行している少数派が健在かと、とても嬉しく喜んで署名した。
「うちに来られるお客さんたちは煙草のお好きな方が多いですからね」とママさんは大真面目な顔つきである。

このママさんは二代目で、先代のおばあちゃんとはケムリをくゆらせながら何かと話したものである。
今ではほとんど居なくなった昔からの赤坂の地の人で、もとは雑貨屋さんだったらしい。

ある冬におばあちゃんは「わたしの娘時代のことですが、今日のように雪の降る中を沢山の兵隊さんたちが血相を変えて通り過ぎて行くのを見ましたよ」などとしみじみとした調子で昨日の出来事のように昔話をしたものだ。
「それが2・26事件だったんですね」
ボクたちが歴史の教科書でも習った2・26事件は昭和11年に起きた有名なクーデター未遂事件である。

ボクがコーヒーを飲んで帰ろうとすると「もうお帰りになるんですか?もっとゆっくりして行って下さいよ」などと言ってくれた、そのおばあちゃんも何年か前に亡くなられたが、そんな人情味のある喫茶店である。
この店からも煙草が追い出される日も遠くは無いと思うと実に切ない。

休みの日に、家でくつろぎながら録画した往年の名画を視ていると必ずと言って良いほど煙草のシーンが登場する。
それが実に旨そうで、ついそれに誘われてボクも吸いたくなるが、嫌煙家の妻の手前、わざわざ映画を中断してベランダに出なければならない。

ベランダには喫煙用の椅子と灰皿を用意してある。
風のある戸外での煙草は不味いものだ。
それに陽が落ちてからの暗闇の中ではもっと不味い。
あの何とも形容しがたい煙の色とくねるような形を楽しむことが出来ないのでは、煙草の魅力は半減以下となる。

自分の家でありながら、こればかりは自由にならないのは実に悲しいことである。
ボクの住んでいるマンションと目と鼻の先ほどの所でオリンピック競技場が建設中だ。
もう少しすれば、ベランダでの喫煙も法律で禁じられることになるかもしれない、と不安に怯えながら一服しているのでちっともリラックスできない。
ああ、何ということだ。

昨日も会社の近くのお店で妻と昼食を終えた後、ボクが一服吹かすのを見て「もしわたしがガンになったら煙草を止める?」と聞く。
ボクはそれに応えず黙って吹かしていると「それでも止めないの?わたしを愛してないのね」と睨む。
元、中国の婦人警官をしていただけあって、その眼光は鋭い。

そうはおっしゃいますけれどね、確かにケムリが不愉快なことは充分に理解できるけれど、煙草とガンの因果関係を明確に証明した医学的根拠は無いとも聞いているし、ましてや副流煙とやらに於いておや、でね、それりももっと身体に悪いことは他にもいっぱいあるんじゃないの、それほどまでに煙草に対して親の仇のように目くじらを立てることもないんじゃないの?などということは決して口にはしない。

そして「お前さんに限ってガンにはならないから大丈夫だよ」とボクは笑顔を投げる。
煙草以外のことでのもめごとは一切無いのだが、この件に限ってだけは敵はどこまでも強硬路線を変更する気配を見せない。

これまで自由気ままに生きて来て、自分の自由を束縛するどんなことにも、たとえ屁理屈を立てても抵抗してきたのだが、こと煙草の件についてだけは、妻が今の路線を歩む限りは表立っての喫煙擁護の論陣を張るつもりは全く無い。

ただ黙々と静かに煙草を吹かすだけである。
  
      「愛煙家 ただモクモクと モクモクと」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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