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BS放送の視聴率

これまでテレビの視聴率は、地上波だけで調べられていたが、来年の4月からBS放送の各番組でも地上波と同様に、視聴率調査が取り入れられることになった。
実際には、今年9月から試験的に実施されるらしい。

ある意味では、これでBS放送も一人前になった、とも考えられるが、このことは、どんな結果をもたらすことになるのだろうか。

一般的に、視聴率の持つ意味は、NHKと民放では大きく異なっていた。
NHKの場合は、NHKと契約を交わした一般の国民からの聴視料で番組を制作し放送しているので、それらの視聴者からの不満が表面化しない限り、視聴率が高くても低くても、当面は、何の問題も起こらない。

一方、民放の場合の視聴率は、番組の命を左右する、もっとも重要な要素となる。
番組の制作費を払っているのはスポンサーなので、その番組の視聴率が悪いと、内容の良い悪いに関係なく、スポンサーはその番組を打ち切るケースが多い。

スポンサーは、より多くの人たちへの宣伝効果を重視するからである。
だから各民放テレビ局は、スポンサーを確保するために、これまでずっと視聴率競争に明け暮れて来たという歴史がある。

ことに、テレビ局とスポンサーの間に、代理店という存在があるので、この視聴率の問題は、さらに増幅されて複雑となる。
それ程に、視聴率というのは民放のテレビ局にとっても、制作プロダクションにとっても、また、ある場合は代理店にとっても厄介な存在なのである。

理屈だけで云えば、放送された番組をどれだけの数の人々が視ているのかの、より正確な人数を把握するのは、実に自然なことである。
そして、テレビ局などの番組の送り手は、出来るだけ多くの人たちに視てもらえる番組を放送したいと考える。
これも至極当然である。

ここに、多くの観客を期待するスポンサーの思惑が加わると、高視聴率をとることだけが先行し始め、テレビが本来果たすべき役割が見失われて行くことにもなる。

ややもすると、視聴率が優先し、番組内容がゆがめられたり、偏ったりする。
テレビ画面がバラエティーに埋め尽くされる、というような現象も起きる。
時には、俗悪との評を受けることにもなる。

すべてが低きに流れる。
悪貨は良貨を駆逐するとの例えもある。
こうなることを見越して、大昔に、テレビを「一億総白痴化」するものである、との名言を吐いた評論家もいた。

これは、良くも悪くも、視聴率がもたらす必然の形のひとつである。
その結果、若者たちのテレビ離れを引き起こす一因ともなっているし、また中高年の視聴者も地上波のテレビに視たい番組を見い出せず、多くの人たちが、視聴率に捉われず悠々と放送しているBS放送に流れる傾向にある。
実際には、視聴率の負の部分が大きいのが現実だ。

しかし、これまで、そんな悪魔的な存在である視聴率から、自由でいられた存在のBS放送が、来年の4月から、本格的に視聴率の洗礼を受けることとなる。

当然の帰結として、スポンサーの要望は強まり、BS放送でも現在の地上波同様、視聴率競争が繰り広げられるに違いない。
しかし、その愚を繰り返さないための知恵と工夫が必要である。
地上波とBS放送のチャンネルのそれぞれの役割の分担を用意しなければならない。

もしかすると、これまでの地上波放送はBS放送にとって代わられ、ローカル化するのかもしれない。
選挙と地方のニュースが主なる仕事になるのだろうか。

いずれにしても、現在のBS放送がかろうじて持っている、ゆったりした時間の流れや、知的エンターテインメントの魅力が失われて行くことをもっとも恐れている。

   「視聴率 花も嵐も 踏み越えて」


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芽を出したドングリ

昨年の秋、毎日の通勤途上にある、住居からすぐ近くの公園でドングリの実を拾った。

今日ひとつ、そして翌日またひとつ、という具合に拾っているうちに会社のボクのデスクの上に10数個のドングリが溜まって行った。
艶々として美しいドングリの実を手にとったり、眺めたりしていると、このまま捨て置くのも何だか可哀そうな気がしてきた。

会社のフロアーには、ボクの同期の桜とも云える、会社設立以来25年間余を共にしてきた数本の鉢植えがある。
そのうちのひとつにベンジャミンがあり、その鉢に拾ってきた10数個のドングリの実を埋めたのだった。

そして、この春、2本が芽を出し、今では、背丈が15センチほどになっている。
さて、これをどうすれば良いのかと悩んでいる。

実は、長女がその昔、まだ小学1年生の頃、彼女は、拾ってきたドングリの実をひとつ、鉢に植えた。
それがやがて芽を出し、成長し始めた。

だんだん大きくなってきたので、家の前にあった花壇に植え換えた。
見る見るうちに、年々大きくなっていき、やがて見上げるような大きな木に生長し、軒先よりも高くなった。
14~5年ほど経った頃には、立派なドングリの実をつけるようになったのだった。

その長女も今年40歳を迎え、孫にあたる娘も2人になった。
数年前にボクは離婚し、再び、以前の家を訪れることもないが、どれほどの大木に成長しているのだろう。

そんなことを思い出しながら、毎日、少しづつ伸びているドングリの幼い木を眺めながら、さて、どうしたものかと思案を重ねている。

      「ドングリの 実をつける日よ 縁あらば」


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憲法改正についての一言

集団的自衛権に関して憲法解釈を変更するとの方針が、安倍政権によって示され、その実現に向けて積極的な動きを見せている。

これまで歴代自民党内閣は、専守防衛路線を堅持して来たのだが、ここにきて性急に憲法の解釈の変更までして、集団的自衛権を容認しなければならない理由とは果たして何なのだろうか。

安倍政権は歴代内閣にも増して、大きく右寄りの政治に舵を切っていることは明白ではある。
ことに、管義偉官房長官はかなり露骨な政治手法を使う政治家であるとの噂を聞いていた。
例えば、マスコミ操作のためには、公共放送の人事に平気で手を突っ込むだろうとも聞いていた。
そういう、乱暴で理不尽な政治手法を駆使してまでも、がむしゃらに右傾化を推進するには、それなりの理由があるはずである。

とは云っても、憲法を改正することは、自民党の党是である。
だから、別に安倍首相がその党の綱領に沿っての政治を強力に推し進めることには、本来ならば何の疑問も無い筈である。
しかし、その政治手法を含めて、とても乱暴で、唐突であるとの感が強いのはなぜか。

戦後日本は、徹底的にアメリカに追随して生きて来た。
それは当然の帰結で、それ以外の選択の余地は無かったことは確かである。

アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく、とはずいぶん昔に聞いた言葉だが、その関係は今も変わらない。
しかし、冷戦時代が過ぎ、中国の台頭でアジアの政治地図は大きく変わった。

いま、アメリカの目は、間違いなく中国に向けられている。
この間、日本経済は衰退し、今後も人口の減少と老齢化で、日本社会そのものの衰退は著しくなることは明らかである。
そんな日本の将来像に対する評価をも含めて、アメリカにとって日本の存在価値は大きく後退しているのが現実である。

そんな日本が、危機感を強めてアメリカに擦り寄っているのか、アメリカの強い要望なのか、あるいは、その相乗効果としての日米関係が、現在の安倍政権の右傾化を推し進めているのだろうか。
今回の憲法解釈に関しての、アメリカの圧力の大きさはいかほどなのだろうか。

憲法改正論議が登場する度に、決まって出てくるのが、あれはアメリカから押し付けられた憲法である、だから日本の手による憲法をつくるべきだ、との論である。
それを聞く度に、ボクは不思議な議論だなあ、と思っていた。

誰の考えであれ、それが日本国民にとって都合の良いものであれば、何も注文などつける必要はない筈である。
もともと、現在の議会制度そのものが日本製ではないのである。
そして何より、日本がもっとも頼りとする、親分のアメリカが与えてくれた憲法ならば、それを堅持することについてアメリカからとやかく文句を云われなくても済むではないか。
アメリカからの、戦争に協力しろ、との圧力にも「いいえ、わたしたちには、昔、あなたからいただいた憲法で、戦争は禁止されておりますので、それに協力はできません」と断ることもできるというものだ。

この話を、聖書研究家で、わが社の監査役である道川勇雄さんとしたら、「ところが、そうはいかないのですよ」とのことである。

道川さんによると、日本国憲法を発布する時に、日本は戦争を放棄するが、将来的には国連軍に参加していくとの約束がなされているというのである。
これが事実かどうかのあらためての確認はしていないが、道川さんがおっしゃるのだから間違いはないはずである。

平和憲法を放棄するような愚は絶対に避けなければならないが、それはそれとして、安倍内閣の本当の狙いを正確に知りたいと思う。
アメリカ以外の安倍政権を動かす黒幕はどういう存在なのか。
それが、まさか国民ではないことを祈るばかりである。

   「外圧か 単なる趣味か 発作かも」


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ちょっとばかり感心したこと

自分の会社が制作している番組やその担当スタッフの自慢をするのは、それこそ馬鹿社長の名に恥じぬ馬鹿ぶりであるが、それでも、いささか感心したことがあるので、馬鹿を承知で少しばかりお話したいと思う。

ボクたちは、テレビ局の色々な番組を制作させてもらっていて、そのどの番組も大切なのだが、その中でもわが社の看板番組として重点的に位置づけている番組がある。

そんな番組のひとつに、テレビ東京の「日経スペシャル・ガイアの夜明け」がある。
毎週火曜日の夜10時から放送の、1時間の経済ドキュメンタリー番組である。

この番組は、2002年4月から放送が始まりすでに13年目になる長寿番組だが、ボクたちは、この番組の立ち上げ時から参加させてもらっている。
現在、テレビ東京の常務取締役の藤延直道さんが、まだ報道部長だったかの時代で、彼から声を掛けて頂き参加した。

以来、これまで45本を制作してきた。
一年に1本しか制作していない年もあれば、6本制作した年もある。

制作本数は年度によって違いはあるのだが、わが社では、これまでずっと、「ガイアの夜明け企画班」なるものを組織してきた。
社外からのブレーンを含め、プロデューサーやディレクターなど数名が必ず毎週一度の企画会議を開き、その会議で練った企画を局に持ち込んできた。

番組が始まって以来、局のプロデューサーも代々変わり、わが社のスタッフも変わった。
しかし、わが社内での「ガイアの夜明け」の企画会議はほとんど途切れることなく、ここ10年間ほどは引き続き、続けられてきた。

こんな努力にも係わらず年間3本だったり、また1本しか制作できなかったりと、ずいぶんなエネルギーを費やしてきたものである。
これまで費やして来たエネルギーは、単純に人件費に換算しても数百万円の単位ではとても収まらない金額になるはずである。
こんな効率の悪い仕事の仕方をしているから、わが社はいつも貧乏をしている。

しかし、「ガイアの夜明け」という番組に対する思い入れが、こんな一見馬鹿げて見える伝統的企画会議を続けさせてきた。

スタッフは変われども、伝統は受け継がれて行く。
そして、結果的には、今では、この企画グループが、頼りになる戦闘的企画集団に成長し、成果を挙げるまでになってきた。

プロデューサー戸田有司、チーフディレクター加藤伸、ディレクター松本章伸、吉村元徳、福田雅之、アシスタント深田聖介、岩井宏樹、それにアドバイザーの甲野泰治さんが現在の企画班のメンバーである。ここにその都度、他のスタッフが入れ換わり参加する。

特に戸田有司と加藤伸は「ガイアの夜明け」の大ベテランで、戸田は主に企画の仕切りと営業を、加藤は番組の内容と、その品質のすべてに責任を負っている。

松本章伸はこの番組に限らず、優秀な企画メイカーである。
吉村元徳は伸び盛りの若手ディレクターで、一作ごとに確実にその腕を伸ばしている。

アシスタントの深田と岩井は共に、今年入社2年目を迎える新人である。
深田は新人ながら別のドキュメンタリー番組に企画を提案し、いち早くディレクターの体験をした。
そして、再びディレクターに挑む意欲を燃やしている。
岩井はつい先日、「ガイアの夜明け」で予定していた企画が取材先の都合で潰れた際に、急きょ、別のネタを提案し、窮地を救うという手柄を立てた。

甲野泰治さんは昨年末に77歳の喜寿を迎えられたわが社の最長老であるが、年齢を感じさせない新しい情報の宝庫のような人物で、彼の存在が、この企画会議を永年続けさせたとも云える。

どんなことも一人の力には限りはあるが、まずは本気になる一人の存在がキーとなる。
これに、2人、3人と力が寄れば次第に最強の形が生まれる。

ボクもここ数週間、この番組の制作態勢の見直しのために、この会議に参加しているが、ここに集まったスタッフの専門性の高さには舌を巻いている。
付け焼刃では間に合わない、経済ネタの情報に溢れている。

実際に、今年は6本の番組の制作がすでに決まり、現在3本の番組が並行して動いている。
テレビ局の担当プロデューサーの指導のもとで、長年の努力の成果がようやく実を結び始めていることを喜んでいる。

わが社の中に、あと二つあるいは三つの、こういった専門性の高い企画集団を作るのがボクの現在の目標である。
そして、他のプロデューサーたちに、「ガイアの夜明け」の企画会議を見習うように勧めているところである。

スタッフたちが、素直にボクの勧めを受け止めてくれるかどうか、大いに期待し、楽しみにしている。

   「回り道 迷い迷って 遠回り」


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集団的自衛権と野党~その②

集団的自衛権についての安倍政権の憲法解釈の変更方針が表明され、今後の日本の安全保障の進路が大きく変わろうとしている。

この、歴史的大転換に際して、野党はその機能を全く失ったままで、何の政治的役割も果たせていないことは異常な事態である。
自民党と連立政権を組む公明党がかろうじてその歯止めの役割を果たせるのかどうか。
いかにも情けない光景である。

振り返ってみると、2009年8月30日に行われた第45回総選挙で自民党が大敗したが、とりわけ、小泉内閣のあとを継いだ、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続く各内閣の率いた自民党政治は、これが戦後日本を復興させ、経済大国といわれるまでの国として栄えさせ、日本国民の安定的な生活を支えて来た政権政党であったとは思えぬほどに酷い状態で、国民を失望させたことは、まだまだボクたちの記憶に新しい所である。

しかし、国民が期待をかけて選択した新政権の、鳩山由紀夫、管直人、野田佳彦の民主党内閣の無様な政治が残した結果については敢えて語るまでもない。
やっぱり日本は自民党でなければ駄目だとの印象を国民に確認させる役目を見事に果たしただけだった。

そして、いま、アベノミクスという経済政策を掲げた安倍政権が、その独裁を欲しいままにしている。
この間、日本は見事に右傾化し、自民党政権にとって代わる野党は壊滅状態となっている。

国民ひとりひとりの暮らしの安定よりも、大企業を優先することにより、国家経済の立て直しを図ろうとする現政権の政策は、より一層富める者と貧しい者との両極を生み出し、格差社会を顕在化させている。

良くも悪くも、小泉内閣の出現までは、自民党の保守本流による政治が行われ、一億中流意識時代がしばらく続いた。
中間層と呼ばれる、特別に金持ちでも、貧乏でもない人々が中心の社会であった。
ある意味、これは社会のひとつの理想形である。
日本のもっとも平和な時代であったと云える。

しかし、「自民党をぶっ潰す」と宣言した小泉内閣により、保守本流の伝統的政治の形態は崩壊したのだった。
そして今、安倍内閣によるキナ臭い政治が世論の支持を受けている。

こうして見ると、本来は革新的でなければならない筈であった野党が、少しも、新しい政治や社会を求めて来なかったのではないか、とも思えてくる。
野党には、現在の政治に対する怒りや、社会の矛盾への挑戦の意欲が人一倍なければならないのに、そういう気配が全く感じられないのはどうしてなのか。

万年野党と揶揄された、かつての社会党には、政権を本気で勝ち取る気力や意欲がまるで見られず、結局壊滅していったが、それでも今の各野党よりも、もう少しましな部分があった。
それは、自分たちは野党としての責任があるとの自覚が、少なくとも存在していたからである。

新しいヴィジョンを持てない現在の野党には、政権を狙う意欲はもとより、野党であるとの自覚すら無いのではないか。
国会議員を就職先だと考えているのではないか、とさえ思えてくるのは実に情けない限りだ。

まだ、数にまかせて勝手気ままな専横政治を行っている自民党の方が、より革新的であり、世の中を変革させようとしているのではないかとも思える。

そろそろ、野党は眼を覚まさなければならないし、国民ひとりひとりも、うかうかと、過去の豊かであった時代の名残りから目覚める時が来ていると思うのだが、どうだろうか。

   「ここもダメ あちらもダメと 八つ当たり」


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集団的自衛権と野党~その①

安倍首相は15日、記者会見で、集団的自衛権の行使に向けて踏み出す方針であることを正式に表明した。
今さらながらではあるが、集団的自衛権とは他国のために自衛隊が武力を行使できる権利のことを云う。

戦後日本は、憲法第九条を順守し、自国の防衛だけに専念してきた。
しかし、安倍首相は国民に憲法改正の是非を問うことなく、憲法解釈の変更に過ぎないからとの理屈をつけて、日本が海外での戦争に参加できる道を開こうとしている。
このことは、以前から安倍首相が目指していたことである。

このブログでも、これまで尊重して来た憲法の解釈を、突然、一内閣が勝手に変更することは、「憲法は権力を縛るものである」という絶対的な理念である「立憲主義」を否定することになり、言語道断の専横政治であることをボクも強く訴えて来た。

過去70年、日本は戦争を放棄するとの理念を鮮明にし、世界に独自の立場を理解してもらうために努力を重ねて来た。
そして、現在の経済的な繁栄と平和を築いてきたという誇るべき歴史を持っている。

その立派な理念に基づく平和国家を放棄し、今、なぜ、放棄したはずの戦争に向けての道を進まなければならないのか。このことに関しては、憲法改正と同様に慎重な対応が必要であり、改めてこの件に関しての国民の信を問うべき内容である。

人はその立場によって考え方や行動が異なる。
戦争は絶対に放棄しようと考える者と、戦争も実際の政治運営の選択肢に加えようと主張する者とはその論者の立ち位置によって異なってくる。

ひるがえって世界を見渡してみれば、パレスチナは云うに及ばす、シリアをはじめとする中東の国々は戦乱にまみれているし、アフリカでは南スーダン、コンゴ、マリなどの紛争は続いている。
ウクライナでもロシアとEUの綱引きが行われている。

また、中国国内でもチベットやウイグル自治区で紛争の火種はくすぶり続けている。
南シナ海のベトナム、フィリピン、インドネシアなど各国と中国との関係も実にキナ臭い。
北朝鮮も決して平和的な国家とは言えない。

もしかすると、世界は、紛争や戦争をするために存在しているのではないかと思えるほどに、争いが絶えることはない。
そういう現実の中でどのように生きて行こうとすれば良いのか。

これには様々な立場と選択肢があるだろう。

安倍首相などのように、こういった国際情勢下で、外交や政治を行おうとする者は、戦争という手段を行使する権利を持って、各国と対峙していきたいと考えるのだろう。
安倍首相を支える人々の多くもまたそう考えているのだろうと推測できる。
それはそれで一理ある現実的手法であることには異論はない。

しかし、恐らく、そういう考えを持つ人々は、自分が戦場に出掛け、血まみれになって苦しんだり、死んでいったりするという具体的なイメージを持つことが出来ない、想像力に欠ける人たちであろうと思われる。
実際に戦争をするのは自分以外の人間であるとの考えの持ち主である筈だ。
自らは安全な所で旗を振ることだけを考えているにちがいない。
だから、平気で戦争への道を推し進めることができるのだろう。

一方、平和憲法を守り、戦争をしない国家で在り続けたいと願うボクたちは、相手を傷つけたり、自分たちを含めて傷ついたり苦しんだりすることをひたすら恐れている。
苦しむのは常に社会的弱者である自分たちだということを知っているからである。
そして、どこまでも戦争を放棄することを前提としての政治や外交の道を模索し続けたいと願っている。

日本は世界に誇る超軍事大国である。
武力に関しては決して世界列強にひけをとることはないだけの力を有している。
だからこそ、なおさら、自らは戦争を放棄し、世界の平和のために尽くすとの、平和国家であることを宣言することの意味が大きいのだとボクは信じている。

そして、こんな重大な発言をする安倍首相に対して、わずかながらでも影響力を持っているのが自民党と連立与党を組んでいる公明党しか存在しないという現実は実に情けない限りである。
いったい日本の野党はどうなってしまったのだろうか。

今さら民主党のふがいなさと責任について語る気もしないが、この重大な時期に待ったを掛ける野党が皆無であることは、日本の政党政治史上の汚点である。

結局、衆愚の国家はこうして形を変えた暗黒の世界へと再び導かれて行くしかないのだろうか。

      「黙々と 滅びの道を ただ歩む」


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これまで一番楽しかったイタズラ

今日のブログは、恐らく、ヒンシュクを買うことになると思う。
もしかすると、本気で怒りだす人がいるかもしれない。

しかし、これは、これまでボクが体験した中で、一番楽しく面白かった遊びのお話である。
本音を云うと、また機会があればやりたいと思うのだが、ちょっとした気力とエネルギーを要するイタズラである。

昔、よく公園などのハトにエサを与えるハトおじさんが話題になったことがある。
また、近所の野良猫にエサを与えるネコおばさんなどもいた。

最近では、神社の境内や公園などでよく見かけたドバトも、糞の害や病気などの理由で有害駆除の対象となり、以前ほどその姿を見かけなくなったし、同じような理由で野良猫も少なくなってきた。

当然ながら、それら有害駆除の対象となっている生き物にエサを与えることは反社会的行為となり、その禁を犯す者は批難の対象となっている。
ボクの遊びは、そんな反社会的行為にあたる。

ボクの場合は、ハトや猫ではなくて、もっと人々から毛嫌いされているカラスへのエサやりだった。

ハトは投げたエサを空中でキャッチすることはできないし、表情が乏しい。
一方、カラスは見事にエサを捉えるし、その表情は実に豊かである。

10年ほど前、ボクはまだ当時は幼かった孫娘を連れて、南こうせつのフオークソングで知られる神田川の上流沿いにある大宮八幡宮の森にしばしば行った。
普段は余り、人の訪れることの少ないその森には、カラスが群れで住んでいた。

何度か行くうちに、カラスたちはボクの顔を覚えて、三々五々集まって来る。
彼らの目的はボクの持っている食パンである。

それをちぎって投げるとカラスたちは競って空中でキヤッチする。
そのうちに、どこからとなくカラスたちが数百羽となく現れ、あたり一面が真っ黒になる。

それでも、カラスたちは用心深くてボクや孫との距離を一定に保ち、ハトのように肩や手に乗って来るようなぶしつけな真似はしない。
慎み深く行儀が良い。
じっと順番を待っている。

そして、カラスを近くで見ると実に可愛い顔をしている。
大きい者も小さいのもいる。
すばやくサッとエサを獲る者もいれば、動きが鈍く、すぐ目の前の空中で横取りされる者もいる。
大人に混じって子供もいて、余りの多さに一羽づつの顔つきの違いこそ分からないが、それぞれの個性も見えて面白い。

4~5斤の食パンはあっという間に無くなってしまう。
孫もカラスたちと仲良くなったものである。

ここまでは、特別にどうというお話ではない。
有害駆除対象のカラスにこっそりエサを与える不届きなオヤジに過ぎない。

そのうち、新宿御苑にもカラスがいることを知った。
新宿御苑は天皇が園遊会を催したりする名庭園で、家族連れや恋人たちが多く訪れる観光地でもある。

大都会新宿の中央にある森は人々の憩いの場であると共にカラスたちにとってもおそらく快適な休息の場なのだろう。
しばしば通っていた大宮八幡宮の森ほど多くはないが、新宿御苑にも100羽を越すカラスたちがいた。

御苑のはずれにある林まで来る人は少ない。
そこにいるカラスに用意して来た食パンを与えると、その情報を聞きつけてカラスたちが集まって来る。

そのほど近くに池があり、大きな鯉がゆったりと泳いでいる。
橋の上からエサを投げると何十匹もの鯉が先を争ってそのエサを奪い合う。

ひとしきり、カラスたちと遊び、残った食パンを池の鯉にやろうと孫と2人で池の方に移動したところ、カラスの一団がぞろぞろとボクたちについて来た。
橋から鯉に食パンを投げると、水面に落ちる前にカラスがサッと奪って行く。
それが面白くて孫と夢中になっていて、ハッと気付くと、橋の欄干に数十羽のカラスがとまっていて、遊びに来ていた人たちが、その異様な光景に驚くこととなった。

ヒッチコック監督の映画「鳥」ではないが、ハトやすずめなどならまだ穏やかだが、カラスとなるとその身体は大きいし、色が黒いので皆が怖がっているようだった。
さすがに気が引けて素知らぬ顔をしたが、期待してエサを待ち構えているカラスたちはしばらく動こうとはしないのだった。

そして、何日か過ぎると、またカラスと遊びたくなり、孫もその遊びを喜んだので、新宿御苑に行ったものである。
しかし、そのうちに人々の批難の視線が鋭くなるように感じられるようになり、ボクもついつい気弱になり、この迷惑なイタズラをやめることにしたのだった。。

そういう状況の中ではカラスは悪さをしないし、人を襲ったりすることもなく、全く危険はないのだが、どうもカラスは人間の嫌われ者のようである。

当時は幼かった孫娘も中学生になり、ボクも年老いて来たが、今でも、空中で見事にエサをキャッチするカラスの姿や、大きく口を開いてエサの食パンを、もう少しのところでカラスに奪われて食べ損ね残念そうな鯉の顔を思い浮かべては、またもう一度、あのイタズラをやってみたいと思ったりしている。

      「なぜ鳴くの 嫌われものの カラスの子」


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花壇の花々

ボクが住んでいる信濃町のマンションには玄関が二つあるが、裏玄関とも云える出入り口を出たすぐ脇に、狭い公園に続く10坪ほどの空き地がある。

以前はそこには雑草が生えていたのだったが、ここ2年ほど前から、少しづつ季節の草花が植え始められ、いつの間にか様々な花が咲き乱れる立派な花壇に変身した。
いまは、マーガレットや色とりどりのナデシコが美しい。

会社の行き帰りには必ず目にするが、特に朝は、太陽の光に映え、生き生きとしたその姿に元気を貰っている。
妻などは、毎朝、その花たちに「おはよう」と声を掛けるのが習慣になっている。
とりわけ、近頃は、辺り一面にむせるほどの香りを放っていて、初夏の感覚を一層感じさせてくれている。

以前から、一体誰が、この花壇の世話をしているのかと思っていた。

一昨日の日曜日の午後、ひとりの男性がこの花壇を手入れしていた。
ボクは思わず「こんにちは」と声を掛けた。
「この花を育てておられるのはあなたですか?」と単刀直入に尋ねた。
「はい」と50歳代半ば過ぎと思えるその男性は少し恥じらうように笑顔で答えた。

彼はボクたちと同じマンションの住人だということだった。
そして、この空き地は新宿区の所有で、初めは同じマンションの仲間たちと草花を植え始めたが、今はほとんど彼ひとりが花壇作りに精を出しているのだとのことだった。

「毎日、幸せな気持ちにさせていただいております。ありがとうございます」と妻が男性に礼を云うと「いやあ、楽しみでやっているだけですよ」と照れながら、それでも嬉しそうに答えた。

季節に合わせて花々をこれだけ見事に咲かせ続けるのは、並大抵の労力ではないし、それにお金もかかることだろう。
ボクたちは、男性に「ありがとうございます」と繰り返し礼を云った。

しかし、ボクはこの美しい花園を毎日通り過ぎながら、不思議に思っていたことがある。
それは、これほど咲き乱れ、香りを放っている花々に寄って来る虫たちをこれまで一度だって目にしたことが無かったことだった。

改めて考えてみると、家から会社への道筋の赤坂見付まで、ずっと緑が途切れることがない。
赤坂御所、迎賓館、学習院小学校、いくつかの公園、四谷駅からホテルニューオタニまで続くお堀沿いの緑と、何とも緑に満ちたこの一帯なのに、どの季節にも虫の姿を見ることがない。

どこにでもいた黄金虫などもいない。
お堀には水もあるのに、夏になってもトンボも見ないし、蝶も姿を見せない。
そういえば、ハエもあまり見ないし、蚊に刺されることもなくなった。
小鳥たちも姿を見せなくなって久しい。虫がいないと鳥もいなくなるのだろうか。

先日も、麹町から赤坂への道すがら、妻と娘と3人で新緑の映える清水谷公園を通った際にも、鳥たちの鳴き声もなかったし、姿も見ることはなかった。
虫嫌いの娘は、「虫などいない方が良いわ」と喜んでいる。

これが、都会の自然の姿なのか。
それとも、何か不自然な出来事なのか。

      「そんなこと 当たり前でしょと 妻が云い」


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企画実現部の成果

ボクたちの会社には三つの部がある。
制作部と業務部と企画実現部である。

制作部は文字通り、わが社の番組のすべてを制作するセクションで、スタッフのほとんどがこの制作部に所属している。

経理や管理や総務、それに制作デスクの属するのが業務部で、ここに所属する5名のスタッフは10時から6時までの勤務時間通りに働いている。

この他に、企画実現部がある。
10年ほど前に新設した際には企画推進部と称したが、推進してばかりではなくて、とにかく実現させなければ始まらないだろうと、より積極性を高めるために企画実現部と4年前に名称を改めたのだった。

たかだか、町場の制作プロダクションが、制作部だけでなくて、生意気にも企画実現部などという正体不明のセクションを新設しようなどと考えたのにも、それなりの理由があった。

今では、ごく一般的な概念になったが、テレビ業界で著作権なるものが本格的に意識され出したのは、せいぜい10~15年ほど前からのことである。
それと時期を一にして各テレビ局の制作費の削減が厳しく実施されるようになった。

NHKの中からは、制作費を削減するために、プロダクションに著作権を持たせる代わりに、制作費の一部を出資させるなどの方法論を編み出す知恵者なども出現した。

NHKの番組制作で、一般企業からの出資なども模索された時代で、ボクなども、その気になって、各商社など出資しそうな企業の門を叩いて、大いに駆けずり回った時期である。
以前にも、このブログに書いた、ハリーポッターのアニメ化やその他のイベント企画などでもずいぶん動きに動いた。
ボクが一番働いた頃である。

また、その時期は、NHKの関連会社の幹部から、今後は、NHKの仕事は、各プロダクションとNHK本体との直接契約の形になっていくことになるので、NHKの関連会社もあなた方と横並びで競争関係になる、われわれ関連会社からの仕事が減ることになるだろう、などと酒席で、申し訳ないことになると頭を下げられたりした。

確かに、当時は郵政省だったか、総務省だったか忘れたが、お上からの指導で、NHKの関連会社への締め付けが行われたようである。
しかし、実際には、NHK本体との直接契約の道筋はあるにはあるが、それは建前で、ごく一部に過ぎず、実態としては、現在も、関連会社との契約の方が圧倒的に多く続けられている。

良くも悪くも、とにかくテレビ業界の変革の時代だった。
ボクが、企画実現部を新設しようと考えたのは、そんな時期だった。

テレビ局とのやりとりだけでは、その先行きに不安を覚える、そんな時代だった。
そこで、直接クライアントに企画を売り込み、スポンサーをつけてテレビ局に企画案を持ち込み、その企画を実現させよう、というのが企画実現部新設の意図だった。

社内でこの意味を理解する者は少なかったが、部員を2人配置した。
本気で、営業プロデューサーなるものをつくったのだった。
外部から元広告代理店経験者や営業経験者などを招き、週に1日必ず営業会議を開いた。

4年ほど、ボクもスタッフたちも、思考錯誤を繰り返しながら、企画実現部の仕事に結構な精力を費やして来た。
いくつかの案件は実現させるにはさせたが、経営的にプラスになるには中々到らなかった。

その理由は、ボクたちの未熟さと経験不足にあることも明らかだったが、大きくは、大手代理店の存在に、いつもその行く手を阻まれたのだった。

ボクたちの試みは代理店の領域を犯すものだった。
クライアントの担当者は安価で実効性のある、ボクたちのアイディアを支持してくれたが、その決定段階で、必ず大手代理店の横やりが入って、潰された。
そして、企画実現部は、ここ半年ほど、廃部にはしていないが、ほとんどその活動を休止していた。

しかし、ここにきて、番組制作とは別の感覚とノウハウを必要とする企画実現部での体験が役立つような事例が、いくつか実を結ぼうとしている。

こういった経験の積み重ねは、一朝一夕の付け焼刃では間に合わない効果を発揮する。
たしかに、無駄なことも多くあったし、時間の消費もあったかもしれないが、何事かに関して懸命に努力を重ねたことは、例え、その時は無駄なことのように見えても、必ず何かの成果を生み出すものである。

この間、少なくとも、2名の優秀な営業プロデューサーが育った。
そして、それらの人材が、新たな企画を実現させたり、その特性を生かしての仕事に成果を上げ始めている。

何事にも、そういった効果のあることをボクたちは知っているのだが、その成果がいつ、どのような形で現れるかが定かではないので、それを継続していくことが難しいのだ。

先日、ある大手出版社の社長が来社されて、冗談交じりに、企画実現部の名称の話をしたところ「継続することが大切ですね」とご自分の体験と重ね合わせての話をされた。
継続には実際、想像以上の力が必要なようだ。

      「馬鹿社長 無駄の上にも 3年と」


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メシは食べたか?

消費税の増税から1ヶ月経ったが、果たしてその影響はどうか、とのテーマで各新聞もテレビも揃ってニュースのトップで取り上げていた。
そのニュース感覚は当然で、消費者としても気になるところである。

そして、どのマスコミもこぞって増税による際立った消費の落ち込みの無いことを強調していた。
デパートなどの売り上げも、雇用や所得環境が改善されていることもあり、店頭に客が戻り始めているようだとの論調の記事もあった。

また街のレストランでは、若者たちが、ちょっとばかりセレなブメニューを求めており、安いだけでなく、美味しいならば少し値段が高くてもそちらを選択する、などの光景を取り上げていた。

しかし、ボクはとても不思議な感覚に陥った。
口裏を合わせたような一連のニュース報道に共通するのは、比較的余裕のある庶民の暮らしぶりを強調している点である。
当然ながら、本当にそうなのだろうかとの疑問が残る。

ボクたちが、会社を設立して若いスタッフが会社に集まり始めた頃、ボクは彼らに「メシは食べたか?」とついつい尋ねたものである。
ほとんどボクの口癖のようになっていた。

その度に、若い衆は「はい、食べました」と怪訝そうに答えていたものだ。
そして、やがて、その怪訝そうな顔をする理由を知った。

若い連中にとって食事をすることは特別のことではなくて、ごくごく日常の当たり前のことだった。
それをわざわざ、メシを食べたか?と聞くボクの質問の意図が理解できなかったのだった。

ボクの若い頃はいつも飢えていた。
いつも腹を空かせていた。

学生時代は、親からの仕送りだけでは足りず、そうかと云って働いて稼ぐほど勤勉でもなかったので、いつも腹を空かせていたし、会社勤めしてからも、いつもピーピーしていた。

だから、メシを食うということは、大きなテーマのひとつだった。
その時の感覚が抜けきらず、豊かな時代の若者たちに同じような感覚で語りかけていたことを知ったのだった。

あれから20余年。
ふたたび、腹を空かせた若者たちが出現し始めているのではないかと感じている。

狂気に満ちたバブルの時代から、飽食の時代を経て、再び、節約の時代へと入った。
そして今、貧富の差が生まれ、貧しさに耐えなければならない時代にすでに突入している。
しかし、未だにボクたちは、経済的に豊かであるとの意識の残像の中にいるのではないか。

老人の人口に占める割合が年毎に増加し、年金だけに頼る生活者が圧倒的な数になる。
どう考えても、日本経済の先行きの見通しが立つとは思えない。

政府にとっては更なる増税が必要となる。
実際、今年暮れには、消費税を10%に更に増税することを決めようとしている。

今回の各マスコミの消費税増税の影響についての報道は、政府広報とも云える意図的報道だと感じる。
8%の増税の影響などたいしたことではありませんでしたよ、だから、これが10%になってもそれほど大変なことではないですよ、との政府の片棒をマスコミがこぞって担いでいるとしか思えないのである。

しかし、マスコミは真実を語るべきである。
ボクたちが経済的な貧しさに耐えなければならないことは避けようの無いことである。
また、その覚悟をすることが必要である。

ボクたちはいつの時代でも、豊かな生活を求めることに変わりはないが、これからは、その豊かさの意味や価値観の転換を図らなければならないことは必然である。
そんな生き方についての方針の議論を国民レベルで行うことが先決である。

憲法改正や原発の是非はその先の話であろうと思っている。

   「飽食を 捨てて美味しい 番組が」


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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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