ホーム   »  2014年11月
Archive | 2014年11月

これからのテレビはどうなるのか?

今後テレビはどうなるのか、について実は、ボクにも皆目見当がついていない。

テレビ業界で、50年生きて来たにもかかわらず、全く分からない。
なぜなら、そういうことについてこれまで真剣に考えたことがないからである。

イギリスで世界初のテレビの定期試験放送を始めたのが1932年。
82年前のことである。

日本では、1953年2月1日に、NHKがテレビ放送を開始している。
続いて同年8月には日本テレビが民放での初放送を行った。

以来61年。
テレビは、技術面でも番組形態でも様々な変化を遂げて来た。

そして、その間、一時は家庭の茶の間を独占したテレビだが、大家族から核家族への変化やインターネットの登場等々により、人々の間でのテレビの地位は不動のものではなくなって来ている。
特に若者たちのテレビ離れは著しく加速され、その座を巡ってインターネットと激しく争っているようでもある。

実は、いまボクたちは、「メディアの明日」というNHKの番組を制作中である。
12月の放送を目指しているが、その制作スタッフによれば、専門家の間での分析では、新聞もテレビも現状のままではその経営は成り立たなくなり、新聞は今後5年、テレビは7年しかもたないと云われているらしい。
両者共に生き延びるためには大変革が必要ということらしい。

テレビは白黒からカラー化し、衛星放送が始まりハイビジョン化された。
更にアナログ放送からテジタル放送へと移行して来た。
そして、次に目指しているのが4K放送であり、8K放送である。

そして今、テレビ業界では、この4Kとか8Kという新しい言葉が、少しづつ現実味を帯びて出回り始めている。
4Kというのは、現在よりも更に高精細な画像をもたらす次世代の放送方式である。

4KのKとは1000という意味らしい。
現在のBSデジタルハイビジョン放送では、横1920画素×縦1080画素で放送されている。
横方向の画素数は1920画素、つまり約2000画素なので2Kということになる。
だから、現在の放送は2K放送である。

これが4Kになると、横3840画素×縦2160画素となるので、これまでよりも4倍の解像度を持つ圧倒的な高画質の映像が保証される訳である。

これは、総務省が中心になって推し進めているいわば国策の一環で、生き残りを目指すテレビ局と新しい製品を売りたい家電メーカーなどが一体となり、実現に向けての計画を練っている様子である。

現在、スカパーのCSで一日数時間の4K試験放送を行っているようである。
将来的には、4K放送はCSやBSが中心となるようだが、総務省は平成32年に予定していたBSでの4K試験放送を平成28年に前倒して実行することを今年の8月に決定している。
これは平成32年(2020年)に予定されている東京オリンピックを機に4Kテレビの普及を図ろうとしているためのようである。

つい先日幕張メッセで行われた放送機器の展示会でも、この4Kのビデオカメラや映像伝送システムなどが各メーカーによりアピールされた。
わが社のスタッフも勉強のために見学に行ったようである。

実際に、ボクたちの会社でも、現在、この4K方式での取材を初めて試みており、来年早々にBS朝日で2時間の番組を放送することになっている。
とは云っても、BS朝日は、来年は、まだ2Kでしか送出出来ないし、4Kの受像機もまだ全く一般には普及はしていない。
これは、2年後の4K試験放送のストックとして考えているようだ。

果して4Kテレビが、総務省やテレビ局の目論見通りに、テレビの生き残りに大きく役立つのか、それはボクには分からない。
視聴者にとってみれば、また新たに4Kの映像を受信出来る受像機を高いお金を払って購入しなければならない訳である。
産業界にとっては新しい消費を見込めて巨額の利益を産めるとの目算だが、そう思惑通りにいくのかどうか。

しかし、こういう話題が出る度にボクが云っていることはいつも同じである。
それは、ボクたちはソフトを制作する集団である、ということである。

総務省でもなければ、家電メーカーでも、またテレビ局でもない。
ボクたちはソフト屋なのである。

たとえ、メディアがどのように変化しようとボクたちには関係はない。
ボクたちは、その時々のメディアに適応し、時代のニーズに応じたソフトを制作する知恵を失わなければ、何も恐れることはないのである。
時代を含めた、環境の変化はむしろボクたちの感覚をさらに鋭くしてくれる刺激のひとつだと考えるべきなのである。

誰だったか忘れたが、ある人が云っていた言葉を思い出す。
仮に、インターネットの世界が初めに存在し、そこに現在のテレビが彗星の如く出現したとしたら、人々は恐らくテレビの魅力に驚くのではないか、というのである。

それに、ここまでインフラ整備に多額の資本を投下し、また国家が手放したくないメディアであるテレビは、もともと、そう簡単に滅びる訳は無いと、心の底で高をくくっているのも事実である。

そして、大言壮語をすればテレビ屋であるボクたちソフト屋が元気なうちは、テレビは滅びることはない。
テレビが滅びるとすれば、それはソフト屋であるボクたちにも大きな責任があるのだとの自覚は持っている。
 
     「新鮮な テレビ作りに 知恵しぼる」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。




赤サンゴとマグロの密漁

「日本では、中国漁船の赤珊瑚密漁が大問題になっていますが、一方地球の裏側にある西サハラの領海では日本漁船がマグロを密漁していると国際社会が騒いでいます」と平田伊都子さんからの知らせである。

平田伊都子さんは中近東、アフリカのアラブ諸国の事情に精通しているジャーナリストである。
かつて、リビアのカダフィ大佐が権力の絶頂にあった頃、日本人ジャーナリストで初めて単独インタビューに成功し、時の人となった。

またパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とも太いパイプを持っていた。
「カダフィ正伝」「ピースダイナマイト~アラファト伝~」「サハラの狼」「赤いラクダ」「イスラーム入門」他多数の著書も出されている。

ボクとは30数年来の付き合いで、何度か番組の制作でお力をいただいている。
平田さんが取り組まれているテーマは多岐にわたるが、現在は、西サハラの独立問題に深く係わっておられるようだ。

何年か前に、西サハラの独立運動を推進するポリサリオ解放戦線の取材をしないかと勧めていただいたことがある。
西サハラなどと云っても、初めて耳にする方も多いことと思う。

アフリカ北西部、モロッコの南に西サハラはある。
一昔前は、「スペイン領サハラ」でスペインの植民地だった。
世界最後の植民地と云われていた。

その後独立して「サハラ・アラブ民主共和国」となったが、現在はモロッコがその領土のほとんどを占領しており、「サハラ・アラブ民主共和国」はアルジェリア難民キャンプに追いやられ、そこで亡命政府を作っている。
この亡命政府をアフリカやラテンアメリカなどの約50ヶ国は承認しているものの、アメリカ、イギリス、フランスなどをはじめとする西側諸国は、日本などの同盟国を含めて承認していない。

1992年には国連監視下で、西サハラが独立するかモロッコに併合するのかを住民投票で決めることが決定した。
しかし、毎年住民投票は延期され現在に至るも実現のメドがついていない。
西サハラとは、そんな複雑な事情を抱える国である。

平田伊都子さんによると、その西サハラの領海で日本漁船によるマグロの密漁が問題になっているというのである。
その内容は「2014年10月17日、WSRW(西サハラ天然資源監視)は、『3隻の日本漁船が、西サハラの領海で密漁している。西サハラ領海は、国連が規定している未確認地域で、この西サハラ領海内での操業は密漁となる』との抗議書簡を日本政府に送った。10月31日には、イギリスのBBCテレビが、この模様について放送した」というものである。

中国漁船による赤珊瑚の密漁には中国の日本に対する覇権争いがあるから、西サハラのマグロの密漁とは同列で論じる訳にもいかないが、その両方の事件に共通しているのは、密漁の事実に関して密漁をしている側の両政府とも黙認している点である。

かつて、韓国が李承晩ラインという排他的経済水域を設定し、領土の拡張と海洋資源の独占を図ったことがある。
1965年に日韓漁業協定が成立するまでの13年間に300隻の日本漁船が韓国に拿捕され、4000人近い日本人漁民が抑留された。

日本からすれば韓国の一方的措置と映るが、韓国から見れば日本漁船による密漁ということになる。
当時のソ連との間でも、密漁で日本漁船が拿捕される事件が頻繁に起きている。
密漁は今に始まったことでもないし、珍しいことでもない。

いずれにしても、密漁は目を盗んで他人様のモノをこっそりと盗むという泥棒行為だが、そこには漁民たちの生活の事情があり、その裏には国家間の境界線を巡る争いがある。
それは領土問題であったり、資源確保の問題であったりするが、結局その本質は経済闘争である。

国際関係は弱肉強食の世界だろうから、強い国は弱い国を食いつぶすことは必定である。
しかし、世界の国々は各国の力の調整を図り、争いを避けるために、徒党を組んだり、連合を作ったり、機構を構成したりしてきた。

近代では第一次大戦後にできた国際連盟しかり、第二次大戦後の国際連合しかりである。
しかし、これらも大国の思惑等々により崩壊したし、現在の国連も決して機能的に運営されているとは言えない。

政治で解決がつきそうにない時には、環境保護とか資源保護などという別の価値観で解決を図ろうともする。
しかし、最終的には、国家の欲望やエゴが何よりも優先してしまうのだ。

本来は、欲望やエゴの制御こそが、人間が幸せに生きて行くための最も基本的で必要な条件にもかかわらず、この欲望やエゴは留まるところを知らぬ代物で、制御することは不可能とされている。
これは恐らく宿命に近い。

だから、どんなに努力しても密漁は無くならないし、国境を巡る紛争は絶えることもなく、したがって戦争も避けることはできない。

しかし、ボクたちは、それを承知の上で、密漁は無くさなければならないし、紛争や戦争を避けなければならないのである。
例え、不可能とは知りつつ、それを覚悟の上で、欲望やエゴを制御する努力を払わなければならない。

なぜなら、エゴで織りなされている人の世は、もともと不条理で成り立っていることをボクたちは知っているからである。
そして、その不条理に立ち向かっていく努力を放棄することは、生きて行くことを止めることに他ならないからである。

敢え無い努力を続け切ること、それが、人が生きるということであるのかもしれない。

   「密漁を 取り締まらぬも 政治かな」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。



人生の涙

「幸せな筈なのに、どうしてこんなに泣きたくなるのかしら……」と妻は涙を流した。

「若い頃は、どんなに辛いことがあっても泣かなかったのに……。泣き虫小虫になっちゃった」と云って、また泣いた。
「それは、きっと人生の涙だよ」とボクは云った。
「人生の涙?」
「うん。命には限りがあるからなあ。歳を重ねてくると、色んな悲しみが見えるようになるんじゃないの」

妻はひとしきり泣いた後、「長生きしてね」と云った。
「そうねえ。ほどほどに頑張るよ」とボクは妻と自分自身を煙に巻いた。
妻とは、いささか年齢が離れているので「長生きしてね」が妻の口癖になっている。

近頃では、何かにつけて、この長生きというのが大きなテーマのひとつである。
そして、これが、なかなかの曲者なのである。

たった一度っきりのチャンスしかないので、それだけ人生はとても大切だし、永く生きることは多くの者にとっての願いであることは当然のことである。
しかし、高齢化が極端に進む日本であるからこそ、長く生きることの辛さや困難を身近に見たり聞いたりして、ただ長生きすることが幸せなことなのかと、長生きを手放しで喜ぶことが出来なくなっているのが現実である。

そろそろ年末が近づき、ボクの手許にも、喪中の挨拶状が届き始めている。
それを見ると、95歳とか92歳とか、亡くなられた方々の年齢はどなたもご高齢である。
70歳代だと、まだまだ若いのにとさえ感じてしまう。

こんなことを云っているボクの母親も94歳で施設にいるが健在である。
そしてボク自身が70歳を過ぎて、フーフー言いながらも、なお毎日出社し、元気で働いていると、何歳からを長生きというのかの判断がなおさら難しくなってくる。

先日、作家で脚本家の早坂暁さんと食事をした。
早坂さんは今年85歳になられたが、いつもテレビの新しい企画を考えておられて、その創作意欲が枯れることはない。
お会いする度に、ボクたちは早坂先生のエネルギーに刺激を受け、がんばらなければと奮い立たされるのである。

今でも、徹夜での麻雀を乱れることなく、平然と打ち続けられる。
胃は半分以上摘出されているし、胆嚢は無いし、70歳の時に心臓を開いての大手術をされた。
前立腺にはガンを持っておられるし、とにかく身体という身体中にメスが入っている。
満身創痍の見本のような方である。

過去には、ボクが食事をご一緒している時に倒れられて、救急車で病院にお連れした経験もある。
それにもかかわらず、不屈の精神力と云うべきか、恐ろしくお元気なのである。

その早坂さんの言葉のひとつに「仕事をしなくなったらお仕舞い」がある。
悠々自適で趣味に生きる、という生き方も一方で、ある。
しかし、働けるうちは働き続ける、という生き方もある。

ボクが密かに尊敬している方がいるが、後期高齢の年齢を過ぎても、学校の守衛の仕事をされている。
経済的に困っている訳では勿論ない。
彼は、生きている限り、労働は人としての義務だとの信念を持ち、それを忠実に実行されているのである。

ボクもいい歳になって、会社の後継者の体制作りを迫られている。
後進に道を拓くことは同時に大切であるし、老害で会社を危うくすることだけは、絶対に避けなければならない。

しかし、その形はどうあれ、「引退」の二文字は、いましばらく封印しておこうと考えている。

   「年金の 欲しさ一途で 社長辞め」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。





「生きている兵隊」を読みましたか?

先日、久し振りに、萩原猛さんが会社に来られた。
萩原さんは、日本労働党の機関紙「労働新聞」で記者をしておられた。

日本労働党は、かつて日本共産党が打ち出した自主独立路線に反対し、共産党から除名された親中国派が結成した政党である。

萩原さんは、すでに政党の活動からは離れておられるが、当然ながら中国の事情通で、度々中国を訪れ、一昨年「上海今昔ものがたり」を論創社から出版されている。

今年暮にも講演のために南京を訪問するようだ。
来年の春には、「敗戦70年 降伏文書を知らない日本人 国のあり方を問う」を上梓される予定である。
ボクよりも年長だが、実に精力的に活動されている。

「ところで石川達三の『生きている兵隊』は読みましたか?」と萩原さんは突然聞いた。
「まだですか。是非とも読んで下さいよ」と云う。

萩原さんと別れた後、ボクは早速近くの書店に行き、買い求めて読んだ。

「生きている兵隊」は第一回芥川賞を受賞した当時新進気鋭の作家石川達三の従軍記である。
この小説は昭和13年の中央公論に発表されたが、書店の店頭に並べられる暇も無く発売禁止となった。

ボクが買い求めた「生きている兵隊」は1999年に初版が発行されて以来、2013年に11刷発行となった伏字復元版である。

石川達三は中央公論特派員として昭和12年12月中国戦線へ従軍した。
上海経由で南京に入る。

日本軍が南京を攻略したのは昭和12年12月13日。
石川達三が南京に到着したのは昭和13年1月5日なので、東京裁判で明らかにされた南京虐殺事件は目撃していない。

「生きている兵隊」に半藤一利さんが記されている解説の一文を引用させていただくと
「われわれがこの小説を読むことができたのは戦後である。中略。
話には聞いていたが、読みながらしばしば息を呑んだ。
冒頭、民間人かスパイかわからない青年を、日本軍の伍長が無造作に捕えて土手に座らせ、首を斬って河に蹴込む、というショッキングな場面からはじまる。
舞台は上海から転戦し、南京攻略戦に加わるが、その戦闘続行の間に、現地徴発という名の略奪、若い中国女性を裸にして刺し殺す兵士、逃げる中国人の頭をシャベルで割って武勲を誇る従軍僧、と残忍さが日常と化した「皇軍」の実態が点綴して描かれる。
それ以前の昭和23年11月に判決の下った東京裁判で、南京虐殺という思いもよらない残忍な事実を知らされていたから、この小説に描かれたむごい光景の一つ一つが胸にしみ、背筋に冷たいものを走らせた。
そして、あの戦時下という冷酷無残な時代に、よくぞまた勇を鼓して書いたものよ、と作者の精神の強靭さに心からの敬意をいだいたことであった」

中央公論社は、この小説のところどころを伏字で発行したが、内務省は「聖戦にしたがう軍を故意に非謗したもの」「反軍的内容をもった時局柄不穏当な作品」として発売禁止とした。

石川達三も警視庁に連行され、起訴された。
判決は禁固4カ月、執行猶予3年という予想を越えた重いものだった。

半藤一利さんはこの判決についてこう記されている。
「石川達三の憂国の至情や、戦争にたいするリアリスティックな認識などてんから認められることはなかった。つまり、表現の自由はすでになくなっていたのである」

ボクが読んだ伏字復元版は、当時伏字になった個所に棒線が引かれている。
それはところどころというには多くの個所である。

しかし、「生きている兵隊」で描かれている戦争で行われた様々な行為の不法性や暴虐性は伏字ではとても消し去れるものではないことが理解できる。

この「生きている兵隊」の事件から75年。
そして、戦後70年。
萩原さんの表現を借りれば敗戦70年。
いまボクたちはどんな時代に生きているのか。

巷には物が溢れ、人々は自由を謳歌しているように見える。
先日のハローウィンでは若者たちか渋谷や六本木などの盛り場で夜明けまでそれぞれ思い思いの仮装をして飲み明かし、楽しむ姿も見られた。

自由な表現が許される、安全で平和なニッポンの姿である。
しかし、本当にそうなのだろうか。

国家である限り、報道や表現の自由など無いことは、ボクは百も承知している。
それは、ボクがテレビ局に在局時代に身をもって体験していることである。

しかし、それを承知の上で、現在ほど報道の自由が危機を迎えている時代をボクは知らない。
報道が政治の大きな影響を受け、自粛している時代を初めて体験していることを、これほどまでに感じたことはない。

ジャーナリズムに身を置くボクたちはどう生きるべきなのか。
石川達三の「生きている兵隊」は70数年の時を超えて、ボクたちにそのことを語りかけている。

  「繰り返す 歴史の海を 泳ぎ切る」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。





プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

★ホームページ★

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR