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ある常務取締役の退任

Mさんから突然の電話が入った。

お元気ですか?とのボクの挨拶もそこそこに「ご報告なんですが……。3月に行われる株主総会で退任することが決まりましてね。」とのMさんの、いつもにも増して元気の良い声が、響いた。
「え!」とボクは絶句した。

Mさんは大手新聞社のグループ関連企業の常務取締役に就任して、まだ1年しか経っていない。
60歳を少し過ぎた年齢で、つい先日、若い奥さんと再婚し、そのお披露目のための、盛大な結婚披露宴のパーティーを開いたばかりでもあった。

「まあ、良いのですよ。これで僕も映像関係の仕事からは離れることになりますが。」と云う。

「次の行き先は決まっているのですか」とボクは聞いた。
「いやあ。でも大体当たりはついていますが」と、その声はどこまでも明るかった。

その明るい声の正体は定かではなかったが、必ずしも、本社に急きょ栄転するなどの明るい未来を約束された内容ではないであろうことは、その口ぶりから推測することができた。

Mさんには、これまで色々と世話になった。
何度も仕事をご一緒させていただいた。
仕事がらみとは言え、楽しいお酒も飲んできた親しい間柄である。

とても真面目で、常に新しいことに挑戦するファイターだが、正直、器用な生き方ができる方ではない。
それにしても、余りにも突然の人事異動の知らせには驚きを隠せない。

つい、先日も、これから到来する4K時代に対応するための、何回目かのミーティングをしたばかりである。
意欲的な動きの翼をいきなり折るような、そんな彼の異動に思えた。
組織の常とは言え、その冷酷な一面に触れて、ボクの気持ちも沈む。

大組織の中で、自分の意思を貫きながら、上手に泳ぎ切ることは至難の業では無い。
Mさんと同じグループ企業のテレビ局で、トップに近い地位まで上り詰めたSさんが、酒を飲みながら、しみじみと言った言葉を思い出す。

「私などは、若い頃の仲間からは裏切り者と思われています。出世のために変節したと。それも自分で選んだ道だし、他の選択肢があったのか難しいのですが、それでもやはり悔いのようなものは残ります。そろそろ、私も任期を終えて局を卒業しますが、卒業後は、罪滅ぼしではないですが、少しは社会に貢献できるような何かをしたいと考えています」

大組織の中で、生き抜くためには、ある場合は仲間を蹴落とさなければならないこともあったのだろう。
変節もしなければならなかった。
その能力や才能もさることながら、権力闘争や出世競争を勝ち抜くためには自分自身を欺くことも必要だったのだろう。

Sさんは志を持った良心的で立派なテレビマンである。
それだけ余計に、自らのテレビ人生に対する後悔の念がつのるのだろう。
それが宮仕えのつらさであり、厳しさなのだろうか。

幸いなことに、ボクなどは、もともと落ちこぼれで、およそ出世競争などとは無縁のテレビ人生を送らせてもらったから、そんな喜びや悲しみにも、また無縁である。

ただ番組作りが面白く、夢中で制作し、不徳の至りで、制作することが許されなくなくなったので、40歳を過ぎてから、テレビ局を去り、プロダクションを設立した。

親方も日の丸も無いので、資金繰りなどの、また別の苦労はあるにはあるが、仕事上での罪悪感や悔いというものだけは全く無い。
その点は実に自由である。
自分に対して、気楽に死んでいくことができる。
それだけでも、ボクたちは幸せである。

Mさんの落ち着き先が決まり、再び、楽しい酒が飲むことができればと願っている。

      「若き日の 乱暴狼藉 アウトロー」


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匂いの不思議と妻のいびき

与太話である。

先日の夜、外出先から会社に戻ると、むせるような甘い香りが、フロアー全体に漂っていた。
「ああ、良い香りだなあ」とボクは思わず声に出した。
すると、その時間まで残業していた何人かのスタッフが、ククククッと声を押し殺すように笑っている。

「どうして笑っているの」と怪訝そうに尋ねるボクに、「みんな、小田さんが、良い香りだという花の匂いが臭いと話していたところだったのですよ」といささか云い難そうに、でも笑いを堪えて答えた。

今、フロアーのあちらこちらに置かれている鉢植えの「幸せの木」が花盛りなのである。
全部で5つの「幸せの木」の鉢植えがあるが、そのどの木も花をつけている。
全部の木が一度に花を咲かせたのは、会社設立以来初めてのことだと、ボクは大いに喜んでいたのだった。

これらの木は、26年前、会社を設立した時にお祝いに頂いたものである。

ちなみに原産地は熱帯アフリカで、学名をドラセナと云うらしい。
ハワイでも代表的な木で、家の前にこの木を置いておくと良いことがある、との言い伝えがあり、幸福の木の名前の由来となったそうである。

フロアーには、「幸せの木」の他にパギラやベンジャミンやシュロなどの鉢があるが、特別の手入れもせず、伸びたい放題にさせている。
枝葉が繁り過ぎて天井の蛍光灯の邪魔をするので、スタッフはいつも迷惑顔でいる。
しかし、ボクが枝を切ることを嫌がることをみんな知っているので、時折、枝を切っても良いかと許可を求めに来る。

「幸せの木」をはじめ、部屋にある木々は、設立以来、ボクの喜びや悲しみのすべてを見て来た、そして苦楽を共にしてきた、いわば戦友である。
ボクは、ただ忘れずに水をやっているだけとはいうものの、とても大切にしている。

現在、信頼できる新たなスタッフたちに恵まれているが、設立当時のメンバーはボクひとりとなった。
妙な言い方になるが、設立当時の様子を知っているのは、これらの木々だけである。

「幸せの木」は、時折、思い出したように10日間ほど、白い花を咲かせる。
しばらくすると、床を汚すほどの大量の密を滴らせ、濃密で妖艶な匂いを放つ。
虫を誘うための彼等の生殖活動の一環なのだろうが、何か空しい作業をやらせているようで、申し訳なく思ったりもする。

そして、ボクには、その花の香りがとても素敵に感じられるのだが、スタッフにとっては、それが臭い匂いらしい。
スタッフのみんなに迷惑を掛けているのは申し訳ないが、戦友が渾身の力で生み出した花を摘み取る気持ちにはどうしてもなれないのである。

それにしても、同じ香りが、人によって感動的であったり、臭く感じる異物であるのは誠に不思議である。

そういえば、昔、ある有名女優が、やはり名の知られた男優と結婚したが、夫が家の中で下着姿でいることが耐えられないと離婚したり、また別の女優は、やはり有名男優が彼女の前でオナラをしたのが、とても気に入り結婚した、などとのまことしやかな話を聞いたことがある。
つい先日も、医者である夫の蕎麦をすする音が嫌で別れた女優の再婚話がワイドショーの話題になっていた。

これらは、出会いや別れの単なるキッカケにしか過ぎない事は当然だが、人それぞれの感じ方があるものだ。

そういえば、妻は最近ボクのいびきがうるさくて眠れないとグチをこぼす。
妻はそのいびきがどれほどのモノかと、スマホに録音してボクに聞かせたりする。

一年前と比べると10キロ以上体重が増えた。
どうやらそれが原因のようだが、ボクは自分が眠っているので、いびきばかりはコントロールのしようがなくて困っている。

大きな声では言えないが、実は、その妻も適当にいびきを掻く。
しかし、ボクは、普段は眠りの浅い妻がいびきを掻いてグッスリと眠れていることが嬉しい。
ボクの耳には妻のいびきが快く、愛おしく聞こえる。

同じひとつの事象が、受け手によって実態が異なることが面白い。
もしかすると、世の中には、真実の実体など存在しないのではないか、などと馬鹿なことを考えたりしている。

     「明日もまた 花咲爺さん 水をやり」




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中国からの来客

先週、中国の天津から妻の姉夫婦とその友人が来日し、一週間ほど滞在した。
妻は5人姉妹の2番目だが、長女である姉夫妻が、休暇でやってきたのだった。

姉夫婦は天津で事業を営んでいる。
韓国の大手企業「現代」の自動車部品の製造会社を営むかたわら、今回一緒に来日した友人と運送業を共同経営している。

友人の手腕も大きく、この10年で、トラック180台を有し、1000人の従業員を抱えるまでの、天津では大手の運送・流通会社に成長させた。

姉夫婦は、かつては決して裕福ではなく、15~6年ほど前には夫婦で日本に稼ぎに来ていたというが、中国の経済成長の波に乗ることにうまく成功し、今では、金持ちの仲間入りを果たした。
彼等は北京から日本までのたかだか3時間足らずの空路をファーストクラスで来たと何でもないように話す。

妻とその姉妹たちは長女を除いてみんな大学を出ている。
姉はそのことを残念に思っているというが、そういう時代であったのだろう。

姉の亭主も友人である共同経営者のRさんも学歴がある訳ではない。
Rさんは9人兄弟で10年少し前までは貧しかったと云う。
「自分たちの知っている人たちで、現在成功して金持ちになっているのは、その全員が、昔は貧しかった者ばかりだ」とRさんは云った。

「大学出の優秀だった者で金持ちになっている人を知らない。自分などは小学校時代から勉強ができずに、いつもクラスでビリだった」と誇らしげである。

いかにも田舎から出て来たという風情で風采は上がらないが、商売で成功したとの自信に満ちている。
Rさんの腕には、来日したその日に、銀座で購入したという高級腕時計が光っていた。

そう云えば、何十年か前、日本がバブルを体験する前だったと記憶しているが、ボクの大学時代の同級生で、大手新聞社の記者を辞めて、大物右翼の一族と云われていた人物が経営するN興業に引き抜かれて転職した友人が、つくづくと言っていた言葉を思い出す。

「日本の金を本当に動かしているのは、大学など出ていない連中だよ。われわれのように中途半端に学歴のある者はひ弱で、金の世界ではとても太刀打ちできないよ」
当時も今も、金銭そのものにはほとんど縁が無く、したがって当然ながら貧乏暮らしに慣れているボクなどは、へえー、そういうものなんだな、と妙に納得したものである。

ここ4~5年の間に、妻の親や姉妹たち家族への挨拶や、姉夫婦の娘の結婚式に招待されるなどで、2度ほど姉夫婦の住む天津の超高層マンションを訪れたことがあるが、バスルームが3つもある豪華マンションで驚いたものである。
噂に聞いていた中国の発展ぶりは、予想を遥かに超えたものだった。

当時、姉の亭主、つまりボクの義兄にあたる訳だが、彼はトヨタの高級車に乗っていた。
その後、尖閣問題が起き、日中の関係が極端に悪化し、日本製の車に乗っていることに危険を感じて、現在はベンツに変えたという。

その後、姉も自動車免許をとり、車を買った。
夫婦がそれぞれ一台づつ、それぞれの車を転がしている。
嫁に出したひとり娘にも高級車を買い与え、若い娘夫婦も2台の車を持つという豪勢さだ。

子供の頃、アメリカでは、一家で何台も車を持っていると聞いて驚いていたものだが、現在の中国は、それと同じようである。

ボクたち夫婦が訪中の際、姉夫婦には至れり尽くせりの世話になったこともあり、今回、彼等の日本滞在中は、思い付く限りの礼を尽くし、心からねぎらった。
妻は勿論のこと、ボクにとっても、姉夫婦はとても大切で、愛しい人たちである。

義兄は56歳、姉は51歳。
本当に素朴で礼儀正しく善良な人たちである。

共に、三代前に朝鮮半島から中国の旧満州に渡り、漢民族が支配する異国の地でがんばり抜いてきた子孫である。
朝鮮民族に対しては、日本でのように特別の差別は無かったとは聞くが、言葉では言い尽くせない、さまざまな苦労があったであろうことは想像に難くない。
姉夫婦のこれまでの努力や苦労が、どういう形であれ、報われたことは本当に嬉しい。

しかし、経済発展を続ける中国だが、金に頼る世界はいつどのように変転するかは分からない。
日本人の多くも、日本の経済成長期からバブルに到る時代を経験し、多くの悲劇も目の当りにしている。

裕福な時代を体験した者は誰もが一度は通る道だが、豊かさを金で測るという感覚に陥る危険は、余程の自覚が無いと避けることはできない。

栄枯盛衰、栄えれば必ず滅びる。
栄えぬよう滅びぬように生きることは、実際には難しい。

お金では買えない価値を見つけ、それを身につけることもまた難しい。
しかし、ボクたちは、その大切さをすでに知っている。

姉夫婦には、日本での休日を十分に満喫して帰国して貰えたと思っている。
まだまだ若い彼等の前途が幸せであることを心から願っている。

      「栄えれば 奢る平家の 落人に」


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仕事の向き不向き

世の中に職業の種類は、どれほどあるのだろう。
労働省編職業分類によれば、およそ2万8千の職業に分類されているとも聞くが、そんなに沢山の職業があるのかと驚く。

ボクたちの会社でも、3月になれば来年の新入社員の採用募集を行う予定でいる。
受験生たちへの面接の際には決まって「どうしてこの職業を選んだのか」との質問をする。

テレビが好き、過去に感銘を受けたドキュメンタリー番組があったから、世間に伝えたいテーマがあるなどその動機についての返答はさまざまである。

ボク自身、この業界に入って50年近くが経つ。
なぜ、この仕事をしているのかについては、今だから答えることはできるが、50年前にそれほど明確な意思をもっていたのかどうかは、はなはだ怪しい。

高校生の頃は、まだテレビの創成期で、NHKで放送していた「事件記者」というドラマがあった。
警視庁詰めの新聞記者たちが、激しい取材合戦を繰り広げる内容だったが、その番組を視て、新聞記者になりたいと強く思うようになった。

ボクと同様に、ドラマ「事件記者」に感激してNHKの報道記者になったのが、現在、報道解説でお馴染の池上彰氏だと聞いている。

ボクの場合は、ちょうど、大学受験を控えていた頃で、早稲田大学の政治経済学部に新聞学科があることを知り進学した。
就職試験で新聞社を受験したが、願いかなわず、結局は日本テレビに入社した。

当然ながら、報道部を希望したが、教養局という部署に配属となった。
事件記者を目指していた当時のボクには、「教養」という二文字の語感が何とも軟弱で女々しく感じられ、本気で会社を辞めようかと考えた。
自分の希望する職場とイメージがあまりにもかけ離れていると思えたからである。

しかし、色んな番組の制作に触れているうちに番組作りの面白さに気付き始めた。
そして、ドキュメンタリーに出会い、その世界にはまる。

その後、訳あって報道部に配属になった時には、あれほど強く希望していた報道記者を拒絶する自分がいた。
人の思いや気持ちなどというものは、あやふやで、いかにも自分勝手である。
ドキュメンタリー以外の仕事には興味がなくなっていたのだった。

ドキュメンタリーの何が面白くてそうなったのか、の論理的な説明などできない。
特別に才能があった訳でもない。
その証拠に、直接のモノ作りから離れて久しいし、制作プロダクションの社長などをやっている。

しかし、ドキュメンタリーからは常に離れることが出来ないでいる。
ドキュメンタリーが好きで、性が合っているとしか云えない。

この、性に合うとか、仕事の向き不向きというのは、仕事をする上での大切な要因である。
新入社員の採用試験の際には、まずは、向き不向きの判定が求められるが、正確に判断することはなかなかに難しい。

毎年行う新入社員の採用に際しては、何人ものスタッフの目を通して真剣に面接するのだが、必ずしも大当たりとはいかないケースもある。
職場環境に適応できなかったり、仕事そのものについていけなくなり自ら職を辞する者も出てくる。
残念ながらそれはそれで致し方ないことである。

しかし、時には、本人の努力にもかかわらず、制作という仕事に向いていない者も出現する。
この対応には正直、苦慮する。

本人の資質の問題があるので、それを一から正していくことは簡単ではない。
そういう人材に接した時、プロデューサーやディレクターの中には、面倒見切れない、と投げ出してしまう者もいる。
しかし、現実には、情も生まれるし、何よりも採用したという責任がある。

本人が諦めたのならば話は別だが、やる気がある限りは、会社の都合で、放り投げることは絶対に許されないことである。
どのように育てれば良いのかに頭を痛める。

そんなボクの意を意識してかどうか、苦悩している若いスタッフの面倒を積極的にみようとしてくれるスタッフたちもいる。
人一倍苦労することになるのだが、自らその苦労を買おうとする心意気が頼もしく、嬉しい。
こういう意識が社内に浸透していくことで、スタッフの中に連帯感や信頼関係が生まれることを大いに期待している。

一方で、俺が、私が、という競争意識や作り手としてのエゴイズムは、表現者としてのボクたちの仕事には確かに必要だが、同じ志を共有する共同体としての意識は同時に大切である。
それが、同じ釜の飯を食うということであり、戦友になるということである。

そこが同じ表現者でも、フリーと組織に属する作り手との大きな違いであり、共同体の持つ大きな意義であろうと思っている。

今後とも、スタッフと手をとり合い、堂々と共に歩んで行きたいものである。

   「ありのまま 楽しく生きる 皆と生きる」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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