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戦後70年と「降伏文書」

わが社でも、この夏、戦後70年をテーマとした戦争を考える番組を制作させてもらったが、いわゆる戦争関係の報道は8月15日をピークとして一斉にその姿を消した。

量的にも質的にも、この程度の番組しか放送しないのかとの声もあれば、その一方で戦争についての番組ばかりでもう視たくないよ、との声も聞かれた。

先日、萩原猛さんが一冊の本を携えて会社に見えた。
「ようやく出版に漕ぎつけましたよ」と満面の笑みと共に差し出された本のタイトルは「日本の敗戦記念日と降伏文書」とある。

萩原猛さんは74歳。
高校を卒業後、NHKに入局。5年間勤めて退職し明治大学へ。卒業後、労働組合運動、反戦平和運動に参加。その後、中国上海に渡り生活するなどして、中国との親交を深める。

2011年に論創社から「上海今昔ものがたり」を出版している。
今回の著作が同社からの2冊目の出版となる。

日本の終戦記念日は昭和20年8月15日とされているが、本来は昭和20年9月2日にするべきだというのが萩原さんの主張である。
8月15日には天皇の玉音放送により終戦の詔書が読み上げられ、戦争を終えることが日本国民に知らされた。
一般的にはこの日をもって終戦としているが、この一方的な宣言で戦争状態の終結と決定してよいのか、との疑問を萩原さんは持っている。

実際には各地で戦争状態は続いており、関東軍がソ連軍に降伏したのは8月19日であるし、千島列島がソ連軍に占領されたのは9月1日である。
日本と連合国の間で取り決められた「降伏文書」の署名、調印が完了した9月2日午前9時8分をもって戦争終結とするべきだというのが萩原さんの主張だ。

なぜ彼はこのことにこだわるのか。
敗戦を終戦と表現し、その記念日を9月2日ではなくて8月15日にしているのには、当時から現在に至るまでの日本国政府の大きな意図が隠されていると萩原さんは考えている。

それは、「降伏文書」の存在を国民の眼に出来る限り触れないようにとの考えがあるからだと彼は指摘している。

云われてみれば、ボクの勉強不足も大いにあるが、これまで「降伏文書」の存在に注目したことがなかったし、あるいは多くの人々は「降伏文書」の存在やその内容については知らないのではないかとも思う。

事実、日本の中学、高校の教科書には、降伏文書の内容紹介の記述は一切なく、史料としても降伏文書の本文の掲載はない。
少なくとも学校教育では降伏文書は葬り去られているというのが実情であるようだ。

降伏文書の調印は、昭和20年9月2日、東京湾上米艦船ミズリー号で行われた。
日本側は重光葵外相と梅津美治郎参謀総長が署名し、次にマッカーサーが連合国を代表して署名。
その右下に、米、中、英、ソ連、豪、カナダ、仏、オランダ、ニュージーランドの代表が順に署名した。

大日本帝国天皇陛下および日本国政府の命令により、その代理として重光葵、日本帝国大本営の命令により、そしてその代理として梅津美治郎が署名したのだった。

降伏文書では「一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏」が布告され「一切の日本国軍隊および日本国臣民に対して、敵対行為を直ちに終止すること」が命じられた。

また、連合軍総司令官と天皇・政府の支配統治関係についての「降伏文書」第八項の規定は、英文原文では「天皇および日本国政府の、国家統治の機能は、この降伏の約定を実施するために適当であると思える措置を執ることになる連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」となっている。
隷属とはいかにも屈辱的な表現であるが、これが戦争に敗れるということなのだろう。

9月2日を敗戦記念日にしないのは、占領等を含む対米隷従の約定のあることを国民に知らさないためではないか。
「降伏文書」で天皇がポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせたくないためではないか。
また、天皇も政府もマッカーサー連合軍総司令官の支配下にあることを隠したいためなのではないか、と萩原さんは指摘している。

そして8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり戦没者の追悼日となっているに過ぎない。
公的な「終戦記念日」としての国家の規定はないから、潔く敗北を認めて9月2日を敗戦記念日とすべきだと云う。

つい先日、萩原さんから次のようなメールが届いた。
「8月15日終戦~9月2日「降伏文書」調印は一体のものであり、国際的に日本が初めて「敗北宣言」をした内容、敗戦の結末、締めくくりを、国民が知る権利があります。先の戦争はどんな内容で終ったのか。ほとんどの国民が知らない。教室で「降伏文書」の内容を教えてこない、学ばない戦後教育(現在も教えていない)、歴史認識上の大きな問題の一つ。8月15日で、すべて終りにする世論動向、マスコミの影響が大きい。この事態を、敗戦に対する日本人の思考停止、締めくくりを考えない、その放棄と断定したい。」

萩原さんが世間には余り知られていない「降伏文書」に着眼しテーマとして取り上げたことは価値のあることだと思う。

巷間で云われる「勝てば官軍負ければ賊軍」とは云い得て妙である。
もともと正義の戦争など存在したためしはない。
戦争当事国には、両者に言い分があり、大義がある。
そして、どちらかが勝利し、どちらかが敗れる。
両者共に人命を含む大きな犠牲を残して、戦争は終結する。

敗戦国が、本当は我々の方が正しかった、などと云っても何も始まらないし、また無意味なことである。
過去の戦争を振り返り、分析することは勿論必要だが、そこから学ぶべきことは、二度と戦争をしてはならないということでなければならない。

敗北の屈辱や悔しさは当然である。
しかし、その屈辱を真正面から受け止めて直視し、再びそのような屈辱を味わうことの無い国家運営をしなければならない。

今度こそは勝つぞと戦争に向かうのでは幼稚に過ぎる。
その戦いで、どれだけの量の血と涙を流すことになるのかに思いを馳せよ。

国家間のエゴのぶつかり合いである戦争が、ひと時として地球上で起きなかった時間は無い。
だからこそ、不戦に対する硬い決意はなおさらに必要であると同時に尊い。

世界にその不戦の意志を表明し、戦争を回避するために国家のすべての力を尽くし切ることが大切である。
戦争を前提とした国家の外交姿勢は危険であるばかりでなく、愚かであることはすでに多くの事象で証明されているし、何よりも、日本はすでにそれを体験している。

列国の中に在って国力を維持し、生き抜いていくことは絵に描くようにはた易いことでないことは理解する。
しかし、何よりも平和と国民の安寧を保つことが国家にとっては最優先の事案である。

安保法案の脅威にさらされている現在、「降伏文書」をどう読み説くかはとても大切なことに思える。
戦争を放棄するとの強い国民の意思を確認するためにも彼の著作「日本の敗戦記念日と降伏文書」は一読に値すると思う。

安全保障上の同盟の名の下に、他国に軍隊を派遣し、他国の人々の生命を奪うことなど許されることではない。
それはつまり、言葉を変えれば、侵略と同じことであると云える。

日本国憲法を守らなければならない所以がここにある。

      「からくりの 人形の如し 国会は」


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言葉の不便さ

与太話である。

「あいつ、胃がんで死んだらしいよ」
「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」
関西弁が全国区となった今でも、この落とし噺は関東の人たちには何が面白いのかは理解できないだろう。

落とし噺の説明ほど野暮なものはないが、関西弁で「歪む」ことを「いがむ」と発音する人たちも多い。
だから「あいつ、胃がん(歪ん)で死んだよ」「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」で笑えることになる。

ボクがまだ20代の頃、東京出身の連れと歩いていたら、小雨が降り出した。
ボクはメガネが濡れるのを嫌って、連れに「なおしておいて」と手渡した。
連れは、受け取ったものの、どこが壊れたのかと怪訝そうにメガネを確かめている。
「ああ、バッグに仕舞っておいて、という意味だよ」とボクはあわてて云い直した。

子供の頃からずっと「仕舞う」ことを「なおす」と表現して来ていた。
連れは当然、修繕を意味する「直す」と受けとめ、どこを直せと言っているのかと戸惑ったのだった。

上京して間もない頃には、こういった言葉の違いからくる失敗を何度か繰り返したものである。
こんな例は数え上げれば、枚挙にいとまはない筈である。

昨日のフジテレビの情報ワイド番組「ノンストップ」でも言葉のトラブルを取り上げていた。
この番組にはわが社の女性スタッフが2名出向しているので出来るだけ視るようにしている。

少しうろ覚えだが、確か以下のような内容だったと記憶している。
友達と映画に見に行く相談をしていると、もう一人が「私も行きたい」ということになった。
映画館までの足を”なんで”行くかの話になる。
バスにするか、地下鉄か、JRかタクシーか。

そのもう一人が別に行くことになり、映画館の前で待ち合わせることになった。
先に着いた友人たちが、そのもう一人にメールをした。
「”なんで”来るの?」
結局、そのもう一人は現れなかった、というお話である。

説明の必要はないとは思うが、友人たちは交通機関は何を使って来るのか、という主旨のメールを打ったのだが、そのもう一人は、その”なんで”の意味を「どうして来るの?来なくても良いのに」と受け止めたのだった。

もし、いま突然世界からすべての言語が消滅したとすると、世界のほとんど全ての機能はマヒ状態に陥り大混乱を来すことは間違いない。
あるいは原始時代に逆戻りするかもしれない。

人間にとって言語は空気と同じ位に生きて行く上で必要なものである。
しかし、同時に言葉がその重要度と同じ位の質や量のトラブルの素になっていることも間違いない。

そんなことを考えると、言葉とはまことに不思議な存在である。
無ければ困るが、無かった方がより伝わることもある。

これまでの体験で云うと、人と人との人間関係や信頼関係は言葉とは無縁で生まれるのだと実感する。
饒舌や理論では心は動かない。
男と女の間には言葉は必要ない、とも昔から云われたりもしている。

作家や詩人に叱られるかも知れぬし、自らも映像に係わる表現者の端くれだが、そう思う。
言葉が無くても分かり合えることが、一番嬉しい。

   「千万の 言葉を超えて 友があり」


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ある長老の戦争反対運動

わが社の最長老のKさんは昭和11年の生まれで、今年79歳になる。
テレビ東京の第一期入社で長年報道畑一筋に生きて来た。

関連会社の専務や、監査役を務められた後に、わが社に顧問として来ていただいている。
現在は毎週の「ガイアの夜明け」の企画会議と、金曜日に行っている「定例企画会議」に必ず参加していただいている。

常に時代感覚に敏感でなければならないというのが持論で、自らもそれを実践されている。
毎日、新聞は各紙に目を通し、読書を欠かすことはない。

時代を先取りしなければならない「ガイアの夜明け」などの企画会議でも、20代、30代の若者たちに混じり、彼等に決して引けを取らない新しい情報や切り口を発信し続けている。
Kさんには老人臭が無い。
その年齢とは関係なく、世間で言う老害などとは全く無縁なのである。

わが社では1ヶ月に一度、スタッフ全員が集まっての全体連絡会を行っている。
その時々の会社の動きを報告したり、必要な連絡事項をみんなに伝えるための集まりだが、ボクは最後に、必ずKさんの言葉を貰うことにしている。

先日行ったこの集まりでKさんは「7月16日は僕にとっては戦争元年だと考えている」と語り始めた。
ご存知のように、7月16日は安保法案が衆院本会議で強行可決された日である。

「先日、家の近くでデモをする人たちに会った。安保法案に反対する人たちのデモでした。これまでしばしば見かけたデモとはまったく違っていて、労働組合の旗もなければ政党色もない、老人もいれば若者たちもいる、親子連れも沢山参加している、ごく普通の人たちのデモでした。安保法案反対の思いが庶民の間に浸透していることを感じました。それを見て、自分もじっとしている訳にはいかないと思った」とKさんは淡々と話した。

Kさんは、いま、高校生たちを含めた10代、20代の若者たちが日本全国各地で安保法案反対の声を上げていることに注目していた。
特に、話題になっているSEALDsに興味を持った。

SEALDs(シールズ)はStudents Emergency Action for Liberal Democracy―sで10代から20代前半の若者たちによる自由で民主的な日本を守るための学生による緊急アクションというのがその規定である。
戦後70年でつくりあげられてきたこの国の自由と民主主義の伝統を尊重し、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいとしている。

その母体が共産党だとの一部自民党などからの噂もあるが真偽のほどは分からない。
かつて共産党の民青による歌声運動もあったから、もしかすると同様の手法かもしれない。

Kさんはシールズによる国会前でのデモが毎週金曜日に行われていることを知り、自分の眼で確かめたいと、行って見たと云う。
「国会前でも色々な形でデモが行われており、ここでも多くの普通の人たちが安保法案に反対していた。シールズの若者たちとも話してきた」と語った。

「オルタスジャパンの若い人たちにも、いまが一体どういう時代であるかということにもっと関心を持ってもらいたい。この会社でも、戦後70年の特別番組を2本制作し、良質の番組が出来たと思っているが、日常的に時代を捉える鋭敏な感覚を磨いてもらいたいと願っている」

Kさんの熱い思いが伝わってくる。
そして「僕に残された人生は長くはないが、その全てを戦争反対に賭けるつもりです」と話を締めた。

その夜、Kさんと麻雀を打った。
珍しくKさんの連戦連勝だった。
ツキの女神が長老の決意を祝福し激励しているかのように思えた。

   「一筋が 年齢の壁 ぶち破る」


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インターンシップの学生たち

わが社では毎年この季節にインターンシップの学生たちを受け入れている。

今年は2度に分けて来る。
一回目は京都の大学から7人、二回目は沖縄から4人と東京から3人が研修にやって来る。

それらの学生たちの全員がテレビ番組制作に関心を寄せているのかというと必ずしもそうではない。
単位をとるための手段のひとつと考えている人たちも多い。

例年2週間、土日を除いて午前10時から夕方6時までわが社の総務の担当者が彼等につきっきりでその対応に当たる。
それはそれで結構な労力と工夫が必要となる。

制作プロダクションが一体どういう仕事をしているのか、どのようにしてドキュメンタリー番組が制作されていくのか、などについて出来るだけ体験を伴わせて彼等に伝えるのはそれなりに困難な仕事となる。
人数が多いので、一度に取材に連れて行く訳にもいかないし、その時期に彼等にとって勉強になる作業があれば都合が良いのだが、必ずしもタイミングが合うとは限らない。

プロデューサーやディレクターの協力も欠かせない。
真面目に対応を考えれば考えるほど、難しい仕事となる。

インターンシップで学びに来た学生でわが社に就職を希望した例は、実はこれまでに無い。
特に近頃はテレビ業界に対しての人気は下火で、IT関係に就職を希望する若者たちが増えている。
テレビの受像機を持っていない者も多いのが実情だ。

そういう意味では、ボクたちの努力が直接リクルートに結びついてはいないとの現実がある。
だから、社内には、インターンシップの受け入れについては疑問の声も無いではないが、敢えてボクは続けている。

学生たちの受け入れに、それほど大きな思いがある訳ではないが、もし希望する若者がいるのだとすれば、その希望に応えること位の協力はしても良いのではないか、との軽い考えである。
ささやかな社会貢献とでも云えば良いのか。
これ位のことが出来ないで、一体何が出来ると云うのか、との気持ちもある。

8月5日に、京都の大学から7人が、今回の場合は、3日間という短期間の予定で訪れている。
このインターンシップのケースには、ちょっとした事情がある。

彼等を引率してきた大学の先生は、実は今年の3月までわが社でスタッフとして働いていたM君である。
まだ30歳を少し過ぎた若さだが、優秀なディレクターとして活躍していた。
最後は「ガイアの夜明け」というテレビ東京の経済ドキュメンタリー番組の中心的なディレクターのひとりとして欠かせぬ人材だったが、京都のある大学から請われて転職した。

彼のテレビ制作の才能をそのまま学者としてだけで埋もれさせるのは余りにも惜しかったので、現在は社外スタッフとして力を貸してもらっている。

彼は企画力の面でも素晴らしい才能を持っている。
毎週水曜日に行っているわが社の「ガイアの夜明け」の定例の企画会議には、京都の大学の研究室とスカイプを使って毎回参加してもらっている。
その彼が、ゼミの教え子たちを引き連れて来たのだった。

初日はちょうど「ガイアの夜明け」の企画会議があったので、7人の学生たちはその会議に参加した。
ボクは所用があって出席出来なかったのだが、とても面白い企画会議だったとの報告を受けた。

なんと、学生たちは、この日に向けてひとりひとり全員が企画書を準備して来ており、提案を行ったのだと云う。
勿論、M先生の指導によるものであったことは云うまでも無い。
M君の添削がはいり、10回も企画書の書きなおしたという学生も居たようである。
わが社の担当プロデューサーは「すぐに実現可能な企画案がいくつか提出された」と嬉しそうにボクに語った。

彼等が訪れた初日の夜、近くの中華料理店で一行の歓迎会を兼ねての懇親のための宴会を開いた。
わが社のスタッフたちも加わり総勢30人ほどで大いに食べ、飲み、大いに語った。

11時半にやっとお開きになったが、とても楽しい会だった。
若者たちのエネルギーは逞しい。

M君を手放した時は大きな痛手と感じていたが、こうして縁が続き、ネットワークの広がりを実感すると、これはこれで素晴らしい形が生まれたと心から喜んでいる。

お盆休みが明けた頃、また新たな学生たちがわが社を訪れる。
どんな若者たちが登場するのか、今から楽しみにしている。

      「遠方の 友来りて 赤坂の夜」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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