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安保法案と日本列島の位置

わが社の顧問である最長老のKさんは「7月16日は戦争元年だ」と言う。
云うまでも無く、7月16日は安保法案が衆院本会議で強行可決された日である。

国会で無力な野党は院外で世論を喚起し、世論の力で廃案に追い込むと意気込んでいるが、そのようなことが可能であるとはとうてい考えられない。

ただ、その後の世論調査を見ると、毎日新聞社の17、18日の調査では、内閣支持率は35%、不支持率51%と不支持率が初めて半数を超えた。
各報道機関の調査も同様で、安倍政権の支持率が急落しているのは事実である。

そんな国民の声をよそに、安倍首相は政治生命を賭して法案成立に向けて突っ走っている。

中国の圧倒的な台頭と覇権主義によりアジアの緊張が高まっていることは確かなことであるが、だからといって安保法制が最善の方策であるとは考えられない。
同じ毎日新聞社の調査で、安保法案の強行採決については68%の人たちが「問題である」としている。
この法案が限りなく日本を戦争の危険にさらすことになるとの不安を多くの国民が抱いている証拠である。

あらためて地球儀を見ると、地球は丸いから中央も無ければ端も無いのだが、日本列島の東側は隣国のアメリカまで広い太平洋に占められているので、平面図にしたヨーロッパを中心に描かれた世界地図では、日本は各国から見てアジアの東の端に位置していることを実感する。
極東とは云い得て妙である。

歴史学者の網野善彦さんではないが、地図を逆さまにして見るまでもなく、日本海はまるで湖のように感じられる。
中国やロシアそれに韓国や北朝鮮からすると、本来ならば開けている筈の太平洋への入り口を日本列島がぐるりと塞いだ形なので、ずいぶん邪魔な存在で、眼ざわりだろうとも思える。

だからなお更、これらの国々とは争い事を避け、協調関係を保つ努力が必要なはずである。
特に、中国の強硬な覇権主義に対しては、朝鮮半島との友好は必須となる。

安保法制より以前に、韓国とは勿論のこと、政治体制の異なる北朝鮮との関係修復も大切だ。
北朝鮮とは外交上は休戦状態にあり、日本とは国交が断絶しているし、未解決のままで進展を見せない拉致問題がその関係をより複雑にしている。

ところで、先日、北朝鮮に詳しいAさんの15年振りの来訪を受けた。
今年45歳になるAさんはアジア学の研究者で、北京に拠点を置き、この18年間北朝鮮を記録し続けてきた人物である。

彼は、学者なので出来る限り客観的な観察を心掛けて来た。
金正恩体制になり3年が経過したのをひとつの機に、一段落をつけ、そろそろ北朝鮮に関する研究論文を完成させたいと考えている。

Aさんは冷戦体制の崩壊後も、カリスマと言われた先代二代の指導者であった金日成、金正日の死去後も、北朝鮮が社会主義体制の国家として存在し続け、社会もたいした混乱なく機能している事実に注目している。

二千万人を超す人口を抱える北朝鮮が暴発することなく生きているには、それなりの社会のシステムが存在すると見ている。
そのシステムとは如何なるものかを、人口250万人の平壌という都市国家と地方という異なる次元の二段構造で機能させているのではないかとの仮説を立てている。

Aさんは、平壌での携帯電話の大いなる普及が新時代を拓いていると云う。
携帯電話がもたらした社会現象は社会主義経済の枠に閉じ込められてきた人々に個性化のライフステージの扉を開く役割を果たしたと見る。

高級消費財やデジタルカメラ、そして新しく登場した公共サービスとしてのタクシーは新たな消費者を誕生させてもいる。
そして、非国営経済の台頭により、自由経済の参加者が国営の企業よりも多くの利益を生み出し始めており、例えて云えば平壌はいま、自我に目覚めた青春期を迎えているのだとAさんは見ている。

Aさんがこれまで記録して来た取材映像の一部からも、それらの事実がみてとれる。
やがて崩壊するであろうとのこれまでの北朝鮮に対する見方をあらためて見直す必要があるのではないかというのがAさんの考えである。

ボク個人としては、北朝鮮のように国家が国民を統治するという独裁政治の社会で生きたいとは思わない。
国家は国民のために存在しなければならないという原則を尊重する。

だから、民主主義を謳いながら国家主義を強め、社会の公器であるべきマスコミに介入し言論を封殺する安倍政権に強い憤りを感じるのだが、日本に直接の脅威をもたらさない限りは、社会主義が北朝鮮とその国民の選択する道であるとすれば、ボクたちが干渉し、ただただ排除すべきではないと考える。

むやみに敵対視するばかりでなく、国家体制の違いを認め、それに相応しい外交を展開すべきである。
中国の覇権主義の脅威が増せば増すほどに、隣国である韓国、北朝鮮との友好は益々重要になるからだ。

1979年にベトナムは、当時ポルポトが支配していたカンボジアに侵攻し、首都プノンペンを制圧した。
ポルポト派はタイの国境地帯に退きゲリラ戦でこれに対抗するという時代がしばらく続いたことがある。
その際、タイ政府は、国境地帯のポルポトを密かに支援した。

反共のタイ政府が過激な共産主義者であるポルポト派をなぜ助けたのか。
それは、同じ社会主義であるベトナムの脅威からタイを守る防波堤としてポルポト派を利用したからだった。

中国の脅威からの防波堤として韓国、北朝鮮を捉えるのはいかにも不遜だが、そういった要素は間違いなく存在する。
勿論、中国とも敵対するのではなく、友好の道を求めるのが筋であることは云うまでも無い。

それぞれエゴに満ちた政策を模索する各国との外交は、絵に描いた餅のように簡単ではないことは百も承知だが、まず戦争ありきではなく、友好を求める大原則に日本の生きるべき道を求めなければならないのではないか。

   「夢だよね 地球のように まん丸は」


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安保法案のこと

連日の国会前での多くの市民によるデモをしり目に、安保法案が15日衆院平和安全法制特別委員会で可決され、16日には衆院本会議を通った。
今後参議院に送られる。

一連の安保関連法案を実現するために安倍政権が子供ですら呆れるような詭弁を弄していることは周知なので敢えて触れないが、その無法ぶりは決して許されるものではない。

無法と云えば、テレビ朝日の報道ステーションが、憲法判例百選の執筆者である憲法学者に行ったアンケート調査によれば、回答に応じた151人の学者のうち、146人が今回の安保法制は憲法違反、あるいは違憲の疑いがあるとしている。
合憲であると回答したのは3人にすぎなかった。

また、6月4日に行われた衆院憲法審査会でも2名の憲法学者が案保法制を違憲であると指摘、95%を超える憲法学者が違憲だと考えているのではないか、とも語っている。
13日には、衆院特別委員会の中央公聴会で木村草太首都大学東京准教授は「憲法を無視した政策論は、国民を無視した政策論ということを自覚しなければならない」と指摘した。

今回の法案について専門家のほとんどが違憲であると主張する中で、なお強引にこれを実現させようとするには、それなりの理由があるのだろう。

人間として、政治家としての安倍首相のお粗末な資質の問題もさることながら、彼を担ぎあげた日本の陰の存在もある。
民主党が政権を担っていた当時、「今我々は安倍を神輿に乗せようと画策している」と密かにボクに語っていたF氏の話を改めて思い起こす。

F氏は政治家ではないが、ずっと自民党に身を置き、政治の裏側で生きて来ている人物で、大物政治家たちからも一目置かれている存在である。
ボクの学生時代から親しく付き合ってきた間柄で、政界に関するボクの大切な情報源でもある。

F氏の話を聞いた時は、あのひ弱な安倍晋三がまさか、と思ったのだったがそれが現実となり驚いたものである。
安倍政権は自民党の有力な勢力が作り上げた苦労の結晶であることが分かる。

そして何よりも、アメリカの強い方針の前に屈することしか選択出来なかった安倍政権の知恵の無さがある。
戦後日本は、実際上はアメリカの属国としての立場から抜け出ることが出来ないで来たが、それでも歴代内閣は知恵を絞り、また時には言を弄してアメリカとの政治的距離のバランスを保つ努力を重ねて来た。
しかし、それがここに到りいよいよ日米同盟という名目の下、破綻を来そうとしている。

これまで、そんな安倍政権を支えて来ていた多くの日本国民にも、わずかながらも意識の変化が起きている様子である。
今月の11日と12日に朝日新聞社が行った世論調査で、安倍政権を支持する39%、支持しない42%と第二次安倍政権の発足以降、初めて支持しないが支持するを上回った。
安保法制については、賛成26%、反対56%との結果が出ている。

あのNHKの調査でも、支持する41%、支持しない43%とやはり同じ逆転現象が起きている。
世論調査など視聴率同様に全面的に信頼できるものではないとは思うが、ひとつの指針ではある。

今回の安保法制の成立に向けての国会対応だけではなく、安倍政権が発足して以来の数々の乱暴狼藉ぶりは目に余るものがある。

貧しい人々への目線は姿を消し、富める者は益々富み、貧しい者はさらに貧しくなっている。
貧富の二極化はいよいよその姿を露わにした。

報道機関に対する露骨な介入や言論の弾圧もこれまでに類を見ない形で行われている。
それを跳ね返すことのできないマスコミのふがいなさも問題となっている。

国民は静かにそれを見ているのだろうか。
かつて、奢り高ぶり腐敗した自民党は、厳しい国民の批判を受けてその政権の座を民主党に明け渡した。
その教訓を自民党はどう記憶しているのだろうか。

今回の安保法案を違憲だと多くの憲法学者から指摘を受けた時、だから憲法を改正しなければいけないのだと、さらに確信を深めたのに違いない。
色々とうるさいことを言っていろ、どうせそんな憲法など変えることになるのだからと。

つい先日NHKの「ファミリィーヒストリー」という番組で出演をお願いしたジャーナリストの鳥越俊太郎さんにお礼の電話をした際に雑談した。
鳥越さんとはテレビ朝日の「ザ・スクープ」でずっと一緒に仕事をした仕事仲間である。

「ここのところ、めっきりテレビの仕事が減りましたよ」と鳥越さんは云った。
「報道ステーションでもコメンテイターとして出ていたのだけれども、今じゃテレビ朝日からもパージされてますよ」と笑った。

鳥越さんは決して政治的な人物ではないし過激でもない。
しかし、ジャーナリストとして必要な反権力という考えをしっかりと持っておられる。
それが、安倍政権にとっては邪魔になるのだろう。

「世論調査でも支持率の低下が顕著になったし、世の中も少しは変わるんじゃないですかね」と、そんな希望の見出し方がいかにも鳥越さんらしい。
「嘆いていても仕方ないんで、今週の土曜日にデモを呼び掛けて国会前でやるんですよ。小田さんも是非来て下さいよ」と元気だ。

お若く見えるが、鳥越さんも今年75歳になられた。
辺野古問題を抱える沖縄の集会にも参加されたと聞いている。

鳥越さんがデモを呼び掛けたり、集会に参加するのは余程のことである。
ボクも口ばかりではなく、動くこととするか。

   「吾もまた 口先ばかりの 軽き者」


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あるプロダクションの設立記念パーティー

あるプロダクションの設立25周年のパーティーに出席した。
都内の一流ホテルの宴会場を貸し切っての豪勢なパーティーだった。

社長のYさんは優秀なディレクターでありプロデューサーで、映画の監督なども手掛けている。
Yさんとの付き合いは古く、かれこれ30年近くなる。
彼が会社を興す前にわが社の番組のディレクターをお願いしたこともあった。

わが社が設立してから二年後、Yさんは仲間と共に自らの会社を立ち上げた。
当時は、お互いに若く、麻雀を打ったり、将棋を指したりして、良く遊んだものである。

中京テレビがプロデュースした全国ネットの30分の番組を3年間Yさんの会社と共に制作したこともあった。
彼の結婚式にも出た仲である。

九州男児の気風の良い男だが、10年ほど前になるだろうか、彼から相談を受けたことがある。
細かい事情については失念したが、どうやら会社の経営に行き詰ることがあったらしく、会社をたたもうかと思っている、との内容だった。
一晩酒を酌み交わして色々と話し、励ました記憶がある。

その後、彼はNHKで旅番組の話題作をヒットさせレギュラー番組化に成功した。
経営内容の詳細は分からないが、現在は順調に推移しているようである。

ところが、今年のYさんからの年賀状の家族写真の下に一行「終りが近づいて来ました」の文字があった。
Yさんは今年64歳になるが、まだまだ引退には若すぎる年齢である。
ずっと気がかりだったが、電話するのも何かためらわれた。

たまたま、今年の春に各プロダクションが集うパーティーがあり、そこで会った際に尋ねたところ、5年まえに手術した肺ガンが再び転移したことが分かったのだという。
様子をみて手術する予定だとYさん言った。

今やガンは恐れるに足りない病気とは云いながらも再発症は相当なショックであったようである。

そうこうしているうちに、Yさんからの設立25周年のパーティーの知らせが届いたのだった。
25周年という数字は四半世紀にあたるので区切りが良いと云えば良いが、少し中途半端な年数である。
30周年まで待つのが普通である。
ボクたちの会社でも、現在27周年の進行中で、30周年には少しは改まったパーティーを開こうと考えている。

パーティーの招待状を見ながら、Yさんの肺ガンのことが頭をよぎった。
もしかすると、体力的に30周年まで待つ自信がなく、前倒しで開くパーティーなのではないかと。
めでたいお祝いではあるが、その裏にYさんの悲壮な思いが隠されているように思えた。

案の定、パーティーの冒頭のあいさつで、Yさんは、病気については全く触れなかったが、30周年まで体力が続くかどうか分からないので、と冗談っぽくサラリと語った。
冗談だと受け止めた会場からは笑いが返ってきたが、事情を知っているボクはとうてい笑うことなど出来なかった。

パーティーの合間に会場の入り口に並べられた椅子でタバコをふかしているYさんの姿があった。
「良い挨拶だったよ」とボクは云った。
「そうですか。そう云ってもらえて良かった。こういう挨拶は難しいですね」とタバコをふかした。

肺ガンなのにタバコを吸っても良いの?と言おうとしたが止めた。
このおめでたい日に病気の話は止そう。
彼の健康にとって良いか悪いかは別として、タバコを吸うことが出来ているのは間違いなく良い知らせなのだ。

2時間余のパーティーのお終いに10数余名のスタッフの紹介があり、出席者全員で記念撮影をした。
Yさんらしい演出の行き届いたパーティーだった。

別れ際にYさんと握手しながら「身体を大事にしてよ」とボクは云った。
ありがとうございます、とYさんは応えたが、握手する手が弱々しく感じられたのは果してボクの気の所為だったのだろうか。

ボクも次の世代への引き継ぎに心を砕いている最中だが、Yさんにとってはとても切実な急務であるのに違いなかった。

      「若き日も 老いてなお良き 仲間かな」


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ちょっと嬉しい会食

はじめに、オルタスジャパンのホームページが壊れたために、しばらくブログの更新が出来なかったことをお詫びしたい。
一部復旧したので再開が可能となった。

ところで、先日、嬉しい再会があった。
見出しでは、ちょっと嬉しい会食としたが、本当はとても嬉しい会食だった。

以前このブロクで、ボクの多額の借金の頼みに黙って応じてくれた親友のO君の話を書いたことがあった。
彼の援助のお陰で現在のオルタスがあるのだが、実は、O君には2人の弟がいる。

すぐ下の弟のNさんは準キー局である民放テレビ局の専務を務めた後、関連会社の社長の任に就いていたのだが、この6月末で退任することになった。
45年間のサラリーマン生活を無事に勤めあげたことになる。

その退任の報告と挨拶のためにわざわざ上京しボクに会いに来ることになった。
その際に、兄のOと、Nさんとは一歳違いの弟のRクンとの兄弟3人で連れだって会いに来たのだった。

Rクンは音楽関係の道に進んでいた。
Rクンとは20年振りの再会だが、ボクは三兄弟共に、実の兄弟のような親しい感覚を持っている。

ボクとOとが早稲田大学の同級生で親しく付き合い、彼の実家に出入りしていた時から、当時、高校生だったNさんやRクンとも顔馴染みだったのだが、そのうち、Nさんは立教大学に入学し上京したので、一緒に過ごす機会も多くなり、益々親しい間柄となった。

当時からNさんのことを、N坊とニックネームで呼んでいたが、さすがにテレビ局の専務取締役になってからは、Nさんとよぶようになった。
RクンのことはいまだにR坊と呼んでいる。

大学卒業後、Nさんがテレビ局に入社し、ボクと同業になってからは、ボクの作る番組をよく視てくれていたようである。
やがて、ボクが局を辞してプロダクションを立ち上げた後、Nさんが東京支社の制作部長として赴任し、30分の週一レギュラーのドキュメンタリー番組の制作の仕事をくれた。

地方局制作の全国ネット番組だった。
当時は、まだまだ無名だったボクたちの会社に仕事を任せるに当たっては、根回しにかなりの苦労をしてくれたようである。

幸運にも、その番組は良質で、三年ほど続いたので、経済的な面でもずいぶん助けられたものである。
Oと言い、Nさんと言い、この兄弟は本当にボクにとっての大恩人なのだった。

Nさんは制作や編成畑でも腕をふるったが、事業面で大活躍し、経営者として会社に大いに貢献した。
今度、初めて知ったのだが、その準キー局で組合を最初に作ったのもNさんだったらしい。
社員会という名称らしいが、それが今もそのままの形で続けられているという。

赤字続きの関連会社を黒字経営に立て直してもいる。
経営手腕に優れた能力を発揮したようだった。

「うちの会社の社長をやってよ」とボクは本気とも冗談ともなく云った。
「無報酬ということで良ければ、経営のお手伝いをしますよ」と、Nさんは冗談っぽく応えた。

気の置けない三兄弟と交わす酒や料理はことの他美味だった。

ところで、少しくどい話になるが、お陰さまでOへの借財は、この春で滞りなく返済することができたのだが、後日談がある。
十数年間という永きにわたって、一言の催促をするでもなく黙って大金を貸し続けていてくれたことへの感謝の気持ちは表し切れるものではないが、せめてもの気持ちの表れとして、多少のお礼をした。

その間の利息からすると微々たる額ではあったが、Oは最後に振り込んだそのお金は受け取れないと連絡してきた。
ボクは「お願いだからそんなことを云わずに何とか収めてよ」と一方的に電話を切ったのだったが、その後しばらく経ってからOからの手紙が届いた。

そこには「本当は受け取る筋合いのお金ではないが、返すのも角が立つので有り難く頂くことにする。その半分を、これまで苦労を掛け、自分を支え続けてくれた妻に、そして半分はお前が亡くなった時の香典にする」という内容がしたためられていた。

ボクには思いもつかない処理の仕方だったが、いかにもOらしいとあらためて感心した。
いつまで経ってもOにはかないそうにない。

お金にはトンと縁はないが、良き友人たちや良き人々に恵まれたボクはとても幸せだと思っている。

      「うれしきは 邂逅の機微 花菖蒲」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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