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小料理屋女将のレシピ

小高い丘の上にある赤坂の日枝神社から見下ろす山王下交差点にほど近い古いビルの7階に小料理屋「まめ多」はある。
この店の女将が、つい先日、集英社から一冊の本を上辞した。

タイトルは「女将のおつまみレシピ春夏秋冬」。
その女将の名は降旗壽眞子さん。
おまかせで珍しい創作の和食料理を出してくれるので、ボクはしばしば利用させてもらっている。
料理の旨いのは勿論だが、値段も手頃で、嬉しい。

和服に身を包んだ小柄な女性のどこにそんなエネルギーが隠れているのかと思うほど元気な女将である。
1954年生まれと本に記されているから、すでに今年60歳を迎えたようだ。

この女将との付き合いはかれこれ26年になるが、彼女とはとんでもない命を賭けた出会いから始まった。

あれは、ボクたちが春に会社を立ち上げた、その夏の出来ごとだった。
会社設立時は、これといって決まった仕事もなく、当時は企画をテレビ局のプロデューサーに売り込むのに必死になっていた頃である。

その日は、フジテレビの有力プロデューサーのO氏と会う約束になっていて、O氏が打ち合わせ場所として選んだのが「まめ多」だった。

「まめ多」は、今は赤坂3丁目にあるが、以前は6丁目に在った。
エレベーターの無い建物の、二階のそのお店は7~8人が座れば一杯になる位のカウンターだけの、狭いが洒落た感じで、炭火焼を売り物にしていた。
O氏の馴染みのお店のようだった。

飲み始めてしばらくして突然、停電になった。
まだ当時は若くて初々しかった女将は大慌てで、ローソクを灯し、「ごめんなさいね」と言いながら、東京電力に連絡したり、お店を出たり入ったりしていた。

客はOプロデューサーと、ボクと同行したわが社のHとの3人だけだった。
「この時代にローソクの灯りで飲むのも乙なものですね」などと楽しんでいるうちは良かった。

O氏に企画書を読んでもらおうと考えていたのだったが、ローソクの灯りでは無理だった。
余り飲んでないのに、妙にアルコールの回りが早く、意識が朦朧としてきた。

企画書をOプロデューサーに手渡すまでは酔う訳にはいかないと、指で自分の腿をつねったりするのだが、一向に効き目が無い。
いよいよ眠気は増すばかりだった。


遠くの方から声が聞こえて来た。
ぼんやりとヘルメットの男の人が見えて来た。
次第に意識がはっきりしてくると、ボクはタンカーに乗せられ、救急車に積み込まれようとしているのだと気付いた。

O氏もHもボクも一酸化炭素中毒で気を失ったのだった。
季節は夏で、停電にも係わらずクーラーだけは別の電気系統で稼働していたので、お店の窓は閉め切っていた。
炭火焼の炭火の一酸化炭素が充満した結果の出来ごとだった。

ボクたちは広尾の日赤病院に運び込まれ、一命を取り留めた。
幸いなことに後遺症からも免れた。

この事件は翌日の各新聞の三面で、でかでかと紙面を賑わした。
ちょうどバブルの頃で、グルメ時代の象徴的な事故として格好の素材だったようである。

「今だから云うのだけれど」と女将から打ち明けられたのは、つい最近のことである。

「お店に出たり入ったりしていたので、わたしが一番軽症だったのだけれど、わたしも身体が動かないことに気付いて、やっとのことで、助けてと叫んだら、ちょうど隣の麻雀屋さんから出て来たお客がそれに気付いて助けてくれたのですよ。たまたま、雀荘のお客の中にお医者さんがいて、あなたに人工呼吸をしてくれたのよ。お店の一番奥に居たあなたが一番の重症で、あなたの呼吸は10分間停止していたのですって。もう少し遅かったら命は無かったのだと聞きました」

その事件以来、フジテレビのOプロデューサーたちとは、一酸化炭素中毒同窓会と称して何度か「まめ多」で飲む機会もあったが、女将からそんな話は聞いたことはなかった。
余り大声で話せるような話題でもなかったので、その後、しばしばお店に行っても、とりたてて話題にすることも無かった。

なぜ今頃になって女将がそんな真相を話す気になったのかは分からない。
それだけ時が過ぎたと云うことなのかもしれない。

当時は、それほど大事とも感じず、翌日には家庭用の酸素吸入器を使いながら徹夜で麻雀を打ったものである。
しかし、今頃になって、あれはボクの人生にとって意味のある出来ごとだったのだと思うようになった。

ボクはあの時、恐らく一度死んだのだった。
そう思うと、確かにその後のボクの人生観は変化していたようである。

死そのものは実に簡単で、ちっとも恐ろしいもので無いと思うようになったし、心のどこかで、その後の人生はオマケの人生だとも考えていたことに思い当たる。
妙に度胸が座り、少々のことには動じなくなっていた。

女将の出版した本に載せられている料理の数々を眺めながら、ボクは、あの日から今日までに起きた様々な出来ごとが次々に頭の中で去来していくのを楽しんでいる。

      「人生を 何度も生きる 幸せが」


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苦しい時の神頼み

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大きな組織と小さな組織

20数年前にボクを含めて総勢6人のスタッフでオルタスジャパンをスタートした当時は、組織としての会社とはどういうものなのかを含めて特別な認識など全く無かった。

明日からの具体的な計画も無ければ保証も無く、プロダクション経営のためのノウハウも、また裏付けも全く無かった。
脳天気で無責任なスタートだと云ってしまえばそれまでだが、今から振り返ると、それが若さであったのだと思う。
下手をすると若気の至りにもなりかねなかった。

不安が全く無いという訳でも無かったが、正直、不安という点では現在の方が、大きいのかもしれない。
何とでもなるよ、という当時の時代の風潮もあった。

とにかく、会社設立当時は、そんなことは一切お構いなく、無手勝流のエネルギーだけがあった。
それは、ドキュメンタリーを中心とした番組を制作したい、との強い意志から生まれてくるエネルギーであったのだと思う。

会社設立に参集したメンバーの、それぞれの動機は異なってはいた。
ボクの場合は、これまでにも少し書いてきたように、日本テレビでは過激な凶状持ちとして制作現場から外され、番組が作れなくなっていた。
番組制作ができなくてテレビ局に在籍する理由は無かった。

あとのスタッフも日本テレビの職員や関連のスタッフたちだったが、似たような事情を抱えていたようである。
ただ、皆に大きく共通していたのは、ドキュメンタリー番組を制作したいという強い思いだった。

暮らしは勿論大切には違いなかったが、お金儲けをしたいとか、良い暮らしをしたいとかよりも、自分たちが満足できるような番組を制作したいとの考えが先行していたことである。

それから、20数年。
設立メンバーの3名は亡くなり、2名がリタイアし、ボクだけが残っている。

スタッフはいつの間にか70数名に増えた。
信頼できる仲間も増えた。

その間、税務調査や労働基準監督署、中小企業庁の調査などの洗礼を幾度か受け、嫌でも会社としての体裁が整って来てはいる。
しかし、自分でも驚くほどだが、この会社の中味や存在の形は設立当時から何一つとして変わってはいないのである。

設立当時の精神の根本に変化がないので、外見が会社風になっても、番組の制作にかかわる姿勢や考え方は一貫して昔と同様である。
社風というのか、もしオルタス精神というものがあるとすれば、それは設立当時から変化はなく、その意味では全くブレはない。

別の見方をすれば、企業としての成長はないとの評価を受けるかもしれないし、進化がないと云われるのかもしれない。
経営体としてはいかにも幼い。
それが証拠に、いつまで経っても貧乏だし、儲けることが下手である。

しかし、開き直って云えば、それが創業精神なのである。
もともと、儲けるために始めた仕事ではない。
そして、なお云えば、儲けることは罪悪のひとつだとさえボクは考えているのだ。

テレビジャーナリストの端くれとして、誇りある仕事をし、視聴者に喜んでもらい、それをボクたちの喜びとする。
メシは食べなければならないが、貧しさの中に身を置くことにより、良い仕事が出来ると信じているのである。

そして、これまでブレないで過ごしてこられたのは、ボクたちの組織が小さい組織だから可能だったのだと考えている。
これが、社員が何百人という規模の大きな組織だとそうはいかないだろう。

大組織の経営陣や、その中で働くスタッフが、ひとつの生き方や哲学をずっと貫き通すことは至難の業ではないであろうことは、想像に難くない。
ボクたちのような小規模零細の会社の強みがそこにある。

しかし、一方で、時間の経過と共に組織は膨張していく。
大きい組織だから出来る仕事もある。
量は質を規定し、同時に質は量を規定する。

事実、ボクたちの会社もボクが想定していた限界のスタッフ数の70名を越えた。
70名までならば、ひとりひとりの顔が見えるとボクは信じて来たのだった。

今後、経営的な側面と、また、自分たちの考えに基づいた生き方をしていくという側面の、その両方を実現できる会社規模はどうあるべきかをそろそろ考える必要がありそうである。

   「小さきも 大きも悩み 抱えおり」


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母の顔

半年ほど前に心筋梗塞で倒れた母を訪ねた。
退院後、母は堺市の老人ホームのような施設に入っていた。

ボクが弟に連れられて施設を訪れた時、母は入浴中だとのことだった。
倒れるまでは元気に歩けていたのだったが、現在は車椅子の暮らしになっているのだと弟から聞かされていた。

やがて、施設の女性に押された車椅子で母が現れた。
今年で94歳になる母は、半年前に息も絶え絶えに病院のベッドで寝かされていた時とは全くの別人のように、元気な様子だった。

風呂上がりの所為か、肌も艶々していた。
「元気そうやね」とボクはつくづくと母の顔を見つめた。
「お母さんがこんなに美人だとは、これまで気が付かなかったよ」という言葉が思わず口を突いて出た。

改めて見る母は清々しい顔をしていた。
きれいな人だったのだな、とその時思った。
そんなボクを母は呆れたように見ている。

六畳ほどの個室が母の部屋だった。
ベッドと椅子だけの無機質だが清潔そうな部屋だった。

歩行用の補助用具も見えた。
「これで歩く練習をしているの?」と聞くと「そんな面倒なことはせんよ」と否定した。

「これがボクの新しい嫁さんや」と妻を改めて紹介した。
「妻の京香です」と彼女が挨拶するのに対して母は軽く会釈した。
「ええ嫁さんやろ?」とボクが重ねて云うと「あんたよりも上やな」とサラリと答えた。
こういう手厳しさが母の身上である。

「ワタシゃ 正直やからね」とうっすら笑い「ええ嫁さんを貰って良かった」と云った。
妻のことを、ボクよりも上等だと評価されて正直ホッとした。

「テレビは見ないの?」と尋ねた。
部屋にはテレビが無かった。
「そんな面倒なことはしたくない」と母は云った。
「テレビなんか要らないと云うんや」と弟は補足した。
母にはボクがテレビ番組を制作していることなど念頭にないようだった。

「以前は本も好きだったけれど、今は全然興味はない。テレビも見たくない。朝ごはんを食べるとすぐに昼ごはんだし、あっという間に夕食を食べて一日が終わる。それ以外にすることはない。一日中ボーッと窓の外を見ているだけや」
母は無感動な表情でボクを見た。

「ところであんたは何歳になった?」と聞いた。
これまでは、昭太郎とボクの名前を呼んだが、この時は「あんた」と呼んだ。
もしかするとボクの名前も忘れているのかもしれなかった。

「今年で71歳になったよ」と答えると「へえーっ」と母は反応した。
「もうそんな歳になったのか。月日の過ぎるのは速いなあ。ふーん。もう71歳にもなるのか」とつぶやいた。

「昭太郎さんはどんな子供でしたか?」と突然妻が聞いた。
母は、一瞬詰まってから「どんな子やったかなあ。忘れたわ」とあっけらかんと答えた。

そして「あっという間やな。可笑しなもんやなあ」と母はボクの眼を見た。
何が可笑しなものなのかボクには定かには理解できなかったが「可笑しなもんや」と母は繰り返しつぶやいた。

「何か欲しい物はない?」とボクは我ながらつまらない質問をした。
母はそれには答えずただ黙ってボクを見た。
そんな質問をした自分を恥じた。

母の顔は穏やかに笑っているようでもあり、悲しげにも見えた。母の本当の心の中は見えない。
ボクなどは生きているだけで、それが嬉しく楽しいのだが、母がそうでないことだけは分かった。

人生の何が幸せで、何が幸せでないのか、などボクにとうてい分かろうはず筈も無い。
しかし、母のどこか寂しく悲しげな顔は、胸に突き刺さった。
それは、誰の所為とか責任とかいうものではなく、その正体は人生の宿命が持つ悲しみに違いなかった。

瞬く間に2時間ほどの時が過ぎた。
19歳の春に親元を離れ上京してから、こんなに長い時間、母と向き合って話したことは初めてのことだった。

久し振りに母と話せた幸せと、どう始末をつければ良いのか分からない重い心を引きずりながらボクたちは東京への帰路についた。

新幹線の車中、これまで、母について何一つ知らなかったことに気付いた。
そこには母と息子という関係だけがあった。
ボクの人生で、本当に母のことを思ったり考えたりしたこともなかった。
そして、母を愛したことがあっただろうかと自らに問うて、愕然とした。

車窓を流れる夜景をボクは呆然と眺めていた。

      「また来ると 果たせぬ約束 別れ告げ」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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