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あっという間の一年

一昨日、26日に忘年会を終え、それがわが社の仕事納めとなった。

勿論、担当する番組によっては、暮も正月もなく出社しなければならないスタッフも大勢いるが、取りあえずは、今年一年を無事に終えることができた。

正月明けは、5日から仕事始めとなる。
ブログも正月休みとさせていただく。

一年間お付き合いいただき感謝の限りです。
そろそろ息切れしてきたが、来春からまた始めさせていただく。

皆さま、どうか良いお年をお迎え下さいますように。

   「初夢に 期待を込めて 筆を置き」


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ボクたちの株主総会

昨日、わが社の株主総会があった。
設立して以来、28回目となる。

上場している訳でもないので、株主総会と云っても、参加者はいつもの顔馴染みの人たちばかりなので、特別に緊張するといったことでもないのだが、それでも改まった気持ちにはなる。

9月決算なので、毎年、株主総会は12月に行っているが、この行事を迎えると今年もいよいよ師走だとの感を深くする。
あとは、暮の忘年会を終えて、いよいよ今年が終わる。

お陰さまで、今回の決算では、黒字を計上することができた。
売上高は前期よりも少しばかり落ちたが、利益は伸びた。
減収増益ということになる。

言うまでも無く、増収増益が望ましいが、減収にもかかわらす利益が増えたのは、経費削減の成果が上がったということで、これはスタッフの努力のたまものであり、実に喜ばしいことだ。

この経費削減という当たり前のことがプロデューサーやディレクターに浸透するまでには、それなりの時間とエネルギーを必要とした。

お恥ずかしいお話であるが、わが社では、永い間、予算管理が杜撰で、ずっと赤字すれすれの経営を続けて来ていた。
その根本は番組制作費の使い方にあった。

簡単に表現すると、ひとつの番組を制作する際に、その番組を納得のいく番組にするためにと、その番組に使える予算以上の制作費を費やしていた。
そして、良い番組を作るためには、お金がかかることは当然のことで、仕方のないことであると考えていたのだった。

テレビ局から支払われる金額よりも多くのお金を使ってしまうのだから、会社が赤字になるのは当たり前のことである。
しかし、どのスタッフも、番組作りが好きで、良い番組を作るために必死になり、身を粉にして頑張っている。
その情熱やエネルギーには、尊く、素晴らしいものがあり、大いに共感できるものがあった。

実際に、これまで、良い番組を作ることもできて、ある程度、テレビ局にも満足してもらえ、多くの賞もいただいてきた。
しかし、経営的には、こうして、スタッフたちが、番組作りに懸命になればなるほど、会社の赤字が大きくなっていたのだった。

ボク自身もかつては永く番組の制作現場にいたこともあり、そういった制作スタッフの気持ちは痛いほど分かることが、実は問題だった。
経営する立場にありながら、どこかで、そんな制作スタッフを支え、彼等を助けたいとの気持ちが働き、何とかしようと資金を工面するという悪循環を繰り返していたのだった。
責任の大半は、スタッフよりは、ボクにあることは自覚していた。

しかし、それにも限度があった。
番組の数が増し、スタッフの人数も増えてくると、その金額も大きく膨らみ、いつまでも赤字制作を続けて行くことは無理になる。
その緩和策として、事業的観点からの収入を得ようと、企画実現部という部署を数年前に新設していたが、これも、結局は挫折した。

そして、いよいよ、3年ほど前から、それまでの方針を大きく切り替え、健全経営に本格的に乗り出すことにしたのだった。
これまでに無かった、財務という考えを持ち込むことにした。
財務担当の取締役を新任して、全社を挙げて、経費削減を徹底した。

番組制作に当たっては、その番組に使える経費を試算し、その範囲内で番組を制作するとの努力目標を作った。
時間はかかったが、スタッフも本気で取り組んでくれた。

こんなことは、どこの会社でも当たり前に行っている基本的なことである。
当たり前の会社になるのは面白くないので、ボクはこれまで敢えて行わなかったのだったが、背に腹はかえられなかった。
利潤の追求に夢中になることが一番怖かったからである。

こうして、3年余が経ち、今回の株主総会を迎えたのだった。
まだ緒に就いたばかりだが、ある程度、経営は安定の方向に向かっている。

それは、ある面では喜ばしいことである。
しかし、恐らく、安定経営で得るモノと失うモノがある筈である。

ボクが絶対に失いたくないモノ、それは野人の精神である。

      「幸せだ みんなそろって 平和ボケ」


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身勝手なボクの一方的親友

知人、友人は多い方だが、さて親友となるとどうか。

もともと親友とはどういう友のことを指すのか考えたことはなかったが、辞書を引くと、「互いに心を許し合っている友」「特に親しい友」と至って常識の範囲の説明である。
心友、信友などとも云うらしい。

会社にも、心を許し信頼できる仲間たちはいるが、親友という定義には当てはまらない気もするし、親しくても、大先輩となると、友と名乗るにはこれまた恐れ多い。
少なくとも、上下関係や利害関係があると成り立たないようである。
それに「無二の親友」などとの表現もある位だから、その数は多くはないのが相場なのだろう。

先週の土曜日、大学時代から親しくしてきた0夫妻と食事をした。
これまでO君のことは、他人には、迷わず親友と公言してきた。

Oとは早稲田大学の大教室の授業でたまたま隣に座り、言葉を交わしたのが出会いの初めで、それ以来の付き合いである。
性格は全く異なっているが、なぜか気が合い、大学時代の4年間は四六時中、いつも一緒に過ごしていた。

お互いの実家にも行き来し、両親たちにも紹介し合った。
彼の兄弟とも親しい間柄である。
大学生活で得たものはいくつかあるが、Oとの濃密な時間は特筆に値する。

卒業後、彼は金融関係に、ボクはテレビ局へと、それぞれ全く別の道を進むことになった。
それから、50年近くが経つ。
その間、お互いに何度か会っているが、それほど頻繁な回数ではない。

先日の食事は、3年前に、大学の同級生の葬儀で会って以来、3年振りのことだった。
何年か振りに会っても、親や兄弟の場合と同じで、久し振りという感じが全くしないのが不思議で、それが親しい友というものなのだろう。
恐らく、過去に体験した深い関係が生み出す特別の親しみの蓄積があるからに違いない。

実は、Oには言葉では言い表せない大きな恩義があった。
十数年前に0から400万円という大金を借りたのだった。

大きな声では言えないが、当時は毎月、会社の資金繰りに追われ、四苦八苦の日々を送っていた。
彼は、ボクの借金の頼みに「分かった」の一言で借用書のひとつを要求する訳でもなく即座に貸してくれた。
銀行員とは云え、一介のサラリーマンには重すぎる金額に違いなかった。

会社を立ち上げて以来ずっと、銀行からの借り入れだけでは間に合わず、ボクは思い付く限りの人たちからの借金で社員に給料を払い、月々の支払いに充てていた。
そんな苦しい状況からやっと抜け出せたのは、つい最近、ここ2~3年のことである。
まことにお恥ずかしい話で、今だからやっと話せる。

今からもう一度、あの頃に戻ってやり直せ、と云われても、とてもあの困難を凌ぎ切るだけの勇気と体力は残っていない。
そんな苦しい時も「毎日がスリルとサスペンスの連続で、それだからプロダクションの経営は面白くてやめられない」などと、これまで他人様にうそぶいていたものだが、やっとのことで経営的に安定し始めた今では、恐ろしくて、そのような表現はとても出来ない。

思い出しても、吾ながらよくも無事に乗り切って来られたものだと恐くなる。
そんなふうに感じるのは、ボク自身、すでに歳をとり衰えて来たという証なのかもしれない。

本当に、数えきれない人たちに助けられ、支えられてきた。
勿論、それらの方々への借金は、約束通りにこれまでにきれいに返済してきた。
そして、Oへの返済を、やっとこの暮から始めた。
来春できれいにできる。

Oには甘えるだけ甘えさせてもらった。
この十数年の間、一度も返済の催促は無かった。
まるで何事も無かったかのように接してきてくれたのだった。

食事の時「本当に永い間ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました」と妻はボクに代わって彼に礼を云った。
「いやあ、あのお金は、はじめから返してもらおうなんて思ってなかったですよ。実はカミさんも知らないことなんですよ」と彼は照れながら妻に応えた。

礼を言っている妻も借りた当時のことは知らない、ずっと以前のことである。
Oの奥さんは何のことか分からずキョトンとしている。
Oとはそんな男である。

3人の子供を立派に育て上げ、それぞれ自立して社会人として活躍している。
彼は、13年前に退職し、以来、年金暮らしである。
生活に困る状況ではもとよりないが、贅沢もせずつつましい暮らしをしている。

ボクは身勝手に親友だからと甘えて来たが、Oはこれまで歯を食いしばって我慢をしてくれていたことは間違いない。
ボクはOと妻との会話を聞きながら、改めて感謝の気持ちでいっぱいになったが、素知らぬ顔をしていた。

昨日、彼からの手紙が届いた。
美味しい料理と楽しいひと時を有難う、との後に、「お金は確かに受け取りましたが、無理することはないよ。そちらの気が済めば良いだけなので。番組作りにほんのチョッピリでも役に立ったのであれば、使われたお金も本望だと思います」とあった。

彼はどこまでも、そういう男なのである。
さて、この親友にボクは一生を掛けて、どんな恩返しができるのだろう。

      「親友も 一文字違えば 悪友に」


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ある結婚披露宴

先週の日曜日、ある結婚披露宴に招待されて出席した。

「音楽とワインを楽しむ会」というのが、その披露宴の装いだったが、虎ノ門ヒルズの52階のパーティー会場は、美しく照明を施された東京タワーが目の前に見えるこじんまりとした今風の雰囲気で、100人ほどの人たちが集った。

この日の主役のMさんは、今年62歳。
3年前に奥さんを病気で亡くしての再婚である。

某新聞社からテレビ局に出向し、現在はその関連会社の常務を務めておられる。
Mさんとはテレビ局に出向された時からの付き合いなので、もう十数年になる。

優秀で、いつも前向きの、とても善良な方である。
勿論、仕事関係の付き合いなのだが、彼がテレビ局時代に人事面で悩まれたことがあり、何の役に立つ訳でもなく、ボクはただ彼の話を聞くだけだったが、少しは精神面での支えになったこともあったようで、それ以来、時々お酒を飲むような間柄である。

特別に気どることも無く、仕事を離れての話のできる、さっぱりとした気楽な関係である。
ベタベタしないが、どこか心の底で信頼し合っている。

仕事を通じて知り合っての、こういった交友関係は、それほど多くはない。
そういう意味でもMさんはボクの大切な友人のひとりである。

新婦は50歳少し手前の通販雑誌の編集長をしておられる、古い表現ながらキャリアウーマンで、初婚であるらしい。
このお二人は、今年1月に知り合って、8月に入籍したというスピード結婚である。

そして、その結婚の形が少し変わっていて、土曜日と日曜日だけを共に暮らす週末婚だという。
昔、週末婚をテーマとしたテレビドラマはあったが、これまでボクの知り合いで、こういう形の結婚生活をしている例を知らない。

それぞれの住まいとは別に、都心にマンションの一室を確保して、週末をそこで過ごすのだという。
ボクなどは、職場も私生活も24時間、妻と一緒に行動していて、すっかりその生活に慣れ切っているので、週末婚という形態を即座にはイメージ出来ないが、果してどんなものなのだろう。

それぞれが、精神的にも物理的にも自立していないと成立しないであろうことは、想像に難くない。
それに、お互いの信頼や理解も、より必要かもしれない。
たしかに、結婚の形態はさまざまあっても不思議はないし、面白いとも思う。

ところで、このご夫婦がどうして週末婚という形を選択したかには、それなりの理由があった。
披露宴で花嫁の介添え役として新婦のご両親が登場されたが、お二人共に80歳を遥かに越えられたご高齢である。
新婦はそのご両親を置いて嫁には行けないという事情があったようである。

どうやら、知恵を絞った末の週末婚という選択であったようだが、新郎新婦の幸せを祈るばかりである。

   「還暦を 過ぎてめでたや 終末婚」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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