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コンサルとしての制作プロダクション

ツクツクボウシの鳴く声を聞いた。
ツクツクボウシが登場すると秋風も間近だ。

ところで、若者たちがテレビを視なくなったと云われてから久しい。
テレビを視ないどころかテレビ受像機そのものを持たない若者たちも増えている。

ある調査によれば、テレビを視ている視聴者は60歳以上で、それ以下の年齢の人たちの視聴率は3%に過ぎないとの報告もなされている。
そして、テレビを視ている周囲の年配者たちからは、テレビが面白くなくなったとの声をしばしば耳にする。

実際に、日本を代表する代理店である電通もテレビ部門を大幅に縮小しているとも聞いた。
テレビが衰退期に入っていることは間違いのない事実である。

そんな状況下で当のテレビ局も実は混迷のさ中にある。
映像の品質を上げるために4KやNHKを中心とした8Kの開発が行われ、国策としてその普及に努めているが、受像機の売れ行きに思ったような伸びは無い。
画像の品質向上程度では人々の眼をテレビに振り向かせることは難しいのかもしれない。

テレビが衰退期に入った理由はいくつかある。
以前は新聞とテレビがマスコミの主流で、週刊誌なども隆盛を極めた時代がある。
人々の情報はほとんどそれらから得ていたのだが、ネットの出現でそれらのメディアが唯一無二の存在でなくなったことが、テレビ不振の大きな理由のひとつであることは周知である。

それと相まって、テレビ番組のマンネリ化がある。
テレビ業界はこれまで同業社以外に競争相手がおらず胡坐をかいていたために、斬新なソフトの提供努力を怠っていたことも事実だ。
テレビが面白くない、との声の原因がそこにある。

それに加えて、NHKを含めて各民放キー局のチャンネル数が増えたことも要因のひとつだ。
各局一斉にBS局やCS局を複数で持つようになった。

しかし、NHKで云えば聴視料、民放で云えばスポンサーからの金銭のパイには絶対額がある。
これだけ増えたチャンネルを賄うためには、番組数も大幅に多くなりひとつひとつの番組に使える制作費は当然ながら薄くなる。

制作費が高いから必ずしも面白い番組ができるという訳では決してないが、どうしても量は質を規定する面も大きい。
例えば、少し前まで1000万円で制作していた1時間の番組を、500万円で作ることになる。
いきなり質を落とすことが出来ないので制作会社は苦悩する。

これが続くと制作会社は疲弊する。
そして結局、量は質を規定するとの法則通りに、当然のことながら番組は次第に質を落としていくことになる。
質は量を規定するのである。

現在のテレビ状況はこの負のスパイラルの中にある。
テレビ番組が面白くなくなっている原因のひとつがそこにある。

これらの他にも、テレビ衰退の原因はあるが、しかし、テレビ業界で生きるボクたちは、嘆いていても何も始まらない。
活路を自ら見出さなければならない。

そのひとつが、先のブログで少し書いた、制作者が専門性を身につけることである。
このテーマならばAさんが得意だ、このテーマならBさんが、という具合にそれぞれ得意の専門分野で優れた番組を作りテレビ界に貢献し、テレビ局からの信頼を得られる作り手を用意することが大切である。
そのためには組織の拡大と安定経営が絶対条件となる。

テレビのこの混迷期にあって、苦悩しているのはひとり制作プロダクションばかりではない。
本家本元のテレビ局が最も苦しんでいる。
この状況を脱するためにどうすれば良いかを本気で模索している。

ここで、そのテレビ局とボクたち制作会社がどう向き合うかが大きなテーマとなる。
その基本が、ボクたちプロダクションがテレビ局の単なる製造工場になってはならないということである。
これがもうひとつのボクたちの活路である。

先日のわが社の経営会議でも話題になったのだが、テレビ局から頼られ相談を受ける制作会社でなければならないのではないか、ということである。
つまり、制作会社全体として局のコンサル的存在になろうとの気概と実力をボクたちが持つことである。

現状の番組制作の過程ではテレビ局の手練れのプロデューサーから指導を受けるケースも多い。
しかし、出来るだけ早くそういう状態を脱して、テレビ局のプロデューサーを凌ぐ実力をわが社の制作者が備えなければならない。
いよいよ、本物のプロの作り手を排出しなければならない時を迎えている。

そして、上質の番組を作ることだけで満足せず、斬新な企画で今のテレビを変革して行こうとの強い意志を持つ必要に迫られている。
企画力が試される。

大言壮語のように聞こえるかもしれないが、制作プロダクションの生き残る道はそれしかないとボクは本気で考えている。

      「老いぼれが 初めて本気 出そうかと」


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ボクのささやかな目標

赤坂の三筋通りのはずれに位置する、今の会社を構えている多聞堂ビルに移って来てから18年。
4階の全フロアーを借りていたのだが、少しづつ手狭になってきたので、3階に会議室を作り、またこの度、4階フロアーに作ってあった編集室をつぶして、5階に、新たに編集室と会議室とテープ倉庫を作った。

これで4階に新たなスペースが出来た。
現在、総勢70名ほどだが、これで100名のスタッフが収容できるスペースが用意できたことになる。

前にも少しこのブログでも書いたが、ボクが会社を去るまでには、そのスペースを埋める位の規模の会社にしたいと考えている。
明日の運命がどうなるか分からないのは誰も同じだが、あと5年くらいは好きなタバコをエネルギー源として何とか元気で働こうとの気持ちでいる。

スタッフの人数を増やすことについては社内にも賛否両論があろうかとは思うし、単にスタッフが増えれば良いという訳でもないが、量は質を規定し、質は量を規定するとの法則でいくと、100名ほどの人数が必要であるとボクは思っている。

ボクたちはドキュメンタリーを志向する集団だが、ひと口にドキュメンタリーとは云っても、様々なジャンルがあり、まだまだ手つかずの分野も多い。

歴史もの、美術もの、音楽ものに関してはほとんどが未知の分野だ。
それらの番組を手の内にしたいというのがボクのささやかな思いである。
それらを実現するためには、それ相応の人材が必要である。

テレビはごった煮の鍋のようなものである。
ひとつのチャンネルに色んなジャンルの番組が混在している。
ニュースもあれば、バラエティーもあり、スポーツやクイズもドキュメンタリーもある。

だからボクたち番組制作者も、昨日、震災の取材をしたと思えば、今日はスポーツ選手の密着取材をし、そして明日は世界遺産の素晴らしさを伝えるといった具合に色々な取材をすることが当たり前になっている。

その意味では、テレビの制作者はどんなジャンルもこなせるオールラウンドプレイヤーであることが求められてきたし、確かにそれが出来る方が便利だし効率も良い。

昔は今のように制作プロダクションなど存在しなくてテレビ局だけで番組を制作していた。
だからテレビ局には報道局やスホーツ局、芸能局、情報局などに部門が分かれ、それぞれその部局でさらに専門的な分野が存在して、そこで番組が作られていた。

特に規模の大きいNHKなどの例でみると顕著だが、報道やスポーツは勿論、科学分野の専門家や動物の専門家、あるいは美術、歴史、医学など各ジャンルで、それぞれの世界に造詣の深い専門分野を担当する制作者たちがいた。
あるいは現在も存在する。

しかし、この形を規模の小さなプロダクションに当てはめるのは難しい。
つまり、特殊なプロダクションを除いて、一般的には、どんな番組をもこなさなければならないプロダクションには、特別に専門の分野に特化しての番組の作り手はほとんどいない。

少人数では、とてもそれだけの余裕はない。
従って、専門家の作り手を抱えるには、それだけの規模の大きさが求められるのだ。

かつてボクたちの設立メンバーは6人だったが、そのうちの一人は、動物の専門家だった。
彼は日本テレビ勤務の20数年の半分をアフリカのケニアを中心に野生動物の生態を追いかけていた。
もうひとりは、カンボジアの専門家で戦場カメラマンだった。

自分の専門分野にしか興味が無いというのは、効率からみると、確かに歩止まりは良いとは言えない面もある。
しかし、また、大きな利点もある。

先述のふたりはすでに故人となったが、こういった専門分野に特に興味を持つスタッフがいると、彼らを中心として特別のエネルギーの渦が生じて、番組を生み出すばかりではなくて、様々なプラスの波が発信される。

プロダクションには、先ほど述べたオールラウンドプレイヤーも得難い人材でとても大切なのだが、こういった専門性を手にした人材も是非とも必要なのである。

そのための試みのひとつとして、ボクたちは、例えば、アジア班というグループを作り、アジアに関する専門家たちの育成に努めようともしているのだが、道未だ半ばである。

現在のボクたちの規模では、日常の番組制作に追われ、歴史番組や音楽番組、あるいは美術番組など、新しい分野になかなか挑戦できないでいる。

人材が先か、番組の実現が先か、ニワトリと卵ではないが、そろそろ専門家を自称できるようなスタッフをボクたちの会社でも出来るだけ多く誕生させたいと心から願っている。
それが、ボクのこれからのささやかな目標である。

そういった専門の得意分野を得手とする人材を育て、確保することが、これからの会社を育て、さらに成長させることになると信じている。

      「一つだけ あれば良いのさ 得意技」




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世代感覚のギャップ

親の心子知らず、という言葉に代表されるように、古今東西、意志の疎通というのは困難なことのようである。
親にも、子供にもそれぞれの言い分があり、お互いの心がすれ違う。

国が異なり、言語や生活習慣などの文化が違い、さらに宗教上の深い溝があればお互いを理解し合うのは難しかろうが、日本という小さな島国に住み、多少の差はあっても同じような文化を共有する人たちの間にあっても相互理解は難しいことのようだ。
最も近しい間柄にある親子にしてなお難しいのがコミュニケーションである。

ボクたちの会社では21歳から80歳までの老若男女がそれぞれの場でそれぞれの仕事をしている。
年齢の比率で云えば20歳代、30歳代が圧倒的に多くを占めている。

先日、4~50歳代のスタッフ数人と食事をしていた時「面白い話があるのですよ」と某テレビ局の看板番組を担当しているディレクターが云う。

彼はとても仕事の出来る人材で、若いスタッフの面倒見も良い。
裏表の無いストレートな性格だか、こと仕事に関しては厳しく、若いスタッフにとっては時にはとても手強い鬼軍曹となる。

彼の話によると、彼のもとでアシスタントとして、日頃あれやこれや厳しい指導を受けながら仕事をしている、今年入社2年目になるスタッフが、今年入社したばかりの新人女性スタッフに、ちよっと先輩ぶってアドバイスを施したところ「あなたにそんなことは云われたくない」とにべもない仕打ちを受けたというのである。
その若い男性スタッフは、意欲的な張り切りボーイでなかなかの好漢だけに、その時の様子が想像できて思わず笑ってしまった。

ボクたちの会社は、社長、専務、常務、取締役、部長と役職はあるのだが、それはあくまでも役職であって、仕事上の上下関係はない、との考えで動いている。
先輩、後輩という事実は存在するが、プロデューサー、ディレクター集団なので、仕事の上では万事平等、基本的には全員が横並びの関係にある。

少し前まで、ボクのことも社長とは呼ばせないで、名前で呼ぶようにと徹底していたのだが、最近では少し面倒くさくなったのと、そういう横並びの考えが会社全体にある程度浸透したので、うるさく云わなくなった。
中には社長と呼ぶスタッフたちも出てきたがそのままにしている。

上下関係を作らない仕組みには、良い面と不便な面がある。
良い面は、ただ取締役だとか先輩だという理由だけでは威張れないことである。
自分が本気で燃えて仕事に取組み、説得力を身に着けない限りスタッフを動かすことはできない。

不便なのは、その裏返しで、号令一下の上意下達ということにはならないので、いささか面倒な点にある。
少し分かりづらい形だが、敢えてそうしている。

今回の“あなたにそんなことを云われたくない”事件は、普通の会社の一般常識で考えれば、礼儀の知らぬ、とんでもない新入社員だ、との判断を下されることかもしれない。

しかし、別の見方をすれば、二年生社員が新入社員に対して納得し参考になる適切なアドバイスを与えるだけの説得力に欠けていたのだ、ということも言える。

ボクは実際の現場に立ち会っていないので、真相については分からないが、新入女子スタッフを一方的に責める気持ちはない。
礼儀を含めて、話を暴力的に遮断してしまうなど様々な問題はあるにはあるが、むしろ、それよりもアドバイスをした二年生スタッフに、相手がナルホドと納得させられるように、もっとがんばれ、と云いたい。

今年で入社4年目の男性スタッフがいる。
まだまだ発展途上中ではあるが、ディレクターとして順調な成長を続け、将来リーダーとしてボクたちの会社を支えていく資質を備えている有望株のひとりである。

そんな彼がしみじみ言うには「毎年入社して来る若い人たちの考えが分からない」世代のギャップを感じると云うのだ。
彼は同期の仲間や後輩たちと積極的に交流し、盛んに飲み会などを行っている。

お互いに話す機会も多い分それだけ、理解できたり、分からないことがあったりする分も多くなるのだろう。
それにしても、20歳代の間ですでに世代ギャップを感じていることが面白くもあり、微笑ましくもある。

それが果たして世代のギャップなのか個性の違いから生じているのは定かではないが、それほどにそれぞれの考えや感じ方が多様化しているのかも知れない。

年寄たちが、口を開けば「今の若い者は……」と云って切り捨ててしまうが、世代ギャップを感じて悩む方がよほど健康的である。

知り合いに中国国籍の朝鮮族で30年ほど前に日本に来て以来、様々な苦労の末に、自社ビルまで持つまでになった50歳余の男性Rさんがいる。
彼は、数店のマッサージ店を経営していて、この度、念願であった中華料理店を新宿に開業した。

招待されて店に行くと、20数名の人たちが賑やかに宴会をしていた。
Rさんは「わたしのマッサージ店で働いてくれている人たちだよ。朝鮮族もいるし、中国人もいるし、日本人もたくさんいるよ。月に一度はこうして宴会を開いている。みんなわたしの兄弟だよ」と云う。

言うまでもないが、兄弟と云っても勿論、実の肉親という意味ではもとよりない。
同席していたボクの妻はすかさず「私たちの会社もとても家族的で、社長は社員のことを子供たちのように思っているのよ」とボクを立てようとした。

するとRさんは「でもね、親子関係は難しいよ。親の心子知らずだからね。その点兄弟関係は良いよ。兄弟、兄弟。兄弟に限るよ」と切り返した。
なるほど中国から単身日本に渡り、人間関係を含めて色んな苦労を重ねてきただけのことはある、とボクは感心した。

そう云えば、一昔前、人類は皆兄弟、のスローガンの下、競艇を取り仕切っていた人物がいたことを思い出す。
なるほど、兄弟は、親子よりも横並びの思想だ。
Rさんに見事、ワザあり一本取られた格好である。

時代の変化と共に、社会全体の考えや常識が変化し、それがある場合に世代ギャップを生み出すとの見方はできる。
しかし、少し引いて俯瞰でみれば、それは当事者同士の理解不足やコミュニケーション不足が主なる原因で、世代の違いはそれほど大きな問題ではないのではないかと思えてならない。

会社設立当時から60歳半ば頃までは、ほとんど毎晩飲んで議論していたものである。
会社設立時に、社内でしばしば宴会をする会社は良い会社だ、と聞いていて、実行してきたのだったが、それは単に酒好きの言い訳ばかりではなくて、そのことは会社運営のためにはとても大切な要件であると、この間の経験から知った。

しかし、ボク自身も適当に歳を重ねるにつれて、スタッフたちと食べたり飲んだりしてのコミュニケーションの回数がここ2~3年、不足してきたとの感はある。

共に飲んだり食ったりする、いわば同じ釜の飯を食うことが、下世話だが、お互いの理解を深め、分かり合うための、昔から変わらぬ、もっとも近い道なのかもしれない。

      「うたかたの 分かるも否も 分からずに」


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都知事選挙の教えるもの

いつになく馬鹿騒ぎの都知事選挙が終わり、大方の予想通りの結果となった。

ボクの敬愛する友人である鳥越俊太郎さんは期待されたほどには票が伸びなかった。
野党連合の敗北でもあった訳だが、今回の結果は如実に現在の政治状況を表している。

野党の完敗の図は残念だが、鳥越さんの落選については、個人的にはホッと胸を撫で下ろしているのが正直な気持ちである。
彼は善良で、魑魅魍魎の巣食う魔界には相応しくない上等な人物である。

ジャーナリズムの世界で政界を監視し、問題点を指摘する彼本来の立ち位置に戻り、この体験を生かしてさらなる活躍を続けてもらいたいと心より望んでいる。

ところで、今回の選挙結果は、自民党公認の候補が敗れた訳だが、俯瞰で見れば自民党の内部統制の乱れがあっただけのことで、何のことはない、結局は自民党の勝利ということになる。
新知事になった小池百合子は安倍首相を支えるいわば安倍一家である。

ボクの知り合いで、もしも小池百合子が知事になったら、東京都から引っ越す、と語るほどに激しい人もいたが、さて本当に引っ越すのかどうか。
果たして日本に引っ越すべき地を見つけることができるのかどうか。

ボクは小池新都知事については、ほとんど知らないので、何の感情もないが、彼女が天皇を元首とする戦前の国体回帰を推し進めようとしている日本の最大右派勢力「日本会議」のメンバーであり、安倍首相をはじめとする現政権の主要グループの一員であること位は知っている。

やはり「日本会議」のメンバーで同じ志を持つ石原慎太郎に続いての右翼知事の誕生ということになる。
東京都知事は他の都道府県とは異なり、首都だけあってその扱う予算も膨大だが、とは云っても地方政治の範疇で国政とは異なるので、知事の国政への影響力はそれほど大きいとは思えない。

その点では誰が知事であっても同様だと高をくくってはいるのだが、問題なのは小池新知事ではなくて、そういった右翼思想を明らかにしている政治家を知事に押し上げている選挙民の意識の在りようである。

先に行われた参議院選挙でもそれは同様で、安倍政権が憲法改正を行い、強硬な軍事外交路線を選択し、民族主義を強め、天皇を元首とした戦前の天皇制国家を目指して民主主義を危うくしている政権であることを国民は承知の上で、それでも自民党を支持した。

この国民の在りようが深刻である。
というよりも、それが現在の日本国民の民意であることが恐ろしい。

自民党の中にも安倍政権に異を唱える反主流のリベラル派はすでにその姿を消した。
そして政府だけでなく国民の多数もタカ派に変貌している。

リベラル派はすでに少数派となってしまっている。
認めたくないが、それが日本の現実の姿だ。

世界各国でテロが多発し難民で溢れ、今や安全な国や安全な都市はなくなりつつある。
暴力が蔓延し、民族主義が高まり、さらに世界が暴力的になる。
この悪循環の中では、暴力は暴力で解決するとの力に頼る政治が当然のように行われる。

その根本は恐怖で、テロや外国の脅威から自国を守るために軍事力で防衛しようとする。
初めは専守防衛を唱えるが、恐怖は妄想を生み出し、過剰な防衛はやがて先制攻撃に移行する。
軍事力に頼る考えは軍拡を導き出し、常に一触即発の危険な国際状況となっている。
北朝鮮なども恐怖の表現として不必要な威嚇行為を繰り広げている。

日本もまさにその渦中にある。

大人も子供もポケモンの捕獲に夢中になっている様子だけ見ていれば、平和ボケとも映る。
しかし、一方で多くの人たちは現在の世界や日本の状況をかなり危険な時代と深刻に捉えているのだろう。

そして、その選択肢として民族主義、国家主義の安倍政権を支持している。
強権政治を推し進めている安倍政権を支持する多くの国民の民意がそこにあるのだろう。

日本だけではない世界的な負の連鎖の中でどういう選択が最も正しいのか。

少なくとも日本は現在のところ独裁国家ではない。
民主主義が正常に機能している国である。

そして、選挙で投票所にわざわざ足を運ぶ選挙民はそれぞれに、それなりの知識と見識を持って投票しているはずである。
その結果として恐らく適切な結果を生んでいると信じられている。
それが民意というものであり、その民意を認めるのが民主主義の原則である。

しかし、それでもこれはおかしいと考える時は異を唱えることができるのも民主主義である。

奪うことなく、そして奪われることなく、また富むこともなく、貧し過ぎることのない世をどのように実現するのか、これがぼくたちのテーマでなければならないと信じている。
刻一刻と本気で戦わなければならない時が近づいていることを感じている。

      「まあいいか のらりくらりも 終わりかな」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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