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塩分と味覚と年齢

日毎に暑さが増し、太陽の熱射が容赦なく肌を刺して痛い。
今年の梅雨は雨が多かったので、公園の木々や街路樹だけは十分な水を含んで青々と元気が良い。
セミの声も一段と暑苦しい。

気象庁によれば、今年の夏の暑さは平年並みということらしいが、いよいよ、本格的な熱中症の季節がやってきた。

環境省の報告によると、21世紀末は、最高気温が30度を超える真夏日の年間日数が、現在よりも多い年で50日増えると予測され、熱中症による被害額だけでも数千億円は増加するだろうと計算されているらしい。
日本がまるで亜熱帯の国になるようだ。

もっとも、そんな遠い先の将来の心配をする必要もないが、歳をとってくると、暑さや寒さの感覚が鈍って来るので、熱中症に気をつけろとの警告を受けても、その防衛がなかなか難しくなってくる。

情けない話だが、年齢と共に、五感が鈍って来るのは致し方のないことである。
五感と云えば、3年ほど前から、急に右の耳の聴覚テストで高い音が聞き取れなくなった。
日常生活に全くの支障はないが、具体的な老化を突き付けられた格好である。

ところで、味覚も五感のひとつだが、不思議なことに、最近、味覚が妙に敏感になっている。
鈍くなるのと反対に、敏感になり過ぎるのも老化現象のひとつの形なのだろうかとさえ疑っている。

特に、塩分に敏感で、口にする多くの食べ物が塩辛く感じて仕方がない。
ハムやチーズやバターが、これほどまでに塩分の強い食品であることに、これまで全く気がついていなかった。
無塩バターが存在している意味が初めて理解できた。
食パンにもかなりの塩分があることを感じている。

子供の頃から、食事の最後には、いわしの目刺しのお茶漬でシメルという習慣があり、それが食事の一番の楽しみだったのだが、ここのところ、目刺しの塩分が余りにも強すぎて、食べるのをためらうことが多くなっている。

次第に耳が遠くなり、眼がかすみ、匂いも効かなくなり、暑さや寒さに鈍感になり、歩くのもおっくうで、他人の話や意見にも耳を貸さなくなり、物分かりが悪くなっていく、という通常の道筋をボクも当然のことながら日々歩んでいる訳だが、出来ることなら、現在、突然ボクを襲っている、食べ物が塩辛く感じるという、ある意味正常なこの感覚が、早く鈍ってくれないかと願っている。

何よりも、この世で一番楽しみにしている「いわしの目刺しでのお茶漬け」を、もう一度、美味しく食べたいと思うからである。
老化は悲しいことだが、感覚が鈍ることで得られる楽しさや美味しさも、またあるのかもしれないなどと、つまらぬことを考えている始末だ。

   「楽しさを 増すは老化の 醍醐味か」


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時間の魔力

ボクたちは子供の頃、いや、大人になってからも、どうして日本が戦争に向けて突っ走るのを、止めることができなかったのか、と父親やその世代の人たちに強い非難の眼を向け続けたものである。

そして、戦後日本は平和憲法のもと、戦争を放棄する国家として生まれ変わり、曲がりなりにも、憲法第九条を守り、70年間近く、戦争を経験することなく、国家を存続させ続けてきた。

親たちを責めていたボクたちもすでに70歳代になり、かつての父親たちの年齢を遥かに過ぎた。
そして、いま、時代は間違いなく、日本に限りなく戦争のできる国家としての道を歩ませようとしている。

あれほど、自分たちの親の世代に戦争の責任を問うてきたボクたちが、どうして、現在のような、キナ臭い政権を生み出し、その存在を認めることになっているのだろうか。

ボクはそこに、時間の魔力を感じないではいられない。

人が歳をとっていくのに似ていて、一日では何の変化も感じることができないのに、それが積み重なると少しづつ成長し、やがて老いて行く。
成長とは老化の別の呼び方でもある。
3年あるいは5年の単位でないと、自らの老化に気付くことができないのだ。

世の中の劣化も、全くそれと同じで、余程の天変地異や突然の大事件でも無い限り、ボクたちの意識しない形でどんどん変化し、気付いた時には、老人になっているのと同様に、世の中は易きに流れ、平気で戦争をも受け入れてしまう国家を生み出してしまうのである。

一方、平和な国家と国民の自由を守るためには、言論機関が健全に機能することが必須である。
果して、現在の日本に言論の自由は保たれているのだろうか。
何にもまして、まず、このことの検証が必要ではないかと思われる。

新聞、テレビを含めて、言論陣は自由に発言出来ているのか、弾圧はされていないのか、委縮してはいないのか。
あるいは、もっと最悪なのはマスコミが、時の権力に擦り寄り、おもねり、迎合することである。
マスコミが権力の代弁者になった時は、その国は暗黒の世界に踏み込むことは、これまでの歴史が幾度も証明している。

ボク自身は、テレビジャーナリズムの現場で50年生きてきた。
そして、ドキュメンタリーの世界からテレビの変遷を見続けて来た。
そして、ここでも強く感じるのは、時間の持つ魔力である。

一日、一日毎に、ほんの少しづつ言論はその自由を失っている。
時には、やらせ問題にすり替えられ、時には客観報道という名目で、また個人情報の保護のため、そしてコンプライアンスという横文字に置き換えられて、言論に対する権力のチェックが日毎に厳しさを増して行った。

それらは、それぞれに、いかにも、もっともらしく大切な事項として順守され、その度に、言論の巾は抑制されてきた。
その動きは、マスコミ陣の度を過ぎた自主規制という形で完成されていく。

ホクたちは、それぞれの立場、持ち場で、もう一度自分の足下を見直さなければならないのではないか。
社会の劣化は政治家だけではなく、ボクたち自身の責任に負うところが大きい。

   「壊れたか 時の流れの 羅針盤」


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3・11被災者たちの財産争い

わが社に営業で出入りしているIさんの話である。

梅雨もあけて、急に暑くなり始めた。
汗を拭きながらソファーに座るなりIさんは、「いやあ、疲れた、疲れた」とおっしゃる。
この連休に故郷の宮城県石巻に行って来たが、帰りの高速道路で事故に巻き込まれて大変だったらしい。

実家は3・11の大震災で被災し、床上まで津波に襲われたという。
わざわざ里帰りしたと云うので「親ごさんはまだお元気なのですか」と聞いた。

Iさんは50歳も半ばを過ぎているだろうと思われる年齢である。
「いえ、両親は亡くなって兄が跡を継いでいます」とIさんは云った。
「ご両親が亡くなられたのに故郷を訪ねられるというのは、ずいぶん仲の良い兄弟ですね」とボクが云うと、Iさんは何とも言えぬ複雑な表情で苦笑いした。

実情はこうだった。

石巻の復興は遅々として進んでおらず、海辺に近いところは瓦礫の処理はされてはいるものの、更地のままで手が付けられない状況らしい。
Iさんの実家は農家だったが、田んぼは海水につかった。
その、被災した農地の多くは現在、宅地化されているらしい。

Iさんの兄弟は男ばかりの4人兄弟で、長男が農地を含めてすべての遺産を継いでいた。
Iさんは3男である。
当時は、農業を続けることを条件で、長男が親の跡を継ぐことは当然のことだと、兄弟たちも納得し、遺産放棄の書類に印鑑を押した。
しかし、大震災はその後の事情を一変させたのである。

震災前は二束三文だった農地は今では宅地に転用となり、その価値は跳ね上がる。
農協からは様々な形での多額の補償金も出た。
他にも災害の補償金などのお金が入った長男はトヨタの高級車レクサスを乗り回すような暮らしぶりとなった。

いわゆる俗に云われるところの震災太りである。
マスコミはこういったテーマには正面から触れることはない。
石原伸晃環境大臣が「最後は金目」の発言で問題になったが、実際には、あながち的が外れているとは言えない現状はある。

現地を良く知る人たちからは、ボクにもそんな事情が耳に入っても来る。
やっかみもあるので、そのまま鵜呑みにはできないし、それだからと、被災地の人たちのことを非難することなどもっての外だが、震災の補償を名目とした莫大な税金等々が被災者に充てられていることは事実である。

金銭に大きな価値を見出す人たちにとっては、そんな被災地の人々を震災太りと見る。
一方、それまでの暮らしを突然奪われた被災地の人たちにとってみれば、大切なものを失い金銭などではとても償えるものではないと考える。

事の表と裏で、そのいずれもが真実なのだが、被災した当事者と被災地から遠く離れた者との感じ方の温度差は大きい。
Iさんの長男の震災後の、その様子を見て、他の3人の兄弟たちは、「兄貴、ちょっと待て」ということになったらしい。

長男以外は全員が東京に出て来て暮らしている。
長男とは、実家の農業を継ぐとの約束があったから遺産も放棄した。
子供もいないIさんの長男が亡くなれば、遺産は全部長男の嫁のものとなる。
それは他の兄弟としては納得いかない。

Iさんは、そんな交渉のために長男の住む故郷を何回か訪ねているのだった。
「それぞれに嫁がいますからね」とIさんは顔をしかめた。
「嫁が黙ってないんですよ。もう大変」と扇子を慌ただしく動かした。

被災地では、こういう財産相続をめぐる骨肉の争いは数多くあるようだ。
「兄弟同士の遺産相続争いをまさか自分たちがやることになるとは考えもしませんでしたよ。嫁さえいなければねぇ。いやはや」とIさんは深いため息をついた。

対岸の火事は国際紛争だけとは限らないようである。いやはや。

      「恐ろしや あな恐ろしや 相続は」


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スタッフの国籍と安全

世界中での紛争や戦争が激化し、ますますキナ臭い状況になってきている。

先日の、マレーシア航空の民間航空機撃墜事件などは、本当の災難で、戦争当事者とは全く関係の無い人々が大惨事に巻き込まれると云う悲劇も起きている。
世の中、対岸の火事では済まなくなってきている。

ところで、わが社には、外国籍を持つスタッフが4名いる。

そのうちの1名、中国国籍の関強は、入社して現在2年目を迎えている。
漢民族で、北京首都師範大学を卒業後、中国中央電視台(CCTV)に入社したが、その後来日、日本語専門学校を卒業、東京造形大学の大学院で映画を専攻し、面接試験を受け、新入社員としてわが社に入った。
これまで寄り道をしてきたのですでに30歳になっている新人である。

入社して以来、いくつもの企画書を書き続けてきたが、そのすべてが中国に関係する企画である。
しかし、尖閣列島の国有化の問題以来、日中関係はこれまでになく悪化し、中国にまつわる企画はほとんどストップ状態が続いている。

尖閣問題と云えば、実は、ボクたちの会社もモロにその煽りを受けた経験を持つ。
中国山東省が中心となり、中央電視台も加わり、日中韓の3ヶ国の共同制作で「孔子」をテーマとした大掛かりな企画が進行していた。

半年以上をかけて準備し、いざ中国ロケに出発という直前に尖閣問題が起きた。
正式な契約書も交わしていたが、ほとぼりが冷めるまで一旦延期ということになった。
しかし、結局は、制作の中止が決まる。
総製作費2億円のプロジェクトだった。

その後、日中関係は次から次へと局面は新たな展開を迎えているが、現在は、その頃から比べると、表面的には、その緊張関係も少しは緩んできた感がある。

一時途絶えていた中国に関する企画もテレビ局で、解禁の方向に向かいつつある。
この間、新入社員の関もめげずに企画提案を続け1年以上が経った。

そして、ここに来て、3本の彼の中国関連の企画が採択されることになった。
NHKで2番組、フジテレビで1番組が実現する。

先日、月に一度、全スタッフが集まっての全体会議で、彼に企画賞の金一封を授与した。
その時の関の挨拶である。
「日本と中国は現在、不幸な状態にあるが、1日も早く良好な関係になることを願っている。自分の企画が、少しでも日中の友好に役立てば嬉しいと思う。これからも、そのためになるような企画をどんどん提案して行きたい。まだまだ、日本語の発音が拙いので、勉強して上手に話せるように努力したい」という旨のことを熱く語った。
彼のジャーナリストとしての確かな視点に大いに期待している。

あと2人の中国籍のスタッフは、ボクの妻と娘である。
2人は朝鮮族の中国人で、妻は常務取締役で財務を担当している。
娘の金瑩は小学2年生で来日、早稲田大学を卒業した。
現在は堪能な英語力を生かして、NHK国際放送の海外向け放送番組の企画及びリサーチ並びにコンプライアンスの仕事をしている。

彼女たちは、いつも自分の故郷がどこかと、戸惑いを持ちながら過ごしている。
そして、日本と中国の関係悪化をもっとも恐れていて、もし戦争にでもなれば、という不安をいつも抱えている。
近い将来、日本国籍を取得するつもりでいるようだ。

もうひとりの外国籍は、在日韓国人の申成晧である。
現在、TBSで放送しているドキュメンタリー「情熱大陸」のディレクターを主に担当している。
そろそろ40歳を迎えるが、最近、わが社の経営会議のメンバーに加え、経営のための勉強を始めさせている。

彼の妻は日本人で3人の子供たちは日本国籍である。
申本人は日本に帰化するつもりはないようだ。

彼の妹はドイツ人と結婚しドイツに在住しているが、戦争を含めた「もしも」の将来のことを考えて、最近日本に帰化したという。
帰ることのできる故郷の在り処を定めた訳である。

つい最近まで、アメリカ人男性もわが社のスタッフとして在籍していたし、日本国籍だが、レバノン人とのハーフでメンタリティーは完全にレバノンの女性スタッフもいた。

こうしてみると、わが社のようなちっぽけな会社を例にとってみても、ボクたちの暮らしが、国の形や国際関係にどれだけ左右されるものであるのかが良く分かる。
余りにも、ありきたりの凡々たる言い方になるかもしれないが、国家の安定と平和の大切さを実感せずにはいられない。

      「青信号 守って事故の とばっちり」


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テレビ朝日の豪華パーティー

一昨日、テレビ朝日とBS朝日の企画募集の説明会を兼ねたプロダクションの慰労のためのパーティーが、六本木ヒルズのホテルグランドハイアット東京で豪勢に行われた。

テレビ朝日と云えば、この4月に同じホテルで「報道ステーション」10周年記念感謝の会が、びっくりするほどの大掛かりな規模で行われたばかりである。

テレビ朝日の平成25年度の決算を見ると、前年度比、増収増益で、29.3%の純利益の伸び率を示し、視聴率と併せて営業成績も好調ぶりを見せている。

営業成績にかかわらず、ここ4~5年、こういった形のパーティーを開催する気概を持ち、気を吐いているのはテレビ朝日だけである。
他局は妙に縮こまっているのはいかにも情けない限りで、パーティーの是非はともかくとして、現在の局を中心とするテレビ制作の現場はいかにも元気がない。

この4月にテレビ朝日も他局同様にホールデイングスの形態をとったようだ。
6月の株主総会で、これまで社長だった早河洋氏が会長兼CEOに昇格し、社長には朝日新聞社からの天下り人事となった。

早河氏はテレビ朝日の生え抜きで、かつて看板番組であった久米宏の「ニュースステーション」の生みの親であり、新しく古舘伊知郎を起用し「報道ステーション」として生まれ変わらせたのも彼であった。
テレビ朝日をここまでにした功労者である。

この日、パーティーに出席した制作会社は120社余の多きを数える盛況ぶりで、ホテルの会場は一杯になっていた。

この会の冒頭のあいさつで早河会長は
「最近のテレビは各局ともにコンプライアンスの意識が先行しており、全体的に企画内容も委縮している。以前のテレビが持っていた冒険心や危険すれすれの新しい試みなどが失われているのは残念である。その結果として、どのチャンネルも同じような番組が並ぶという現象を来たし、視聴者離れの一因ともなっている。今後は、テレビ朝日は、そういった分野にもどんどん挑戦していきたいので、皆さんからの意欲ある企画提案に期待している」との主旨を述べられた。

それは、かなり踏み込んだ、意欲ある発言であるとも受け取れた。
その後、編成担当の責任者たちから会場の大スクリーンを使っての企画募集の説明が行われたが、当然ながら局が期待する主体は、ドラマやバラエティーで、ドキュメンタリー系はいつもながら脇役である。

かつて局のプロデューサー時代にお世話になったU氏は「会長の挨拶はなかなかだったけれども、もっと報道系やドキュメンタリーに力を入れてもらわないとね。われわれの出る幕がありませんね」とおっしゃる。
久し振りにお会いしたが、U氏は現在、関連会社の重役をしておられる。

そう云えば、この会場に入った時から、ボクの知っている制作会社の馴染みの顔が余りにも見当たらないので不思議だと思っていたのだったが、どうやらドラマやバラエティー系のプロダクションが多く会場を占めているためであることが分かって来た。

これも、相変わらずのテレビの象徴的状況だが、ドキュメンタリー系のボクたちもめげずに踏ん張って行くしかない。
これまでもドキュメンタリーがテレビの世界で主役だったことはない。
いつも隙間を狙ってのゲリラ戦法で生き抜いてきた。

ホテルの料理をいただき、美味しいコーヒーも飲ませていただいた。
帰りには、参加者全員に企画提案のための資料と、ホテル特別発注の高級クッキーがお土産に手渡された。
翌日、そのクッキーを会社のスタッフたちと共にいただいた。

ボクたちも、テレビ朝日に対して企画提案し、少なくとも一宿一飯の義理だけは、果たさなければならないと思っている。

      「穴っぽこ 隙間求めて 半世紀」


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壊れた電卓

つい先日、愛用の電卓が壊れた。
縦20センチ、横15センチほど、厚さも2センチ以上のいかにも頑丈そうな電卓である。

会社設立以来、25年間以上、ずっと使い続けてきたボクのいわば戦友であった。
ところが、突然、10万の位の数字の液晶の表示が半分欠けて見えなくなってしまった。

他の部分は何ともないのに、ただその箇所だけが壊れているのはいかにも切ない。
ごまかして使おうとしたのだが、やはり数字によっては読み取れない。
なにしろ、計算機だから、肝心の数字が正確に読み取ることができないのは致命傷である。
泣く泣くあきらめて廃棄することにした。

変哲もないただの計算機だが、その姿形への愛着と同時に、永年慣れ親しんだ指の感触の残像のようなものがあり、スタッフが用意してくれた新しい電卓に慣れるのに少しの時間を要しそうである。

会社のすぐ近くに、ボクがしばしば利用しているパンジーという名の喫茶店がある。
午前中はトーストとゆで卵にコーヒーで350円のモーニングセットという定番メニューがあり、チョコレートパフェやフルーツパフェ、それにミルクセーキなどという昔懐かしい飲み物もある。
今どきでは珍しくなった古いタイプの喫茶店である。

すでに亡くなられたが、つい2年ほど前まで、しっかり者の婆さまがその喫茶店のレジを守っておられた。
初めのうちは強面の頑固そうな老人に見えたが、しばらく通ううちにすっかりお馴染さんになり、とても親しくなった。

コーヒーを飲み終えて帰る時など、「もうお帰りですか。もっとゆっくりして行って下さいよ」などと引きとめられたりしたものである。

彼女は赤坂のこの場所で生まれ育ち、ずっとここで暮らしてきたのだと云っていた。

「わたしがまだ娘の頃でしたがね」とその婆さまは、その時降っていた雪をお店のドアー越しに見ながらボクに話したことがある。
喫茶店パンジーは国会議事堂に近い、赤坂山王下の交差点のすぐ脇にある。
「降りしきる雪の中を大勢の兵隊さんが血相を変えて山王下を通り過ぎて行きましたよ。それが2・26事件だったんですね。」

2・26事件は昭和11年に起きたクーデター未遂事件である。
ボクたちが歴史で習った昔の出来事の目撃談をまるで近所で起きた出来事のように語っているのが新鮮で、印象に残っている。

その婆さまが亡くなられたあとを娘さんが跡を継いでいる。
どうやら代々、女系の家系のようで、喫茶店パンジーのある7階建てのビルは持ちビルで、今は婆さまの、ボクよりは少し若い娘が婿養子を迎えて相続しているらしい。

その女主もなかなか口達者な人で、彼女によると、喫茶店を開く前は、長い間、食料品店をやっていたとのことである。
実は、この喫茶店パンジーのレジで使っているレジスターは戦後間もなく始めた食料品店時代に使っていたものを未だに使い続けているのだと云う。

「もう60年以上も使い続けていますが、ちっとも故障しない。愛着があって捨てることが出来ないのですよ」と女主は笑っている。
云われてみると、茶色の大きなレジスターがこのお店の本当の主役のようにも見えてくる。

ボクが20数年使っていた電卓もよく頑張ってくれたけれど、ITなどを全く使っていない、恐らくネジやバネだけで作られている技術の力強さと生命力は凄いと改めて思う。

何十年もの永きに渡って、昭和、平成と変わりゆく世の中をずっと見続けて来た歴史の目撃者は、今日もまた黙々と働き続けている。

      「人もまた お役御免の 使い捨て」


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早坂暁さんと市原悦子さん

久し振りに作家で脚本家の早坂暁さんが会社にお見えになられた。
先生とお会いするのは、3月7日のオルタス設立記念日以来のことで、3カ月ぶりになる。

4月のお花見にお越しになれなかったので、貧血の心配もあり、健康の具合を気にしていたのだったが、お元気で何よりだった。
ボクも気になりながら、不安の方が大きくて連絡できないでいたのだった。
いくらお元気とは云っても84歳にもなられると心配の方が先に立ち、ついつい連絡するのが怖くなってしまうのである。

しかし、そんな心配などものかわ、とても精力的な企画提案をいくつかいただき、またもや、ボクに嬉しい宿題ができた。
ありがたいことだ。

すると、そこに女優の市原悦子さんが顔を出された。
早坂先生がいるというので、以前から先生とは知り合いの市原さんが立ち寄られたのだった。

市原悦子さんは、ご存知、「まんが日本昔ばなし」の語りや「家政婦は見た!」などでつとに有名だが、わが社では、いくつかの仕事でご一緒させていただいている。

そのひとつが、日本および世界文学の傑作選の朗読シリーズのCDの制作で、ユーキャンのヒット商品のひとつとなっている。
もうひとつは、この7月7日から放送が始まったラジオ番組の製作である。
花王株式会社が朝日新聞で連載している「暮らし百景」というコラムを市原悦子さんが朗読するというもので、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」のコーナーで毎週月曜日の放送である。
わが社の初めてのラジオ番組製作となった。

市原さんは、春秋社から「やまんば」というタイトルの本を出版されている。
本当は「やまんば、懐剣を胸に、遊びをせんとや生まれけむ」というタイトルにしたかったが、長すぎるとスタッフから却下されたのだと、そのあとがきに記されている。

この本は、市原悦子さんと43人の方々の歓談集だが、その中に早坂暁さんとの対談が収められている。
早坂さんは対話の名手だから、これがまた面白い。

内容は多岐にわたっているが、早坂さんが実際に取材されたという四国のお遍路さんのお話が凄い。
6組の老年夫婦の遍路物語である。
それぞれの夫婦の在り様に深い人生を感じさせてくれるお話で、紹介したい誘惑に駆られるが内容は「やまんば」をぜひお読みいただきたい。

どうやら、お二人は久し振りの出会いらしく、話しているうちに、お遍路の話になり、6組の老夫婦のお話も、「やまんば」に掲載されている対談そのままの再現が目の前で繰り広げられたのであった。
活字では表現しきれない、早坂先生の独特の話芸に引き込まれ、ボクも内容はすでに本を読んで知っているのだが、まるで名人の落語のように、先生の魅力ある語り口の世界に思う存分浸ることができたのだった。
市原悦子さんもまるで初めて聞くかのように、へぇーっ!などと眼を丸くして驚いているのがいかにもで面白い光景だった。

新入社員たちを交え、会社の近くの早坂先生お気に入りのいつもの中華料理屋さんに場を移し、さらに話に花を咲かせた。
あっと気付くと、すでに深夜11時を過ぎている。

市原悦子さん78歳。
まるで少女のように初々しい。
チーフで顔を隠して可愛らしく笑う。
「心は若尾文子さんのような二枚目」というのが早坂さんの市原評である。

早坂暁さん84歳。
同席したスタッフの若者たちよりもお元気である。
眼はまだまだ先の将来を見ておられる。

お二人ともに、枯れるという気配を見せようとはなさらない。
何とも魅力あふれる素敵な巨人たちである。

      「光ってる 夜が更けても 燃えている」


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「ザ・スクープ スペシャル」受賞祝賀会

一昨日、東京ミッドタウンのレストランで、番組受賞のパーティーがあり、出席した。

これは、昨年8月放送のテレビ朝日、ザ・スクープスペシャル「戦後68年特別企画 原発と原爆~日本の原子力とアメリカの影」の「ニューヨーク・フェスティバル国際テレビ・映画賞」金メダル受賞を祝っての祝賀会であった。

ボクはこの番組を見ていなかったので、急いで関係スタッフにお願いして、DVDを送っていただき、視聴した。
金メダルを受賞するに相応しい、骨太の本格的な報道番組であった。
久し振りに手ごたえのある報道番組に接することができた。

膨大な資料と証言を丹念に積み重ね、情緒を切り捨てて淡々と情報処理していく手法は、この番組の信頼性を高めると共に、説得力のある番組に仕上げていた。

アメリカの核戦略と、そのアメリカの核戦略の広報宣伝部隊としての役割を果たしてきた被爆国日本のピエロぶりが余すところなく描かれており、この現状をボクたちがどう考え、どう対応すれば良いのか、との問題提起がなされている。
アメリカの属国として生きることを決めた日本の悲喜劇の一断面を鋭くえぐり出す形で描かれている。

原発事故そのものも、またその後の政府の原発再始動の方針も、ある意味ではアメリカへの隷属という、日本のこれまで選んできた選択肢の当然の帰結かもしれない。

今後、アメリカとの関係をどのように保ち、同時に日本が独立国として生き延びていけば良いのか、実に深刻なテーマを視聴者に突きつけることとなった客観報道の番組であったと思う。

「ザ・スクープ」という報道情報番組が誕生したのは、1989年10月だった。
すでに亡くなられたが、日下雄一プロデューサーから声がかかり、番組の立ち上げから参加した。
日下さんは長寿番組「朝まで生テレビ」の生みの親でもある。

「ザ・スクープ」のキャスターは鳥越俊太郎さんが最後まで務められたが、その相方は、次々に変わられた。
畑恵に始まり、田丸美寿々、三崎由紀、佐藤紀子、麻木久仁子、長野智子と目まぐるしかった。

この番組は2002年まで続き、ボクたちもその間、何代の局のプロデューサーに仕えただろうか。
「ザ・スクープ」が年に4回の不定期放送の「ザ・スクープスペシャル」となってからボクたちは、戦線を離脱したのだった。

「ザ・スクープ」の懐かしい面々とお会いするのは実に12年振りのことであった。
田丸美寿々さんとは遊びでしばしばお会いしているが、鳥越さんとは、わが社で制作したNHKの「旅のチカラ」での出演をお願いしてからだから、2年振りになる。

30名足らずの少人数でのパーティーだったが、かつて共に苦労して番組を作って来た、それこそ気心の知れた仲間たちで、同窓会のような雰囲気だった。

受賞した番組のプロデューサーの原一郎さんも、そろそろ還暦を迎えられる年齢だとおっしゃる。
当初は、年に4回の放送枠が約束されていた「スクープスペシャル」も今は特番と同じ扱いで、企画がなかなか通らず、一年に1回の放送枠を確保するのもやっととのことであった。

テレビ局内の事情もずいぶんと厳しい状況のようである。
局員がその有様だから、ましてや、プロダクションがやりたいと願う番組企画がた易く採択されることなど針の穴を通るよりも難しいのだ。

しかし、徹底した検証を基にした骨太のテーマを持つ報道番組の灯は消して欲しくはない。

鳥越俊太郎さんの、しめくくりの挨拶のなかで、つぶやくように言われた「ザ・スクープのようなレギュラー番組があれば、やりたいテーマがいっぱいあるのに、そして簡単にやれるのに」との言葉の持つ意味は深く、実に深刻な現在のテレビ状況を物語ってもいる。

   「淡々と やりたきテーマ 持ち続け」


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あるテレビマンからの挨拶状

先日、一通の封書が届いた。

それは、退任の挨拶状だった。
テレビ東京の専務取締役をされていた藤延直道さんからのものだった。

文書には「今後はテレビ東京の参与という肩書で一年間、在籍しますが、テレビ東京のテレビマンとしては“事実上終了”ということになります。昭和47年に入社してから報道を中心に制作、スポーツ、編成、技術、総務人事など42年間にわたりテレビの現場に極めて近いところで仕事をすることができました。テレビマンとしては大変ラッキーな42年間だったと感じております。」とあった。

藤延さんにはずいぶんお世話になったと感謝している。
ボクが藤延さんに紹介されたのは、藤延さんが報道部長になられる、ずっと以前のことだから、もう二十年以上も前のことになる。

当時、大柄なサッパリとした青年で、とても好感が持てた。
青年と云えば未だに青年のような雰囲気を漂わせておられるが、おしつけがましい所など微塵も感じさせない真っ直ぐな人柄に見受けられた。
その頃から局内では将来を嘱望されていたのだろうが、器の大きい人だった。

彼は根っからのテレビマンで、同時にひたむきな報道マンだった。
時々、食事などをご一緒させていただいたが、藤延さんにはボクは勝手な事ばかり話していたように思う。

少しづつ責任のある立場になっていかれたが、そんな彼に「現在のテレビ報道の一番の問題点は、記者クラブにある。記者クラブは廃止すべきだが、テレビ東京は真っ先に脱退すべきじゃないか」とか「現在の報道の形は国からいただいた情報をただ垂れ流しているだけの、広報機関に過ぎないから、いっそのことテレビ東京は経費のかかる報道部門は切り捨てて身軽になり、番組だけを放送するテレビ局に変身した方がよいのではないか」などと、ずいぶん勝手なことを云っては、藤延さんにご馳走になっていた。

報道局の責任ある立場の人に対して、全く、無礼千万の限りである。
それにもかかわらず、何かあればその度に声を掛けて頂いた。
現在も、わが社で、もっとも大切な番組のひとつである「ガイアの夜明け」を一緒にやろうと声を掛けていただいたのも藤延さんだった。

現在、テレビ東京は経営状態も順調で、藤延さんの功績も大きいに違いない。
正直、これまで、余りお役に立てなかったな、と思っている。
そろそろわが社も少しづつ実力がつき始め、ご恩返しができるかなと思う頃の藤延さんの退職である。

これまでも、わが社恒例のお花見や忘年会には必ず顔を見せていただいた。
忙しい身で毎回、別の予定が重なるのだが、わざわざ無理をしてくださるその気持ちが嬉しかった。

現役テレビマンとしての引退は少し早すぎるし、残念ではある。
しかし、これからは、藤延さんも少しは暇になられるだろう。
一切の仕事の重荷から解放され、人生初めての自由な時間を手にされる。

まずは、旨いお酒で乾杯し、これまでのご苦労をねぎらいたいと思っている。

    「これからだ いざや楽しき 本番だ」


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焼身自殺事件について

自民党と連立を組む公明党の合意を取り付けた安倍内閣は7月1日、集団的自衛権の行使を容認するとの閣議決定を行った。

集団的自衛権行使の容認問題は、戦後の日本が守り続けて来た戦争を放棄するとの憲法第九条の憲法解釈を根本的に変更するもので、今後の日本の国家の形を大きく変えることとなる重大な決定である。

なぜ、安倍内閣が論議を尽くすこともせず、かくも性急に、この閣議決定を急がなければならなかったのか、その本当の理由は分からない。

恐らく、外務省の強硬派の意向に応えるためであることは間違いないし、その背後にはアメリカの存在があることは疑いのないところである。
もし、安倍首相をはじめとする政治理念がその動きの後押しをしていたとすれば、この乱暴ぶりの罪はなおさらに深い。

しかし、そんな中で、ひとつの事件が起きていた。
6月29日13時頃、東京・新宿駅南口の歩道橋の鉄骨の上で、60歳代と思われる背広姿の男性が焼身自殺を図ったのである。

彼はガソリンを入れたペットボトルをそばに置き、拡声器で、集団的自衛権の行使容認に抗議し、また安倍首相の政策に反対する内容の演説をしていた。
警察官や消防署員が歩道橋の上の鉄骨から降りるように説得したが、その男性はひと通り自分の主張をし終えると、ペットボトルのカソリンをかぶり、火をつけ火だるまとなった。
病院に運び込まれた男性は、全身にやけどを負うなどの重傷を負ったが一命をとりとめた。

日曜日の新宿は、人通りも多く騒然としたようである。
この時の様子は映像を含めてネットなどで流された。

ボクは、翌朝の、フジテレビの朝のワイドショー「とくだね」で、この事件のことを知った。
この事件の紹介のなかで、女性のナレーションで一行だけ、集団的自衛権に抗議していた、とのアナウンスがあった。

それを受けてのスタジオで、司会者やコメンテイターたちが、この事件について語っていたが、迷惑な事件を起こしたとんでもない男、という話で終始していた。
ボクは、少し前の集団的自衛権に抗議、というナレーションが耳に残っていたので、この男性がなぜ焼身自殺までして抗議したのか、何を訴えたかったのか等には全く触れようとしないスタジオでの話題の展開にとても違和感を抱いていたのだった。

サンケイグループは、安倍首相の集団的自衛権を容認する方向で番組を展開するように上層部から指示されているのだと思ったのだった。

もともと焼身自殺は、政治的、あるいは倫理的な抗議の手段として行われる自殺の方法だと言われている。
かつて、ベトナム戦争当時に、ベトナムの仏教徒たちが戦争に抗議して焼身自殺する事件が多発した。
また、中国のチベットでも、中国共産党の圧政に対して抗議の焼身自殺が相次いでいる。

日本では珍しい焼身自殺の続報がないのはなぜか。
ボクもいまだに、この男性の名前も年齢も、また本当の自殺の動機についても知らないでいる。

普段は視ることを意識的に避けているネット情報に頼るしかないが、海外のメディアでは、この焼身自殺が、安倍政権に対する抗議のための自殺であると大きく取り上げられているとも書かれている。
日本の報道機関がおしなべて無視しているのはなぜなのだろう。

焼身自殺に限らず、抗議の自殺を礼賛するものでも全く無いし、人々に迷惑をかけることは誉められたことではないが、マスコミが、この異様な事件について知らん顔をしていることが、単純に不思議でならないでいる。

昨日、放送作家の羽柴秀彦さんが会社に訪ねて見えた。
80歳を過ぎられて現役を引退されているが、つい最近まで、ワイドショー等々の構成や監修の仕事をされていた。
放送界の生き字引のような存在である。

「最近、NHKに異変がありましたか?」とおっしゃる。
「どうしてですか?」と尋ねると「いや、ニュースを見ていても、ドラマを見ていても、どうもおかしいのでね。」

羽柴さんは、左翼からは遠い、現実主義者でバランスのとれた感覚で世の中を見ている方である。
それ以上は、あえて突っ込んでは、お尋ねしなかったが、視聴者の眼に触れる番組にまで、もし異変を感じられるようなことがあるのだとすれば、これはかなりの重大事であるのかもしれない。

      「マジメでも 死んで花実の なんとやら」


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【小田昭太郎】
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