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アルジェリア独立記念日のパーティー

先日、アルジェリア独立記念日のパーティーに招かれ出席した。

アルジェリアという国のことなど普段は念頭になく、ボクなどのような俗物が、この国名を聞いてすぐに頭に浮かぶのは、昔に流行った歌謡曲「カスバの女」である。

涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリア
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け

やはり大昔前に観た、名優ジャンギャバン扮するならず者がカスバに逃げ込むというフランス映画「望郷」を思い出すが、この舞台も確かアルジェリアだった。

もう少し、近いところでは、2013年1月16日にアルジェリア東部の町イナメナスの近くで起きたアルカイダ系の武装勢力による天然ガス精製プラント襲撃事件が記憶に新しい。

アルジェリア政府の発表によると、その襲撃の際に、このプラントで働いていた800人ほどの労働者は解放され難を逃れたが、37人が死亡した。
そのうち10人は日本人で、全員が日揮株式会社の関係者だった。
日揮は東証一部上場の建設、エンジニアリングの会社で、この事件は日本でも大きく報道された。

この事件が起きた時の日本の対応からも、改めて、現政権がアルジェリアを含むアラブ世界とのパイプの無いことが明らかになった。

アルジェリアは、古くから他国の支配下にあり続けた国だが、近代に目を向けると、1800年代の半ばにフランスに占領され、その支配下に入った。
第二次世界大戦の終結後、フランスからの独立を求める運動が再燃、激化し、1954年からアルジェリア対仏戦争が勃発、100万人に及ぶ死者を出し、1962年に独立を達成、アルジェリア民主人民共和国が誕生した。

ボクが招かれたアルジェリア大使館でのパーティーは、独立61周年を祝うものだと招待状にはあった。
しかし、独立したのは1962年なので、実際には、独立戦争を始めた1954年から数えて61周年が正確である。

サバを読んでいる訳でもあるまいが、古代から他国の支配に苦しみ続けてきた国家が、多くの血を流し、やっと手にいれることが出来た独立だけに、より永い独立年数を誇りたいとの気持ちが伝わって来るようだ。

実は、ボクにとっては縁もゆかりもないアルジェリアの独立記念日のパーティーに出席できるように計らってくれたのは、ジャーナリストの平田伊都子さんだった。

平田伊都子さんのことは以前にもこのブログで紹介したが、特にアラブ世界に精通されており、かつて、リビアのカダフィ大佐が権力の絶頂にあった頃、日本人ジャーナリストとして初めて単独インタビューに成功した。
またパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とも親しい間柄だった。
「カダフィ正伝」「ピースダイナマイト~アラファト伝~」「サハラの狼」「赤いラクダ」「イスラーム入門」他その著書も多い。

ボクとは30数年来の付き合いで、何度も番組の制作で力をいただいた。

平田さんに案内された広尾のアルジェリア大使館前の道路には訪問客たちの長い列ができていた。
大使館とは思えぬ瀟洒な造りの白い建物は、平田さんによれば北アフリカに多く見られる建築様式だとのことだった。

エントランスで出迎えるアルジェリアの要人たちとの挨拶を終えてロビーに入ると、そこは立錐の余地もないほど各国の人々で溢れていた。

平田さんはそんな中を慣れた仕草で器用に動き回り、次々にボクを紹介し名刺交換をさせて回った。
アルジェリア大使をはじめ、パレスチナ大使、パノリエントニュースの著名な記者、その他アルジェリアに深く係っている要人たちに引き合わせ、平田さんが連れてきていた助手にその光景をカメラに収めさせた。

平田伊都子さんが、ボクをアルジェリアの独立記念日のパーティーに連れてきたのには実はそれなりの理由があった。

カダフィ大佐がまだ健在だった頃、平田さんは何度かリビアの建国記念日のパーティーにボクを招待する工作をしたことがある。
赤坂にあるホテルニューオータニの大ホールのパーティー会場には、その正面にカダフィ大佐の大きな写真が飾られていたことを昨日のことのように思い出す。

こうした工作が伏線となり、ボクたちは、リビアの取材を行いNHKで番組の放送することに繋がった経緯がある。
ご存知のように、リビアは地中海に面しており、古くはローマ帝国そのものだった。
したがってリビアにはローマ帝国の遺跡が数多く残されており、その遺跡を紹介する番組を制作したのだった。

今回のアルジェリアのパーティー出席にも、それと同様の目的があった。

平田さんは、西サハラの独立問題に深く係わっておられる。
西サハラと云っても馴染みのない名称だが、アフリカ北西部、モロッコの南に西サハラはある。
一昔前は、「スペイン領サハラ」でスペインの植民地だった。
その後、独立して「サハラ・アラブ民主共和国」となったが、現在はモロッコがその領土のほとんどを占領しており、「サハラ・アラブ民主共和国」はアルジェリアにある難民キャンプに追いやられ、そこで亡命政府を作っている。

何年も前から、ボクは平田さんから、西サハラの独立運動を推進するポリサリオ解放戦線の取材をしないかと勧められていた。
そして、その取材のためには、どうしてもアルジェリア政府の協力が必要なのだった。

今年はちょうど、西サハラの難民問題が起きて40年目ということもあり、この12月に4年に一度の「西サハラ民族大会」がアルジェリアの難民キャンプで開かれる。
国連のバン・ギムン事務総長も出席の予定で、この大会で、40年間放置されたままの植民地問題に対して、西サハラが国連と決別して武装闘争に突入するかどうかの決定が下される予定だ。

平田さんは、この大会の取材ができないかと、西サハラの企画になかなか腰を上げようとしないボクの尻を叩いているのだった。
アフリカ最後の植民地と云われる西サハラの問題は大きなテーマだが、これを真剣に受け止めてくれるテレビ局があるかどうか。

ところで、パーティーでのアルジェリア大使の挨拶にもあったが、かつて、アルジェリアの独立に尽力した日本人や企業も少なくなかったようである。
自民党の国会議員、故宇都宮徳馬氏の功績に感謝する言葉が大使から出た。

宇都宮氏は戦前共産党員として活動し、治安維持法違反で投獄され、獄中で転向した転向組だが、戦後、国会議員として活躍した。
日本を代表する保守リベラリストと評価されている人物である。
日中国交回復や、日中友好を含め国際的な軍縮・平和促進に努めた。
アルジェリアとの友好関係にも大きな働きを残したということだった。

こういう実行力のあるリベラルな政治家が自民党から姿を消して久しいことは残念なことである。
小沢一郎や鳩山由紀夫など、その流れを汲む政治家たちも、政治力の欠如のために潰され、あるいは自滅した。

さて、アルジェリア大使館のパーティーでは、用意されたアルジェリア料理を美味しくいただいた。
リビアのパーティーではイスラムの掟通りに一切出なかったアルコール類だったが、アルジェリアのパーティーではワインが振る舞われた。
かつてのフランス植民地だった頃の名残なのだろうか。

これで文字通りに、一宿一飯の義理が生じた訳だが、果たしてどうやってこの義理を返すことができるのかと考えている。

      「人の世は フィクションよりも おぞましく」


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ふたつのパーティー

先週と今週、立て続けにふたつのパーティーに出席した。
ひとつは、萩原猛さんの出版記念パーティー、もうひとつはアルジェリアの独立記念日のパーティーである。

萩原さんは、以前にこのブログで紹介した。
中国の事情に詳しい専門家だが、この秋に「日本の敗戦記念日と降伏文書」を出版された。

一般的には、昭和20年8月15日に天皇が国民に向けて戦争の終結を宣言した、いわゆる玉音放送をもって太平洋戦争の終わりとしているが、これは日本が一方的に降伏の意志を述べたに過ぎず、正式には、9月2日に米国艦船ミズリー号で日本と連合国の間で行われた「降伏文書」の署名、調印をもって戦争が終結したという歴史的事実がある。

この時、連合国との間で取り交わされた「降伏文書」の内容が、日本のどの教科書にも記載されておらず、国民のほとんどが知らないことに気付いた萩原さんは、「降伏文書」とはどういうものであるのか、そして多くの国民がなぜ「降伏文書」の存在やその内容を知らされないでこれまで過ごしてきたのか、をその著書で解き明かしている。

特に注目すべきは、連合軍総司令官と天皇・政府の支配統治関係についての「降伏文書」第八項の規定は、英文原文では「天皇および日本国政府の、国家統治の機能は、連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」となっていることである。

しかし、日本の外務省は「隷属するものと定める」の部分を「連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」と訳し、これが日本語に訳された正式文書となっている。

萩原猛さんは、この事実は、天皇大権そのものを無傷のまま保全しながら、その大権の執行を部分的に譲歩してもよいとの基本姿勢を貫こうとしたもので、「制限の下」という訳文は、最高司令官の絶対的権力下ではないことを少しでも印象づけるための歪曲訳であると指摘している。

いずれにしても、アメリカの占領を解かれた後も、現在に至るまで、実際上アメリカとの関係においては、今なお、隷属の形態が続いている感がある。

出版記念パーティーが行われた神保町のズラリと並ぶ古本屋通りは、古本市で賑わっていた。
遥か遠い昔の学生時代にタイムスリップした感覚のままでパーティー会場である中華料理店に足を踏み入れて、また少し戸惑いを覚えた。

ひと時代前を思い出させる店の作りもさることながら、会場には十数人の老人たちが集まっていた。
ボクもすでに70歳を越した老人の仲間だが、会社を含め、いつも若い人たちの中にいるので、年寄たちの輪の中に身を置くことは滅多に経験しない。

この小さな出版記念会に集まった人たちの多くは、元労働運動などをはじめとする活動の闘士たちだった。
そこにいると年齢的にはボクなどまだまだ若輩の青二才で、80歳近い人たちが多く80歳を過ぎた人たちもいた。
彼らは、今なお意気盛んで、現政権の在り方などを舌鋒鋭く批判した。

元総評事務局だった人もいれば、安保法制の反対運動で注目を浴びているSEALDs(シールズ)にならってOLDs(オールズ)というグループをつくり、巣鴨を拠点として活躍している人などもいた。

そんな中にボクの知り合いが3人もいたことは驚きだった。

ひとりは、日本テレビ時代に机を並べて仕事をしていた先輩で、9条改憲阻止の会をつくり、現在は経済産業省前で繰り広げている反原発のテントひろばで寝泊まりしている。
彼によればここ2~3日のうちにその拠点が強制撤去される恐れがあるので、この集まりが終わり次第駆けつけるのだとのことだった。

80歳近いが若々しい情熱とその闘志には頭が下がる。
決して過激ではなく実に温厚な人物なのだが、一本筋が通っている。
何が彼をここまで突き動かしているのか計り知ることはできない。

もうひとりは、某民放テレビ局の局員時代にマスコミ反戦という活動グループで政治活動して退職した人物だった。
かつてわが社で2~3年プロデューサーとして働いてもらったことがあった。

この出版記念会で再会するまで、彼らがこの日の主人公である著者の萩原猛さんと親交のあることを知らなかった。
世間は狭い。

萩原猛さんには悪いが、「日本の敗戦記念日と降伏文書」を出版することになったとの話を萩原さんから聞いた時、おそらく売れそうにない、こういう本を出版するのはどういう出版社の社長か、と思っていた。
論創社というその出版社の社長がその疑問に答えてくれた。

社長曰く「自分も降伏文書については知らなかったが、萩原さんの話を聞き心を動かされた。自分たちの出版社ではミステリーなども出していて、そこそこ売れていて少しの余裕はあったので、この本を取り上げることにした。初版は2000部刷り、1000部の返品はあったが損はしていない。そして、この本は専門家筋に売れていて、それなりの影響力があると考えている。歴史上の事実関係の確認に多くの時間と労力を費やしたが、出版して良かったと思っている」とのことだった。

優れた書き手がいて、それを受け止めリスクを負いながらでも出版しようとする送り手が存在して、初めてこういう著作が世に出ることができる。
日本の出版界も捨てたものではない。

長くなったので、アルジェリアの独立記念日のパーティーについては次回のブログで書きたい。

    「鼻息も 荒く老輩 盃交わし」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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