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無責任な親たちと報道

先週金曜日、読売新聞の朝刊の一面に「子供置き去り483人」という大きな見出しの記事が出ていた。

読売新聞の独自の調査によると、親に育児を放棄され、自宅などに置き去りにされた子どもが、今年3月末までの3年間で、全国で483人にのぼるという。

この5月、神奈川県厚木市のアパートで置き去りにされた5歳の男児が遺体で発見されるという事件があったが、最近、育児放棄された子どもが衰弱死するなどの事件が相次いでいる。
死ぬことが分かっていながら、置き去りにしたり、部屋に閉じ込めたりするケースが多いのは異常である。

しかし、子捨て、子殺しは今に始まったことではない。
かつて、生まれたばかりの子供をコインロッカーに放置するという事件が流行ったことがあった。
ボクも、1975年頃だったか、東京の上野駅の定点密着取材を一ヶ月ほどしたことがあったが、その時にも駅のコインロッカーからビニール袋に包まれた赤ちゃんが発見されるという生々しい現場に立ち会ったことがある。

その頃も、子捨て・子殺しが、当時の新聞やテレビの大きなテーマとなっていた。
その時代と現在に、どんな類似点と相違点があるのだろうか。

読売新聞の記事によると、昨年度は131人、一昨年度は199人の子供たちが遺棄されている。
3日に1人、あるいは2日に1人以上の驚くべき頻度で、子捨て事件が起きていることになる。

これらは、ひとつひとつの事件の例を検証していかなければ、なかなか実態の真相の究明はできないし、それらに共通する問題点を抽出することも難しい。
ただひとくくりに貧困の所為にすることもできそうにない。

しかし、これだけの頻度で事件が発生している以上は、問題点の解明が是非とも必要であると思う。

ボクたちも含めて、事件を報道するマスコミも、こういう事件があったとニュースやワイドショーで伝えるだけでなく、その背景や理由を詳しく取材し、伝えていくことが求められる。
しかし、最近では、そういった社会問題を取り上げ、考えるドキュメンタリー番組枠がほとんど皆無といってよい位に無くなってしまった。

社会の暗部を抉り、その問題点を突き詰めていく作業はつらいし、また視る方もしんどいが、それもテレビジャーナリズムのもっとも基本的で大切な役割として果たさなければならない筈である。

特に、NHKには、国内で起きた社会問題を取り上げるドキュメンタリー番組が全く見当たらないのは実に不思議である。
意図的とも勘ぐりたくなる編成である。

民放には、まだTBSの「報道特集」やテレビ朝日の「報道ステーション・サンデー」などのニュースショー番組に、かすかにその残像がある。
しかし、あくまでもニュースショーの範囲内での報道である。

かつての鳥越俊太郎さんの「ザ・スクープ」のような正面から社会問題に取り組む番組のあらためての誕生が待たれる。

      「社会派の 姿を見せぬ テレビかな」


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故・馬渕直城とその妹の愛

生涯の友であった馬渕直城のことについては、ことあるごとにこのブログで書いてきた。

彼は、1975年、カンボジアの首都プノンペンがポルポト軍によって陥落する時の様子をカメラに収めた唯ひとりの日本人カメラマンである。
カンボジアにおけるベトナム戦争の終焉のまさに歴史の瞬間に立ち会えた幸運な星の男だった。
以来、30数年、彼はジャーナリストとして、カンボジアの動向をウオッチングし続ける人生を送った。

その馬渕は2年半ほど前に不慮の死を遂げた。
そして、その兄を終生慕い、物心両面で支え続けた妹の典子さんも、彼の後を追うように、2ヶ月ほど前に病のために亡くなられた。

ボクは、どういう縁か、馬渕の母親、妹2人とそれに本人の計4人の馬渕家のひとたちを見送るという結果になった。
女優の馬渕晴子さんは彼のいとこにあたるが、馬渕直城の直径の家族としての、馬渕家は絶えることになる。

先日、亡くなられた馬渕の妹の典子さんの御亭主の中村久男さんから、突然、会いたいとの連絡があり、新橋汐留のシティーセンタービルの42階の見晴らしの良い料理屋さんに招待された。
中村久男さんとは、馬渕家の葬儀で、2~3度、顔を合わせた程度で、特別に親しい間柄という訳ではなかった。

「実は、義兄の直城さんについての話をお聞かせ願いたいのです。妻の典子からも義兄のことを余り聞いていないし、生前の義兄のことを私はほとんど知らないのです」と久男さんは云った。

夫である自分と義兄とどちらの方が大切なのか、と妻の典子さんに問うたことがあると、冗談交じりにではあるが久男さんが語るほどに、典子さんは兄の直城の面倒をこまめに見ていたようである。

本当に自由人で、自分の気持ちに従って気ままに生き、お金を稼ぐことが上手ではなかった馬渕直城は、母親が生きている時は母に、そして、母亡きあとは妹の典子さんに何かにつけて頼ることが多かった。

馬渕直城には、タイ人の嫁と、娘、息子2人の子供がいたが、彼等はタイのバンコクに住まわせ、自分は日本と行ったり来たりしていた。

典子さんは、どうやら、せっせとバンコクにお金を送っていたらしい。
ところが、タイ在住の嫁のエウさんは、敬虔な仏教の信者で、まとまったお金があるとお寺に寄進してしまうのだった。

久男さんは本当に善良な方で、そんな妻の典子さんを許していた様子である。
中村家に嫁いだ身の典子さんとしても、そんなに大っぴらに兄に援助する訳にもいかなかっただろうから、夫の久男さんには兄のことは余り話さなかったのかもしれない。

久男さんは典子さんの忘れ形見である次男の暁さんを連れて来ていた。
「義兄の直城さんにそっくりだとよく言われるので、連れてきました」と久男さんは云った。

30歳になったという馬渕の甥の暁さんは、びっくりするくらい馬渕に似ていた。
いかにも人が良さそうな笑顔といい、その表情は、初めて出会った頃の若い馬渕に生き映しのようだった。
すでに結婚していて、3人の子供たちがいると云う。

すぐに気が合うのを感じた。
血というのは不思議だなと思った。

久男さんは、馬渕家の古い写真や中村家の写真などを沢山持って来ておられて、ひとつづつ丁寧に説明してくれた。
そこにはボクの知らなかった馬渕がいた。

ボクも思い付くままに、馬渕の話をした。
彼の話をし出せば尽きることはない。
会社設立当時、ボクの家に1年間ほど馬渕が住みついていたことなどを話すと、親子で驚いている。

聞くことも、話すことも尽きず、名残惜しかったが、あっという間に時間は過ぎた。
オルタス主催の忘年会やお花見に親子一家でぜひ来てくれるようにと誘った。

翌日、甥の暁さんから早々とメールが届いた。
その文面には
「自分の中でも、直城おじさんのまったく知らなかった事や、母親にも知り得なかった部分が小田さんと京香さんによって少なからず分かったような気がします。
その場でもお伝えしましたが、おじちゃんや、ばぁちゃん、かあちゃんを交えてお話したかったです。
父親もとても楽しそうに話している姿を見たとき、これからは家族みんなで守ってあげなきゃなと再認識しました。
勝手ながらこれからも中村家と仲良くしていただけるとうれしいです。
お花見や忘年会など参加させていただければ、家族で行きたいと思います☆
また小田さんのおうちにもお伺いしたいです♪」とあった。

馬渕直城はあっけなく逝ってしまいとても寂しいが、こうして、素敵な甥に出会うことができた。
馬渕直城もきっとあの世で喜んで見てくれていると思う。

      「さようなら 輪廻転生 こんにちは」


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贈られてきた演歌の歌謡詞集

先日、小包郵便が届いた。

開いてみると、中からは、背表紙に「恋うた」と書かれたベージュの洒落た箱が現れた。
さらに、その箱には、緑色の立派な装丁の本が納められていた。

表紙には、金色の文字で「歌謡詩集 恋うた 寺本ひろみ」と書かれている。
寺本ひろみはペンネームで本名は寺本宏身さんである。

寺本さんから「趣味で演歌の作詞を始めた」とお聞きしたのは、十何年前になるのだろうか、寺本さんからの年賀状に記されてあるのを読んで知ったのだった。

寺本さんは広島テレビの報道部長をされていた。
ニュースキャスターも務められていたようである。
原爆取材のドキュメンタリー「ある夏の記録」で民放祭の金賞を受賞され、さらにイタリア賞も受賞されている。

ボクが、寺本さんとお会いしたのは、いつのことだったか、それこそ何十年も前の遠い昔のことである。
それに、何度もお会いしたという訳でもないのだが、以来何十年間、年賀状のやりとりだけは続いていた。

そして不思議なことに、ボクは寺本さんのお顔はしっかりと記憶している。
今度、お贈りいただいた歌謡詩集のプロフィールに寺本さんのお写真が掲載されていたが、余りにも記憶通りのお顔だったので、びっくりしたほどである。

なぜ寺本さんのお顔がこれほど鮮明に記憶に刻まれているのか、その理由はボクにも分からない。
とにかく、懐かしい方なのである。
プロフィールを読んで、寺本さんが昭和15年1月の生まれで、京都大学の出身であることを知った。

広島テレビを退職後、作詞家の三宅立美さんの門下生として作詞活動を始められたらしい。
寺本さんの作詞による「母の恋文」が第三十五回日本作詞大賞優秀新人賞に選ばれている。
寺本さんのお許しを得たので、まず、その受賞作を紹介する。
 
  母の恋文

くすり袋の その裏に
途切れ途切れの 母の文字
貴方に出逢えて 幸せでした
御身くれぐれ お大事に
たった二行の その文字は
母の最後の 恋手紙

三月足入れ したあとで
親の許しが もらえない
身重のからだで 十九の母は
雪の峠を 里戻り
そっと一輪 白い菊
母はこの世に もういない

たとえ添えずに 終わるとも
悔いを残さぬ 愛がある
愛したお人は 峠の向こう
ろくろ回して いるという
母の形見の 帯締めて
母の恋文 届けます

寺本さんは千葉県佐原生まれの銚子育ちだそうだ。
広島の千葉県人会のホームページへの彼の投稿文によると、ひと月に一作品のペースで書いているが、そのほとんどが女歌だという。

「女歌を書くということは『わたしはあなたを愛しています』という言葉を演歌っぽい別の言葉に置き換える作業なのかもしれません。例えば『赤い絆で体を縛り、堕ちて行きたいどこまでも』とか『一夜の契りがあればいい、身も世も忘れて溺れてみたい』とか『罪なら罪でいいのです、も一度この肌温めてほしい』とか」

「演歌の場合は、まず作詞家が詞を書いて、その詞に作曲家が曲を付けます。作曲は詞を見ながら行いますが、作詞はゼロからのスタートです。何もないところから一つの世界を作り上げなければなりません。作詞は「無」から「有」を生み出す「創造」の作業なのです。「創造」には「苦しみ」が付きものですが、その「苦しみ」があればこそ、作詞の「愉しみ」はそれだけ大きなものがあるのです。」と記されている。
いかにも、ドキュメンタリー作家らしい文章で面白く拝読した。

109頁からなる歌謡詩集には、ページ数と同じ109の作品が収められている。
寺本さんのご自身の言葉通りに、そのほとんどが切ない女うたである。
本当はそのひとつひとつを紹介したいのだが、そうもいかないのは残念である。

機会があれば、実際に曲のついた寺本さんの作詞による演歌を聞きたいと切望して止まない。

   「下手な句も 嬉し恥ずかし 演歌です」


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スキージャンプ葛西紀明選手とカラオケ

スキージャンプの葛西紀明さんと会食する機会があった。
葛西選手は、説明するまでもないが、ソチオリンピックで銀と銅ふたつのメダルを獲得したメダリストである。

弱冠19歳でオリンピックに初出場して以来、今回のソチまで、史上最多の計7回にわたり冬季オリンピックに出場しているとんでもない傑物である。
今年で42歳になるが、40歳を超えてのメダル獲得の偉業に対して、レジェンド、伝説の男との異名で日本だけでなく世界中から称賛されている。

葛西選手にはNHKの「課外授業・ようこそ先輩」に出演をお願いしており、その交渉でお会いした。
彼を紹介してくれたのは、佐京純子さんである。佐京さんは、日本人女性としては初のプロスキーヤーとして一世を風靡した方である。

佐京さんには、かつてプロ野球の巨人軍の松井秀喜さんやプロゴルファーの丸山茂樹さんを紹介してもらい、おふたりの対談でNHKの正月特別番組を放送したり、また松井選手には「課外授業・ようこそ先輩」にも出演していただいた。

佐京純子さんの案内で、愛宕ヒルズ42階の東京の夜景が美しく見事なレストランの個室で食事をした。
真っ黒に日焼けした葛西選手は、実に礼儀正しい好青年だった。

彼が差し出した名刺には、「土屋ホーム 住宅部門 本店 スキー部(監督兼任) 部長」とあった。
彼は本当に自然体の気さくな人物で「何でも気軽に聞いて下さい」と言ってくれた。
同行した當眞プロデューサーも正式に「課外授業」の番組出演の依頼を本人に直接できたことを喜んだ。

「オリンピックのメダリストとお会いするのはこれが初めてですよ」とボクが喜ぶと、やおらバッグの中から銀と銅のふたつのメダルを取り出して手渡してくれた。
それは、とても大きくて重いものだった。

「これまで460回ほどの試合に出場して16回しか勝ってません。ほとんどの試合に負けていることになります」と云う。
勿論、勝つというのは優勝という意味だから、今回のオリンピックの銀と銅のメダルは勘定に入っていないことになる。

「50歳までは競技を続けようと思っています」と云う。
口には出さないが、オリンピックで金メダルを絶対に手するまでは、との気迫と自信が彼の身体全体から滲み出ている。

これまでにワールドカップでの優勝をはじめ、数々の国際大会で勝ち、めざましい活躍の記録を残しているのだが、それでは満足出来ないらしい。

「学校で一番、いやいやクラスで一番になるのも大変なのに、凄いなあ」とボクが実感を込めて云うと、「ははは……」と笑っている。

「ジャンプするのは怖いですか」との問いには「怖い」と正直だった。
「結局、恐怖をコントロール出来た者が勝つことができますね」と云う。
女子ジャンパーで圧倒的な強さをみせている高梨沙羅選手の強さの秘密も、恐怖のコントロールにあると彼は分析した。

「僕の心の支えは母からもらった手紙でした。母はもう亡くなりましたが」と葛西選手は云った。
「遠征試合に出掛ける時はいつも持って行ってましたが、今度のソチオリンピックには、あえて持っていくことはやめました。母に頼らない強い心を持とうと決心したからです」 
その強い心が、銀と銅のメダルを彼にもたらしたのだろうか。

彼は、控えめで、何とも爽やかな青年だったが、自分の身体能力には絶対的な自信を持っていた。
50歳まで競技を続けるという自らの肉体への自信は日常の節制にあるようだった。

一年間のうちで、自分が自由に時間を使える期間は、4月から五月の連休明けまでの、およそ1カ月少しだけで、後は試合と練習のために費やされるという。

ジャンプ競技では体重は軽いほど飛距離が伸びる。
したがって、毎日が体重の調整のための厳しい食事制限との戦いになり、好きな肉も食べられなくなるらしい。

体重を落とすための食事制限の結果は、免疫力の低下を招き、しかも寒い雪の中の競技や練習になるので、風邪などを引きやすくなるらしい。
「スポーツ選手の中でジャンプ競技の選手の体調管理が一番デリケートで大変だと思います」と葛西選手は断言した。

「このあとすぐに、フィンランドに練習に出掛けることになっています」
「それじゃ、お酒を飲めるのも今日だけですね。これから軽く行きますか?」とボクが誘うと「いいですね」との返事が返って来た。
「葛西さんはカラオケが上手だそうよ」と佐京さん。
それでは、ということになり、ボクの行きつけの赤坂のクラブに向かうことになった。

いつもはお客の少ないお店なのに、ボクたちが着いた後、なぜか続けて10人以上のお客が入り始め「葛西さんは福の神だね」と笑い合った。

やがて葛西選手が、松山千春の「旅立ち」を歌った。
騒がしかったお店がシーンとなった。
珍しいことだった。
それほど、彼の歌は上手で、玄人はだしだった。
金のとれる歌声だ。

そのうち、客も歌の主が、葛西選手であることに気付き、「レジェンド、レジェンド、ニッポン、ニッポン」の掛け声でいっぱいになった。

誰かが名刺を持って挨拶にきた。
彼は、カバンの中から、メダルを取り出し「僕の名刺です」とそのお客に渡した。
それからのお店は大騒ぎになる。

我も我もとメダルを手にし、葛西選手との大撮影大会となる。
お店のホステスたちも、お客をそっちのけで、葛西選手の隣に座り、撮影してもらっている。
普段は威張っているだろうお客の社長やおえらいさんたちが、夢中で葛西選手に握手を求め、記念写真に納まっている図はいかにも無邪気で楽しい。

そのうち十枚を越す色紙にサインを求められたが、彼は、嫌な顔ひとつ見せずにそれを書きあげた。
本当に素敵な男だと感心した。

彼は少なくとも、そのお店にいた二十数人の人たちに喜びと幸せを与えていた。
誰に頼まれたわけでもなく、損得勘定など勿論あろうはずもなく、彼は自然に振る舞っている。
これがスターというものかもしれないと思った。

「いやあ、楽しかったです。また、連れて来て下さい」と別れ際に葛西選手は云った。
それもボクには自然の言葉に聞こえた。
大した男だと、また思った。

「課外授業・ようこそ先輩」で葛西選手がどのような授業をしてくれるのか、とても楽しみにしている。

   「4年後は 最長不倒 金メダル」 


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いま思い出す大島渚監督の言葉

かつて日本が経済大国などともてはやされた時代があった。
「ジャパンアズナンバーワン」などの言葉も生まれ、日本人の多くがその気になった時代があった。
それほど昔の話ではない。

しかし、栄枯盛衰は世の習い。
ボクたちの奢り高ぶりも長くは続かず、日本は、あっという間にその座から転落してしまったのだった。

これからの日本の行く方を予想する力量はボクには無いが、当たり前に考えても、少子化は防ぎようもなく、ボク自身を含めて、老人の増加率だけを見ても、その前途は相当に厳しい。

特別に難しい分析など必要とせずとも、国力は衰え、少なくとも経済的側面からだけでも、貧しい世の中になりそうなこと位の予想は簡単につく。

解決しなければならない社会問題なども増えそうである。
それに、政治的にも、憲法の解釈問題に始まり、憲法改正などで、国民の自由がひとつひとつ奪われて行く道筋を歩もうとしている。

とてもキナ臭い世の中になりそうである。
あれ、おかしいぞ、と気がついた時にはもう身動きがとれなくなっているに違いないとの不安もある。
社会不安は一層大きなものになって行くだろう。

こうしてあれこれ並べてみると、良い事はなにひとつ無さそうに思える。
しかし、実は、貧困や、社会不安や、社会問題が多ければ多いほど、ボクたちジャーナリズムの世界に生きる表現者の仕事は間違いなく増える。
ドキュメンタリーばかりでなく、ドラマや映画や、あるいはお笑いのタネは増える。

亡くなられた映画監督の大島渚さんとは、ボクがまだ若い頃に、ほんの数ヶ月という短い期間だったけれども、一緒に仕事をさせていただいたことがある。
その大島渚さんが語られた言葉を思い出す。

「物質的に豊かな時代には、優れた映画もドキュメンタリーも生まれない。日本が再び貧しくなった時に、優れた作品が登場する」
この大島さんの言葉はボクの身体の奥深くに住み着いている。

飽食の名ボクサーなど絶対に存在し得ない。
強いボクサーの全員が貧しく、飢えているのと同様、ボクたち表現者はハングリーでなければならない。
そうでなければ、優れたドキュメンタリーを作ることは叶わない。
だからボクたちドキュメンタリーの制作者は貧しくなければならないのだと、ボクはスタッフに言い続けて来た。

「安い給料で働かせるために言っているのだろう」と誤解されるかもしれない。
しかしボクたち制作プロダクションの人間が、テレビ局に働く制作者と同様の仕事をしながら、彼らの半分以下の賃金でも楽しく働けているのは、自分たちが貧しいことに誇りを持ち、貧しいからこそこの仕事ができるのだ、との自負があるからなのである。
少なくとも、ボクはそう考えている。

これからは貧富の差が大きく広がり、一部富裕層と多くの貧しい人たちの層に分かれる。
ボクたちは、その圧倒的多数の貧しい層の一員として堂々と番組を制作することになる。

そして、何とも有り難い事に、社会がいよいよ貧しくなり、社会問題が増大すればするほどに、ボクたちが取り上げなければならない番組の素材は、これまで以上に圧倒的にその数も量も増える。

何とも皮肉だが、ジャーナリズムの世界に生きるボクたちにとっては、とても都合の良い、働きがいのある社会が訪れようとしている。
がんばれる。

   「大歓迎 世の中うまく できている」


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再び三度、集団的自衛権のこと

鈴木鉄郎さんが、フラリっと会社に訪ねて来られた。
鈴木さんは日本テレビ時代の先輩で、ずっとドキュメンタリー畑を歩いて来られた方である。

昭和13年生まれだから、そろそろ後期高齢者になられる年齢だが、ジーンズに半袖のTシャツ姿で、どこから見ても70歳代とは見えぬ若々しさである。

昔の仲間と久し振りに赤坂で飲むことになっているが、ちょっと立ち寄ったよ、とのことだった。
理由が何であれ、思いがけない来訪者は、実に嬉しいものである。

「ブログを読んでるよ。集団的自衛権のことずいぶん心配しているようだね」とソファーに座るなりおっしゃる。
実に単刀直入なのが、いかにも鈴木さんらしい。
頭の回転が人よりも数倍早いのだろう。
「世の中全体がずいぶん変わって来たからね。」

鈴木さんが日本テレビ在職中の若い頃は、日本のテレビドキュメンタリーの生みの親である、プロデューサーとして名高い故・牛山純一さんのもとでディレクターを務められていた。
「すばらしい世界旅行」という長寿番組があり、鈴木さんはその中で、科学系の番組を担当しておられたと記憶している。

「学校の歴史の授業は、明治維新までで、だいたい終わりだからね。それ以降のことは教えないけれども、それからの歴史の授業の方が本当は大事だと思うんだけれどもね」と鈴木さんは云う。
「歴史観の相違があってどう教えるかは難しいけれどもね」

確かに、韓国や中国のように反日を目的とした、つまらないナショナリズム高揚のための教科書問題のような事例が教育現場に持ち込まれる恐れはある。
「それに、戦争について、実感を持って語れる人たちが居なくなったことも、大きく世の中を変えているね」

ボクの知り合いのテレビ局のあるプロデューサーは、局に入社してくる東大などの一流大学を卒業した新入社員たちは、とても優秀で頭は良いが、おし並べて右寄りの現実路線の考えを持っており、集団的自衛権を容認することのどこに問題があるのか、憲法改正のどこが悪いのか、そんなことは当然のことじゃないか、と考えていて恐ろしいと、嘆いていたことを思い出した。
体験を語り継ぐことの難しさを改めて思う。

「どうすれば良いのかねぇ。俺にも何か出来ることがあればやるんだけれどもね」と鈴木さんは、ボクなどよりも何倍も心配しておられる。

「何かを守る、という表現や姿勢が消極的に感じられて、問題があるのかもしれませんね」とボクは云った。
「リベラルな陣営は、例えば平和を守る、あるいは平和憲法を守る、といった具合に、守るという姿勢や主張をしているけれども、現在の平和路線を維持するためには、もっと積極的に攻める、変革する、という論理を展開しないと、説得力や魅力に欠けるのではないですかね」

安倍政権を代表とする自民党に対抗するために、さらに極端で力に頼る右寄りの野党が誕生するのではないか、というのがボクが感じている、現在のもっとも大きな恐れだが、リベラル陣営は、現状を守るのではなくて、もっと平和的な憲法に改正しよう、といった方向に力を振り向けるエネルギーの使い方や新しいイメージ戦略を編み出さなければならないのではないか。
さらなる日本の平和を新たに作りだす方法論を考え出さなければならないのではないか。

「日本は何を目指す国家であるのか、と問われた時に、戦争をしない国家を目指す、と世界に宣言することはとても分かり易いし、意味があると思いますけれどね」とボクは云った。
「そのためには、俺たちの絶対的な覚悟が必要だな」と鈴木さんは、まっすぐにボクの目を見ておっしゃった。
「それに何よりも、安倍首相みたいな坊やの遊びに俺たちが弄ばれるのは嫌だね」
まったく同感である。

「日本人とは何か」という普遍的命題に「戦争をしないと決心した人々の総体、それが日本人である」と胸を張って答えることのできる国家の一員でありたいとボクは願う。

      「リベラルに さらに過激に 高齢者」


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制作会社の強い気概

ボクたちは、テレビ局で放送する番組を制作することを主な仕事としているが、その仕事の形には大きく二種類の流れがある。

そのひとつは、ボクたちが、自分たちで発想した企画書をテレビ局に提案して、その企画が局に採択されるというものである。これが基本的な形である。
もうひとつは、テレビ局から局が立てた企画の制作を依頼されるというものである。

その両方ともに制作会社が制作を請け負って番組を作ることになることに変わりはない。
そして、ボクたちが企画した場合でも、テレビ局から振られた仕事であっても、その制作費が異なるという訳ではない。

ボクたちの業界には、企画料という名目はあるにはあるが、現実にはテレビ局の番組制作上では、企画料というものは存在しない。
したがって、ボクたちの企画した番組であっても、テレビ局が企画した番組であっても、その制作費は変わらないということになる。

だから、制作会社にとっては、テレビ局から、この番組を制作して下さい、と依頼を受けることは、自分たちでわざわざ企画を考える必要が無いので、とても有り難いことなのである。

企画を作成し、その企画を実現するために、ボクたちは日夜、血反吐を吐いているのが現実だ。
ひとつの企画を提案し実現させるためには、多大な労力と費用を要するのだ。
だから、局からの制作依頼は、とても嬉しいことである。

そして、こういったテレビ局の企画で番組制作をするというケースは、頻繁というほど多くは無いとは云え、それほど珍しいことでもない。
あくまでも、テレビ局と制作会社との信頼関係の上で成り立つものだし、結果的に、お互いに助け合うことになるというメリットを見出してもいる。

昨年、77歳の喜寿を迎えられた、わが社の最長老で、企画アドバイザーの甲野泰治さんは、元テレビ東京の報道畑で活躍された根っからの報道マンである。
甲野さんは「テレビ局が企画した番組を請けているようでは駄目だ」と手厳しい。

「それでは、いつまでも制作会社はテレビ局の云いなりの存在になってしまう」とおっしゃる。
確かに、その通りである。

いかに苦しくても、他に頼らず、自分たちの手で、自分たちが実現させたいと思う企画を生み出すという、制作者としての意地と気概が必要である。
そうでなければ、制作プロダクションは単なるテレビ局の番組下請け工場になってしまう。

日本が誇る町工場は、その独自の発想とたゆまぬ技術力で、日本の大企業を支え続けてきた。
単なる下請けでは無いからこその存在価値が認められている。
まさに、それと同じことである。

本日、わが社で一ヶ月に一度行っている、全スタッフが集まっての全体会議で、取締役プロデューサーの前川誠が「それぞれスタッフひとりひとりが、企画を自分で発信していくことが大切である」との主旨の話をみんなに語りかけていたが、その通りである。

テレビ局の期待にいつでも応えることのできる態勢を整えることは一方でとても大事なことである。
しかし、その一方で、自らの企画発信力をさらに大きく、力強いものにしなければ、これからの厳しい時代を生き抜くことはとてもできないだろう。

下請け会社に成り下がるか、それとも、自らが発信する光となるのか、それはこれからの、ボクたちの日常の生き方にかかっているのである。
 
     「オルタスは アジアの企画発信地」


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スタッフとの信頼関係

ボクたちが仕事をしていく上で大切な事柄は多くあるが、その中でも信頼関係が何にもまして大事である。

社内のスタッフの間でも、また制作過程でのカメラマンや編集者との間でも、また局のプロデューサーとも、クライアントとも、取材対象者とも、とにかく信頼関係が揺らぐとすべての仕事に支障を来すことは当然のことである。

この、ごく当たり前のことが、実際には、なかなかすんなりとはいかないことが多い。
特に、新たな戦力にと、フリーの社外スタッフを起用した時にトラブルが起きることがある。
つい先日にも、困った出来ごとがあった。

出来る限り、番組制作は、気心と、その実力のほどが把握できている社内のスタッフに担当させることが望ましい。
それは、それぞれの番組と見合ったスタッフの適正に応じた配置が出来るし、また、経済的な意味でも有効である。

しかし、番組制作を行う上で、急を要する場合や、また新しい才能を起用したい時があり、そんな場合はフリーのディレクターに仕事をお願いすることになる。

そういう意味では、フリーのディレクターを起用するのは、たいていの場合は非常時であるというのが正確かもしれない。
そして、往々にして、トラブルはこういう時に起きる。

今回の困った出来ごとは、やはり初めて起用したディレクターとの間で起きた。
初めてのディレクターの場合でも、普通は誰か信頼できる人の紹介があるのが普通なのだが、今回の場合は違っていた。

半年ほど前、一通の履歴書がボクの手元に届いた。
履歴書を見る限り、40代前半の情報番組の手練れのディレクターだった。
ボクは興味を覚え、面接した。

いかにも情報番組のベテランらしい、ドキュメンタリー系のディレクターとは異なった匂いがしている。
その匂いの違いを説明するのは難しいのだが、とにかくボクたちよりもテレビ屋風というのだろうか、ボクたちドキュメンタリー系の制作者たちは、良く云えば、テレビをジャーナリズムとして捉える傾向が強いが、情報系の制作者たちはより、エンターテインメントとしてテレビを考えている、と云えば良いのだろうか。

彼は、情報系には違いなかったが、ドキュメンタリーにも興味を持っていた。
概して、ドキュメンタリーのディレクターは演出力に欠ける場合が多い、とボクは思っている。
糞リアリズムとボクは悪口を言っている。

彼のような情報系のディレクターを仲間に入れて、番組を面白く見せる演出法をわが社の番組に取り入れたい、とボクは思っていた。
彼ならば、ボクの期待に応えてくれるだろうと確信した。

そしてある番組のチームのスタッフの一員に加わってもらうことにした。
企画会議にも参加してもらい、2カ月ほど、調査など、ある程度の試走期間を経て、取材に出てもらった。
その意味では、彼の起用については、それなりの手順を踏み、慎重を期したつもりだった。

しかし、放送を三週間後に控えた、ある日突然、ディレクターを下りると言い出した。
表向きは、チーフディレクターとのやりとりに不満があるという理由のようだったが、事情を聞くと、われわれが要求するドキュメンタリーの手法にどうやらついていけない、ということのようだった。

プロデューサーやチーフデイレクターとの話し合いはしたものの、結局は物別れに終わり、一方的に下りると宣言し、そのまま姿を消すという、云わば敵前逃亡のような幼い行動で、呆れるしかない。
実は、彼は、取材する予定の相手に取材の了解をとりつけることが出来ずに困っていたのだということが分かった。

わが社のチーフプロデューサーが改めて、その取材相手を口説き落とし、取材の了承をとりつけ、現在無事に取材を続けている。

お粗末なお話ではあるけれど、何とも情けないことだと思う。
彼は、と見込んだボクの人物を見る眼も甘いが、ボクが彼にかけた信頼が、見事に裏切られたとの思いである。
何だか、人間関係の初歩のところで躓いているようで、何とも味気ない。

これまでにも、何度か同じような失敗を繰り返してはいるのだが、ついつい同じような選択をしてしまうのは、ボク悪いクセである。
今後は気をつけよう。

それに比して、こういう事態に冷静に対応し、無事に処理したプロデューサーとチーフプロデューサーらベテランの存在は、さすがに20年選手の実力で、実に頼もしいものがあった。
以前にもまして、彼らとの信頼関係は、二倍にも三倍にも強いものになったことは怪我の功名である。
 
  「馬鹿社長 勘弁してよと プロデューサー」


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力の政治の怖さ

安倍政権の下で強気の政治が続けられている。
ボクたちのようなひ弱な国民は不安と心配でハラハラとしたり、また腹立たしく、本気で怒ったりもしているのだが、もしかすると、多くの人たちは頼もしく感じて、むしろ応援しているのではないかと、そちらの方が心配になったりしている。

東西冷戦時代のように、世界の勢力が二極化されていた時代は、世界情勢に関する価値判断もある意味、分かり易かったのだが、現在は混沌の時代である。

アメリカの弱体化に始まり、中国がそのアメリカと肩を並べるほどに圧倒的に台頭してきた。
また、東南アジアの経済力も底上げされてきている。
これまでの経済地図の変化と共に、比較的安定していたアジアも、何やらキナ臭くなり始め、騒がしい。

中東も安定化には程遠いし、イスラム勢力も間違いなく過激化して、紛争はますます広がる気配を見せている。
政治的にも、経済的にも、いかにも不安定な世界になって来たことは確かである。

これまで、アメリカの顔色をうかがうだけで良かった日本だったが、その肝心のアメリカがいまひとつ頼りにならなくなっている。
平和ボケしていたボクたち日本人も、さすがにここに来て、少しは、これはまずいのではないか、と思い始めている。

その時に期待するのが、乱暴な強権政治だとすれば、それこそが危険だ。
しかし、今の、大きな流れは、間違いなくその方向に向いている。
ボクたちひとりひとりの考えや思いが、その方向に向かっている。

安倍政権は、その国民の大きな支えをエネルギーとして、ますます乱暴な方向に舵を切っている。
そんな現在の、政治を推し進めているのは、ボクたちであることが、恐ろしい。
それを良し、と考えているボクたちの存在が恐ろしい。

そんな独走を続ける自民党に対抗するために、野党は政党の再編を目論んでいる様子だが、現在の自民党よりも、もっと過激な右寄りの存在になっていくのではないかとボクは恐れている。

いまの安倍政権よりも、もっと力強い存在であろうとすることを目指しているのではないか。
こういう不安の時代には、さらに強い力を求めるという悪循環が作用していくのではないか。

利口だけれども、ただただ利に聡くなり過ぎ、豊かさに慣れてきた国民は、権力に弱く、力強さという魔力にまどわされてしまうのではないかと、それが不安でならない。

   「豊かさの つけの代償 命でも」


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中途採用の切ない事情

ボクたちの会社では、新卒者の入社試験とは別に、途中入社の採用の告知も、不定期に行っている。
たまに、どうしても即戦力が欲しい時や、陣容の強化を図りたい時があり、そういう際には、中途採用に頼ることがある。

新卒採用と中途採用の大きな違いは、いくつかあるが、そのひとつは、採用時の試験の有無である。
新卒採用では、第一次から三次まで、厳しい選抜試験を行い、採用者を決定する。
この試験には、わが社の少なくとも10数名のスタッフが試験官として係わるので、それなりに多くの人たちの目をくぐって選ばれる。
それに比して、中途採用は幹部社員とボクとで面接して決める。

新卒採用試験は原則として初夏か秋の、一年に一度である。
それだけ厳しく選ばれるので、新卒採用者は、当然、誇りと自信を持って入社し、仕事に臨むこととなる。

本来、会社にとって、もっとも望ましいのは、このような形で、新卒者を採用し、その新入社員をじっくりと一人前の会社員として育て上げ、ディレクター、あるいはプロデューサーとして活躍してもらうことである。

小なりと言えども、オルタスジャパンの社員として入社し、研修も受け、先輩からの指導を受け、社員としての自覚も次第に生まれて行く。
口頭ではなかなか説明しづらいオルタス精神のようなものも身につけて行く。
これが、理想的な社員の形である。

一方、わが社には中途採用者は数多くいるが、在籍年数に係わりなく、どっぷりとオルタスに腰をおろしてくれているスタッフもいれば、片足だけ身を置いているスタッフもいる。
それは、人それぞれの生き方や考え方の違いによるもので、良いとか悪いとかの話ではない。
実は、身の置き方に関しては、正社員であるか、契約社員であるかとは、関係の無いことかもしれない。

そして、もうひとつの大きな違いは、新卒採用者は正社員であり、原則としては、中途採用者は契約社員という点である。
正社員と契約社員の違いは、厚生年金などの社会保険の在り様と税金の形の違いだけである。
もっとも、途中入社の契約社員の正社員化は本人たちからの要求により、往々にして起きていることではある。

先日まで、途中採用の告知をしていて、何人かの方がたにお会いした。
たいていは、東京の在住者であるが、その中に、地方の人がいた。

40代半ばで、大変真面目な人だった。
東京のテレビ局の関連会社からの派遣で地方のテレビ局に出向している。
その関連会社からはそれなりの待遇を受け、社会保険も完備している。
妻とこれから受験を控えた子供が2人いる。

今は、ディレクターとしてやっているが、将来を考えると先細りで、余り明るい展望が見えない。
それにそろそろ東京で最後の花を咲かせたい、との本人の思いがある。
そこで、彼はわが社に中途入社の打診をしに上京してきたのだった。

これまで、地方局発の全国放送の番組で、いくつかの賞も受賞していた。
彼のような人材がいれば、わが社にとって有用であろうと思えたが、給料や社会保険を含む待遇面で、その条件を合わせるのは、かなりの無理があった。

妻子がいなければ、彼にも少しくらいの冒険を勧めることもできるし、もう少し彼が若かければとも思う。
ボクはギリギリの条件を伝え「ゆっくりと考えてみて下さい」と言った。

ボク自身にも正直、彼がどちらの選択をすれば良いのかは分からない。
今の境遇のままでいる方が、彼にとって経済的にも、その他の面でも良いのか、あるいは、短期的には、大変でもボクの会社に来る方が、結果的には楽しい人生を送ることになるのか、その確信が持てない。

ただ、現時点で、すぐに彼の現在の条件を満たす余裕がボクには無いことだけは確かなことで、切ないけれどもそれが現実だった。
「結論が出たら、いつでも連絡を下さい」とボクは重ねて言った。

生きがいや仕事上の面白さを考えると、彼の希望を何とか満たしてあげたいとは思うのだが、ままならないのは残念である。
こんな青臭いことを云っていても仕方ないのだが、やはり胸が痛む。

しかし、結局、これは本人がどう生きるのかを決めるしか方法はないことかもしれない。

     「妻や子を 泣かせてボクは 生きて来た」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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