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富と自由の関係

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国という名の妖怪

ボクが生まれた時にはすでに国があった。
そして何の疑問もなく日本の国民として生きてきた。
だから、国の存在については、空気や水と同じように在って当然のモノとして考えてきた。

しかし、国家とはどうやらそういうものではなさそうだ。

世界に全部でいくつの国があるのかは知らないが、現在、国連に加盟している国は193ヶ国あるらしい。
国家という大きな組織も未来永劫に存続し続ける訳ではなくて、常に滅びたり新たに誕生したりしている。

21世紀だけ取り上げても、この16年間余で、東チモール、セルビア共和国、南スーダン共和国など新しく誕生した国が6ヶ国ある。
そしてユーゴスラビア連邦共和国のように2003年に消滅した国もある。
明智光秀の3日天下ではないが、20世紀に、成立してたったの2日で消滅した国もあったようだ。

また、現在新たな国家の存立を求めて流浪し続けている民族もある。
まことに国とは、流動的で危うい存在なのだ。

世界各国の誕生と消滅の歴史については寡聞にしてその知識に乏しいが、国家の誕生と滅亡には必ず戦争が伴っているとの印象がある。
そして、ボクの幼稚な疑問は民が主体的に興した民のための国がこれまで存在したことがあるのかということである。

ボクが子供の頃に学校で習った歴史では、古くからほとんどの国々には王朝や帝国と称し、そこに権力者である王様が存在していた。
王様と称したり、皇帝であったり、日本の場合は天皇であったりした。

そのどれもが、世襲制で、時代によっては、親兄弟の間での争いの歴史もあるほど、その権力闘争は凄まじいものだった。
彼らは絶対的権力者として国民を支配していた。

王族支配の歴史は永かったが、やがて近代に入り、次第に王族は権力を手放す歴史を辿る。
そういう意味で最後まで権力を持ち続けたのは日本の天皇だったが、太平洋戦争の敗戦により、戦後の新憲法の下で天皇は日本国の象徴と位置付けられ、権力を失い権威となった。

そして現在、アメリカや西欧諸国、それに日本などが取り入れている議会制民主主義は、多くの矛盾や欠陥を抱えつつも、一応形態としては民が中心の国の在り方を示している。

しかし、現在でも世界には王様の残像とも言える存在を残し続けている国々が30ヶ国ほどある。
それらのほとんどの国でも王族は昔のように権力は持たないが権威として存続しているようだ。

こういった権威としての王様存在の是非については別の機会に譲りたいが、こうして見ると、有史以来の永い年月、国家を支配してきたのは王様や一部豪族であったことが分かる。

民主主義の歴史は実に浅い。
日本などは、実質的には太平洋戦争の敗戦以来だから、まだ70年余にしかならない。

改めて云うまでもなく、民主主義の思想は古代ギリシャ時代に生まれたようだが、それとて奴隷制度や女性差別の上に成り立つものだった。
その程度の民主主義もその後、制度として根付くことはなかった。
そして、永い絶対君主が君臨する時代が続くことになる。

そういう絶対君主の政治体制を破壊したのは、西欧では、確かに民衆の力だった。
それまでの政治的暗黒時代には、とても想像すら出来なかった、非現実だと思われていた革命的な民主主義という政治体制を生み出したのは民の力だった。

現実の溜りに溜まった矛盾が民を動かし、民のエゴが絶対権力のエコを凌駕したとでも云うべきか。
ボクなどが金科玉条の如く奉っている民主主義だが、その民主主義にしても、実は多数の民衆のエゴで成り立つ非常にきわどい存在とも言える。

民主主義の基本である多数決とは、民衆のエゴの最大公約数で成立している。
そして、民衆のエゴはその時々の状況に応じて対応や姿を変える、ある意味、節操のない千変万化の妖怪のような存在で、実に当てにならないものなのだ。
したがって、民主主義体制の世でも、民のエゴが危険で独裁的な権力者を生み出す可能性がある。

もっとも、日本の場合は、太平洋戦争の敗戦で、外国の力により民主主義を手に入れたという経緯があり、民衆が自ら闘い取ったものではない。日本国憲法も同様である。
それだけに民主主義の意義がボクたちの腹の底まで届いているかの疑問は残る。

それでも、世界の多くの先達たちが大量の血と涙を流して、やっと手にした民主主義は日本はもとより、人類の大切な財産であることに疑いはないし、現在これを超える政治体制の形は見えていない。
とてもひ弱で危なげな、誕生して間もない赤子のような存在だけに大切に育てなければならない。

しかも、皮肉なことに、その国家の成り立ちからみても、世界に冠たる民主主義の本家とも考えられるアメリカに、とても暴力的な指導者が誕生した。
世界一の超大国のリーダーだけにその影響力は計り知れない。

意図を持って国の姿を変えようとしている。
そして、強権発動を繰り返し国内外に波紋を投げかけている。

このアメリカの新しい姿に対応する世界各国の反応はそれこそさまざまだ。
日本の現政権の場合はどうか。

アメリカの属国的存在である日本は、表向きは戦々恐々としながらも、喜んでそれに追随しようとしているようにボクには思える。
そして、日本に多数を占め始めている国家主義の人たちを更に勢いづかせるのではないかとの懸念を持つ。

中国や北朝鮮との緊張関係を高めようとのアメリカの演出に協調し、それを積極的に是認しようとの日本の意図が見える。
新政権との表向きの最初の接触が日米両国の国防長官と防衛大臣の会談である所などかなり意図的である。
力による政治の出現により、日本の軍備増強に拍車が掛かることは間違いない。

事実上、日本には野党は存在しないから、実態としては自民党の一党独裁の状況を呈する今の日本には政治的歯止めは皆無だ。
そして自民党にもかつてのような保守本流も無ければ、反主流もない。
安倍政権だけがある。

その安倍政権の背骨を支えているのは日本会議の勢力である。
日本会議は戦前の王政復古を目指している。

そんな勢力の中に、トランプ大統領の問答無用の脅しと暴力的な政治手法を、決断力と実行力ある政治手法として歓迎し便乗する人たちが出現することを恐れる。
日本にミニトランプが出現しても不思議ではない土壌はすでに整っているのではないかと危惧する。

そして、一度はその姿を潜めた天皇を元首とする国家を目指す人たちの夢を実現するための絶好の機会にならないことを願う。
日本が再び戦前の国体に戻る未来が遠くに見える。
これらの危惧が杞憂であって欲しいと心から願っている。

民主主義に、いかに欠陥があったとしても、また時には衆愚政治に陥ろうと、そして逃れられないエゴの宿命があろうと、それでも、常に民が中心で主役の社会を形成する国家に生き、死んでいきたいと願っている。

     「トランプや 最後のババを 誰が引く」




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分かり易い政治の落とし穴

いつの世も「分かり易さ」は力を持つ。

ボクたちのやっているような不特定多数の人たちに情報を提供するテレビ番組制作の世界でも、分かり易さは不可欠で、端的で直接的な表現が歓迎される傾向がある。

文学や芸術の世界に見られるような行間を感じさせるような奥行きのある表現は好まれない。
視聴者に考えさせる時間を与えることなく、とにかく視聴者の眼や心に鋭角的に突き刺さる刺激的で分かり易い映像表現と説明が求められる。

もっとも、それなりの内容が伴わなければ商品にはならないのだが、分かり易さは必須の条件である。
その代表格が、今やどのチャンネルにも登場している池上彰の報道情報番組であり、多くの視聴者は彼の明快な分析と説明にナルホドと頷き納得する。

ドキュメンタリー番組となると、そこに物語性が加味され、感動などの心の動きが加わるので、ややニュアンスは異なるが、それでも難解さは常に排除される。
これが大衆を対象とするテレビ文化の基本的本質である。

しかし、一方で「分かり易さ」の追求は、人体で云えば、いわば骨格だけを表現し、そこに付随している肉や皮や表情といった部分をそぎ落とすことになるケースが多くなる。

物事の概要はある程度把握できるものの、果たしてその実相を伝えているかどうかについては怪しい。
本当は、骨格と実際の人体とは似て非なるものである。

歴史や各国の政情やさまざまな出来事や事件などについても同様のことが言えて、報道されるものと実相とのへだたりが生ずるという矛盾も生まれる。

そういう意味でこの「分かり易さ」というキーワードはなかなかの曲者なのだ。

確かに、「分かり易さ」は多くの人々の心を掴む。
そしてそれが時として危険な効果も生む。

悪い意味で使う場合のポピュリズム、つまり大衆迎合の衆愚政治を生み出す危険性である。
アメリカのトランプ大統領が使った手法も「分かり易さ」である。

彼はアメリカ第一主義に基づく強いアメリカの実現を唱える。
イスラム教徒の入国拒否や移民反対、中国、日本、メキシコなどから仕事と金を取り戻すなどの自国経済優先主義、海外アメリカ駐留軍の撤退、核戦力の強化などの過激な言葉は現状に不満を募らせていた人々の心を掴んだ。

実際に実現できるかどうかは別にして、それらの乱暴で過激な政策は、ある意味とても刺激的で分かり易い。
大統領就任早々、実行力をアピールするかのように、TPP離脱の大統領令に署名し、オバマケアの撤廃を発表した。
その後も次から次へと大統領令を出し、移民や難民の受け入れ拒否を巡ってのトラブルも多発している。

ことに、メキシコからの違法移民を防止するためにメキシコとの国境に万里の長城を築くことを決めたのは、余りに馬鹿々々し過ぎて笑う気にもなれない。

現在でもすでにフェンスがあるが効果はなく、例えそれを高く立派な塀にしたところで、トンネルも掘れるし、梯子を掛ければ乗り越えられる。
刑務所じゃあるまいし、3000キロ以上にも及ぶ両国の国境線の監視など出来ようはずもなく、結局大した役にも立たないことは分かっているはずなのに、である。

全てがどこか図式的、短絡的で劇画的だ。
それを大真面目でアピールするところが恐ろしい。

冷静になれば簡単に分かることなのに、感情の高ぶりが理性を失わせるのか、こういった施策に惑わされ共感する人々もいる。
一種の狂気だと思えるが、操っている側は狂気なのかどうか。

アメリカを初めとして、ヨーロッパの国々も、そして日本もそうだが、右傾化の道に歩を進めている。
いや、右傾化という言葉はすでに意味を持たないのかもしれない。

現在は資本主義と共産主義や社会主義の対立ではなくて、国家主義と民主主義の対決の時代を迎えているのだから、これまでのような右や左などは死語である。
中国や北朝鮮などの一党独裁の社会主義国家にはもとより民主主義はない。

今、世界は国家主義に向かって突き進もうとしている。
国家主義の国々は他の国々との協調関係よりも、自国の利益をあからさまに優先するとの考えだから、当然、他国との競争も激しくなり、利権を巡っての争いも多くなるので、そのために軍事力を増強し、結局は武力の行使も辞さない、というお決まりの道を辿ることになる。

力に頼る強権政治によって、歴史は同じ過ちを繰り返していく。
民が主人公であるべき民主主義が危機を迎えている。

そして皮肉なことに、そんな指導者を選んだのは多くの民なのである。
しかも、正当な民主主義の手続きを踏んで選んだ。
もともと民主主義はそういう矛盾を内包していて、常に危うい土俵の上に存在している。

国家が存在する限り、トランプ大統領の出現を待つまでもなく、どの国の指導者も自国の利益を最優先にするとの考えや思いは同じである。
それは当然のことだが、そこに他国との共存共栄の考えが有るか無いのかではその政治や外交の形は大きく姿を変える。

この世は不条理と矛盾に満ちていることは誰もが知っている。
それでも、その中で何とかそれらの矛盾を乗り越え、世界の平和と共存を求めようとの強い意志を持って政治に臨むことが必要だ。

それを、綺麗ごとの机上の空論であり、意味のない単なる理想主義にしか過ぎないと切り捨て、利己主義や排他主義を選択するのは間違いだとボクは思う。

現実に追随し、現実はこうだから仕方ないだろうとの政治手法は確かに説得力を持つし、また分かり易い。
しかし、それでは余りにも幼く、益々平和な世界の実現から遠ざかることになる。
間違いなく民主主義の崩壊を招く。

いつでも平和主義や理想主義は現実主義の前ではその立場は弱い。
現実主義の方が具体的だし分かり易い。
それに比して平和主義や理想主義は説得力に欠け、分かり難いのだ。

ありていに云えば、平和や理想を掲げる、民が中心の世界の実現などは絶望的に難しく、不可能に近いことかもしれないのである。
それが、エゴという厄介な荷物を背負う人間の逃れることのできない宿命であるからだ。

しかし、だからこそなお更、ボクたちがその不可能とも思える世界の実現を目指してチャレンジし生きて行くことが大切だと考える。
なぜなら、それが「人が生きる」ということの意味だと信じるからである。

「分かり易さ」は確かに必要だが、その一方で、人々の思考を停止させ、実相を理解しないまま分かったような気持ちにさせることになる用心すべき事柄であると思える。

そして思考の停止は善悪の判断を失わせ、その結果、善良である筈のボクたち一般市民が自ら進んでとんでもなく危険な状況に社会を導き、歴史の犯罪者となってしまうかも知れない恐れを内包しているのである。

       「こりゃまずい 後で気が付く 馬鹿社長」


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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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