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これからのテレビはどうなる?

2月初旬にATPの賀詞交歓会が開かれた。

ATPは全日本テレビ番組製作社連盟のことで、テレビ番組を製作するプロダクションの組合である。
現在123社がこれに加盟している。

平河町の都市センターホテルの宴会場は多くの人たちで一杯になるほどの盛況ぶりを見せた。
ボクも毎年参加するようにしているが、年々、知っている人たちの顔が少なくなっていく。

それは至極当然のことで、ボクはここ数年来、局を含めてテレビの現場に顔を出すことは意識的に控えているし、世代交代が進み、これまでの知り合いの社長や幹部連中が次々に引退しているからである。
会場にも70歳を過ぎた人たちは数えるほどしかいない。

3~4年前までは各テレビ局の会長や社長が出席して来賓として挨拶していたが、最近では軒並み編成局長が挨拶をするようになった。
その所為かどうか、話の内容がこじんまりしてきたきらいがある。

無責任な大法螺や、役に立たない空手形を乱発されるのも困るが、局長クラスの、余りにも現実に則しすぎて将来に対する夢やビジョンが語られないのも残念である。

もっとも、現在のテレビそのものが産業としては低迷期、というより衰退の方向に向かっているので、なかなかその中で夢を語るのは難しいとは思うが、せっかく制作プロダクションが勢揃いしているのだから、ボクたちにやる気を起こさせ、勇気づける気概ある言葉のひとつやふたつ位があっても良いのではないかと思う。

ある局の局長が、われわれにはこんな人気長寿番組があり、今回で何回目を迎えた、と云えば、また別の局は我々にもこんな人気長寿番組がある、などと既存の人気番組の自慢のし合いをしていたが、情けない限りである。

確かに、人気長寿番組は貴重だし、誇っても良いし、大切にすべきであることは分かる。
しかし、云ってしまえば、それはすでに過去の出来事である。
テレビ局は現状を分析し、明日のテレビの形や方向を示すべきである。
今ある人気番組の自慢は必要ない。

いくつかの局に共通して登場したのはコンテンツという言葉だった。
局によってそのニュアンスは異なるが、これまで番組と称していたが、ここ数年、それがコンテンツという表現に変化してきている。

番組とコンテンツはどう違うのか。
ボクの独断的な解釈で云うと、コンテンツという概念はおそらくインターネットの登場と関係があると思えるのだが、通常、番組の場合はテレビなどで放送されれば、それで目的を果たし完結するが、コンテンツと称する場合は、それがひとつの著作物として、同じあるいは別のメディアで商売になり、お金を生み出す価値のあるもの、という意味を持つのではないか、ということである。

キラーコンテンツなどという言葉もしばしば使われる。
これは、高い視聴率をとれたり、集客力があったりする魅力的な情報のことで、例えば、卑近な例で云うと、かつて家庭用ビデオの普及にはアダルトビデオが欠かせぬ存在で、つまりキラーコンテンツだった訳である。

今では、サッカーのワールドカップやテニスの錦織選手やラクビーの五郎丸選手が登場するスポーツ番組などがそれにあたる。
各局ともそんな、人々にとって魅力あるコンテンツを求めていることも確かである。

テレビも多様化し、チャンネルの数も圧倒的に増え、BS放送、CS放送を含めると優に100を超える。
しかし、これまで、日本で制作された番組で海外で通用したものはアニメを除いて、その数は少ない。
特にボクたちが制作しているドキュメンタリーの分野では、それが顕著で日本製のドキュメンタリーコンテンツの海外進出は大きく遅れをとっている。

NHKが国際放送で全世界に向けて24時間放送をしているが、まだまだ内容が伴っていないのが実情だ。
インターネットの登場で情報が国境の概念を変えた現在、世界に売れるドキュメンタリーコンテンツを生み出す必要に迫られており、それは製作者であるボクたちの責任のひとつであることは間違いない。

テレビの将来がどうなっていくのかについては、正直ボクにも分からない。
それも何十年も先の将来ではなくて、5年後の形さえ定かではない。

聞いた話では、視聴率万能と言われているが、その実態はと云えばテレビの視聴者は、そのほとんどが60歳以上の年齢の人たちで、59歳以下でテレビを視ている者は国民の3%に過ぎない、とのデーターがあるそうだ。

特に若者たちのテレビ離れは顕著で受像機を持たない者がどんどん増えていることは事実である。
そういう若者たちはおそらく歳をとったからと云ってテレビを視るようになる訳ではないので、いくら高齢化の長生きの社会とは申せ、あと十数年後にはテレビを視る人はいなくなる勘定だ。

現状では、テレビ界はある意味、低成長安定路線を歩んでいるが、4~5年後に、落とし穴にはまるような急激な変化が起きるのではないか、との漠とした予感がある。

しかし、だからと言ってボクたちはそれを恐れることはない。
なぜなら、ボクたちは現在、テレビにコンテンツを提供することで生きてはいるが、テレビ局ではなく、コンテンツを制作する作り手であるからだ。
そして、メディアがどんな変化を来たしても、ドキュメンタリーを初め、映像コンテンツはどんな時代にも必要とされるからである。

そのためには、ボクたち作り手は、時代の流れと変革を敏感に察知する感覚を常に研ぎ澄ませていなければならない。
必ずしも、最先端を歩む必要はないが、過去の形に捉われ、時代に取り残されることがあってはならないのである。

とかく職人は伝統的な枠から抜け出すことに抵抗しがちである。
伝統を守ることは、一方で大切なことではあるが、ボクたちマスコミに生きる者はモノ作りの職人であると同時にジャーナリストでなければならないのだ。

人々にコンテンツを送り届けるボクたちは、どんな時代でも、このジャーナリストとしての精神を失った時滅びることになるのだと思っている。

      「潔く テレビと共に 滅ぼうか」


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良き先輩の死

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50年ぶりの再会

親友の0に誘われて大学時代の同窓会に出席した。

20年数年前に小学校の同窓会に出て以来、同窓会と名の付く会に顔を出したのは2度目のことである。
昔を振り返り、懐かしむことは、何か後ろ向きのような気がして、抵抗感があり、これまで同窓会には出席しないで来た。

今回出席した同窓会は、土曜日の正午から浅草のフグ料理店で行われた。
同級生たちだから当然全員が72~3歳の老人の集まりとなる。
宴会は夜に行うものだとのこれまでの慣習は年寄りの間では通用しない。

ボクは前夜からの徹夜麻雀を打ったその足でフラフラしながら駆けつけたのだった。
毎週金曜日は徹夜で麻雀を打つことになっているのだ。
この習慣は何十年来続いている生活習慣病だ。

この日集まったのは総勢7名、親友の0以外とは50年ぶりの再会となる。
ボク以外の連中はたまに集まっているらしく、ボクだけが新参者だった。

道ですれ違っても分からない。
しかし、改めて座して向き合うと昔日のことが昨日のことのように甦り、名前と顔が一致した。
それほどみんな歳をとり変わっていた。

ただひとり、Yのことはいくら考えても記憶になかった。
YはNHKに入りずっと報道記者として活躍してきたらしい。
ボクも仕事柄NHKとは縁が深いが、Yとの縁は薄かったようだ。
これまでお互いの存在を知らないできた。
「もっと早く知り合っていれば良かったね」とYは云った。

親友のOは銀行マン、Sはゼネコンの営業、Iは証券会社、Uは営団地下鉄のトップまで上り詰めた。
それぞれが、それぞれの業界で活躍し、すでに仕事人生を全うしていた。

Mは毎日新聞社を退職後、現在は理学療養士の専門学校の理事長をしている。
これまで福祉関係の本を10冊出版し、政府の仕事にも係っていた。

Mとボクだけがまだ働いていて、他の者は退職し、年金と貯えで自適の暮らしをしている。
生活にゆとりが無ければ、こういう同窓会には出られない筈だった。

年配者の集まりの通例との噂通り、初めのうちは病気の話で盛り上がる。
SとIの二人は病で倒れ半身に麻痺があると語った。
親友のOは二日前に血圧が200を越えて倒れて救急車で運ばれたという。
Oはかつて胃潰瘍で胃を切っていた。
Yは肝臓に難病を抱えていて普段は酒を禁じられていると言いながら、ひれ酒を旨そうに、この時とばかりにしこたま飲んでいる。

この歳になって病気を持っていない者はいない。
ボクが糖尿病の薬を飲むのを見て、あっ、俺と同じ薬だ、との声が聞こえてくる。

そのうち、経済と政治の話になる。
銀行、ゼネコン、証券会社、営団、マスコミと役者が揃っており、それも現場の責任者として長年苦労し、実績に基づいているので、その話は現実に則した深い内容になる。

それらの話から、それぞれの業界の実情もさることながら、みんなのこれまでの働きや人生など来し方が垣間見えて興味は尽きない。
同窓会も満更でもないな、と思い始めていた。

ボクたちの学生時代は否応なく早稲田闘争に巻き込まれ、日夜議論を繰り返したものである。
政経学部の校舎はロックアウトされ、授業の行われない日々が続いた。
学生の誰もが闘争の当事者だった。

そういう体験の所為か、50年後にこうしてその時代の仲間たちに会っても妙に話が分かり合えた。
いずれもが反骨精神を共有していた。

「お前もこういう会に来るようになったというのは歳をとったということだな」と常連のIはボクに云った。
そうかもしれぬ。
「今日は夕方から雪の予報だ。そろそろ行くか」とMはみんなを促した。

3時間ほどの時間が瞬く間に過ぎ去り、ボクたちは料理店を後に駅に向かって、まだ明るい昼間の浅草の裏町をみんなでゾロゾロと連れ立って歩いた。
浅草寺から仲見世通りを雷門に向かう。

どこから見てもボクたちは老人の団体さんの一行だった。
足をひきずるようにして歩いている。
時の流れは残酷だ。
かつて早稲田闘争で激論し駆け回っていた同じ人間だと誰が想像することが出来ようか。

家族に土産を買う者もいた。
それは、とても平和でのどかな光景には違いなかった。
そしてボク自身、昔の仲間たちと一緒に歩いていることに満足してもいた。

しかし同時に怒りに近い感情が湧き上がってくるのを感じていた。
怒りの正体は老いへの虚しさであったのかもしれない。

それは過剰な欲望であることは分かっていた。
これが人生というものであり、限りある生の宿命であることも分かっていた。

「あっという間だったな」と並んで歩いていたIが確かめるように言った。
本当に人生は短い、とボクは心の中でつぶやいた。
みんなも同じことを感じているのだろうか。

ボクたちの年齢では老いに従い、老いと共に生きるにはまだ中途半端な季節であるのかも知れなかった。
そしてボクは今ある幸せに身を委ねられない生々しい自分を恥じた。

しかし、一方で待てよ、との声がする。
お前にはやらねばならぬことが山ほど残されているだろう、まだまだお前を頼りにしている若い連中もいるだろう、分かったような事を言っているヒマはない、残された時間を懸命に生きろ、との声が聞こえた。

ボクはそれまで引きずっていた足に力を入れた。

   「不条理は 不条理として 明日を見る」


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親ばか物語

娘が「ちょっと聞いて、聞いて!」
と云う。

何事かと思って聞いてみると
「似果がね、凄いの」
と勢い込んでいる。

娘には2歳になったばかりの似果という女の子がいる。
近頃はとかく不思議な名前が流行っている。
ボクの二人目の孫になる。

「1、2、3と私が言ったらね、似果が4と言うのよ」
「ふうーん」
「ワン、ツー、スリー、と言ったらフォーと言ったのよ」
「それは凄い。天才だ。皆に自慢しよう」
とボクは笑いながら言った。
つられて娘も嬉しそうに笑った。

   「親ばかと 知ってる馬鹿に 知らぬ馬鹿」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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