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「言葉の貯金箱」を読みました

「言葉の貯金箱~私の読書ノートから~」というタイトルの小冊子が送られてきた。

送り主は、この本の編者である木村聖哉さん。
木村さんは、1940年中国・大連生まれで、大阪労音事務局、話の特集編集室などを経て、フリーになられた。

著書に「添田唖蝉坊・知道」「竹中労・無頼の哀しみ」「むすびの家物語」句文集「我は何の木」などがある。
著述業のかたわら結純子ひとり芝居「地面の底がぬけたんです」のプロデューサーもされている。

木村さんとは、亡くなられた、ばばこういちさんから紹介されて以来40年ほどの付き合いである。
とにかく根っからの自由人で、その飄々とした生き方は堂に入っている。

木村さんは、これまで本を読んで、インパクトのある言葉に出会った時に、赤線や青線で棒線を引き、読了後にその文章をノートに抜き書きしてきたという。
このノートを「言葉の貯金箱」と名付けたが、20数年続けるうちに、ノートも大分貯まった。
こんな素晴らしい言葉を自分だけで独り占めするのはもったいないと、彼は多くの言葉の中から取捨選択して友人・知人にプレゼントしようと思い立ったというのである。

こうして出来上がった小冊子には、約600ほどのフレーズが収められている。
ボクはボクで、そのほんの一部だが、紹介しようと思う。

人類から愛国主義者をなくすまでは、平和な世界は来ないだろう(バーナード・ショー)

実質が空洞化すると、幻想が肥大化する(森毅)

品行は少々悪くても構わないが、品性が悪いのはいけない(小津安二郎)

日本のいわゆる発展は終わりで、あとはよき停滞、美しき停滞をできるかどうか。これを民族の能力をかけてやらなければいけない(司馬遼太郎)

所有とは窃盗である(プルードン)

政治家は悪人でなければできない仕事だ(鳩山威一郎)

日本人は教育を重視する国民ですから、だれでも試験の前には一生懸命勉強します。でも長い人生で一番難しい試験、厳しい試練は愛する相手を失うときと、自分自身の死に直面することでしょう。そのための教育は今一切ありません(アルフォンス・デーケン)

一日に一回は笑いなさいよ、笑わないと損だよ(淀川長治)

国が滅びるとき、あるいは国家を滅ぼすとき、必ず“愛国的な愚者”が権力の座にすわります(司馬遼太郎)

労働運動も言論界も駄目になり、残っているのは分散した形での小さな市民の集まり、市民運動だけです。個々の運動は小さくても、無数にあればつぶされない(加藤周一)

たぶん私たちがほんとうに困った時に、助けてくれるのはけっして経済的に余裕のある人でもなく、権力者でもないのです。それは、苦しみと悲しみを知っている人、なのです。(曽野綾子)

政治家というものはね、死ぬまでウソをつくんだよ(岸信介)

貧しくないといい絵は描けません(田中一村)

「はじめにいのちありき」であり、最後に守るべきものもいのちです。いのちに国境なしです(澤地久枝)

ナショナリズムっていうのはなくならない。だから何をナショナリズムの根拠にするかっていうとき、軍事力より日本語とか京都の街並みのほうがいいと思う(加藤周一)

世の中簡単に変わらないですね。じゃあどうすれば面白くなるか。自分が変わることです。自分が変われば、世の中が面白くなる(養老猛司)

愛国心とは、ならず者の最後に頼る手段である(サミュエル・ジョンソン)

憲法9条を改めたら、アジアの国の民衆の怒りと不信は、10倍にも強くなる。9条改定は、国内問題ではなく国際問題なのです。それを知らない日本の二大政党は、井の中の蛙でしょうね(日高六郎)

平和主義はいま流行ではありません。しかし絶望する必要はありません。冷静に自分たちの仕事を続けていけばいいのです。そのとき使い古された言葉ではなく、新しい言葉を探すことが大切です(スベトラーナ・アレクシェーヴィチ)

ぼくらの暮らしと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ ぼくらの暮らしと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ(花森安治)

非武装は危険と云うけれど、それでは武装していれば安全かと反問すると、安全という人はいない(佐橋滋)

歴史は反復する、一度目は悲劇として、二度目は茶番として(マルクス)

みなさん、これだけはお願いしたい、いいですか、憲法は変えない方がいい。守ってください。二度と戦争はしちゃいけないんです。僕は憲法ができたいきさつは知っているんです。あれは翻訳だ。日本語じゃない。それでも憲法は変えちゃいかんのです。(宮沢喜一)

現実を批判するのは現実ではない。現実を批判するのは理想だ。理想だけが現実を批判できる(矢内原忠雄)

そんなに情報集めてどうするの そんなに急いで何をするの 頭はからっぽのまま(茨木のり子)

はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に、抵抗せよ(むのたけじ)

木村聖哉さんが20数年間、無数の言葉の中から、青線や赤線を引き続け選んでこられた幾千にも及ぶであろう言葉群から、さらに厳選された約600の名言集である「言葉の貯金箱」。
無礼にも、その何からいくつかのフレーズをボクが勝手に紹介させていただいた。

恐れ多いことだが、「言葉の貯金箱」を読ませていただいて、そのひとつひとつのフレーズは、もともと木村聖哉さんの言葉ではないのだが、読み進むうちに、木村聖哉さんの考えや感じ方が次第に伝わって来ることを感じていた。

これまで理解していなかった木村さんが見えて来たのだった。
それを、ボクが紹介したわずかの言葉では、とても伝えることは不可能であることは承知だが、その断片でもと思って紹介した。

ボク自身、「言葉の貯金箱」に触れることができて、とても勇気をいただけたと木村さんに感謝している。

   「新しき 言葉見つけて 心射る」


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テレビ局の自覚を求める

今月17日、自民党はNHKとテレビ朝日を呼びつけ、番組制作についての事情を聴いた。
これは、まさに事件と言っても過言ではない、大事件である。

周知とは思うが、両テレビ局が呼ばれた事情とはこうである。

まずNHKの場合は、昨年5月14日に放送された「クローズアップ現代」で、いわゆる“やらせ”があったことが、週刊文春のスクープで発覚した。

NHKの記者が詐欺に携わったという架空のブローカーを仕立て上げ、知り合いの者に演技を頼みインタビューしたものを放送したというものである。
NHKは当初、否定したが、その後事実を認め、現在さらに調査中である。

一方、テレビ朝日は、「報道ステーション」の生放送で、レギュラーコメンテイターを務めていた元経済産業省の官僚であった古賀茂明氏が番組の降板に当たり、「これまで菅官房長官をはじめ、官邸にはものすごいバッシングをうけてきた」と同番組の放送の中で、首相官邸を痛烈に批判するという出来ごとがあった。

自民党の情報通信戦略調査会は、このふたつの件で、NHKとテレビ朝日の関係者を呼んで事情を聴くことになったのである。

問題になっているNHKの“やらせ”事件については、演出の範囲を遥かに超えたねつ造であり、NHK側に弁解の余地は無い。

“やらせ”については、制作者によって見解が異なるところだが、ボクは、再現までは演出の許容範囲であると考えている。
しかし、今回NHKが指摘を受けたケースは全くのねつ造であり、視聴者の信頼を大きく裏切ることになった。

しかし、これはNHKがしっかりと事実関係を調査し、二度とこのような不祥事が起きることの無いように処置し、それを視聴者に報告すれば良いことであり、いかに政権与党とは言え、一政党である自民党に呼びつけられなければならない事案では全くない。

「報道ステーション」のケースに到っては、放送予定になかった発言がハプニングとして生放送中に起きたことは、視聴者に何らの迷惑を掛けることでもなく、問題にするとすれば、番組担当者が、出演者であるコメンテイターをコントロールできなかっただけのお話にしか過ぎない。

これは、局内で議論し解決すれば済むことである。
たまたま、その発言内容が、時の政権の言論機関への介入を暴露するものであっただけで、それに対して、テレビ局を呼びつけて、さらに圧力を掛けようとする自民党の行為は明らかに行き過ぎであると同時に、はからずも、言論弾圧の実体を自ら認めたのも同然の結果となった。

NHKの“やらせ”はあってはならないことである。
また、「報道ステーション」のケースは、表向きは、どうということでは無いようにもみえるが、日頃の古舘伊知郎キャスターの発言に政府から大きな圧力がかかり、古舘伊知郎キャスターを降板させろとの強い要望をかわすために、局の幹部が、その身代わりとして、コメンテイターの古賀茂明氏を降ろすことで決着を見た、との噂もある。

その真偽は定かではないが、このように、NHKもテレビ朝日も、脛に傷を持つ、いわば弱みを抱えているために、そこを自民党に突かれる格好となった。

本来ならば、一政党からの恫喝を目的とした呼び出しに対しては、毅然として拒否しなければならないマスコミが、その軍門に下ることとなった。

うがった見方をすれば、天下のNHKと、現政権に最も批判的なテレビ朝日を自民党が見せしめとしてやり玉に上げたようにも受け取れる。

安倍政権の言論機関に対する、なりふり構わぬ介入や圧力、恫喝は、戦後政治の中でも特筆に値するほど強いものであることは、今さら改めて論ずるまでもなく、あまねく知られていることではある。
いかにもファッショ的である。

しかし、本来、権力とはそういうものである。
時の政権のそういった弾圧は決して珍しいことではない。

しかし、その弾圧に屈することなく、むしろその弾圧を告発し、戦う役目を担うべき言論機関が、安々と白旗を掲げたのでは話にならない。
自らが言論の自由を放棄することに他ならないからである。

戦後70年。
今の世の中の在り様を含めて、ジャーナリズムがいかに機能するべきかを、特にジャーナリズムの世界に在る者は、真正面から取り組まなければならない課題であると考える。

   「身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ テレビかな」




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生活が苦しくなっている

つい先日、たまには、ちょっと贅沢に鮨でもつまもうかと地元の鮨店に行ったところ、シャッターが閉められており、2月28日をもって閉店させていただきました、との張り紙があった。

その鮨店のあら汁はボリュームがあって、鮨よりもそのあら汁を目当てに、たまに行っていたお店だった。

またひとつ、馴染みのお店が潰れて残念だなとの思いと同時に、そこで働いていた職人さんたちはどうしたのだろうね、と妻と語り合った。
知り合いを失ったさみしさのようなものがあった。

そういえば、ボクたちの会社の在る赤坂には、それこそ数えきれないほどの多数の飲食店やバーやマッサージ店などさまざまな業種のお店が軒を並べてひしめいているが、気が付くと、これまで、そこにあった筈のお店が無くなり、新しい店舗になっている。

実にその出入りが激しく、まるで月替わり、日替わりといった感じで、街の様が変容している。
ボクが赤坂に来て20数年になるが、行きつけだったお店が、指折り数えてみても、軽く10数軒はすでに廃業した。
生きて行くということは、大変なことなのだと改めて実感する。

消費税率が5%から8%に引き上げられてから、ちょうど一年が経つ。
ボクには経済の専門知識など全くないが、ただ、消費税ばかりではなく、税金の重みだけはひしひしと感じている。

アベノミクスがもたらした意図的な円安は、自動車産業などの輸出業界を潤しているが、輸入原材料の高騰をもたらし、われわれ庶民の生活を極端に圧迫していることは周知である。

一部大企業の繁栄とは裏腹に、苦しみ続ける中小零細企業群があり、多くの年金生活者の群れが存在する。

そんな中、自営業を営むボクの知り合いから、一通のメールが届いた。

「時代の流れは大きく変わってしまったようで、正直なところ、今はこれまでにない厳しい状況に追い込まれています。
自営業は、庶民の生活に密着しているという点では最底辺と言っていいと思います。報道では賃金上昇、高卒者の就職率の増加など言われていますが、私や見聞きする周囲の状況からみても最底辺の景気はひどい有様です。
(中略)
人のせいにしても始まりませんが、今の政権のやっていることは、何から何まで理解に苦しむことばかりです。政治の影響にさらされている感覚を肌身に感じています。
正直なところ、今や廃業という言葉が見え隠れしており、自分で決めて進んだ道なので後悔などはありませんが、時折恐ろしく不安になります。」

彼は浮ついたところのない、真面目一方の堅実な男である。
その男が泣いている。

確かに、自由競争の世の中であるから、生きて行くための独自の工夫や努力が求められていることは勿論である。
しかし、本来ならば、人並みに努力し、真面目に働けば、その汗の量に匹敵する、それなりの普通の暮らしができる社会でなければならない筈である。

今や、それが不可能な状況の社会に陥ろうとしていることが問題である。

間違いなく、現在の政権は、一部の富める者をますます豊かにし、これまで何とか普通の暮らしをしていた人たちを貧困に落している。

実際には、実現不可能な経済成長だけを目指す、なりふりかまわぬ、乱暴な経済政策が断行されている。
そして、その結果として、懸念されていた極端な二極化構造の社会がいよいよ現実の形となってきている。

ところで、小さいながら、わが社でも、4月というベースアップの季節を迎えている。
貧しいながらも楽しいわが家であり続けるための工夫に頭を痛めているところである。

   「金求む 宣伝広告 役立たず」


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お花見の宴

先週の金曜日、毎年恒例のお花見の宴を催した。

会社のすぐ近くにある公園に3本の桜が植えられている。
二本がソメイヨシノであと一本がオオシマザクラだが、今年はちょうど花も見ごろの良い日にめぐり会えた。

公園はみんなのための公共設備だから、例年、お花見会場の陣地取りが競争となる。
そのために朝早くから準備するのだが、今年は遅れをとって中央の良い場所を他社に先んじられるハプニングはあったが、その周りをぐるりと囲む格好で、何とか間に合わせることができた。

十数年間で初めての出来ごとだったが、こればかりは既得権など主張することも出来ずに泣きをみた。

200人を超える方々を迎え入れるための準備はそれなりに大変である。
地面に段ボールを敷きつめて、その上にビニールシートをかぶせる。

段ボールは近くのスーパーなどから集められるだけ集める。
それに、やはり段ボールで作った座布団代わりの敷物を前日に二百数十枚用意した。
これらの仕事は総務のベテラン社員の陣頭指揮のもとに今年入社したばかりの新入社員と入社一年、二年の若いスタッフたちが、総出でこれに当たる。

ボクの役割は、お招きしたお客さんたちに、お弁当とビールと段ボール製の座布団をひとりづつにお渡しし、挨拶することと決めている。

昨年は200人分の弁当を用意したが足りなかったので、今年は220人分に増やしたのだったが、結果的には、それでも間に合わなかった。
来年は250人分にしようと思っている。

これだけの方々にお越しいただけるのは、とても嬉しく有り難いことである。
感謝の気持ちで一杯になる。

わが社のスタッフにも出来る限り参加するように呼びかけているが、積極的に参加して手伝う者もいれば、やむなく仕事で来られない者もいれば、また、知らぬ顔の半兵衛を決め込む者も出てくる。
そういうスタッフの心根が俯瞰で見えるのも、こういう日ならではの、なかなかに面白いものである。

新入社員をはじめ、裏方でがんばってくれたスタッフは数多いが、その中で、特にボクの心に残った無心で働き続けていたスタッフの姿があった。
その2名に来週の全体会議の際に、ボクの独断と偏見で決めることになっている社長賞で金一封を出そうと思っている。

ところで、今年のお花見で気になることがあった。
それは、この公園を根城としていたホームレスのおじさんの姿が今年は見えなかったことである。

まるでこの公園の主であるかのようなそのおじさんに、「今年もお騒がせして済みませんね」とボクはここ数年、毎年清酒の一升瓶一本と弁当を渡していた。

彼は、気持ちの良い人で、いつもボクたちの準備を手伝ってくれた。
特に、助けられたのは、お花見が終わって撤収する際に出る大量の段ボールの後始末を一手に引き受けてくれていたのだった。

いつものように、挨拶をしようと彼を探したが、いつも居るはずのベンチにも、その姿が見当たらなかった。
どこかへ移動したのか、あるいは病気にでもなったのか、それとも亡くなったのだろうか。
いつもそこに居るはずの人がいなくなってしまっていることへの、妙な寂寥感があった。

お花見が終わると、間もなく新緑の季節がやってくる。そして、夏、秋が過ぎ、あっと言っている間に、気が付けば、忘年会がくる。

時間の過ぎ去る、その速さだけが恐ろしい。

   「葉桜に みぞれまじりの 雨静か」


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新入社員参上す

4月1日。
桜いよいよ満開の中、今朝ほど、新入社員を迎えての入社式を行った。

今年の新規採用は3名。
この3月に大学を巣立ったばかりの若者たちである。

それに、中途採用の40歳が一名。
彼は、民放の地方局を辞めてわが社を志望してきた。

多くの場合、地方局では40歳ともなると、会社から管理職になることを求められ、ディレクターとして現場に出ることが出来なくなるケースが多い。
彼もそんなひとりであったらしく、プロダクションの制作現場で、番組制作を続ける道を選択した。

妻子を地方に残しての単身赴任である。
給料も局に居た頃の半分近くに大幅に減ることを承知で上京した。

孔子の「論語・為政」に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず………」とあるが、40歳というのは人生での惑いの年齢であるのかもしれない。

そういえばボクも43歳の時にテレビ局を辞してプロダクションを立ち上げた経験がある。
ボクの場合は、文字通り、時の流れに身をまかせで、それほどの大決心をしてのことではなかったが、彼の場合は、相当の覚悟の上での転身であったであろうことは想像できる。

入社式などという儀式を始めてから数年になる。
もともと、形式ばったことは性に合わなかったのだったが、それでも入社式を始めたのは、スタッフが増えて会社らしくなったこともある。

しかし何よりも、新鮮な気持ちで出社に臨む新入社員たちにとっては、もしかすると、これが一生に一度の大切な日であるかもしれないと思い当たったからだった。
そうだとすれば、多少格式ばっても、しっかりと新入社員たちを迎え入れる入社式は必要なことだと考えた。

これから彼等を待ち構えているであろう幾多の困難や、時には挫折の危機に陥るような時に、この日の新鮮な気持ちを思い起こし、それを乗り切ってもらいたいとの願いもある。
初心がこの儀式にある。

彼等を受け入れるボクたちにとっても、改めて初心に返るチャンスの時でもある。
この日、新入社員たちに、そんなことを語りかけながら、二十数年前にこの会社を興した頃の期待と不安に満ちた自分自身を思い出していた。

曲がりなりにも、何とかこれまで困難を乗り越えてこられたのは、その度に、設立時の、あの初心に立ち返ることが出来たからだと思っている。

新たにわが社に加わったフレッシュな若者たちへの期待は計り知れなく大きい。

   「忘れても 空気のように 初心あり」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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