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お金の流れに人は流れる

戦後の日本は敗戦の焦土から懸命に立ち上がり、奇跡とも云われる復興を成し遂げた。
そして、一億総中流と称される社会を作り、しばらくそんな状態が続いた。
特別の大金持ちもいなければ、それほど極端な貧乏人もいない、そんな社会はひとつの理想の形である。

しかし、賃金が上がり、ある程度経済的に豊かな暮らしが出来るという状況は長くは続かない。
労働賃金上昇の下で、各企業は賃金の高い日本から低賃金の海外に労働力を求めることになり、その結果、空洞化が生じ、結果的に日本経済は疲弊して行くことになる。
これはある意味当然の帰結である。

一方、国は国力を維持するために、大企業を優遇し、力の無い貧しい部分を役立たずとして切り捨てていく。
国家主義が台頭し、こうして次第に格差が生まれ、富める者と持たざる者の差が次第に大きい社会になってきている。

これは、ひとり日本だけの問題ではなく、グローバル化の波に洗われている世界各国が抱えている共通の問題である。
本来ならば、一極に集中している富を平等に分配すれば良いだけの話だが、そうはならないのが人間社会である。

実体経済を伴わない金融の世界が支配する現在の社会では、富める者は益々富み、貧しい者はさらに貧しくなっていく仕組みになっている。

福祉社会は、弱者や貧しい者、あるいは能力の劣る者も人並みに生きて行けることを目指すが、格差を是とする国家主義の社会では、弱肉強食が平然と認められ、能力のある者だけしか生き残れない過酷な競争社会となる。

自然界とは、もともとそういう生存競争の理屈で成り立っているものである、というのは開き直りの考えで、それでは福祉という考えは成り立たない。

恐らく人間社会は0.1%の強者と99.9%の弱者で成り立っている筈で、自分を強者の側に置ける人たちは少ない筈なのに、人はついつい自分が強者の側にいるかのような考えを持って判断しがちである。
だから、なかなか福祉や平等思想には眼が向かない。

能力や特別の才覚がなくても、汗を流せば普通に生きて行くことのできる社会でなければならないとボクは思うのだが、格差社会は間違いなく、才覚がなければ認められない世を目指す。

テロを決して認める訳ではないが、恐らくイスラム国を象徴とするテロの集団は、そういう大国や体制に対する怒りがその根本にあり、いくらテロ撲滅を叫んでもテロが無くならない理由であろうと思う。

これが現在の世界の大きな流れだが、そんな中でボクたち末端の庶民はあくせく生きている。
圧倒的多数の弱者のひとりとして生きている。

そして、誰しもがお金を欲しいと思っている。
しかし、そのお金の額はと云えば、あと2万円とか3万円あればとかの僅かな単位であることが多い。

とに角、ささやかなのだが、今よりも少しでも多くの金額があればと常に願っている。
そしてその思いは切実なのだ。
だから、僅かなお金の流れに動く人たちも多い。

ところで、ある調査によれば、現在、もっとも求人難の業界が、なんと放送業界であると聞いて、驚くと同時にナルホドと納得もした。

常識的には、東日本大震災以来、建設業界がトップかなと思っていたのだったが、建設業界は求人難第3位で、2位はIT業界だという。
IT業界には求職する人たちが殺到していると思っていたので、これにも意外感を持った。

人気の業界は銀行などの金融業界が上位を占めているようだ。
文字通り、お金の世界の現在を象徴する現象である。

一方、放送業界に人材が集まらなくなってから久しい。
この10年ほどボクたちの会社でもそれは実感している。

放送業界は仕事上、勤務時間が不規則で大変な割には給料が安いとの印象があるようだ。
それに、テレビの未来像が見えず、その将来に不安を感じているのだろうと思われる。
現実に、テレビの制作費が大幅に削減され、プロダクションも青息吐息の状態ではあることは確かである。

そして、テレビ局自体も今後のテレビ文化をどのように発展させていけば良いのかを真剣に模索していることもまた確かである。
テレビ業界は曲がり角の時代を迎えている。

しかし、立ち止まって考えてみれば、この状況は、テレビ番組を制作するボクたち制作プロダクションにとっては大きなチャンスとして捉えることができる。

これまでの既成の形を崩し新しい形を作るべき、ちょうどそんな変革の時代に生きていることは、面白いことであるし恵まれてもいる。
滅多に遭遇できることのないチャンスを生かさない手はない。

変革や新しい考えを創造するにはそれなりの勇気とエネルギーが必要だが、それに向かって燃えることのできる喜びもまた格別のものがある。

ボクたちは今、5年後の会社の形についてひとつの構想を持ち、その第一歩を踏み出すことにしている。
これからのテレビをリードし、テレビだけではなく、映像ソフトを提供する制作プロダクションとしての存在を確立したいと考えている。
そのためにも、現有勢力に加え、新たな人材の開発に努めているところだ。

これまでボクは、ハングリーでなければ、世の中の底辺や地べたを這いずり回るドキュメンタリーは作れない、と言ってきた。
そして、その考えは間違ってはいないと確信はしている。

しかし、考えてみれば、もともとボクたちは、この仕事で大きな金儲けなどは出来ない仕組みの中にいる。
ドキュメンタリー制作会社とはそういう存在である。

しかし、今季も間もなく決算を迎えるが、お陰様で黒字を計上でき、僅かながらだが税金を納めることが出来そうだ。
そして、得たささやかな利益はボクたちの会社のスタッフ全員に分配する。
分配の原則は、それぞれの能力や貢献度もさることながら、流した汗の量に重きを置く考えである。

ボクたちの歩んでいる、そして歩もうとしている道は決して平坦ではないが、やりがいと希望のある道だと固く信じている。

      「面白や 山あり谷あり 明日があり」


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大橋巨泉さんとのこと

大橋巨泉さんのお別れ会があったことをテレビのニュースで知った。
実は、巨泉さんとはしばらくの間、仕事をご一緒させていただいたことがある。

ボクがまだ日本テレビに在籍していた頃だが、「11PM」という番組があった。
月曜から金曜日までのデイリーの生放送で、ボクが担当していた頃は、月曜日と金曜日を巨泉さんが、火曜と木曜を藤本義一さんが、そして水曜日を愛川欽也さんが司会を務めていた。

ボクがディレクターとして参加してから一年余で巨泉さんが辞められ、野球解説の江本孟紀さんに交代となったから、巨泉さんとはそれほど長くはない。
ボクの30歳代後半の頃である。

それまで、ボクは報道局で10年余、告発ドキュメンタリー番組を制作し、何かと物議をかもして、報道部に配転となり、遊軍記者として過ごした後、巨泉さんが司会を務める「11PM」の月曜班に配属されたのだった。

もともと「11PM」は、制作費のかからない深夜のワイドショー番組として開発された番組で、その歴史は長く、1965年から1990年まで続いた長寿番組である。

もともと大人向けの夜のワイドショーだから、お色気を含めた肩の凝らない娯楽が中心の番組だったが、月曜日には、たまに硬派の社会問題をテーマとして取り上げることがあった。
先輩のプロデューサーにそういう先達がいて、その人が抜けた後にボクが配属される形となった。

報道部の遊軍でドキュメンタリー番組を作れなかったボクとしては、格好の場を与えられた訳で、政治問題や社会問題をテーマにどんどん番組を作った。
そして、これがまた物議のタネとなる。

巨泉さんは大人で、テレビのことを知り尽くしている、とても優秀な天才的司会者だった。
そして「11PM」という番組の本来の趣旨やコンセプトを正確に理解していた。

その番組は一種のサロンで、どんなテーマもお洒落に料理しなければならない大人の番組であった。
長寿番組として長く積み重ねてきた歴史も守るべき伝統もある。
巨泉さんは司会者という立場で、その番組のテイストをしっかりと守り続けてきた誇りあるテレビマンだった。

そこへ、訳の分からないボクのような作り手がいきなり乱入し、ドキュメンタリーを作り始めた。
これは、そんな番組じゃないよ、という巨泉さんとの間で、当然ながら摩擦が起きる。

巨泉さんは、決して社会問題を扱うことを拒否した訳ではなかった。
ただ、料理の仕方が違うと主張した。
「11PM」はお洒落な大人の番組で、直截的な報道ドキュメンタリー番組を作る場ではないよ、と。

しかし、本当に未熟で血気にはやり、自分の思い込みと勢いだけの、当時のボクはそんな巨泉さんの思いとはお構いなしに番組を作り続けた。

ある時、一週間をぶち抜き、教育シリーズをやろうということになった。
プロデューサーがプロジェクトチームを編成し、あらかじめ考えられていた構想が提示された。

ボクがチーフとなり、何人かの構成者やディレクターたちで会議を行っているうちに、最初の構想と全く別の番組構想の形になり、それに賛同できないスタッフたちは抜けていった。
そして、巨泉さんもそのシリーズの司会は降りることになる。

ボクたちが作ろうとしたのは、時の中曽根政権が推し進める管理主義教育を告発する内容の番組だった。
ちなみに、当時ボクたちが問題提起した管理主義教育は、30数年後の現在では、ごく日常的な形となり完遂されている。
そして、その方向は安倍政権の手で更なる目的に向かってその歩を着実に進めている。

月曜班のプロデューサーはボクの良き理解者で、好きなように番組を作らせてくれていた。
結果的に、その番組は民放祭最優秀賞を受賞し、プロデューサーは大いに喜んでくれた。

しかし、今、考えてみれば、色々と周囲のこれまでの伝統ある形を破壊して得た受賞が、会社という組織にとって価値あるものと云えたのか客観的には怪しいものである。
そして、その頃のボクは、賞などと云うものは、勲章を象徴として体制の言い訳的証にしか過ぎないと考えていたのだった。

巨泉さんには、生放送中に名指しで「小田の馬鹿が……」としばしば叱責されたものである。
巨泉さんが亡くなられたと聞いた時、巨泉さんには悪いことをしたな、と思った。

本来ならば、司会者を喜ばせ、感心させてこそ初めて、視聴者にとって面白いと感じることの出来る番組が生まれる。
その努力を怠り、自分の我を通すことはディレクターとしては失格である。

そんなディレクターの番組を司会しなければならない立場にある巨泉さんのことを考えれば、想像を遥かに超える苦痛であったに違いない。
巨泉さんが「11PM」の司会を降板された理由は知らないが、本当に申し訳なかったと、今さらながら思う。

そして、一事が万事、これが、ボクが本物のプロのディレクターになれなかった理由のひとつでもあるのだ。

その後、麻薬王クンサーの取材に成功した後、スパイ防止法案の番組で自民党の怒りを買い、とうとう番組を作らせてもらえなくなった。
自業自得の自然の流れである。

そして、気心の知れた仲間とドキュメンタリーの制作会社を立ち上げた時、ルポライターの鎌田慧さんから「アナーキストの小田さんが会社を始めるとはねぇ」と半ば呆れたような顔で言われたが、それから28年。
世の中も変わったが、自覚のないままボクもまた変わったようである。

つい先日、かなり前に仕事をお願いしたことのあるフリーのディレクターが仕事を求めて訪ねて来られた際、ついつい制作費の話をしている自分に気付いた。

会社を立ち上げてから少なくとも、15~6年ほどの間は本当に資金繰りが苦しくて、お金のことでは相当の苦労をした筈である。
自らの体験を、筈だと表現するのは少し変だが、そんな苦労は当たり前でそれを跳ね返すだけのエネルギーがあったので、苦労を苦労とは思わなかったのかもしれない。

しかし、その当時は、時代のゆるやかさがあった所為かもしれないが、フリーのスタッフと企画の話こそすれ、お金の話などしたことは恐らくなかった。

ボクはいささか恥ずかしいような気持ちになって「ボクのような者がお金の話をするというのは、ボクたちを取り巻く現在のテレビの制作状況の具合がいかに悪いか、ということですね」と笑ってごまかしたのだったが、巨泉さんとやり合っていた頃からするとボクも大きく変化したようだ。

巨泉さんのような天才的なプロは二度と現れないことだろう。
冥福を祈りたい。

   「わが悔いを 知らぬ仏や 巨泉さん」


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プロとアマの違いは何か

昔、聞いた冗談に「下手な歯医者に掛かるより上手なニセ医者に掛かった方が良い」というのがある。
実際、たまに名医だと思われていた人物が、本物の医者でないことが発覚して逮捕されるような事件が起きる。

将棋や囲碁の世界でも、アマの強豪がプロ棋士と対等に戦い、プロの棋士を負かすことも珍しくはない。
スポーツの世界も同様で、昨日までの高校球児がいきなりプロ野球界でスターになったりする。
オリンピックなど見ると、何がプロで何がアマであるのか分からなくなる。
まだまだ幼い天才ピアニストやバイオリニストの登場なども同様である。

こういうことから考えると、プロとアマの違いは、単に、その技量や才能の優劣だけではないことが分かる。
しかし、一方、素人で優れた技量を持った者を称して「プロはだし」という表現をするから、技量と全く関係ないのかと云えばそうでもなさそうだ。
少なくとも、プロにはそれなりの技量がなければならないようである。

それでは、プロとアマの違いは何か。
どうやら、プロとはそれを職業として生計を立てている人たちのことを云うようだ。
ここまでの理屈は小学生でも分かる。

ニセ医者も現代の法律に違反しているので正当な職業とは認められず逮捕された。
医師免許の無い大昔ならば人々に尊敬される医者だったかもしれない。

余談はともかく、それでは職業としていれば全員がプロかと云えば、そう簡単でないところに、プロとアマチュアの違いの難しさがある。

日本の職業は2万8千種類とも聞くが、そのそれぞれの職業に就いている者がすべてプロかと云えば、恐らくその大半はプロとは呼べないだろう。
実際は、そのほとんどを「プロ見習い」が占めている筈である。

ボクたちの会社は、主にテレビの番組の、中でもドキュメンタリーというジャンルの制作を志向する制作者集団である。
だから、スタッフたちもこの道で生きて行こうと決心し、プロを目指していることは疑いのない事実である。
しかし、プロと称するにはある一定のレベルの技量が必要だから、わがスタッフ全員が、その条件を満たしているかと云えば、そうではない。

入社して一年未満の者から業界に50年以上のベテランまで様々である。
ボクの体験からの一般論で云えば、新卒の場合、入社してから3年目ほどでディレクターの真似事を始める。
勿論、プロデューサーを中心として周囲が面倒をみる。
保護者が必要な訳である。
こうした修業期間に6~7年はかかる。

10年ほど経つと、何とかディレクターらしい体裁が整う。
そして、本当にディレクターと呼べるようになるまでに少なくとも15年から20年は必要である。
だから一人前になる頃には、年齢的には40歳になっている。

当然、例外はあるもので、特別の才能があり、普段の努力を惜しまぬ者でもっと早く成長する人材も稀にはいる。

そういう観点からすれば、あくまでも一般論だが、入社15年から20年頃までは「プロ見習い」と云える。
技量的にはまだまだ未熟な点や面が多い。

しかし、技量が整ったからプロと云えるのか、というプロであるための、もうひとつ大切な要件がある。
それは、ボクたちはテレビ番組の制作をその職業としているとの正確な認識の有無である。
つまり、テレビ局がクライアントとして制作費を出し、その意向を受けてボクたちは制作しなければならないという認識をしっかりと持っているかどうかという点である。

番組制作はそれを視てくれる視聴者のために行うのだが、その番組の制作に当たっては、テレビ局の意向を受けて、局の担当プロデューサーが番組の品質管理を行う。

三者三様、十人十色、百人百様の言葉通り、局のプロデューサーの個性は様々で、その表現方法も異なれば、趣味や好み、思想信条も違う。
そういったプロデューサーたちにきっちりとした対応ができるかどうかである。

例えば、そういった個性ある局のプロデューサーの意向を十分に分析し理解し、適切な対応ができるかどうか。
丸いモノを求められているのに、三角や四角のモノを提案してはいないかどうか。
求められている10センチのモノを7センチで対応してはいないか。

ある程度、技量を身につけたディレクターたちが、自分では面白いと思うシーンを全部削られて面白くなくなった、と不満を漏らすのを聞くことがあるが、それは求められているモノと異なるモノを提示した結果である。

局の意向という同じ土俵で勝負しなければならないのに、別の土俵で相撲を取っていることに気付かないケースは意外と多い。
自分の思い込みや勘違いから、そういう過ちを冒すことになる。

そういう作り手は制約や約束事の無い自主映画を制作すれば良い。
学校の卒業制作の作品同様、素人の世界で生きる道を選べばよいのである。
しかし、プロを目指すならば、その方法は通用しない。

そして、テレビ番組制作に於いて、自分の考えや好みを優先させるためには、そのための条件が必要となる。
テレビ局のプロデューサーたちは例外なく優秀である。
この人たちと、まず同じ土俵で対等に向き合い、仮に、意見が食い違った場合には、相手を論破し、なるほどそういう見方や表現の仕方があったかと感心させ、納得させる力をボクたち制作者が持っていなければならないのだ。

一方的に局のプロデューサーの言いなりになる必要はないのである。
それを同じ土俵で凌駕すればよいのである。

これらのことを理解して、実行することの出来る制作者はプロと云える。
そして、ボクたちは、そういう局のプロデューサーを超えるプロのディレクターを出来るだけ多く誕生させたいと心から望んでいる。

ついでに、もうひとつ。
作り手は人間だから、好き嫌いがあるのは当然である。
しかし、テレビ番組の制作者は得意な分野は必ず持っていなければならないが、仮に不得手だとしても、嫌いな分野を持ってはいけないということである。

どんな分野の番組であっても、嫌いだから、イヤだから、との理由で仕事を拒否してはならない。
時には甘えやわがままでその仕事をしたくない、というのは愛嬌だとしても、本気で拒否するのは根本的にまずい。

なぜなら、例え面白くないテーマであっても、それをどのように面白く捉え、面白く伝えるのかがボクたち制作者の基本的な姿勢でなければならないからである。

嫌いなテーマやイヤなテーマだと自分が感じても、そこに面白さを発見しようとの大切な心や意欲を持てない制作者はプロの資格はない。

ことほど左様に、本物のプロへの道は実に厳しい。
ところで、そういうお前はどうなのか、と問われたら何と答えるか。

ボク自身、この業界で50年余を過ごし、この世界だけでメシを食ってきてはいる。
そして、その半分以上の年月を社長業が占める。

ディレクター時代に多少の賞も頂いたが、自分が作り手としてプロだと思えたことは恥ずかしながら正直、無い。
そして、社長業も随分永くなったが、経営者として優れているとは決して言えないことも知っている。

ただ、いつも何か面白いことをやりたい、世の中の人たちを驚かせたいとの思いは失っていないし、ボクたちの会社を変革し、テレビ業界に貢献できる存在になりたいと願っている。
そういう意味では、発展途上中の「プロ見習い」というところ辺りが妥当と思っている。

今後、ボクたちのスタッフの中から一人でも多くの本物のプロを排出させるために努力を重ねたいと思っている。

     「技だけじゃ 嗚呼遥かなり プロの道」


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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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