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原発と核兵器


熊さん「ひとつ聞きたいことがあるんですがね。ご隠居さんは何でもご存じなんで」
ご隠居「そんなことはないがね。どうしたんだい、急に改まって」
熊さん「いえね、いっとき、節電、節電と大騒ぎしたことがありましたね」
ご隠居「そうだったな。日本中が暗くなったことがあったな」
熊さん「でも、近頃じゃあ、全く節電の声を聞きませんね」
ご隠居「そうだな」
熊さん「あの時は、日本各地にある原子力発電所が全部ストップして、電力の供給が出来なくなると
            大騒ぎしたのでしたね」
ご隠居「たしか、そうだったな」
熊さん「今も、動いているのは鹿児島の川内原発だけで、他の原発は稼働していないのに、
            電力の供給に支障が出てませんね」
ご隠居「そう云われればそうだな」
熊さん「ということは、原発が無くても本当は困らないということですね」
ご隠居「うん、電力の供給については問題があるとは思えないな」
熊さん「この前福島に行った友だちがね、放射能に汚染された土の入った袋が見渡す限り
            並べられているのを見てきたらしいのですがね。
            あの恐ろしくなるほど大量の汚染物をどうするのだろうと心配してましてね。
           あの袋も5年で風化してしまうそうじゃありませんか。
            一体、どうするつもりなんでしょうかね」
ご隠居「どうするのかねぇ」
熊さん「それに事故のあった福島原発から出ている汚染水を入れたドラム缶も毎日増える一方だし、
            大半の汚染水は海に垂れ流しでしよう。
            それをくい止める決定的な方法も見つかってはいないようだしね。
            今度、熊本でも大地震があったし、火山列島の、しかも活断層の無い所を探すのに
            苦労するほどの日本で、原発は狂気の沙汰だと思うのですがね。
            それに、例え事故が起きなくても、核廃棄物の処理問題も解決していないんでしょう?
            原発はやっぱり無理が多すぎるんじゃないですか?」
ご隠居「ところが、国はそうは考えていないようだな。
            原子力の平和利用などときれいごとを言ってるが、国の本音は安全保障だろうね。
            電力は表向きで、隠れた核保有国の形を保つことが重要なのだろうね。
            原発さえあれば、いつでも簡単に核兵器は作れるからせっかく手に入れた、その潜在的な
            権利を手放したくないのだろうね」
熊さん「それじゃ、思い切って日本が核兵器を持ったらどうです?
            危険な原発を何十基も日本各地に散在させて、日本国中を原発事故の危険に晒すよりは、
            核兵器を一か所にまとめて管理する方が、手っ取り早いし、よほど安全だと思いますがね」
ご隠居「おっと、乱暴なことを云い出すね。日本には、核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず、
            という非核三原則があるからね。
            ことは、そんなに簡単じゃない。
            それに世界は核兵器廃絶に向かっているからね」
熊さん「そんなことを云ったって、世界中に核保有国はいっばいあるじゃありませんか。
            アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン………」
ご隠居「イスラエルも実際は核保有国だな」
熊さん「北朝鮮もそうでしよう?核兵器を所有している国々はそれを放棄しようとはしないし、
            核保有国は減るどころか増えている。
            北朝鮮の暴走は恐いですぜ」
ご隠居「北朝鮮の核はアメリカからの攻撃の抑止力にしようとしていると思うな。
            政治で解決できる問題だ。
            いずれにせよ、核は人類を滅ぼす元凶であることは、世界中の人たちはすでに
            知っている筈だね。
            原子爆弾を開発したオッペンハイマー先生もあの世で反省して成仏できないだろうな」
熊さん「科学者というのも因果な商売だね。哀れなものだね」
ご隠居「日本の非核三原則は、その実態がどうであれ、建前は絶対に守らなければならないと思うよ。   
        日本が被爆国であるからということは核廃絶に向けての説得力を持つことは確かだよ。
            核に対する日本の役目はそこにある筈なんだけどね。
            お前さんが主張するように、原発の代わりに核兵器を持った方が良いのでは、という考えは
            一理あるようで、とても危険だし、時代にも逆行しているよ。
            安倍内閣が喜びそうな発想だ」
熊さん「4年後のオリンピックの際に、日本でテロが起きるのも心配ですぜ。
            世界は狭くなってますからね。
            イスラム国とやらが、原発を攻撃しないとも限りませんよ。
            軍隊が守っている訳でもないし、原発設備など無防備ですからね。
            自然災害の比じゃありませんからね。
            そういう意味でも日本は平和ボケかもしれませんぜ」
ご隠居「それは大いにあり得るな。
            でも、お前さんのように短気を起こさず、 地道に核廃絶に向けて努力をするしかないよ。
            ひとつづつ解決していくしか方法はないのだろうよ。
            核兵器ばかりでなく、ドイツのように、原発を廃止する努力をしなければいけないな。
            もっとも、お隣さんのフランスから原発製の電気を買っている、と非難する者もいるが、
            自国の原発を廃止した意気込みは、大いに評価すべきだろうな。
      まずそれが核廃絶の第一歩だろうね」
熊さん「ひとつづつですかね。もう後がありませんよ。
      福島原発だけじゃなくて、ロシアのチェルノブイリだって、事故から30年経っても未だに終息
           できないようですしね」
ご隠居「まあまあ、そう焦りなさるな。
            とは言っても、一方で、中国はどんどん原発政策を進めているし、トルコは日本が売り込んだ
            原発を取り入れている。
            安倍首相はまさに死の商人の役割を果たしている訳だな。
            経済を優先するあまりに世界の破滅に手を貸しているようだね。
            背景には、日本の原発産業界からの強い要請があるのだろうな」
熊さん「日本では、これまで禁じられてきていた武器輸出も次第に緩和されてきていますしね。
            きな臭いったらありゃあしませんぜ。
            何でも有りの乱暴な安倍政権ですからね」
ご隠居「日本の原発をどうすれば良いのかも、結局は国民の選択次第ということになる。
    本当に、 日本の国民が真剣に望むならば、原発だって廃止することが出来るはずだよ。
            目先の利益や暮らしだけに捉われていると百年の計を見失うことになる」
熊さん「へえー、百年の計ね。そんなに長生きできませんがね」
ご隠居「勿論、原発推進や憲法改正をはじめ、軍事国家への道を推し進めようとしている安倍政権の
            愚かさは問題だが、それよりも、そんな指導者を選択しているわれわれ国民にもっと大きな
            非があるのだろうよ。
    つまりは、国のかたちは国民が作るしかないということだな。
            そのためにどれだけ私たちが汗を流すかの問題だ。
    何かを手にするためには、何かを失う覚悟が必要だな。
            ふたつのモノは同時に手にすることはできないからね。
            遠回りで歯がゆい面もあるが、それが民主主義というものなのさ」
熊さん「へえー。そんなものですかねぇ。
            わたしにゃ良く分かりませんね。
           世の中というのは本当にじれったいものですね」
   

           「痛い目に 会って初めて 浮世かな」

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表に現れない悪徳商法

知り合いのKさんの話である。

Kさんは、予てから自分の家を持つことが夢だった。
一生懸命に働いて、家ひとつを持てないようでは、余りにも情けない、そんな人生は送りたくないとの考えの持ち主である。

ボクなどは、家を含めてモノは出来るだけ持たない方が幸せだと思っているのだが、Kさんの考えはしごく健全で、一般的であるし、これは生き方に関する人生観の相違に過ぎないので、どちらがどうという問題ではない。

そのKさんが、ついに念願の新築のマンションを買った。
30年ローンを組み、80歳までそのローンを払い続けることになる。
住むところさえあれば、あとは何とかなる、というのもひとつの考え方である。

Kさんは、そのマンションに決めるまで、色々な物件を当たり、実際に何度も足を運んで吟味した。
そして、やっと決めたマンションである。

そのマンションの販売会社は、旧財閥系のM不動産で社会的に信用できる一流の会社である。
無事に契約も済ませ、銀行とのローン契約も出来、多額の頭金も納め、あとはマンション建設の仕上がりを待つ日が続いた。

そして、やっとマンションが完成し、内覧会に行った時に、想像していたよりも部屋が狭いという違和感を持ったが、やっと手に入れた新築マンションに、それなりに満足した。

しかし、その後、Kさんは驚くような、ある事実に気づく。
それはマンションの部屋が狭いと感じた違和感に関連するものだった。

M不動産の説明では、マンションは76平方メートルということだった。
しかし、色々と手続きを進めていくうちに、登記上の面積は69平方メートルであることが分かったのである。

販売でM不動産から説明を受けていた広さよりも、実際に購入したマンションは7平方メートルも狭い訳である。
7平方メートルと云えば、およそ2坪強、畳4畳分以上になる。
小さな部屋がひとつ消え去った勘定だ。

不審に思ったKさんは早速M不動産に問い合わせた。
M不動産の担当者は、それは計測の仕方の違いによるものだと説明した。
つまり、販売時にお知らせした広さは、コンクリートの柱の中心部から計測した数値であり、登記上の面積は柱の内側から計測したものである、との説明である。

しかし本来、部屋の広さは壁の内側から計ったものだというのが、一般の常識である。
だから登記もその面積となり、つまりそれが本来の正確な広さなのである。

昔は部屋の広さは坪数で示した。
そして一坪は2畳というのが決まりだった。
その意味ではとても分かり易かった。
現在のように畳の無い部屋の広さは目測の基準が無いのでとても分かりにくくなっている、との盲点もある。

少なくとも、M不動産から、広さは76平方メートルであるとしか聞かされていないし、実際の面積はそれよりも狭くなるとの説明は問い合わせるまで無かった。

どうしても腑に落ちないKさんは、M不動産からマンションの鍵を受け取る際に、これは詐欺ではないかと改めて詰め寄った。
M不動産の担当者は、実際に建築にかかる前には柱の太さは分からないので販売の際には正確な面積を出せない、とか、他の同業会社も同じような計測の仕方をしている、など説明にもならない弁解に終始した。

Kさんは「あなた方のような日本を代表する一流企業が、このような詐欺まがいの商売をして恥ずかしくないのか」と問い詰めると
「他にも、そういうご指摘をされる方々もいらっしゃいますが、固定資産税の支払は面積が狭い方が安くなるのでお客さまのためにもなります」と全く悪びれる様子もない。

Kさんは怒りを通り越し、呆れて言葉も出ない。
「仮に、私がこの物件を転売する際には、登記上の面積ではなくて、あなた方の云う嘘の面積で売っても詐欺にはならないのか」と聞くと「問題はありません」との答えが返ってきた。

Kさんは未だに釈然としないが、泣き寝入りするしか無いと嘆いている。
以上がKさんのマンション購入の顛末である。

それにしても、日本の商道徳も地に落ちたものである。

M不動産は、初めからその広さに関して、客を騙してマンションを売ろうとしていることは明らかである。
自分たちに都合の良い計測方法を理由に、客に勘違いをさせている。
勘違いというよりも、常識の悪利用である。

そして、何よりも悲しむべきことは、営業担当者は、その指摘を受けても、それが恥ずかしいことであると受け止めることが出来なくなっていることである。

隠された悪徳商法とでもいうべきか。
なぜ、こういう商法が常識として堂々とまかり通るのだろうか。

あるいは、今の世の中では、これを不思議と感じるボクの方がおかしいのだろうか。

      「夢壊す せこい商法 大企業」


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お花見の28周年と公園パトロール

4月8日に少し遅めではあったが、恒例のお花見を催した。

総務のTの陣頭指揮の下、7人の新入社員たちが朝の6時から近くの公園での場所取りに当たった。
昨年は、ちょっとした油断から桜の下の格好の場所を他の会社に占領されたので、今年はいつもより早めの時間から場所取りに臨んだのだったが、何と皮肉にも、今年はボクたち以外にはお花見を計画する者は無かった。

少し気抜けはしたが、そのお蔭で公園を広々と使うことが出来た。

今年で、ボクたちの会社は設立から28周年を迎えたのだが、実はこのお花見も28周年になる。
3月7日が設立記念日で、設立したその年から早速お花見を始めたのだった。

当初は10数人だったのだが、年々参加していただく方々の数が増えて、今年は220人分用意した弁当ではとても足りなかった。
来年は250人分を準備するつもりだ。

5時頃からスタートしたお花見は、30分も経った頃には、三々五々集まって来たお客さんたちで150~60人ほどになっていた。

そこへ、40歳代と思しき区役所のお役人が、60歳代の2人の制服を着た巡回パトロール員を引き連れてやって来た。
「この公園での宴会は禁止されているので、立ち退いてもらいたい」と云う。

ボクは「一年にたった一度のお花見で、皆さんこうして集まっているのだから、お目こぼし下さいよ」とお願いする。
「駄目ですよ。すぐそこに、場所取りをしてはいけないと立て看板も立ててあるでしよう」とお役人は強硬だ。
なるほど、すぐ脇にそんな看板が確かにあることは知っている。

「そう云われても、ボクたちは、もう何十年もこうしてお花見をしてきたのですからね。これまで、注意を受けたり、立ち退きを迫られたことはありませんよ」とボク。

それは半分は本当で半分嘘である。
実は、ここ3~4年前からお花見が次第にうるさくなってきた。

当初は、七輪で炭火を熾して鍋や焼き物をしていたのだったが、火気厳禁などとの注意が始まり、やがて余り広い場所を取らないようにとのお達しがあった。
しかし、今年のように強行に立ち退きを命じられたことは初めてのことである。

これまでは、制服を着た巡回パトロールのおじさんから注意を受け、出来るだけ騒がないようにしますから、とかゴミの後片付けは責任を持ってやりますから、とのボクたちの対応に「それではよろしく頼みますよ」と事は穏便に処理してくれていた。
いわば、巡回員の裁量でのお目こぼしがあった訳である。

実の所、騒ぐ人たちもなく、みんな静かにお花見を楽しんでいるし、これまで一度だってトラブルはなかった。
今回のような、区役所からの役人の登場は初めてである。

「まあ、そう硬いことを言わずに、弁当でも一緒に食べて花見でもして行って下さいよ」とボクは刺激してみた。
「とんでもない」と彼らは気色ばむ。

「近隣住民からの苦情がどんどん寄せられているのですぐに立ち退いて下さい。」
「近隣住民とおっしゃいますけれども、この辺りには住民もいないじゃありませんか」
「道行く人たちからの通報もあります。立ち退いて下さい」

桜の花もほとんど散って葉桜になっている。
他に花見に来る人もいないし、それにボクたちは、広い公園の一部を使っているだけで、公園を訪れる他の人たちの邪魔にはならない筈である。

「何人位の人たちが集まる予定ですか」と役人はさらに険しい顔で聞く。
「現在、150~60人だと思いますが、250人から300人位になると思いますが……」とボクはとぼけた。

「それは立派なイベントです。その場合はあらかじめ許可を得てもらう必要があります。たとえ申請を受けても、勿論、私たち役所は許可しませんが」とお役人は訳の分からない建前を述べている。
「住民の、年に一度のささやかな楽しみを奪わないで下さいよ。特別の反社会的行為でもないし、大した迷惑も掛けている訳でもないし、それにこれは古くからの日本の文化なのですから」とボクは哀願した。

「それでは7時には引き上げて下さい」と云う。
直ぐの立ち退きから少し譲歩してくれた。
「もう6時ですから、7時というのはちょっと難しいので、9時には引き上げますから」
「いえいえ、駄目です。7時までに」
「いや、それは難しい。今も、どんどんお客さんたちが来られていますから」

こんな押し問答が延々と続いたのだった。
そして最後に「私たちはしっかりと伝えましたからね。また、来ますから、その時は立ち退いてもらいますから、いいですね。私どもはしばらく様子を見ていますから」と言い置いてお役人たちの一行はパトロールカーに戻って行く。
「どう考えても7時は無理ですよ、せめて8時過ぎまでということに……」とボクは彼らの後ろ姿に向かって叫んだ。

それにしても世知辛くなったものである。
白黒をはっきりさせず、ファジーな状態で生きるのが、日本人の知恵であり、それが日本文化の土台であったと、とボクは勝手に理解している。

過剰な権利意識や人のあら捜しが横行する世は住みにくい。
個人情報の保護やコンプライアンスという名目の下での様々な規制が、今の報道の在り方や言論の自由を束縛し、物言えぬ世にしてきているとも思っている。

一年に一度の公園でのお花見が自由に出来ぬようでは、誠に情けない。
窮屈に過ぎる。
江戸幕府南町奉行所の大岡越前ならばどんな裁きを見せるだろうか。

お花見は9時半頃まで続けられたが、強制立ち退きは行われなかったのが、せめてもの救いであった。

さて、来年の花見は果たしてどういう顛末になるのか今から楽しみである。
強制立ち退きに備えて、カメラ取材の準備でもしておくのも一興かと考えている。

      「あわれなり 論陣張って 桜愛で」


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入社式の季節

毎年4月1日には、ボクたちの会社に新しいスタッフたちが加わってくる。
今年は新卒3名、中途採用4名の計7名が入社した。

これら新入社員たちを迎えての入社式を行うようになって10年ほどが経つ。
儀式と云ってしまえば、単なる儀式かもしれないが、大いなる期待と不安を胸に入社してくる新入社員をしっかりと受け止める会社の姿勢や決意を示すことは大切であり、ひとつのけじめとして必要だと考えている。

また、新たに参画するスタッフ自身にとっても、大切な内容を秘めた行事だと考えている。
入社式には各新入社員は、とても新鮮な気持ちで臨んでいる。
意欲と緊張感に溢れている。

しかし、そういう初心を、いつまでも忘れないようにね、と云っても、新鮮さをそんなに長く心の中に持ち続けられるものではない。
しばらくすれば、環境にも慣れて、初心など、どこかに置き去ってしまうものである。

そして、そんなに遠くない将来に、新入社員たちの誰もが必ず大なり小なりさまざまな形の壁にぶち当たり、挫折の危機を迎える。
その時に役立つのが、この初心だと思っている。

入社式の時に刻んだ新鮮で希望に満ちた初心を思い起こし、そこに立ち戻ることができるかどうかが、その壁を乗り越えられるかどうかのカギになるとボクは信じている。

今年の入社式の訓示には、その初心の話に加えて、ボクたちの会社の「社員心得」を話に加えた。
あまり大きな声で云う話ではないのだが、実は数年前に、社内で不祥事があり、それを機に作ったオルタス憲章である。

          オルタスジヤパン社員心得
「オルタスジャパンのスタッフ全員が楽しく、より快適に働くことができるように、スタッフ各人はお互いを尊重し、協力し合いながら、実際の制作に当たり、常に公正・公平な姿勢をもって現場に立つことを目指します。
その目的のために、経営陣は、すべてのスタッフが安全で適正な環境のもとで制作できるための環境作りに、最大限の努力を果たします。
 また、すべてのスタッフは、組織運営を円滑に進めるために必要な規則や約束を守り、社内外を問わず、あらゆるハラスメントを始めとする社会通念上の犯罪や反道徳的行為を犯さぬよう十分に注意し、これらに違反した場合は、経営陣は、減俸、懲戒免職を含めた厳しい姿勢でこれに臨みます。」

ごく当たり前で、とりたてての内容ではない。
もともと、規則は出来るだけ少なくしたいとの思いがあり、スタッフそれぞれの自己管理の下で会社が円滑に機能していくことがボクの望むところである。

しかし、時として思わぬ不心得者が現れるのだ。

スタッフが仕事の上で大暴れして、自由闊達に活動して起きるトラブルはボクが責任を負って必ず解決するし、スタッフとの約束は責任を持って護るから、各スタッフも会社と交わした約束ごとは守って欲しいし、最低限の自己管理は頼むよ、との内容である。

小学生か中学生の頃に「自由と責任」とか「権利と義務」などをテーマによく作文を書かされたものである。今さらながら、そのことを思い出す。

新入社員の諸君が、この「オルタスジャパン社員心得」の存在とその意味する所をどのように受け止めたのかは分からないが、今後、ボクたちの会社が、その規模をさらに拡張し、商店から会社に脱皮する際には、会社を運営する責任を負うリーダーたちにも、また、そのリーダーを助けて会社を支えていく各スタッフにも大切な精神が盛り込まれていると考えている。

   「憂い無し これさえあれば 初心術」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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