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会社に属することの意味

「アルバイトをしても良いでしょうか?」スタッフからの問いに耳を疑った。
フリーならいざ知らず、ひとつの組織に属し固定給を得ているスタッフの、どこからそのような発想が生まれるのか驚いたのである。

しかしお恥ずかしい話しながら、最近これに類する問いが意外に多いことに気付く。
ボクは、それらのスタッフに会社に属するとはどういうことかの説明をすると、理解し納得する。
かつては耳にすることは決して無かったこういった現象が起きるには、それなりの理由はあろうかと思う。

電通の女子社員の過労による自殺事件などが起きている中、安倍首相は「働き方改革実現会議」を開き、その席上で、日本では副業・兼業を認めている企業は極めて少ないが、その普及を図っていきたい、などと述べている。

ボクなどから見れば、とんでもないバカバカしい考えだと思うのだが、勤労者の労働の形に関しては、労働基準法の下で混乱を来たしているのが現実だ。

それと論点がずれるが、安倍政権は非正規社員を正規社員にすることを奨励し、そのために多額の助成金を出しているが、これらも労働者の暮らしを良くするためではなく、いかに税収を上げるかのためである。

ボクたちの会社でも無い袖を振って社員のベースアップをしてもほとんどを所得税とか社会保険料という名目の税金で持って行かれる。
給与の総額は増えても実際の手取りが増えない仕組みになっている。
改めて、税金の使われ方にボクたちは関心を寄せなければならない所以だ。

話はそれたが、アルバイトの件に話を戻すと、一方でボクたちが働く放送業界の人材難はすでに何年か前から始まっている。
日本の求人難の第三位が建設業界、第二位がIT業界、そして第一位が放送業界であると言われている。

それを裏付けるような事例が先日起きている。
制作プロダクションの組合であるATP(全日本テレビ番組製作社連盟)が主催して、毎年、就職希望の学生たちに対し各プロダクションの就職説明会が行われており、ボクたちの会社も参加したのだが、そのイベントへの参加希望の学生の人数が今年は激減したとの報告があったばかりである。

制作プロダクションだけではなく、テレビ局への就職希望者も減っているらしい。
特に、制作部門への希望者が少なく、中でも報道現場には人材が集まらないということである。
就職を希望する学生たちがテレビに魅力を感じなくなっていることの現れがこういった就職戦線にも明らかに見て取れる。

また一方、チャンネル数の増加に伴い番組数が圧倒的に多くなった。
しかし制作費の絶対額は増えないので、一本当たりの制作費が大幅に削減されることになる。
番組制作は実にアナログの世界なので制作費が削減されても省力化はとても難しく利幅は小さくなる。

従って、制作プロダクションは売上を確保するためにこれまで以上に制作本数を増やさなければならない。
当然、番組の作り手であるスタッフの数もこれまで以上に必要とし、ますます人材難となる。

フリーの制作者の数にも限度があるので、少人数のプロダクションは他のプロダクションに属する作り手に、こっそりとアルバイトの話を持ち掛けたりする。

テレビ局はテレビ局で人材難の下で多くの番組を作らなければならないので制作プロダクションに制作依頼したり、担当者の知り合いの外部スタッフに仕事を依頼することになる。
中には、プロダクションに所属するスタッフを一本釣りするようなことも起きる。

業界では、このような節操のない形での仕事が行われているのだろうと予測できる。

「アルバイトは許されるか」との問いの背景にはそんな事情が隠されている。
仁義もなければ信頼も裏切るような邪道であるが、業界にはこういう話に乗る節操のないスタッフも中にはいるのだろう。

アルバイトとは、現在の仕事を確保しながら、他の仕事をして収入を得ることである。
志や信頼関係や倫理よりも目先のお金という利に走ってしまうのだろう。

ところで、お金の面から見るとどうか。
平成26年の国税庁の民間給与実態統計調査によれば、サラリーマンの男女の平均給与は以下の通りである。
20代 年収292万(月額24.4万)
30代 年収385万(月額32万)
40代 年収443万(月額37万)
50代 年収462万(月額38.5万)
となっている。

ボクたちの会社は決して儲かる業界でもないが、上記の平均給与に照らし合わせても特別に安い給与の会社ではない。
上を見てもキリはないし下を見てもキリはないが、恥ずかしい給与体系では決してない。

先のブログにも書いたが、ボクたちの会社は、上がった利益に関しては株主には配当せずに、スタッフにできるだけ平らに分配しようとの考えで運営している。
本来は会社に貢献すべき利益をアルバイトで自分だけの利益にしようとの考えは、会社の方針と真っ向から対立する。

それに、間違いなく、アルバイトの仕事をするために会社に嘘をついて休みをとったり、本来ならば会社を通じて提案すべき企画をアルバイト先に出すなどの不都合なことも起きる可能性もある。

いずれにしても、本業に身が入らす仕事がおろそかになることは必定である。
固定給を手にしながら、その分の働きをせずアルバイトするなどの行為は、明らかに会社のマイナスとなる。

ボクは徹底した性善説の上に立って会社経営をしているが、その基盤はスタッフとの信頼関係にある。
だから、規則も出来るだけ少なくし、自主管理を重んじる形をとっている。

その面ではとてもゆるやかな会社なのである。
別の言い方をすれば、だからボクを含めて全スタッフが己を律して誰が見ても恥ずかしくない仕事の仕方を自らが率先して実行し範を垂れて欲しいとの願いがある。

ゆるやかさを利用して己の利を求める者のための自主管理ではないのだ。
ここが崩れると会社そのものが成り立たない仕組みにある。

幸いにして、これまでアルバイトについてスタッフたちはボクにまず相談している。
素朴で正直だ。

勿論これはこれで社員教育の不行き届きとして反省しなければならないが、普段はしっかりしている筈のスタッフから、そういった話が出てくるほどに、アルバイトという行為がこの業界で一般的に行われているかも知れないことには注意しなくてはならないと感じている。

わが社からこういう目先の誘惑に惑わされ人生を誤るスタッフが現れることは無いと信じてはいるが、改めてスタッフ全員に注意を呼びかけ、アンテナだけは張っておくに越したことはないだろう。
時として魔がさす、ということもあるかもしれない。

わが社の監査役の道川勇雄氏の云う通り「各自が熱意を持って自己表現を楽しんでくれること以外に道はない」ということだろう。

ボクもこの業界に50年以上もいるので、地方局を含めてテレビ局にはそれなりの人脈もあり、様々な情報や噂話などが自然に流れ込んでくることになっている。
経営理念にも係り、会社存立の土台を揺るがす案件だけに最大限の予防措置をとりたいと考えている。

   「オルタスや みんなで楽しく 血反吐はき」




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久々のジャズに酔う

ボクは芸術オンチで、絵心もなければ音楽の世界にもとんと疎い。
音楽と云えば演歌しか知らない。

そんなボクにジャズの楽しさを教えてくれたのが、横山プリンさんと岩味潔さんだった。

横山プリンさんは、かつては上方の漫才師で、横山やすしとコンビを組み関西では人気を博していた。
その後、横山やすしは西川きよしと組むことになるのだが、それよりも前の話である。
共に大阪府知事を務めた横山ノックの弟子たちである。

プリンさんはインテリで、哲学者でもある。
世の中のさまざまな事象を捉えるその透徹した視線は一流で、いつも感心させられた。

番組でリポーターをお願いしたのがキッカケで何となく気が合い、付き合いが始まったのだが、その後ブレーンのひとりとして番組作りで、その多彩な才能に色々と助けてもらった。
まだ東西ドイツが統一される前の東ベルリンなどにも一緒に旅をしたこともある。

プリンさんはジャズに造詣が深く、ジャズのレコードの蒐集家でもあった。
暇な時にはジャズ喫茶に連れて行ってくれて、ジヤズに関する薀蓄やその魅力について余すところなく聞かせてもらったものである。
ジャズの恩師である。

もうひとりの恩師が岩味潔さんである。
岩味さんは日本テレビの優秀な音楽効果マンだった。

入社して間もない駆け出しのディレクターであるボクなどにも親切で丁寧に接してくれた。
とても優しくて物静かな紳士だが、どこか一本筋の通った人だった。
岩味さんは時間があると何故かボクをお茶に誘ってくれておしゃべりを楽しんだ。

音楽効果を仕事にしているので、その仕事柄からもあらゆるジャンルの音楽にも精通していたが、特にジャズについては半端ではなかった。

昭和10年の早生まれで、集団疎開派である。
終戦直後、小学4年生の時に焼野原の東京に戻り、鉱石ラジオでジャズを聴き始め、進駐軍のアメリカ兵と付き合っていたというのだからかなりの早熟だ。

やがてオーディオの世界に興味を持ち、大学時代には、手製のテープレコーダーで「モカンボセッション」や「日比谷INジャズセッセョン」などを録音した。

「モカンボセッション」は横浜の伊勢佐木町にあったナイトクラブ「モカンボ」で1954年に日本で初めて行われたジャム・セッションである。
秋吉敏子、守安祥太郎(ピアノ)、渡辺貞夫(アルトサックス)、 清水閏(ドラム)等他多数の面々が深夜から朝まで一堂に会して行われた。
これを仕掛けたのがハナ肇と植木等で後に一世を風靡したクレイジーキャッツを結成する。

岩味青年は日本のジャズの歴史の星の輝く時間に立ち会い、そのセッションを録音したのだった。
大学時代にジャズ評論家の油井正一さんとロックウェル・レコードを立ち上げ、モカンボセッションを世に出している。
そして日本テレビに乞われて大学卒業後、同社に入社する。

彼は並ではない音の職人で広尾の自宅に本格的な録音スタジオを作っている。
彼の場合は職人を越えてすでに芸術の域にあると見る。

何十年も前になるが、そのスタジオで「これが重低音だよ」と聞かせてもらったことがある。
それは音というよりも振動のような感じだった。
重低音とはボクたちが耳にする低音よりも低い音のことを云うようだ。

ある時岩味さんから「ジャズの番組を作ってみない?」と声を掛けられた。
「ジャズのジャの字も知らないんですけど」と云うボクに「ジャズって良いよ。ジャズのことなら少しは役に立てると思いますよ」
その時はまだ、岩味さんの正体をよく知らなかったのだったが、「それじゃあ」ということになった。

彼は当時六本木にあった「バードランド」やあちこちのお店にボクを連れて行き、サックスの尾田悟さんやドラムの清水閏さんを初め色んなプレイヤーにボクを引き合わせてくれた。
こうして一時間余のジャズ番組を放送したのだったが、彼は終始控えめで表に出ることは無かった。

それからしばらくの間ボクはどっぷりとジャズの世界にはまり込んだものである。
一度アンテナを掲げると向こうから情報が飛び込んで来るので、ジャズに関係する多くの人たちと知り合いになった。
書き出すとキリはないのだが、そんな一人にトランペッターの杉村彰さんがいる。

ボクが日本テレビを辞める時に「麻薬王クンサー」を出版したのだったが、全日空ホテルでのその出版パーティーで杉村彰さんのバンドにお願いして花を添えていただいた。

先日、杉村さんの70歳の記念コンサートがあった。
100人足らずの小スタジオで、普段お酒を飲みながらお店で楽しむジャズとは少し違って、最初は少し改まった感じだったが、しばらくするとバンドと会場はひとつになった。

バンドリーダーの杉村さんは勿論だが、大高實さんのトロンボーンが良かった。
東京キューバンボーイズのコンサートマスターを長年務められた大高さんは今年73歳になるが元気で、楽しんで音と戯れているのがボクたちに伝わり幸せにしてくれる。
デキシーランドからスイングまで楽しませていただいた。

とは言っても、ボクはただ楽しんでいるばかりで、ジャズの何であるかは全く分かっていないのだ。

かつて、ボクの知り合いのある女優さんがいて、彼女はクラブでジャズをよく歌っていた。
誘われて何度か聞きに行った。
ボクに向けて歌ってくれていると錯覚しながら聞いているとなお更心地良かったりしたものだ。

全日空ホテルのパーティーでも杉村彰バンドをバックに二曲を披露してくれた。
後で、横山プリンさんはボクに「小田さんは彼女の歌が気に入っているようだけど、あれはジャズと違うねん」と云った。

また、少しは知られた女性ロック歌手がいて、ジャズをやりたいと云うので、バードランドのママに試に歌わせてやってくれないかと頼み込んだことがある。

その時も、やはり横山プリンさんは「あれはジャズと違うんや」と同じセリフを吐いた。
そして歌ったその女性ロック歌手も「やっぱり私にはジャズは無理ね」とボクに告白した。

ボクにはその意味する所が未だに分かっていないのも芸術オンチのオンチたる所以である。
岩味潔さんも恐らく同じことを言われるに違いない。

知らぬが仏と云うが、専門筋の道とは深く恐ろしいものである。
改めて、横山プリンさんと岩味潔さんに教えを乞いに会いに行こうと思っている。

       「楽しめば 良いじゃないかは 通らない」




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朝日新聞社の取材を受ける

若い頃は恐いもの知らずで、損得や後先のことも考えず、ずいぶん馬鹿なこともしたし、乱暴もした。
たいした知識も、また知恵もなく、ただ勢いと思い込みで突っ走った。

今から考えると恥ずかしいことばかりである。
と云って70歳を過ぎた今も、思慮深くなったのかと自問すると、必ずしもそうでない自分に気付く。
人の本性は簡単には変わらないし、余程のエネルギーが無いと変えられるものでもない。

先日、朝日新聞社の記者の取材を受けた。
ボク自身がかつては取材者だったので、その立場からも、どんな取材も断る訳にはいかないとの矜持がある。
矜持というよりも決め事に近い。

記者はボクにA4一枚の記事のコピーを見せた。
それは30年前の「みる・きく・はなす・はいま」というタイトルの連載の特集記事だった。
そして「ある退社・秘密法放送、自民が圧力」と大きく見出しがあり「自由な表現へ・自前プロ計画」とあった。

記事の内容は、ボクへのインタビューをもとにして、新聞社が独自に取材した事実を含めて、ボクがテレビ局を辞め、制作会社を立ち上げることになった間のいきさつの詳細が書かれていた。

ボクも当然その当時にはこの特集記事を読んでいたのだが、なにしろ30年も前のことになるので、インタビューを受けたことは覚えていたが記事の内容についてはすっかり忘れていた。

記事によると、ボクが「歳末棚卸し、ニッポン要らないもの総点検」という番組を作り、当時国会でも議論されていた国家機密法案を要らないもの、として放送したのだが、自民党関係者から局に抗議が入る。

放送翌日、社長ら上層部が録画テープを見て内容を吟味したが、それから数日後、自民党に社長が謝ったらしい、との噂が社内を走る。
労働組合が会社に問いただすと、放送内容について自民党から問い合わせはあったが、社長は謝っていない、との返答があった。

その直後、民放連会長だった某テレビ局の社長が、社員を集めた内輪の席で、自民党からの抗議で会社側は担当を代えることを含めて善処する、と言ったようだ、と発言したという。

これについても、言った、言わないの話があるのだが、結局、ボクは番組を外されることになり、やがて会社を辞めることになる。
この間の経緯の詳細が書かれていた。
この記事を書いた記者は恐らくすでに定年退職されているだろう。

あれから30年が経ち、その記事を読んで、改めて結構な騒ぎだったのだな、と思った。
そして、そう云えば、と思い出したことがある。

それは、国家機密法案の推進のために中心的役割を果たしていた自民党の大物議員の奥さんが、たまたまボクの番組を視ていて、亭主の議員に「あの法案は危険だし止めるべきではないか」と忠告するのを聞き、そんな影響を及ぼす番組は許せない、ということでテレビ局に抗議した、との話を当時耳にしたことがあった。

その真偽はともかくとして、いま思い返しても、当時のボクは、そんな大騒ぎだったとの自覚も無かったように思うし、騒ぎがあったとしても余り興味もなかったように思う。
鈍感、傲慢、若さによる恐いモノ知らずだったのに違いない。

この時テーマだった国家機密法案、通称スパイ防止法案は、結局、国会で審議未了で廃案となったが、実に永い時を経て、2013年の年末に多くの反対を押し切り、安倍政権の下で特定秘密保護法と名称を変え国会で成立する結果となっている。
ボクにとっては、因縁の法案である。

今回改めて記者が取材に来た目的は、あれから30年ほどの月日が経った現在、マスコミを含めた日本の言論の世界がどのように変化しているのか、その昔と今についてボクに取材したい、というものだった。
ボクが未だに現役でこの業界でメシを食っているのがミソのようであった。

かつては靖国とか天皇制とか教育の問題などの政治や社会問題をしばしば番組で取り上げては物議をかもしたことは確かである。

もっとも、ボクは右翼でもましてや左翼でもなく、反権力の立場から、権力の行き過ぎをチェックするとの考えに基づいていたつもりだったので、今から考えても決して過激だったとは思っていない。

ただ、ルポライターの鎌田慧さんにはアナーキーだと評されたことがある。
ジャーナリズムとはそういうものだとボクは信じていた。
そんなことが出来たのはボクがテレビ局の局員だったからであることは明らかだ。

今から振り返れば、それでもずいぶん言論に対する圧力が緩やかだった時代を感じる。
ただし、緩やかだったのはテレビ局であり権力側ではない。

現在の安倍政権はいささかやり過ぎだとは思うが、権力はいつの時代も言論機関には圧力をかけ、時には恫喝する。
しかし、当時のマスコミ機関はそれを押し返すだけの気概を持っていたと思う。

権力が圧力をかけるのは当たり前で、またマスコミはそれをはねつけるのが当然だとの緊張関係の中で両者は存在していたと思う。
そこが、今と昔の両者の関係が大きく異なっている点のひとつである。

今はマスコミは権力の前に従順になってしまっているように思える。
特にテレビの自主規制が問題だ。

それでも、結局は上記の記事の如く、ボクは番組を外されて、テレビ局を辞めることになった。
それまで会社はボクを適当に泳がせてくれていたのだったが、それも限界に来たのだったろう。
世間はそうは甘くない。

そのことについての後悔は全くないし、むしろ別の人生が体験出来て幸せだったと思っているが、マスコミ界の言論の自由の幅が次第に制限されてきたとの時代の推移は別としても、そういうテーマでの告発番組は、テレビ局の自覚と覚悟が無い限り制作プロダクションには決して出来ない業であることも確かである。

そしてもうひとつ、テレビ局を初めとして言論界を委縮させているのはコンプライアンスという言葉である。
法令や時にはモラルを含めての順守は理屈の上では当然だが、これが余りにも重視されると、企画発想や取材、あるいは番組の制作過程の中で過剰な自主規制に陥り、とても窮屈になる。
自由で面白い表現などに自主規制がかかり過ぎる恐れが生じる。

殊にテレビ放送は免許事業であるため、しばしば総務省からの恫喝を受ける。
最近の話で云えば、高市早苗総務大臣が公平性に欠ける放送に対する電波停止の可能性に言及するなど、この放送免許は脅しの小道具として使われている。

コンプライアンスは必要だとしても、それが拡大解釈を生み、過剰な自己抑制を引き起こし、出来るだけ問題が起きないようにとの連鎖的な動きに繋がっていく。
全てが委縮していく。
これがまずい。

新聞には社説があるが、テレビには無い。
その意味では、テレビとはごった煮の鍋のようなものであるべきだとボクは考えている。

そしてこの鍋には何を放り込んでも良い。
ジャンルも雑多だし、思想も雑多である方が面白いし味も出る。

ひとつの番組ですべてを完結しバランスを取る必要はない。
法律に触れる事象に対する規制やその是非の判断は必要だが、その判断をするのはあくまでもテレビ局であり、政府や役所であってはならない。

国論を二分するようなテーマがある場合でも、ひとつの番組の中でバランスをとる必要はない。
一方的な主張番組であっても良い。
そして別の番組で相対する主張の番組を編成し、一日、あるいは一週間のトータルでバランスをとり公平さを保てば良い訳である。
そうすれば、そこには自主規制も無く元気のよい表現や言論の場が展開されるに違いないと考える。

若い人たちがテレビ離れをしている理由の正確な分析結果は知らないが、テレビが若者たちにとって魅力を失っていることは確かで、その訳のひとつがテレビの報道内容が生々しくない官制の規制されたものであることを若者たちが察知しているからであろうと思う。

したり顔の行儀のよい番組など視たくないよ、ということだろう。
人々はハラハラドキドキさせてくれるような生き生きした番組を求めている筈である。
そのためにも、テレビはもっと自由で、言いたいことを生の言葉で語れる場を再び取り戻す必要があると思う。

時の政府は自分たちにとって都合の悪いことは覆い隠し、人々に知られては困るような真実を明らかにしようとする者を封殺しようとするのは当然である。

しかし、人々が知りたいのは、そういう真実である。
テレビはどこまでも人々の期待に応えるべく、圧力をかけてくる国家権力と堂々と対峙する覚悟を持つことが、ジャーナリズムの担い手としての最低限の義務であり、それによってテレビが今再び、人々に受け入れられる唯一の道だと信じている。

大阪本社から取材のために来たという30代後半の朝日新聞社の記者は物静かだが芯の有りそうな好青年だった。
2時間ほどのインタビューを終えての帰り際、ボクはエレベーターまで送りながら「こんなむさ苦しいところに来ていただいて済みませんでしたね」と声を掛けると「現場はみんなそうですね。でも大阪本社は新しいビルになりました」とにっこりした。
「建物が新しくなると碌なことはないですよ」と云うと「え?そうですか」とエレベーターに乗り込んだ。

建物が新しくなると確かに快適だが、新しいシステムが取り入れられ、必ず自由が利かなくなり不便が生じ、何事かの良さが失われる。
世の中、なかなか、すべて良し、とはいかないものである。

   「自由とは 闘うことと 見つけたり」


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ある営業スタッフの世界旅行

ボクたちの会社にはたった一人だが営業担当専門の女性スタッフがいる。
そのスタッフSは、歳の頃は40代の半ばを過ぎているが、未だ独身である。

その昔、さる有名劇団に所属していたと云うが、巫女や占い師の役をやればぴったりするような、少しばかり妖しい雰囲気を持つ個性豊かな女性である。
入社して8年ほどが経つ。

ディレクターとして中途採用し、プロデューサーの任にも就いたが、程なくわが社では初めてとなる営業担当に配置した。
とても真面目で、仕事に前向きで、物怖じしない積極的な性格をしている。
その反面、潔癖で、彼女独特の筋の通し方というものを持っているので、ややもすると、それが周囲のスタッフとのトラブルの原因となることもある。

意思伝達の表現があまり上手でないので、誤解を招くような面もある。
しかし、無くて7癖、有って48癖という言葉もある。
誰にも、五つや六つ位の弱点はあるし、その方が人間らしくて良い。
それも個性の内だとボクは思っている。

わが社には三つの部があり、制作部と業務部とは別に企画実現部という部がある。
当初は、企画推進部と称したが、実現部の方が積極的で良いだろうと判断し改称した。

10数年前から、それまで余り重要視されていなかった著作権の価値が見直され始め、またテレビ局の制作費の大幅カットが始められた。
そしてまた、企業などの提供スポンサーの中にも、大手代理店が大きな利益を取り過ぎていることへの疑問の声の高まりなどがあった時期である。
NHKにも外部からの資金を調達して番組制作をしようとの動きがあった。

そんな時代状況の中で、それならば、ボクたちプロダクションが直接お金を出してくれる企業と渡りをつけて、スポンサーを確保した上でテレビ局に企画を提案し、著作権も手にして二次展開していこうと企画実現部を作ったのだった。

担当部長を決め、何人かの外部スタッフ等の力も借りつつ、かなりの力を投入して取り組んだのだったが、当初に目論んだようには上手く事は運ばなかった。

途中まで話が進んだかに思えた大きな案件もいくつかあったのだが、結局は挫折することが続いた。
行く手を阻んだのは代理店だった。

つまり、ボクたちの動きは代理店の既得権を冒すことになる訳で、それほどに大手代理店の力は巨大だった。
ボクたちは直球勝負で攻め過ぎて、手練手管に欠けていたことは否めない。
力不足だった訳である。

こういった動きを模索している時期にSを企画実現部に配属したのだったが、Sは当時ブームになり始めていたペットに目をつけて、ペット関連の番組の実現のために奔走した。

そして、テレビ番組やネットを含めていくつかの企画を実現させたのだったが、Sがそのために訪問した企業の数は200社や300社ではきかない。
そのリストを見てSの行動力に驚いたものである。

論理的な戦略や戦術の下に設計図を描き、それに基づいての計画的動きではなく、猪突猛進の突撃隊長のような営業活動なので、結果を出すのに苦労しているが、とに角、その行動力においては評価に値する。
世間の常識にある営業とは形が異なるので、その努力が空を切ることも多いが、もしかするととんでもない大きな玉を掴むかもしれないとの期待感を生む。

会社では春にはお花見を、暮れには忘年会をしている。
これは会社設立以来の大切な恒例行事にしているが、Sにテレビ業界だけではなく異業種の人たちにも声を掛けてくれと頼んだところ、それこそ、さまざまな業界からの人たちが参加してくれるようになった。

これまでにSが築いてきた人脈は、ボクの想像を遥かに越えていて、とんでもない大企業のトップと繋がっていることが分かって驚くようなことも少なくない。

Sはまた、イケメン獣医の佐藤貴紀先生を見出して番組にも登場して貰っている。
この5月からある大手企業のテレビコマーシャルで全国デビューすることになっているが、佐藤先生はわが社がマネージメントするタレント第一号である。

ボクたちは大小数えれば年間150本以上の番組を制作しているが、海外取材も数多い。
常時誰かは必ず海外に出かけている。

しかし、ボクたちの会社でSほど色んな国を訪ねているスタッフは他にいない。
しかも、飛行機に乗って行くのではなく、電車で行く。

実は、Sは各国の大使館の観光局をくまなく歩いているのだ。
カナダなどを初めとして自国の観光PRに力を入れている国々は多い。
そんな国々とのタイアップの可能性を求めて足を使っている。

Sの動きは多岐に渡り、無手勝流だが誠実な営業スタッフである。
Sには型にはめず自分の好きなように泳いでもらっている。
ただ、制作スタッフが中心のプロダクションの中で、企画実現部の存在はまだまだ理解され難い。

年間の売上もここにきてそれなりの実績を上げ始めているのだが、制作スタッフに十分に認知してもらえていないのが現状だ。
営業と制作部との感覚のズレの補正がこれからのボクに課せられた宿題のひとつである。

ところで、ドキュメンタリーに限らず、番組を作りそれを通して自分の持つ何かを伝えたいと考えている人たちには、自我の強い者が多い。
実際、自己主張や自己表現のできない人には番組は作れない。
だからボクたちの会社でも、そういった個性の強い人たちは多い。

もっとも、10人10色との言葉もあるようにどんな人にもそれぞれ多様な個性があるのは当然で、どんな業種の会社でも同様であろうとは思うけれど、特に表現物を作る仕事では、そんな個性が生かされる現場でなければならないと考えている。
個性とは、ある意味、才能と同義語であるのかもしれない。

そして、これもまた当たり前のことだが、自我と自我はしばしば衝突する。
しかし、そんな多くの個性の集まりである制作プロダクションだが、そこに共通しているのは、元来、番組をつくることが好きで、その番組が少しでも視聴者を含めた多くの人に分かってもらったり、楽しんでもらいたいとの強い思いである。

この共通した目的のためには、それぞれの形は異なれど共通の言葉が生まれ、多少の障害は乗り越えられるし、意思はひとつに収斂できる筈である。
制作と営業とはその立場から来る多少の乖離があるが、理解し合えれば新たな力を生む。

営業部門は、わが社ではまだ試み段階の分野である。
しかし、そろそろ、このセクションに、積極的に人材を補充して本格的に稼働させる時期が来ていると感じている。

この4月から5名の新入社員がスタッフに加わった。
そして5月から更に2名が加わることになっている。
みんなが楽しく働ける会社を目指して、もうひと踏ん張りがんばることとしよう。
 
       「やって来た 新しき仲間 桜と共に 」 



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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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