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喫煙無情

お断りしておくが、与太話である。

タバコを吸い始めて3年近くが経つ。
それまで15~6年間ほど禁煙していたのだが、また始めたのだった。

好きなタバコを敢えて止めたのは、実はタバコを吸うためだった。
ちょっとややこしいが、話はこうである。

50歳を過ぎた頃、ああ、歳をとるのは嫌だなあ、と強く感じたことがある。
歳を重ねても何も良いことは起きそうにもない。
何か歳をとることが楽しくなる方法は無いものかと考えた。
そして思い付いたのが禁煙である。

当時は文字通りのチェーンスモーカーで、1日100本以上吸っていた。
まるで歩く煙突だった。

それほど好きなタバコだったが、これを禁煙して、65歳になれば吸えることに決めれば、早く65歳になりたいと毎日、歳をとることを待ち遠しくなるに違いない、と考えた。

その頃は65歳などという年齢は遥か遠い未来のことで、想像すらできない先のことのように思っていた。
その年齢まで生きながらえる保障は何も無かったが、とにかく65歳までは生きて再び美味しいタバコを吸うことを人生の一番の目標にした。
そして、キッパリとタバコを止めた。

しかし、思いの外、時は瞬く間に過ぎ行き、あっという間もなく65歳を迎えた。
その時は、意外にもあれほど好きだったタバコだったのに、もう吸いたいとは思わなくなっていた。

しかし、それからしばらく経ったある日、ふと、あれ、俺はなぜタバコを止めたのだったのか、と我に返った。
再び吸うために止めたタバコを今吸わないでどんな面目が立つと云うのか、と。
そしてまた始めることにしたのである。

しかし、タバコを再び始めてから、とても窮屈な世の中になったものだと痛感している。
禁煙していた間に、喫煙環境が全く変わっていた。

とにかく、タバコを吸う場所が余りにも少なくて、苦労する。
多くの人たちが嫌煙家に変貌してしまい、これも民意なので従うしかないのだが、まるで罪人にでもなったかのような思いに陥ることもある。
嫌煙家たちのタバコに対する嫌がりようは尋常でないことも知る。

それにしても世の中変わったものだ。
昔の話をしても仕方ないが、男のくせに酒もタバコもやらないなんて、なんと情けない奴だなどとの風潮がボクの周りにはあったし、ましてや、健康に悪いからなどとの理由でも云おうものなら、命が惜しくてどんな仕事ができるのか、と、これも軟弱で情けない男に成り下がらなければならなかった。

理屈を超えた見得や虚勢を張り、格好を付けているだけなのだが、まあ、乱暴と云えば乱暴な時代だった訳である。
そういえば、ボクなども仕事と遊びが第一で、そのためには親の死に目には会えないのが当たり前だと考えていた。

妻や子供など家庭的なものは仕事と遊びの前では二の次だと心の底から信じていた。
家庭的には、誠にサイテイの奴であった訳である。
もっとも、正直云うと現在でも、そんな思いが心の奥底で鈍く光っていることは事実である。

政治や経済を語り大きく世界を捉えている人物が、一旦タバコの話となると、途端に眼の色を変えヒステリックになる様子に出会う度に、なんだこの人は案外チッポケな人間だったのだなと感じることが時々ある。
日常的に車の排気ガスを吸いながら、タバコの煙ごときにピリピリするのも滑稽な図だが、一方でそんな嫌煙家の気持ちも分からない訳ではない。

時代と共に世の中の慣習や制度が変化し、人々の価値観や対応も変わる。
今は、タバコに市民権が認められず、もしかすると麻薬同様に社会悪のひとつとして喫煙が認められなくなるかもしれない勢いである。

だからと云って、ボクはタバコの復権のために大声を出すつもりもないし、喫煙の正当性のために屁理屈を捏ねたいとも思わない。
それが今の流れだ。

タバコを嫌だという人たちがいる限りは、その人たちの考えと共存できる喫煙の努力をするだけである。
ひっそりと、しかし邪魔されることなくタバコを楽しめれば良いだけの話である。
今は喫煙のためには多少の我慢が必要な世の中なのである。

しかし、ひとつだけ困っていることがある。
実は妻が大の嫌煙家なのだ。

以前の若い頃ならば、「タバコの煙くらいは我慢しろ」の一言で済んだのだが、大きく歳の離れた妻には、ボクもいささか弱い。
これまでは「ネズミとヘビ」が一番嫌いだと言っていたのが、最近では「タバコとネズミ」が嫌いに変化した。

挙げ句の果てに
「私を本当に愛しているのならば、タバコを止めて!」
と究極の脅迫をしてくる始末だ。

「ボクを本当に愛しているのならタバコ位は認めろよ」
との反論はぐっと飲み込んで
「残り少ない人生なんだから、好きなタバコ位は許してよ」
と吸い続けている。
いかにも軟弱である。

愛がタバコの煙と共に消えていくことの無きよう、どのようにしてタバコを吸い続けていくことが出来るのかが、目下のボクの最大の課題である。

   「愛のため 我慢思案で 一服し」


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イチロー選手の最多安打とナショナリズム

「日本の選手が再び金字塔を打ち立てた。日本人として本当に誇りに思う」
これはアメリカ大リーガーのイチロー選手が日米通算4257安打に到達したことを受けての安倍首相のコメントである。

テレビから流れるこの主旨のコメントを聞いた時、ボクは「ムム」」とある種の違和感を覚えた。
この違和感の正体とは一体何なのか。

念のため先に断わっておくが、ボクは自分が日本に生まれたことは良かったと思っているし、日本列島に住む人々と共に平和な暮らしが出来ることを願っているし、そのためにも日本という国を大切にしたいと考えている。
日本国民であるからには、国民として果たすべき義務を全うしなければならないことは当然である。
その意味では、日本という国に住む平均的な民の一人であると自覚している。

そんなボクが安倍首相のコメントに違和感を覚えたのは、短いコメントに「日本」という言葉がやたらに強調されているな、との印象であった。

そして、もっと細かく云えば、「日本の選手」という言葉の意味である。
この「日本の選手」の日本は日本国籍を指すのか、それとも日本民族を指すのか。

仮に大記録を打ち立てたのが、日本国籍を取得したキューバ出身の人物だったら、あるいは韓国籍や北朝鮮籍を持つ日本で生まれ育った在日3世、4世の選手だったら、安倍首相はどういう表現をしたのだろうかとの考えが、ふと頭をよぎる。
そして「日本人として誇りに思う」という言葉にも安っぽいナショナリズムを強調するかのような響きを感じたのである。

イチロー選手はまぎれもなく傑出した才能を持つヒーローである。
彼は日本という枠を超えた所で生き、活躍している。
そこには、安手のナショナリズムが入り込む隙は無い。

「日本の野球界で活躍し、さらにアメリカの大リーガーで大記録を打ち立て、世界の野球界に大きな貢献を果たしたイチロー選手を心より賞賛したい」
とイチロー選手の偉業をなぜ祝福することができないのか。

安倍首相のコメントの主体は、イチロー選手ではなく、日本人に置かれていることは明らかだ。
イチロー選手の偉業を矮小化し、ナショナリズムの材料に利用している感が拭えないのである。

ところで、勉強不足も甚だしく恥じ入るばかりだが、「日本会議」という団体があることをつい先日知った。

「日本会議」は美しい日本を守り伝えるため、誇りある国づくりを合言葉に、提言し行動することを目的として活動する団体だそうだ。
1997年に発足している。

「日本会議」は軍事力増強や緊急事態条項などを重視した憲法改正、男系による皇位継承を目的とした皇室典範改正、公共心や愛国心に基づく新教育基本法の制定、国旗国歌法の制定、総理大臣の靖国神社公式参拝の実現などを目指しているという。
また夫婦別姓やジェンダーフリー、外国人地方参政権、人権機関設置法などには反対を表明している。

この団体を朝日新聞はナショナリスト団体、東京新聞や神奈川新聞は、日本最大の右派組織と報じている。
また、アメリカのニューヨークタイムズは、民族主義組織と記し、イギリスのエコノミストは、伝統的価値への復帰と旧日本軍の悪行への謝罪外交の否定を主張する民族主義的シンクタンクと報じている。

この団体の幹部には、安倍首相を始め、麻生太郎、谷垣禎一、不破茂、小池百合子、管義偉、中谷元、甘利明などの名が続々連ねられている。
そして、第二次安倍内閣の19人の閣僚のうち15人が、第三次安倍内閣の12人を「日本会議」のメンバーが占めているそうだ。

イチロー選手の偉業に関して述べた安倍首相の「日本の選手が再び金字塔を打ち立てた。日本人として本当に誇りに思う」という短い一文に、ボクが違和感を覚え、同時に胡散臭いナショナリズムの匂いを嗅いだその理由の背景に、こういったナショナリストの思想集団の存在の意志が反映されていることに、ボク自身不覚にも初めて気づかされたのだった。

そして、これが現在、日本を右傾化に導いている正体そのものであることを知ったのである。

参院選が始まった。
この選挙の結果が日本の今後の国の在り方のターニングポイントになることは間違いない。

      「侘びや寂び 誇らぬ日本の 伝統は」


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舛添東京都知事の辞職カラ騒ぎ

「どうして、こんなことでみんな大騒ぎしているのかしら。
これが問題になるのなら日本の政治家は全員が辞職することになるんじゃないの」と反対党総裁で天邪鬼の妻が怒っている。

政治家などという人種は汚職をすること位は当たり前のことで、舛添知事の今回の不祥事程度のことには慣れっこになっている中国国籍の妻でなくても、連日のマスコミのカラ騒ぎには辟易するものがあった。
そして、あらら、と見ているうちに、とうとう辞職することになった。

「これには何か裏があるんじゃないの」と云うボクに
「本当にバカみたい」と妻は一言で切り捨てた。

もっとも、今回の舛添知事のお金の使い方に関しては弁解の余地は無いし、褒められたものではない。
発覚した時の対応から見ても、この程度の人物ならば辞任した方が良いこともまた確かである。

しかし、舛添知事の本当の胸の内には、前任の知事同様に倣っているだけに過ぎないし、自分を罰するのならば他の政治家たちはどうなのだ、との思いがある筈だ。

東京都知事は多額の予算を握るトップで重要と云えば重要だが、国政とは異なるのでボク個人としては余り興味はない。
そうとは云え、都知事選で野党が推薦する候補が敗れ、自民公明の推す舛添知事に決まった時も、一時は自民党を離れた政治家であるし、前の都知事であった石原慎太郎のような権力を振りかざすようなタイプではなさそうな小粒なので、まあ仕方ないネと思っていた。

過去2年4ヶ月になるらしいが、案の定、就任以来、これまで何かを試みたというようなことも無かったようで、マスコミの全面に躍り出ることも無かった。
無策の知事の方が都民に害を及ぼす政治家よりもマシである。

政治の大変革は望むが、現在の政治家たちへの期待は全くできないからである。

しかし、そんな存在感の無い政治家がどうして葬られなければならなかったのか、これがとても不可解である。
妻の言を待つまでもなく、今度の舛添知事の冒したような失態は、ほじくれば大抵の政治家にもある筈だ。

それを誰がどのような意図で週刊文春に記事を書かせたのか。
世論のほとんどはマスコミが作り出すのだが、なぜすべてのマスコミがこれほどまでに大騒ぎしたのか。

舛添知事の冒した罪は「せこい」と評されるほど小さなスキャンダルで他に飛び火するほどの大事でないところがミソかも知れぬ。
舛添個人のスキャンダルとして辞職することで収束可能な案件だからである。
舛添知事を実現させた自民公明への責任問題として浮上する恐れもないだろう。

本来ならば、ここまで騒ぎを大きくしたマスコミは、ザル法と云われている政治資金規正法の徹底的な改正の実現まで責務を負わなければならない筈だが、そうはなりそうにもない。
国会議員は与党を含めてどの野党も自分たちの都合の悪いことには目をつむり動こうとはしない。
結局はうやむやで終わることになる。

この騒ぎで得をするのは誰か。
何を国民の眼からそらしたかったのか。
あるいは、闇に包まれた政争の具とされたのか。

ドラマの見過ぎではないが、今回の舛添知事の葬り方は、必殺仕置き人さながらの鮮やかさである。
大衆心理を知り尽くしたプロの見事さと云うのは言い過ぎか。

ボクたち国民はいつも、こうして正体不明の力に操られ、騙されてしまうのである。
そして、結局、馬鹿を見るのは、高い税金を払って選挙の投票に行くボクたち愚民なのである。

       「マスコミや 恋も驚く カラ騒ぎ」


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安倍政権と国家の寿命

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安倍政権の本当の罪

安倍首相が消費税10%への引き上げを2年半先に延期するとの表明をした。

世論調査でも増税反対の声が大きいのは確かである。
実際ボクたちの会社でも、これ以上税金が上がるととても耐えきれないとの実感がある。

改めて云うまでもないが、安倍首相は「アベノミクスの三本の矢」を立てた。
金融政策、財政政策、成長戦略がそれである。
ここで増税すれば、日本経済の成長戦略に大きな危機を招くと判断した訳である。

一本の矢である大胆な金融政策はそれなりの効果をもたらせたとされている。
しかし実際はどうか。

狙い通りには景気が好転しないため、この4月、日銀はマイナス金利政策を行い、銀行の金を投資などに向けようとした。
しかし、大企業や優良な中小企業は将来の不安に備え、潤沢な内部留保金を貯えており、銀行からの借り入れなどは必要とはしていない。

デフレからの脱却がなかなか実現できない現状では物は売れないから、政府が設備投資を奨励しても、それに投資する企業などない。
賃金を上げて消費を増やそうとしても企業は云うことを聞かない。
銀行からお金を借りたいと望む企業には、経営の危ない所が多いので、そんな企業には危なくて銀行はお金を貸そうとはしない。

結局、日銀がマイナス金利政策という極端な方法を用いてもお金が動かない。
経済の血液であるお金が滞って巡らないのである。
血液が順調に巡らないと病気になり、景気は回復の兆しを見せない。

今回の消費税増税の先延ばしで、財源に不足を来たすことになり、二本目の矢である財政政策が出来なくなる。
財政出動どころの騒ぎではなくなる。

それでも、消費税増税を見送ったのは、余程のことである。
日本は1000兆円の借財を抱える先進国でも屈指の超赤字国であり、潜在成長率も0,2%程度に下がっている。
三本目の矢である成長戦略も見通しは全く立っていないのが現状だ。

巷間で伝えられている通り、アベノミクスは失敗であったことはすでに明らかである。
しかし、これは、決して安倍政権の所為ではないとボクは思っている。

政権担当者であるから責任を問われることは当然だし、また責任を果たせないのなら退陣するのは筋ではある。
だが、日本の経済は来るところまで来て完全に行き詰まりを見せている。

今後の高い成長率の実現は絵空事で、どの政党が政権を担ったとしても、同じであるとボクは思っている。
日本は抜本的な構造改革や価値観の転換が必要な時を迎えている。

ただ、安倍政権の本当の罪は、アベノミクスによる経済政策が失敗しているにも拘らず、それを認めず「アベノミクスのエンジンを最大限にふかす」との力説を繰り返し、まだ日本の将来に明るい未来があるかのような幻想を国民に与え、政権を維持しようとする所にある。

そして、必ずしも国民が求めているとは考えられない「憲法改正」などの政策を実現させようとしていることである。
国民が安倍政権を支持しているのは、安倍政権ならば、このデフレ不景気に苦しむ日本経済を何とかしてくれるのではないかとの淡い期待感を持っているからである。

それは実際は幻想であり、事実その経済政策は破綻しているのにもかかわらず、国民の多くはその期待を未だに捨てきることが出来ないでいる。
その期待で得た圧倒的な議員の数に乗じて、憲法を改正しようと目論んでいる。

今年3月の時事通信の世論調査では、「憲法9条を改正すべきか」については「必要ない」が57%と過半数を超えている。
そして、改正すへきと答えた人たちの内容と云えば「自衛隊の存在を明記すべき」という理由が41%を占めている。
また「アメリカの押し付け憲法だから」という回答は6%に過ぎない。

安倍政権の狙いが国民の意識と大きくずれていることが分かる。
本当は国民の望みは、憲法改正などではなくて、景気の回復であり、社会保障の充実である。

国民に幻想を抱かせ、本来国民の求めてもいない憲法改正を図ろうとするのは悪徳である。

7月に参議院選挙がある。
ここは、国民にとっても正念場だ。

衆議院選挙ではないので、政権を覆すことはできないが、それでも国民の意志を表明する絶好の機会には違いない。
頼りない野党だが、それはそれとして、現状打破の結果を期待したい。

      「引きこもり そろそろ目覚めて 朝ごはん」


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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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