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ところで、あなたの夢は?

世の中で自分ほど当てにならず、信用できない存在は無い。

だからそんな自分を分析しても始まらないのだが、これまで、自分にとって楽しいとか、面白いと思えることだけを追い求める享楽的な人生を送ってきたので、当然トラブルも多かった。

日本テレビのディレクター時代は、自分の考えを前面に押し出すような番組を作っていた。
暴走族の取材の際には、暴走族を煽って走らせたと各新聞社にデカデカと叩かれた。

中曽根政権時代の日の丸・君が代問題や管理主義教育への批判番組を始め、スパイ防止法案の危険性を訴える番組や靖国神社の果たしている役割を太平洋戦争にまで遡り明かし、その正体を露わにする番組などを作っては、時の政権を怒らせた。

そんなことが続き、最終的には、とうとう番組を作らせて貰えなくなり、日本テレビを辞めることになった。

特別の政治的思想があった訳では決してなかった。
不偏不党が信条で、ボクが疑問を持ったり、危険だとか怪しいと感じたりする社会や政治の在りようを、そのまま番組にしていただけである。

ただ、反権力の立場をとり、野次馬精神を持って政治権力を監視することがジャーナリズムの役割であるとの確信はあった。

しかし、今から当時を振り返り考えてみれば、当時のテレビ局には、ボクのような半端なディレクターにも番組を作らせるだけの度量があった訳である。

ボクが問題を起こし、また、自民党のお偉方からの抗議があっても、それをカバーし、作り手とその言論を守ろうとの強い意志がテレビ局の上層部にあった。
ちょっと面倒な厄介者だが、もうしばらく泳がせておけ、との判断があったことは確かである。

そのおかげでボクは沢山の番組を作らせてもらえた。
当時はまだ、コンプライアンスという体裁の良い名の下で行われている報道規制も無く、ある程度の報道の自由が守られていた。

現在の政権のように、テレビ局の人事に手を突っ込むような乱暴や、報道番組のキャスターを変更させるような破廉恥な狼藉は、少なくとも無かった。

また、仮にそんなことがあったとしても、そんな干渉を跳ね返すだけの気概を新聞社やテレビ局などのマスコミ人は持っていた。
つまり、それなりの責任感と誇りを持ち、時の政権と対峙する姿勢を保っていた訳である。

残念ながらそれは、現在のジャーナリズム界が、権力の圧力に屈し、すでに手放したものである。

しかし、どうやら、当時に於いても限界があったのだろう。
ボクにとっては当たり前で普通だと思えることが許されなくなったようだった。
いつも無防備で保身の感覚など一切持ち合わせていなかったので、当然の帰結として番組を作らせてもらえなくなり、自ら会社をやめることになったのだった。

馬鹿というか、世間知らずと言おうか、享楽主義の結果というか、楽しみ過ぎたことのツケが回ってきた訳で、それはある意味、仕方のないことだった。
楽しい時間を過ごせたとの満足感があったので、一片の悔いも無かったし、テレビ局を辞めることも自然の成り行きに過ぎなかった。

そう云えばボクはこれまでの人生で一度も、決断という体験をしたことが無いことに気付く。
いつも、自然の流れの中で過ごして来た。
そして、その流れのままにオルタスジャパンを設立した。

会社の設立はそれはそれで面白く、楽しい仕事だった。
それまでの会社勤めとは異なり、不安の中にも、全く未知の世界に足を踏み入れた五里霧中の面白さがあった。

ボクの過去の行状を知る者は全員が、ボクたちの会社はすぐに潰れるだろうと予測した。
実際に、何度も危機に見舞われたが、有難いことに、その度に救いの神が現れ、命拾いして現在がある。

先日、わが社のスタッフたちと飲んでいる時、それぞれの夢の話になったが、実はボクにも密やかな夢がある。

ボクたちの会社は、設立時、わずか6名からスタートしたのだったが、スタッフが30名ほどになった頃、経営陣の間で、今後どういう規模の会社を目指すかの議論になったことがある。

少数精鋭で、現状維持で行くべきだとの意見が多数を占めたが、ボクだけがそれに反対した。
現状維持の考えは衰退に繋がるとの直感があった。

それに、30人でできることと、50人でできることとは、確実にその質が異なってくる。
量は質を規定し、また質は量を規定する。
人数を制限することで、多くの可能性ある仕事を失うリスクも高くなる。

ボクたちの仕事で、人件費の占める割合が大きいことは確かだが、過剰にそれを恐れることは、会社の発展を妨げることになる。
それに、さらに新しい多くの才能に巡り合いたいとの楽しみもある。
売上を伸ばし、番組の多様化を図るためにも、ある程度のスタッフ数が必要だと考えていた。

そして、その適数の人数をボクは勝手に70人と決めていた。
70人ならば、そのひとりひとりの行動や考えや感じ方を把握できるとの自信があった。

それから十数余年が経ち、実際にここしばらく現在まで70人を基調に増減を繰り返す形で推移している。
そして今、ボクのささやかな夢は、これを100人のスタッフに増やすことである。

たかが100人、されど100人である。
この業種でドキュメンタリー番組に特化して制作する形態での100人規模になると、その経営のやり方も本質から変える必要があることは必定で、ある意味、会社の形も変わることとなる。

ボクたちにとっては、全く未知の世界の展開となることは明らかだ。
それ相応の売り上げが必要となり、そのために仕事の形もやり方を含めて、大きな意識転換が求められる。
別の言い方をすれば、現状から脱皮するということでもある。

そして、そろそろ、その時期が訪れていると見ている。
現在の経営理念を変えることなく、その理念の下での変革がどこまで通用するのか、ボクは是非とも試してみたいと考えている。

そして、これを成功させることが、今後わが社をより永く存続させることになると強く信じている。
これも自然の流れの一環である。

ささやかだが、実行するにはそれなりの努力を要するであろうこの夢は、何としてでも実現させなければならないと思っている。

      「面白く 楽しく咲きて 桜花」


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ある大手銀行の営業努力

今、史上稀にみる低金利時代である。

今年2月、日銀はマイナス金利政策を導入した。
預金しても利息がつくどころか、逆に利息が差し引かれ預金が目減りするという仕組みだが、これはボクたち預金者に対してではなく、銀行が日銀に預金した場合に適応されるものである。

つまり、銀行の日銀への預金を控えさせ、そのお金を企業等への融資や投資に回させることにより、市場にお金を行き渡らせ景気を良くしようとの政策である。

そして、同様に、ボクたちが銀行に預金しても利子がつかないことも周知である。
国の狙いとして、預金よりも投資へと国民を向かわせようとしていることも明らかである。

しかし一方で、ボクたちの会社が銀行から借り入れをする際の利息も驚くほどの低金利となっている。

わが社では、大手三行の銀行と取引させてもらっており、それぞれの銀行からの借り入れがあるのだが、ここ3~4ヶ月、営業の担当者が顔を見せなくなった。

これまでは頻繁に顔を見せていただけに不審に思っていた。
大いに儲かっている訳では勿論ないのだが、そうかと云って特に業績に問題がある訳でもなかった。
やがてその理由が分かった。

実はその中で三菱銀行(正確には三菱東京UFJ銀行だが)だけが積極的に営業に訪れていた。
その営業マンによれば、金利が極端に下がったことを受けて、銀行から新しく低い金利での借り入れを起こし、これまで借りていた高い金利の借り入れを返済するという、いわゆる借り替えをする会社が増えているという。
銀行によっては、そういった借り替えを敬遠するとの意味があるのではないか、と彼は銀行マンらしく遠回しに説明をした。

銀行は、お金を動かし、その利ざやと手数料で成り立つ商いである。
より高い金利での融資を望むのは当然だ。

ボクたちの会社も銀行からの融資が無ければやっていけないので、とても有難い存在なのだが、雨が降っている時には絶対に傘を貸してくれないのも銀行である。
天気が良い時には、傘を貸そうと言ってくる。

お陰様で、現在の所はゼイゼイと喘ぎながらも、何とか資金繰りは乗り切れているので、借り入れを必要としていない状況だったが、三菱銀行の以前からの借り入れの借り替え分を含めての融資を提案され、同行から新規に借り入れすることに決めた。
流石に、他行からの借り入れ分の借り替えまでは手を出さない節度はわきまえていた。

ここまでの低金利だと、借金も財産のうち、との昔からの言も現実味を増す。

その理由はともあれ、他行の間隙を衝くような三菱銀行の営業には学ぶものがあった。
足で稼ぐという言葉があるが、それはボクたちの仕事と全く同じである。

そして、その融資が実行されたその日に、すかさず、営業担当の上司から、お礼の電話があった。
そんな電話は、会社設立以来20数年で初めての出来事だった。
意外性があった。

ボクたちのような銀行にとっては取るに足りない会社に対しても、きめの細かい営業を行っている。
そういった電話は、普通の商取引上ではごく当たり前のことなのだが、これまでのメガバンクには無かった事である。

それは、三菱銀行全体の方針なのか、その支店の考えなのか、それとも、そのチームの姿勢なのかは分からない。
しかし、ボクとしてはそれを三菱銀行の営業努力として捉えることとなる。

商売の芽はこんな小さなところから生まれ、それが大きな信用に繋がっていくことを改めて学ぶ。
世の中、学ぶべきことは実に多い。

これまで銀行は何度かの合併を繰り返して来ている。
三大メガバンクで云うと、みずほ銀行は、富士、第一勧業、日本興業が合併したものであり、三井住友銀行は、住友、さくら、わかしおの合併、三菱東京UFJは、三和と東海が合併したUFJと、東京と三菱が合併した東京三菱が合併したものである。

こうして見ると、多くの銀行の合併が行われて来た中で、三井、住友、三菱などの旧財閥系がその名称を存続し続けていることが分かる。

今回の三菱東京UFJ銀行との小さな体験を通じ、その裏に、これまでの長い歴史を生き抜き、その屋号を守り続けてきた旧財閥の底力を感じるのは、ボクのうがち過ぎというものだろうか。

      「一寸の 虫にも宿る 商の道」


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「ディレクターらしさ」とは

これまで、いつもはエレベーターを使っていた女性ディレクターが、階段を下りて行くのを見た。
ボクは怪訝に思って
「健康のために?」
と尋ねると
「いいえ、そうじゃないんです。いま取材している主人公が節電しているので……」
と彼女は少しはにかみながら短く答えて、何事も無かったように階段を下りて行った。

そういえば、彼女がある番組で、質素倹約の生活スタイルを守って生きる元新聞記者の女性のドキュメンタリーを撮っていることに思い当たった。

その元新聞記者の女性も多分、電気代を節約するためにエレベーターを使用せずに階段を利用しているのだと推測できた。
おそらく女性ディレクターは、少しでも取材対象である元女性記者の気持ちを理解し、その実像に迫ろうと、自らもその女性の疑似体験を日常的に実践するという努力を重ねているに違いなかった。


その後もボクは、その女性ディレクターが階段を上り下りする姿を目にした。
誰に言われた訳でもなく、1日何回か、4階にある会社までの階段を上ったり下りたりしているのである。

これこそ本物のディレクターの隠された日常の姿である。
ボクはあらためて感心した。
これが、ドキュメンタリーの演出のひとつであることをその若い女性ディレクターは知っている。

こういった感覚は誰に教えられたものでもなく、普段の努力と天性の才能から自ら会得したものであろうと思う。
彼女がいつも人の心を打つドキュメンタリーを発信し続けている秘密のひとつが見える。

それにしても、ジャーナリストを始めとして、番組を制作したり、モノを書いたりする表現者たちは、それぞれに何かの矜持を持ち、そのためにしなくてもよい苦労を自らに課し、不自由をしているものだ。

東京在住の報道写真家である三留理男さんは絶対に成田空港を利用しない。
仕事で海外に行くことの多い方だが、いつも、わざわざ関西空港まで行って、そこから外国に出かける。

三留さんはアフリカやアジアの飢餓や内戦に苦しむ人々を追い続け第一回土門拳賞を始め、アジア・アフリカ賞やアジア・太平洋賞を受賞している。

ボクが日本テレビ時代にカンボジア難民を取材した時にずっと一緒に同行されたことがあるが、それ以来なのでもう30数年の付き合いになる。

彼は三里塚の成田闘争の写真集も出している。
成田闘争は今さら言うまでもないが、成田空港建設反対を主張する農民たちの長く熾烈な闘争だった。

昭和13年生まれの、いわゆる全学連世代の三留さんは、農民たちに共感し「大木よね~三里塚の婆の記憶」を出版したのだったが、それ以来40余年、現在なお成田空港の利用を拒否し続けている。
これぞジャーナリスト魂だ。

ボクにも、お粗末ながらそれに似たちょっとした体験がある。

ボクはゴルフをやらない。
ゴルフの会員券が投機の対象となり、日本国中の至る所でゴルフ場の建設ラッシュが起きたことがある。
その時、環境破壊や汚染が問題となった。
ボクも番組でその問題を取り上げたこともあり、ゴルフ場の建設には否定的な考えを持つようになった。

会社を興してから、多くの先輩たちから、商談にはゴルフは欠かせないから、是非ゴルフをやるようにと勧められたが、ゴルフ場建設反対の立場から、ゴルフをする訳にはいかなかった。
今もその考えは変わっていない。

それと同様な例はその他にいくつもある。

今から60年ほど前に森永ヒ素ミルク事件が起きた。
覚えておられる方も多いと思うが、ヒ素の混入した森永乳業の粉ミルクを飲んだ赤ちゃんたちに130数名の死者や1万2千人を越える中毒患者を出した事件である。

しかし、森永乳業はその事実を認めず、粉ミルクとの因果関係を否定し続けた。
森永乳業に対する被害者の親たちの闘いは永く続けられたが、事件が起きて20年近く経ってようやく森永乳業はそれを認めたというものである。

この事件が起きた頃は、ボクはまだ中学生だったが、30歳近くなってからその事件の詳細を知り、余りにも非人間的な企業としてのありように憤りを感じ、それを機に森永製品を買わないことを固く決めた。

ところがである。
ある時、夜になって、まだ幼かった長女が熱を出し、薬を飲ませるためにアイスクリームが必要になった。
いつも利用していた近所のお菓子屋さんに買い求めに行ったところ、その店には森永製品しか無かった。

当時は、現在のようにまだコンビニが無くて、あちこち探し回ったが、夜も遅くなりお店が閉まっていたりで、見つからない。
仕方なく、タクシーに乗って新宿の街までアイスクリームひとつを探し求めて歩いたことがある。

しかし、よく考えてみると、森永製品を買わないと決めて、緊急の時にボクが不自由をすることは特別にどうと云うことではないが、薬の服用が遅れて手当を施して貰えない幼い子供にとっては、大きな迷惑である。
森永製品不買という親のエゴのとばっちりを受けるのは、何も知らない幼い子供である。

でもボクはこう考えている。
そんなボクの子供に生まれたことを不幸と考えて諦めてもらうしかないと。

何かを主張したり、ある考えや思いを抱いて、それを押し通そうと意地を張ることは決して悪いことではない。
しかし、夏目漱石の「草枕」にある、「智に働けば角がたつ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」ではないが、意地を張ればそれだけの代償を支払わなければならないとの覚悟だけは、いつの世でも必要のようである。

     「適当に まあ良いからと 飴を舐め」


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オルタスジャパンの設立28周年

3月7日でわが社は設立28周年を迎えた。

その前日の6日の日曜日に設立記念のパーティーを開いた。
例年の設立記念日には、会社で鮨などを用意してわが社のスタッフだけでささやかな宴会を行ってきたのだが、今年は恵比寿にあるホテルを借りて、賑やかにお祝いをした。

わが社のスタッフとその家族、それに撮影、編集、録音、演出等々、日頃現場で共に汗を流していただいている社外のスタッフのみなさん、また、これまで出演いただいたり、お金の苦労を掛けたり、その他色々な形でわが社を支えて頂いている方々、さらに4月からの新入社員と家族の人たちにお集まりいただいた。
総勢180人ほどで内輪の懇親会の形をとった。

ところで、設立28周年というのは、いかにも中途半端な周年である。
本来ならば、20周年とか30周年という具合にきりの良い時期に盛大なお祝いをするのが普通である。

今度、28周年の集まりのお知らせをしたところ、何か理由があるのではないか、ボクの健康の具合が悪くて、30周年まで待つ余裕がないのじゃないか、などのご心配を多くの方々から頂いた。

実際は、そんなことでは全く無くて、3~4ヶ月前に、突如思いついて開いた気まぐれな集まりだった。
この機会に、社内外のスタッフとその家族との懇親会を開こうと思ったのである。

これまでにボクが招待されたプロダクションの設立記念のパーティーと云えば、テレビ局のお偉方や各プロダクションの代表の方々やいかにも会に相応しい来賓を招いての格式ばったものがほとんどだった。

30周年の節目には、それも必要だろうが、家族的な懇親会の方が楽しそうだし、28周年には、そんな、くだけたパーティーも良いだろうと思いついたのだった。

本来、家族あってのスタッフであり会社である。
スタッフの親たちや婿さんや嫁さんや子供たちが集まる賑やかな家族会はいかにも楽しそうだ。
儀礼的ではなくて、心からのお祝いが出来る無礼講の集まりの方が嬉しい。

それなりに広い会場では幼い子供たちの姿も目立ち、目論見通りの懇親会になった。
乾杯の音頭をお願いした早坂暁さんから
「子どもたちが大勢来ているが、次の世代にこうやって引き継いでいくとの気持が伝わり、とても良い」
との祝辞を頂くこともできて、ボクもホッとした。

司会は田丸美寿々さんが快く引き受けて下さった。
鳥越俊太郎さんも忙しいところを駆けつけて下さった。

食道ガンの手術を受け、一週間ほど前に退院したばかりのわが社の専務取締役の吉岡攻も無理を押して参加してくれた。
彼はパーティーの締めの挨拶で
「病に冒されて落ち込んだりもしたが、それを支えてくれたのは家族であり、あらためて家族の大切さを痛感した」
と語った。

オルタスジャパンのスタッフはボクにとっては家族である。
そして、この大家族のひとりひとりが毎日楽しく働ける場所を確保していくことが、家長としてのボクの役割であり責任である。

プロダクションの設立記念日のパーティーとしては少々規格外だったかもしれないが、楽しい懇親会にはなったのではないかと満足している。

      「風のよに 空気のように 生きていく」


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大先輩からの大いなる“喝”

早坂暁さんから、大いなる“喝”をいただき覚醒した。
早坂暁さんは、あらためて説明するまでもないが、「夢千代日記」などの作品で有名な脚本家であり作家である。

「昨日、退院したよ」とフラリと会社にお見えになった。
早坂さんは今年86歳になられるが、これまで病気という病気と闘って来られた。

胃は半分無いし、胆嚢も切った。
70歳の頃に心臓の大手術をして生き延びられた。
癌も患っておられる。

満身創痍だがお元気で、その創作意欲は衰えを見せることはない。
今回は、二週間ほど順天堂病院に検査入院されて出て来られたのだった。

「あと3年間は大丈夫だと言われたよ」と、とてもお元気そうである。
「あと3年間あるけれども、3年間しかない。そこでね、テレビでひとつ大きなドキュメンタリーをやりたいと思ってね。一緒にやりましょう」とおっしゃる。

実は、先日、ボクがこのブログで書いた「これからテレビはどうなる?」を読んで下さっていた。
その中でボクは、現在のテレビの嘆かわしい状態に対して苦言を呈し、ボクたちがどうあらねばならないか、について書いたのだったが、早坂さんはそれに共感されて「拍手する」とおっしゃって下さった。

「ところで、あなたは何歳になるの?」と聞かれた。
「72歳になりましたよ」と答えると
「まだ若いから、長生きしてがんばってね」と云われた。

「いやあ、とても、とても。ボクは長生きなど出来ませんわ」
といつもの調子でいい加減に応えると、早坂さんは真剣な顔つきになられて
「駄目だよ。そんなことでどうするの。あなたはブログでテレビ界に喝を入れたでしょう。そのあなたが、そんな弱気でどうするの。86歳の僕がこんなに元気なのに、あなたがそれじゃいけません」とおっしゃる。

言葉は優しかったが、その内容は厳しい“喝”だった。
ボクは背筋が自然に伸びていくのを感じていた。

そして、早坂さんは、実はこういうことをやりたいと考えている、と企画の構想を語り始めた。
それは壮大でとても魅力に溢れる企画だった。

事細かく書きたい衝動に駆られるのだが、何しろ企画のことなので、申し訳ないけれども詳細については割愛させていただく。
ただ、簡単な全体像は話せる。

以前に早坂さんから「ニッポン人の面目」という企画原案を提案頂いたことがある。
夏目漱石の小説「門」の主人公の宗助が魂の救いを求め、鎌倉の禅寺・円覚寺に逃げ込むが、そこで宗助は「父母未生以前における本来の面目を問う」との公案を出される。

公案とは禅宗で出される悟りを開くための問題のことだが、この公案の意味は、あなたの父や母が生まれる前のあなたは何者だったのか、との問いである。
つまり私とは何か、という問いである。

これは、フランス人画家のポール・ゴーギャンが最晩年にタヒチで「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というタイトルの有名な画を描いているが、それと同じテーマである。
つまり早坂さんは、「父母未生以前における本来の面目を問う」をドキュメンタリーとして映像化出来ないかとおっしゃったのだった。

ボクはそれを受けて、スタッフとこの難題に取り組み、半年ほど掛けてひとつの企画書に仕上げ、NHKに提案した。
残念ながら、その苦心の企画案は採択されなかった。

企画案を作ったボクたちも、必ずしもその企画案が万全のものであるとの確信を持てなかったのも事実だった。
「父母未生以前における本来の面目」の本質に迫り切れていないとの思いがあったのである。
そういう事情で、その企画は挫折したままになっていた。

今回、早坂さんから提示された企画構想では、同様のテーマの新たな切り口が発見されていたのだった。
ボクは大いに納得した。
そして、早坂さんからの“喝”でエネルギーをいただき、新たな気持ちで、もう一度ゼロからそのテーマと取り組む決心をして、早坂さんと実現に向けて全力を傾けるとの約束をした。

ボクのやるべき仕事は多いが、当然のことながら経営的な側面から会社を眺め、およそ半年のお金の流れを重点的に、常に一年間ほどの見通しを立て、その計画を実行に移していくことが、一番大きな仕事である。
そして、全体の番組制作がその予定に向かって円滑に動いているかを常にチェックし、新たな企画が必要かどうか、そのための人員の配置をどうするのかなどを決め、軌道修正したり、補完したりする。

そして、毎月の支払に問題はないか、銀行からの借り入れの必要はないかなどを見直すような細かい作業もある。
こういう日常にあっては、各プロデューサーやディレクターから提案される多くの企画の全体の流れは把握しても、自分で企画内容そのものに噛み込むことは滅多にない。

しかし、早坂さんの“喝”で、今回は、以前の場合と同様に、いやそれ以上に、ボク自身がこの企画に能動的に動かなければならないことになった。

これは大変だが、とても有難いことである。
テレビ屋としての当然の仕事だ。
本来のボク自身を改めて取り戻すひとつのチャンスでもあるのだ。

これから、この壮大な企画に共感するスタッフを募り、早坂さんとも何度もミーティングを重ね、実現に向けての動きを加速させようと真剣に考えている。

      「ボクは誰 キミは誰かを 考える」




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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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