Archive | 2016年01月
おかげさまで食欲だけは人並みに旺盛なので、一日二度の食事は粗食ながら毎回美味しくいただいているのだが、一年に二度か三度、名のある名料理人の味に接する機会がある。
そんな場を作ってくれるのが作家の西村眞さんである。
彼はボクにご馳走してくれるこの世で唯一の人物だ。
西村さんについては、これまでも何度かこのブログで書かせていただいた。
改めて紹介すると、1939年生まれで、大学在学中に取材記者として雑誌の世界に足を踏み入れ、パリで発行されていた「LUI」日本版編集長を皮切りに、半世紀にわたり十誌を超える媒体の編集長として活躍された。
短期間で記録的な部数に育て上げた「BIG tomorrow」や「SAY」、「百楽」などは、いまや伝説的メディアとなっている。
その世界では名を馳せ、一世を風靡した天才的な編集長だった。
その名編集長の西村さんが、2009年、70歳になってから、今度は小説家としてデビューした。
作家としてはずいぶん遅いデビューである。
そのデビュー作「東京哀歌」は、短編小説集だが名作である。
取り上げているテーマもユニークで、切れのある文章で綴られており、才能に溢れている。
続いて昨年「ボスの遺言」を出版された。
この春にも新たに二冊の出版の予定がある。
西村さんご自身の言によると、各種雑誌の編集長をしていた50年間、必死に仕事をこなし、贅沢をしても一生楽に暮らせるだけのお金を貯えられたそうである。
「だから、もしかすると小説家としては駄目かもしれませんね」とおっしゃる。
お金があり、執筆活動で特にお金を稼ぐ必要がないので、何が何でもという気魄に欠けるという意味のようである。
ボクも基本的にはそういう考えを持っている。
ずば抜けた天才は別だろうが、ドキュメンタリーであれ、映画であれ、モノを作り出す仕事をしている大抵の表現者は常にハングリーでないと良い仕事はできないと思っている。
日本が経済成長を遂げた頃、映画監督の大島渚さんが「もう一度日本が本当に貧しくならないと良い映画は誕生しない」とおっしゃっていた事を思い出す。
豊かな時代を体験した日本だったが、時代の変遷と共にいま、その日本では富める者と持たざる者の二極化が急速に進行している。
一時、圧倒的多数を占めていた中間層がその姿を消し、人口に占める老齢化の割合と相まって貧しい者の数がどんどん増している。
そして、極端な貧困層も増え始めている。
老人ばかりではなく、若者たちにそれが顕著に現れ始めている。
大学生の多くが奨学金という借金を抱え、その返済に苦悩しているという現象も深刻化している。
先日わが社のスタッフから聞いた話がある。
「今日、取材した人から、なるほど、と感じさせられる話を聞きました。その人は『貧乏』と『貧困』とは違うものだと言うのです。『貧乏』にはまだ幸せの余地がある。貧しいながらも楽しい我が家、という具合ですね。でも『貧困』には夢も希望も見つけることができない。一度『貧困』に落ち込むと抜け出せないものだと。それが『貧困』なのだと。そして、もっと多くの日本人が本当の『貧困』を味わわなければ国の形を変えることは出来ない、変革も起こせないと」
確かにそうかもしれない。
アメリカに追随する日本では、金融という正体不明の虚業とその思想が日本を蝕み続けている。
そして、その実態はと云えば、国の借金は1167兆円、赤字国債は500兆円を突破する。
実質的には日本経済は破綻している。
日本国も、そして一部を除く多くの国民もすでに貧しい時代に突入している。
そして間違いなくこの貧困化は加速的に進行する。
この状況をどう考え、どう対処していけばよいのか。
ボクなどは文無しだが、「貧乏と貧困論」でいけば、それでも貧乏の部類に入る。
明日のことはどうなるか分からないけれど、少なくとも粗食とは云えメシは食べることが出来ている。
そして、ささやかながら、ああ幸せだなあ、とも思えるし、まだまだ夢も希望もあるからだ。
わが社のスタッフたちもみんな経済的には貧乏だ。
そして俯瞰で見れば貧困とスレスレの貧乏である。
それでも、それぞれに目標や、やりたいと考えていることがある。
その意味では幸せだし、モノを作る条件と資格を備えている。
ほとんどがギリギリの背水の陣で臨んでいるのだ。
だからボクたちは番組を作ることが出来ている。
そのエネルギーの源泉が貧乏と云えば云い過ぎだろうか。
今回、作家の西村眞さんに連れられて行ったお店は原宿の駅前にあった。
「重よし」という割烹料理店である。
ちょっと広めの店内は、客はまばらだったが、ここには政治家を含め多くの著名人が、旨い味を求めてやって来るのだそうだ。
オーナーで料理を仕切る板長の佐藤憲三さんは名人気質の料理人で、雁屋哲の「美味しんぼ」でも紹介されている、その道の達人である。
どうやら日本料理の総本山は京都であるようで、佐藤さんは京都に対抗して、京都では生み出せない味を見つけようとしているように見受けられた。
徹底した素材の選択は厳しく、それこそ半端ではないことが、一見の客であるボクにもうかがい知ることができた。
ごく少量づつ出される品々は、食通ではないボクのような者にもいかにも旨く感じられた。
見た目は何でもないような料理の、その旨さの秘密の裏には、想像を絶する知恵と工夫と手間が掛けられているに違いなかった。
今度、陶芸家でもあり食通でも有名だった北大路魯山人の創作した料理を再現し、それを魯山人の焼いた食器に盛り付けるという試みに挑戦するとのことである。
「今日のは、これです」と佐藤さんがドンとボクたちにも見えるまな板の上に置いたのは本マグロの塊だった。
素人のボクには判断できないが、佐藤さんの自信ありげな様子からみても、相当の代物に違いなかった。
「何貫でいきますか」との佐藤さんに
「僕は3貫いきます」と常連の西村さんは即座に答える。
「それじゃボクも3貫」とボクも西村さんに倣った。
「実は3貫以上注文しても、それ以上は出して貰えないのですよ」と西村さんは笑う。
佐藤さんは、艶やかなマグロの塊から丁寧に身をそいでいく。
そしてちょうど良い形を整えるために不要な部分を惜しげもなくなく捨てる。
「ああ、勿体ない」とボクは思わず口走った。
名人はニコリともせずに次々に身を捨てた。
その捌き具合を見ていた妻は
「私も3貫お願いします」と云った。
妻は、初めは2貫と云っていたのだった。
握り終え、ボクたちの前に丁寧に並べられた3貫づつのマグロの鮨は、そのひとつが、おちょぼ口で入れることが出来るほどの小ささだった。
本当に旨い鮨だった。
普段、ネタが小さいなど、その大きさに拘っている妻も、満足げに「美味しい」を連発している。
二度と口にすることができないであろうマグロの握りを口にしながら、幸せに浸るボクの頭を「貧乏と貧困」の文字がよぎって行った。
「胸を張り 貧乏暮し 70年」

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そんな場を作ってくれるのが作家の西村眞さんである。
彼はボクにご馳走してくれるこの世で唯一の人物だ。
西村さんについては、これまでも何度かこのブログで書かせていただいた。
改めて紹介すると、1939年生まれで、大学在学中に取材記者として雑誌の世界に足を踏み入れ、パリで発行されていた「LUI」日本版編集長を皮切りに、半世紀にわたり十誌を超える媒体の編集長として活躍された。
短期間で記録的な部数に育て上げた「BIG tomorrow」や「SAY」、「百楽」などは、いまや伝説的メディアとなっている。
その世界では名を馳せ、一世を風靡した天才的な編集長だった。
その名編集長の西村さんが、2009年、70歳になってから、今度は小説家としてデビューした。
作家としてはずいぶん遅いデビューである。
そのデビュー作「東京哀歌」は、短編小説集だが名作である。
取り上げているテーマもユニークで、切れのある文章で綴られており、才能に溢れている。
続いて昨年「ボスの遺言」を出版された。
この春にも新たに二冊の出版の予定がある。
西村さんご自身の言によると、各種雑誌の編集長をしていた50年間、必死に仕事をこなし、贅沢をしても一生楽に暮らせるだけのお金を貯えられたそうである。
「だから、もしかすると小説家としては駄目かもしれませんね」とおっしゃる。
お金があり、執筆活動で特にお金を稼ぐ必要がないので、何が何でもという気魄に欠けるという意味のようである。
ボクも基本的にはそういう考えを持っている。
ずば抜けた天才は別だろうが、ドキュメンタリーであれ、映画であれ、モノを作り出す仕事をしている大抵の表現者は常にハングリーでないと良い仕事はできないと思っている。
日本が経済成長を遂げた頃、映画監督の大島渚さんが「もう一度日本が本当に貧しくならないと良い映画は誕生しない」とおっしゃっていた事を思い出す。
豊かな時代を体験した日本だったが、時代の変遷と共にいま、その日本では富める者と持たざる者の二極化が急速に進行している。
一時、圧倒的多数を占めていた中間層がその姿を消し、人口に占める老齢化の割合と相まって貧しい者の数がどんどん増している。
そして、極端な貧困層も増え始めている。
老人ばかりではなく、若者たちにそれが顕著に現れ始めている。
大学生の多くが奨学金という借金を抱え、その返済に苦悩しているという現象も深刻化している。
先日わが社のスタッフから聞いた話がある。
「今日、取材した人から、なるほど、と感じさせられる話を聞きました。その人は『貧乏』と『貧困』とは違うものだと言うのです。『貧乏』にはまだ幸せの余地がある。貧しいながらも楽しい我が家、という具合ですね。でも『貧困』には夢も希望も見つけることができない。一度『貧困』に落ち込むと抜け出せないものだと。それが『貧困』なのだと。そして、もっと多くの日本人が本当の『貧困』を味わわなければ国の形を変えることは出来ない、変革も起こせないと」
確かにそうかもしれない。
アメリカに追随する日本では、金融という正体不明の虚業とその思想が日本を蝕み続けている。
そして、その実態はと云えば、国の借金は1167兆円、赤字国債は500兆円を突破する。
実質的には日本経済は破綻している。
日本国も、そして一部を除く多くの国民もすでに貧しい時代に突入している。
そして間違いなくこの貧困化は加速的に進行する。
この状況をどう考え、どう対処していけばよいのか。
ボクなどは文無しだが、「貧乏と貧困論」でいけば、それでも貧乏の部類に入る。
明日のことはどうなるか分からないけれど、少なくとも粗食とは云えメシは食べることが出来ている。
そして、ささやかながら、ああ幸せだなあ、とも思えるし、まだまだ夢も希望もあるからだ。
わが社のスタッフたちもみんな経済的には貧乏だ。
そして俯瞰で見れば貧困とスレスレの貧乏である。
それでも、それぞれに目標や、やりたいと考えていることがある。
その意味では幸せだし、モノを作る条件と資格を備えている。
ほとんどがギリギリの背水の陣で臨んでいるのだ。
だからボクたちは番組を作ることが出来ている。
そのエネルギーの源泉が貧乏と云えば云い過ぎだろうか。
今回、作家の西村眞さんに連れられて行ったお店は原宿の駅前にあった。
「重よし」という割烹料理店である。
ちょっと広めの店内は、客はまばらだったが、ここには政治家を含め多くの著名人が、旨い味を求めてやって来るのだそうだ。
オーナーで料理を仕切る板長の佐藤憲三さんは名人気質の料理人で、雁屋哲の「美味しんぼ」でも紹介されている、その道の達人である。
どうやら日本料理の総本山は京都であるようで、佐藤さんは京都に対抗して、京都では生み出せない味を見つけようとしているように見受けられた。
徹底した素材の選択は厳しく、それこそ半端ではないことが、一見の客であるボクにもうかがい知ることができた。
ごく少量づつ出される品々は、食通ではないボクのような者にもいかにも旨く感じられた。
見た目は何でもないような料理の、その旨さの秘密の裏には、想像を絶する知恵と工夫と手間が掛けられているに違いなかった。
今度、陶芸家でもあり食通でも有名だった北大路魯山人の創作した料理を再現し、それを魯山人の焼いた食器に盛り付けるという試みに挑戦するとのことである。
「今日のは、これです」と佐藤さんがドンとボクたちにも見えるまな板の上に置いたのは本マグロの塊だった。
素人のボクには判断できないが、佐藤さんの自信ありげな様子からみても、相当の代物に違いなかった。
「何貫でいきますか」との佐藤さんに
「僕は3貫いきます」と常連の西村さんは即座に答える。
「それじゃボクも3貫」とボクも西村さんに倣った。
「実は3貫以上注文しても、それ以上は出して貰えないのですよ」と西村さんは笑う。
佐藤さんは、艶やかなマグロの塊から丁寧に身をそいでいく。
そしてちょうど良い形を整えるために不要な部分を惜しげもなくなく捨てる。
「ああ、勿体ない」とボクは思わず口走った。
名人はニコリともせずに次々に身を捨てた。
その捌き具合を見ていた妻は
「私も3貫お願いします」と云った。
妻は、初めは2貫と云っていたのだった。
握り終え、ボクたちの前に丁寧に並べられた3貫づつのマグロの鮨は、そのひとつが、おちょぼ口で入れることが出来るほどの小ささだった。
本当に旨い鮨だった。
普段、ネタが小さいなど、その大きさに拘っている妻も、満足げに「美味しい」を連発している。
二度と口にすることができないであろうマグロの握りを口にしながら、幸せに浸るボクの頭を「貧乏と貧困」の文字がよぎって行った。
「胸を張り 貧乏暮し 70年」



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久しぶりに早坂暁さんと食事をした。
公私にわたり早坂さんとの付き合いは永いが、改めて調べてみると、その超人ぶりにびっくり仰天する。
「天下御免」「夢千代日記」「花へんろ」「ダウンタウンヒーロー」「必殺からくり人」などの脚本や小説は有名で多くの人たちをうならせ魅了したが、これまでに、なんと1000本を超す映画やドラマの脚本、小説を書いておられるという。
1000本というのはとてつもない本数である。
一年に10作品を書いたとしても100年かかる計算だ。
受賞歴を調べて、また驚いた。芸術祭大賞、放送文化基金賞、芸術選奨文部大臣賞、ギャラクシー賞、NHK会長賞、モンテカルロ国際映画祭脚本部門最優秀賞、プラハ国際テレビ祭大賞、放送文化賞、向田邦子賞、新田次郎文学賞、講談社エッセイ賞など、他にも余りにも多くの受賞作品があり過ぎて、それこそここに書ききれない。
それに前述した各賞を一度ならず、二度も三度も受けておられるのだ。
「ダウンタウンヒーロー」は直木賞の候補になった。
他に「紫綬褒章」と「勲四等旭日小綬章」を受勲している。
驚異的な仕事量もさることながら、これら多くの受賞歴が早坂さんの天才ぶりを如実に証明しているかのようである。
演歌の作詞もされていて、「夢日記」は大月みやこがNHKの紅白歌合戦で歌った。
こんこんと湧き出る企画発想力は枯れることのない才能の泉のようである。
これまでボクのような凡人が早坂さん、早坂さんなどと気軽に声をかけて、当たり前のように接していることは誠に恐れ多いことであるのかもしれない。
「長生きするのは良いけれど、親しい人たちがどんどん居なくなるのがつらいね」と86歳の早坂さんは珍しく詠嘆調である。
「渥美の清ちゃんとかね」
寅さん役で国民的俳優として名を馳せた渥美清は早坂さんの古くからの最も親しい友人だった。
「90歳で人を殺さなければならない事件などもあったりするけれど哀しいね。長生きの罪と云えばそれまでだけれどもね」
老老介護の疲れから起きる事件も後を絶たない。
「これからの日本の安全をどうして守るのかという大きな問題もあるしね。北朝鮮の暴発は恐いよ。中国も北朝鮮を抑えきれなくなっているようだしね。」と早坂さん。
「北朝鮮は水爆は持っていないようだが、潜水艦から発射できる核ミサイルがあるのは間違いない」
早坂さんは話術の名手で、次から次へと繰り出される話題とその話術にボクは思わず膝を乗り出すことになる。
「総理の安倍ちゃんは軍事力に頼ろうとしているが、それはどうかね。事が起きれば福島原発の爆発の騒ぎどころじゃないからね。」
「北朝鮮は本当に危険ですかね」と懐疑的なボクに「危ないね。金正恩は周囲の者をどんどん粛清して権力を守るのに必死になっている。それに自分の命を守るのにも必死で夜も安心して眠れない筈ですよ。本人もどうして良いか分からなくなっている。危ない。そこで、われわれ庶民はどうすればよいか」と早坂さんは一息いれてお茶を啜った。
「移民するしかないのだが、僕が考える移民先は三つある。ひとつはハワイ。あそこは日本人も多いし日本語が通じる。二番目はニュージーランド。三つ目はカナダのバンクーバーだな」
「先生はそんなことまで考えておられるんですか」とボクは驚いた。
「昭太郎さんは考えないの?」と早坂さんは意外そうである。
「ボクは東京から離れる気持ちにはなれませんね」
「ああ、そうかね。地震も心配だけれども、それは天災だとまだ諦めがつく。核爆弾にやられるのは癪だからね」
早坂さんは最愛の妹を広島の原爆で失った。
ご自身も被爆直後の広島の悲惨な現場を目撃されている。
これが早坂さんの著作の原点となっている。
反核の平和主義の早坂さんの原点である。
「夢千代日記」をはじめとする名作はそこから生まれた。
「それにテロも恐い。僕は東京オリンピックまでには東京を離れるつもりです」
そういう意味だったのか、とボクはこの時初めて気が付いた。
早坂さんは、以前から東京オリンピックまでに故郷の松山に帰るのだと言っていた。
その時は90歳になっておられるので、騒々しい都会を離れ、懐かしい故郷に戻り、静かな余生を送るつもりなのだと思っていた。
早坂さんは愛媛県教育文化賞や愛媛県功労賞なども受けておられる地元松山の名士でもあるからだ。
しかし、それはボクの大きな勘違いであったことに気が付いた。
早坂さんが東京を離れるのは、オリンピックを狙うテロを警戒されての「東京脱出」だったのだ。
「テロのための工作員がすでに東京に潜入して準備をしている筈ですよ。こういう危機の時代はオリンピックなどやらず、出来るだけ目立たずに静かにしていた方が良いと思うのだけれど。果たしてオリンピックを無事に開催できるかどうかも危ういですよ」
そう言われてみれば全くその通りである。
「おもてなし」で東京オリンピックの誘致に成功したと日本国中が熱狂したことが何故か愚かな事に見えてくる。
早坂さんの深謀遠慮には底がない。
「僕はいま、東京大地震の映画の脚本を書いているのだけれどね。テロの場合もそうだけれども、われわれ庶民の安全もさることながら、天皇をどこに避難させるかという問題がある」
なるほど、日本にはちょっと手のかかる象徴という存在がいたな。
東京一帯は間違いなく火の海に包まれるし、皇居外苑は海抜4メートルだからちょっと大きい津波に襲われたらひとたまりもない。
「神奈川にある葉山御用邸も下田の須崎御用邸も海辺に近いので津波危険地帯で避難できない。軽井沢も浅間山の噴火の恐れがある。さて、どうするか」と早坂さんはイカと野菜の旨煮を美味しそうに頬張った。
早坂さんは何にも増して中華料理がお好きである。
中華料理ならば毎日だって良いというほどである。
中でもイカが大の好物だ。
「どこに避難するんですか」と同席したスタッフが興味津々で尋ねると「安全な場所があるんだよ。下見に行って来たがあそこなら大丈夫だ。でも教えない」と早坂さんにっこり。
実はボクは以前に教えられてその場所を知っている。
そこは神奈川県の………なのだが、これは早坂さんの企業秘密なのでちょっと明かすことははばかられる。
3時間ほどの食事の後、麻雀を打って深夜の12時頃まで遊んだ。
「タクシーを拾いますか」と尋ねたわが社のスタッフに
「いや、僕は電車で帰ります」
深夜とはいえまだまだ多くの人たちで賑わう赤坂の雑踏の群れに飄々と姿を消された。
この先生、もとより並みの方ではないが、いよいよただ者ではない。
「果てるなら 花のお江戸の 東京で」

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公私にわたり早坂さんとの付き合いは永いが、改めて調べてみると、その超人ぶりにびっくり仰天する。
「天下御免」「夢千代日記」「花へんろ」「ダウンタウンヒーロー」「必殺からくり人」などの脚本や小説は有名で多くの人たちをうならせ魅了したが、これまでに、なんと1000本を超す映画やドラマの脚本、小説を書いておられるという。
1000本というのはとてつもない本数である。
一年に10作品を書いたとしても100年かかる計算だ。
受賞歴を調べて、また驚いた。芸術祭大賞、放送文化基金賞、芸術選奨文部大臣賞、ギャラクシー賞、NHK会長賞、モンテカルロ国際映画祭脚本部門最優秀賞、プラハ国際テレビ祭大賞、放送文化賞、向田邦子賞、新田次郎文学賞、講談社エッセイ賞など、他にも余りにも多くの受賞作品があり過ぎて、それこそここに書ききれない。
それに前述した各賞を一度ならず、二度も三度も受けておられるのだ。
「ダウンタウンヒーロー」は直木賞の候補になった。
他に「紫綬褒章」と「勲四等旭日小綬章」を受勲している。
驚異的な仕事量もさることながら、これら多くの受賞歴が早坂さんの天才ぶりを如実に証明しているかのようである。
演歌の作詞もされていて、「夢日記」は大月みやこがNHKの紅白歌合戦で歌った。
こんこんと湧き出る企画発想力は枯れることのない才能の泉のようである。
これまでボクのような凡人が早坂さん、早坂さんなどと気軽に声をかけて、当たり前のように接していることは誠に恐れ多いことであるのかもしれない。
「長生きするのは良いけれど、親しい人たちがどんどん居なくなるのがつらいね」と86歳の早坂さんは珍しく詠嘆調である。
「渥美の清ちゃんとかね」
寅さん役で国民的俳優として名を馳せた渥美清は早坂さんの古くからの最も親しい友人だった。
「90歳で人を殺さなければならない事件などもあったりするけれど哀しいね。長生きの罪と云えばそれまでだけれどもね」
老老介護の疲れから起きる事件も後を絶たない。
「これからの日本の安全をどうして守るのかという大きな問題もあるしね。北朝鮮の暴発は恐いよ。中国も北朝鮮を抑えきれなくなっているようだしね。」と早坂さん。
「北朝鮮は水爆は持っていないようだが、潜水艦から発射できる核ミサイルがあるのは間違いない」
早坂さんは話術の名手で、次から次へと繰り出される話題とその話術にボクは思わず膝を乗り出すことになる。
「総理の安倍ちゃんは軍事力に頼ろうとしているが、それはどうかね。事が起きれば福島原発の爆発の騒ぎどころじゃないからね。」
「北朝鮮は本当に危険ですかね」と懐疑的なボクに「危ないね。金正恩は周囲の者をどんどん粛清して権力を守るのに必死になっている。それに自分の命を守るのにも必死で夜も安心して眠れない筈ですよ。本人もどうして良いか分からなくなっている。危ない。そこで、われわれ庶民はどうすればよいか」と早坂さんは一息いれてお茶を啜った。
「移民するしかないのだが、僕が考える移民先は三つある。ひとつはハワイ。あそこは日本人も多いし日本語が通じる。二番目はニュージーランド。三つ目はカナダのバンクーバーだな」
「先生はそんなことまで考えておられるんですか」とボクは驚いた。
「昭太郎さんは考えないの?」と早坂さんは意外そうである。
「ボクは東京から離れる気持ちにはなれませんね」
「ああ、そうかね。地震も心配だけれども、それは天災だとまだ諦めがつく。核爆弾にやられるのは癪だからね」
早坂さんは最愛の妹を広島の原爆で失った。
ご自身も被爆直後の広島の悲惨な現場を目撃されている。
これが早坂さんの著作の原点となっている。
反核の平和主義の早坂さんの原点である。
「夢千代日記」をはじめとする名作はそこから生まれた。
「それにテロも恐い。僕は東京オリンピックまでには東京を離れるつもりです」
そういう意味だったのか、とボクはこの時初めて気が付いた。
早坂さんは、以前から東京オリンピックまでに故郷の松山に帰るのだと言っていた。
その時は90歳になっておられるので、騒々しい都会を離れ、懐かしい故郷に戻り、静かな余生を送るつもりなのだと思っていた。
早坂さんは愛媛県教育文化賞や愛媛県功労賞なども受けておられる地元松山の名士でもあるからだ。
しかし、それはボクの大きな勘違いであったことに気が付いた。
早坂さんが東京を離れるのは、オリンピックを狙うテロを警戒されての「東京脱出」だったのだ。
「テロのための工作員がすでに東京に潜入して準備をしている筈ですよ。こういう危機の時代はオリンピックなどやらず、出来るだけ目立たずに静かにしていた方が良いと思うのだけれど。果たしてオリンピックを無事に開催できるかどうかも危ういですよ」
そう言われてみれば全くその通りである。
「おもてなし」で東京オリンピックの誘致に成功したと日本国中が熱狂したことが何故か愚かな事に見えてくる。
早坂さんの深謀遠慮には底がない。
「僕はいま、東京大地震の映画の脚本を書いているのだけれどね。テロの場合もそうだけれども、われわれ庶民の安全もさることながら、天皇をどこに避難させるかという問題がある」
なるほど、日本にはちょっと手のかかる象徴という存在がいたな。
東京一帯は間違いなく火の海に包まれるし、皇居外苑は海抜4メートルだからちょっと大きい津波に襲われたらひとたまりもない。
「神奈川にある葉山御用邸も下田の須崎御用邸も海辺に近いので津波危険地帯で避難できない。軽井沢も浅間山の噴火の恐れがある。さて、どうするか」と早坂さんはイカと野菜の旨煮を美味しそうに頬張った。
早坂さんは何にも増して中華料理がお好きである。
中華料理ならば毎日だって良いというほどである。
中でもイカが大の好物だ。
「どこに避難するんですか」と同席したスタッフが興味津々で尋ねると「安全な場所があるんだよ。下見に行って来たがあそこなら大丈夫だ。でも教えない」と早坂さんにっこり。
実はボクは以前に教えられてその場所を知っている。
そこは神奈川県の………なのだが、これは早坂さんの企業秘密なのでちょっと明かすことははばかられる。
3時間ほどの食事の後、麻雀を打って深夜の12時頃まで遊んだ。
「タクシーを拾いますか」と尋ねたわが社のスタッフに
「いや、僕は電車で帰ります」
深夜とはいえまだまだ多くの人たちで賑わう赤坂の雑踏の群れに飄々と姿を消された。
この先生、もとより並みの方ではないが、いよいよただ者ではない。
「果てるなら 花のお江戸の 東京で」



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新たな年を迎えると、なぜか気持ちも改まる。
しかし、本来ならば、今年一年の抱負などを述べたいところだが、なぜか気恥ずかしく、その勇気が出ない。
過去のことも、現在の自分の言葉もいかにも浅薄で、すべてが恥ずかしく気おくれするのも気力の衰えの所為なのだろうか。
ところで、今年いただいた年賀状の整理をやっと終えた。
すでに80歳を過ぎた方々からの賀状も多い。
ボクは自分よりも年長の知り合いが多く、寿命が延びたとは云え、これまでに見送ってきたずいぶん沢山の方々もいる。
賀状から、定年で第二の人生を送ることになったとの人たちの多さを知り、改めて驚く。
夫が急逝したとの知らせも2通あったし、病で倒れて挨拶が遅れたとの奥さんからの寒中見舞いもあった。
年賀状からは、それぞれの方々のその向こうに存在する様子が手に取るようにうかがい知ることが出来る。
それぞれの現在の人生の形が恐ろしいほどに透けて見えてくる。
若い頃には、ただ素通りして気にも留めなかった人生のヒダに気付き、生きていくということは、とても辛く哀しいものなのだと実感する。
今朝、とても恐ろしい体験をした。
急な打ち合わせが入り、タクシーで会社に向かう途上の出来事である。
交差点で信号待ちしていたボクたちの乗ったタクシーが、青信号になり、やおら右折しようとして発進した直後、タクシーの運転手は、あっ、と声を発し急ブレーキをかけた。
そのすぐ目の前を右方から直進してきた猛スピードの乗用車が通り過ぎるのが見えた。
まさに0.1秒の差で衝突を免れた。
もしぶつかっていたら間違いなく命はなかった。
「危ないことをしやがる。ベンツだったな」と運転手はつぶやいた。
信号無視したその乗用車はすでに遥かに遠ざかっていた。
ボクは妻と顔を見合わせたが、すぐには声は出なかった。
死の陥穽はどこで待ち受けているか予測不能だ。
「まだボクたちは寿命があるということだな。生きていろということだ」とボクは妻に言った。
そう言いながらボクの中で覚醒するものがあった。
生かされている、と直感した。
しかし、それは科学的ではないのかもしれない。
ただ、タクシー運転手の運動神経が優れ、危険察知能力が鋭かったに過ぎないのかもしれなかった。
ただ、そういう事実だけがあっただけのことかもしれなかった。
家の階段で転んで死ぬ者もいれば、餅をのどに詰まらせて亡くなる者もいる。
そこに、人生の因果関係を持ち込むことに無理があるかもしれない。
しかし、ボクは、それも含めて運命だと考えることにした。
俯瞰で見れば、今後ボクが人生でやらなければならないことは特別にある訳ではない。
しかし、俗っぽく考えれば、ボクがやらなければならないことは沢山残されているとも考えることができる。
もし、生かされているのであれば、その時間を懸命に生きよう。
今朝の事故未遂の出来事はボクにそのことを教えようとしたものだ、と考えることに決めた。
「死の淵が 正月ボケの 目を覚ます」

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過去のことも、現在の自分の言葉もいかにも浅薄で、すべてが恥ずかしく気おくれするのも気力の衰えの所為なのだろうか。
ところで、今年いただいた年賀状の整理をやっと終えた。
すでに80歳を過ぎた方々からの賀状も多い。
ボクは自分よりも年長の知り合いが多く、寿命が延びたとは云え、これまでに見送ってきたずいぶん沢山の方々もいる。
賀状から、定年で第二の人生を送ることになったとの人たちの多さを知り、改めて驚く。
夫が急逝したとの知らせも2通あったし、病で倒れて挨拶が遅れたとの奥さんからの寒中見舞いもあった。
年賀状からは、それぞれの方々のその向こうに存在する様子が手に取るようにうかがい知ることが出来る。
それぞれの現在の人生の形が恐ろしいほどに透けて見えてくる。
若い頃には、ただ素通りして気にも留めなかった人生のヒダに気付き、生きていくということは、とても辛く哀しいものなのだと実感する。
今朝、とても恐ろしい体験をした。
急な打ち合わせが入り、タクシーで会社に向かう途上の出来事である。
交差点で信号待ちしていたボクたちの乗ったタクシーが、青信号になり、やおら右折しようとして発進した直後、タクシーの運転手は、あっ、と声を発し急ブレーキをかけた。
そのすぐ目の前を右方から直進してきた猛スピードの乗用車が通り過ぎるのが見えた。
まさに0.1秒の差で衝突を免れた。
もしぶつかっていたら間違いなく命はなかった。
「危ないことをしやがる。ベンツだったな」と運転手はつぶやいた。
信号無視したその乗用車はすでに遥かに遠ざかっていた。
ボクは妻と顔を見合わせたが、すぐには声は出なかった。
死の陥穽はどこで待ち受けているか予測不能だ。
「まだボクたちは寿命があるということだな。生きていろということだ」とボクは妻に言った。
そう言いながらボクの中で覚醒するものがあった。
生かされている、と直感した。
しかし、それは科学的ではないのかもしれない。
ただ、タクシー運転手の運動神経が優れ、危険察知能力が鋭かったに過ぎないのかもしれなかった。
ただ、そういう事実だけがあっただけのことかもしれなかった。
家の階段で転んで死ぬ者もいれば、餅をのどに詰まらせて亡くなる者もいる。
そこに、人生の因果関係を持ち込むことに無理があるかもしれない。
しかし、ボクは、それも含めて運命だと考えることにした。
俯瞰で見れば、今後ボクが人生でやらなければならないことは特別にある訳ではない。
しかし、俗っぽく考えれば、ボクがやらなければならないことは沢山残されているとも考えることができる。
もし、生かされているのであれば、その時間を懸命に生きよう。
今朝の事故未遂の出来事はボクにそのことを教えようとしたものだ、と考えることに決めた。
「死の淵が 正月ボケの 目を覚ます」



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【小田昭太郎】
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